人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(16)ギル・エヴァンス(arr,p)

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Gil Evance(1912-1988,arrenge,piano)。ジャズ界にはビル・エヴァンス(Evans)というピアノの巨匠もいて紛らわしいが、ギルはピアニスト以前に編曲者として大きな功績を残した人だった。懐の広い人で金や名誉にも執着なく、ギルがプランを立てると優秀なジャズマンたちが手弁当で参集した。マイルスも死の前年に完成した自伝で言っている。「おれの生涯の友人は二人いる。ひとりはマネージャーで、ひとりはギル・エヴァンスだ」。
友人というよりマイルスにはパーカー=ガレスピーに続く先生だったろう。没年までギルはマイルスの音楽的相談役だった。予算不足と主役不在(これはジャズにとっては大きい)のギル自身のアルバムより、ギルが編曲と音楽監督をしたマイルスのアルバムこそがギルの傑作になっている。また「ラウンド・ミッドナイト」や「懐かしのストックホルム」にもブリッジを追加したり、「ソー・ホワット」のビル・エヴァンスのピアノ前奏を書いたのもギルだという。とにかくマイルスがねだればアイディアを提供してくれる人だった。しかも、ノン・クレジットでだ。

この二人が知り合ったのはマイルスがパーカーのバンド在団中書いた曲をギルがクロード・ソーンヒル楽団の嘱託で編曲したからだった。この楽団が変なジャズで踊れないし、ムード音楽にしては凝っていて、妙な浮遊感がある。そこでマイルスがギルの編曲で録音したのが「クールの誕生」1949(画像1)で、このアルバムは特に白人ジャズマンから圧倒的支持を受けた。
マイルスが55年に大手コロンビアと契約してから、この二人は5枚の変則ビッグ・バンドのアルバムを録音する。「マイルス・アヘッド」1957、「ポーギーとベス」1958、「スケッチズ・オブ・スペイン」1960(画像2)、「アット・カーネギー・ホール」1962、「クワイエット・ナイト」1963。特に最初の3枚がいいが、「アランフェス協奏曲」を含む「スケッチズ~」が人気盤。

いきなり晩年に跳ぶが、実はピアノも凄かった、というのが没後発表になったリー・コニッツ(アルト・サックス)との「ヒーローズ」1980、スティーヴ・レイシー(ソプラノ・サックス)との「パリ・ブルース」1987(画像3)だった。どちらもデュオなのだが、ひらめきと情感に満ちている。