。
ゲッツはポルトガル系ブラジル人(ブラジルの上流階級)がクール・ジャズから考案したボサ・ノヴァに早くから目をつけ、ギタリストでシンガーのジョアン・ジルベルトとの共作「ゲッツ~ジルベルト」1963(画像2)の『イパネマの娘』にはヴォーカルにジョアン夫人アストラッドを起用、全米アルバム・チャート2位の大ヒット作となる。「おかげで子供5人全員大学を出せた」(ゲッツは中卒)。事実上の音楽監督で作曲家・ピアニストのアントニオ・カルロス・ジョビンはゲッツを尊敬していたが、ジョアンはゲッツを軽蔑していた、という裏話もある。ゲッツはユダヤ人だったからだ。
ゲッツ自身はボサ・ノヴァが自分やマイルスのやっていたクール・スタイルの発展型と考えていたが、ジャズの正道ではない上に全米チャート2位は効いた。しばらくはポップ・ジャズ路線のアルバムをレコード会社の求めで録音したが(シリアス路線の「スタン・ゲッツ&ビル・エヴァンズ(ピアノ)」1964は没になり後年発表された)、俊英チック・コリア(ピアノ)を含む「スウィート・レイン」1967(画像3)で久しぶりにシリアス・ジャズ路線に戻り、末期癌で余命宣告されても最晩年までジャズ一筋の演奏活動を続けた。ジャズに殉じた人だった。