人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(17c)ジョン・コルトレーン(ts)

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コルトレーンのインパルス移籍は1961年で、契約消化のためにセクステットによるアルバム「オーレ!」を移籍第一作「アフリカ・ブラス」より後にアトランティックに置き土産にしている。どちらも注目されるのはオーネットから少し遅れてロサンジェルスからやって来たエリック・ドルフィーの参加で、アルト・サックス、バス・クラリネット、フルートの達人であると共にオーネットとは異なるタイプのフリー・ジャズ・ミュージシャンと見られていた。
コルトレーンドルフィーを重用し、マイルスから独立後初めてのバンドもアトランティック時代から固定メンバーにしていたマッコイ・タイナー(ピアノ)、エルヴィン・ジョーンズ(ドラムス)と共にクインテットを組む。このバンドでヨーロッパ・ツアーやニュー・ヨーク近郊のクラブ出演を重ね、数人のゲストを招いたライヴ録音から最初に発売されたのが「アット・ヴィレッジ・ヴァンガード」1961(画像1)で、合計4枚分が順次発表された。このアルバムはLPでB面まるごと、ベースとドラムスだけをバックにしたコルトレーンのソロが16分間収められており、なんだかすごいぞと話題を呼んだ。

コルトレーンの理想はワン・ホーン・カルテットにあり、ドルフィー独立後ベースをジミー・ギャリソに固定、62年にカルテットのデビュー作とレコード会社企画のスタンダード曲集「バラード」(画像2)を録音する。このアルバムは一般の人気は高く、批評家には賛否両論だが、理想のカルテットと自負するだけあって以前より格段に深みは増している。
バラード曲集企画はさらに「デューク・エリントンジョン・コルトレーン」1962、「ジョン・コルトレーンとジョニー・ハートマン(ヴォーカル)」1963があるが、共に味わい深い。

再び本来の路線に戻り、「ライヴ・アット・バードランド」1963と「クレッセント」1964(画像3)は甲乙つけ難い傑作になった。前者は死者4人を出したアラバマ州の黒人教会爆破事件への鎮魂歌「アラバマ」などオリジナルもいいし、後半の無伴奏カデンツァだけで曲の半分を占める「あなたと話したい」や6/8拍子と2/4拍子を自在に往復する「アフロ・ブルー」(うちのバンドも十八番だった)もいい。後者はオリジナル全5曲みんないい。CDを鳴らしただけで室温・湿度がスッと下がる。