人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

Charles Mingus Quintet & Max Roach (Debut, 1955)

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Charles Mingus Quintet & Max Roach (Debut, 1955) Full Album
Recorded live at Cafe Bohemia,NYC, December 23, 1955
Released Debut DEB-139
(Side A)
A1. "A Foggy Day" (George Gershwin, Ira Gershwin) : http://youtu.be/XpZcEydEt7Q - 5:36
A2. "Drums" (Charles Mingus, Max Roach) : http://youtu.be/nXH20ZK3Uwg - 5:38
A3. "Haitian Fight Song" (Mingus) : http://youtu.be/9yj95vfeu1w - 5:27
A4. "Lady Bird" (Tad Dameron) : http://youtu.be/otVC3IaJs4s - 5:58
(Side B)
B1. "I'll Remember April" (Gene de Paul, Patricia Johnston, Don Raye) Pt.1 : http://youtu.be/djm1LDol3ps Pt.2 : http://youtu.be/Gsa8UxZ5Vd0 - 13:13
B2. "Love Chant" (Mingus) : http://youtu.be/kWy86zYGCZQ - 7:26
[Personnel]
George Barrow - tenor sax
Eddie Bert - trombone
Mal Waldron - piano
Charles Mingus - bass
Willie Jones - drums
Max Roach - drums, percussion(A2,B1)

 このアルバムは『ミンガス・アット・ザ・ボヘミア』と同じ時のライヴだが、ポピュラー音楽で2枚組が普通に発売されるようになるのはLPレコードの売り上げが飛躍的に増大した1967年以降で、ザ・ビートルズ『(ホワイト・アルバム)』1968の発売はイヴェント的意味があった。白人ロックの2枚組アルバムの系譜はクリーム『クリームの素晴らしき世界』1968、エリック・バードン&ジ・アニマルズ『愛』1968、グレイトフル・デッド『ライヴ/デッド』1969、ザ・フー『トミー』1969、ザ・バーズ『(名前のないアルバム)』1970、デレク&ザ・ドミノス『愛しのレイラ』1970、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング『4ウェイ・ストリート』1971、オールマン・ブラザース・バンド『アット・ザ・フィルモア・イースト』1971と続き、主にライヴ・アルバムで多く制作されることになる。
 こうして見るとボブ・ディラン『ブロンド・オン・ブロンド』1966とフランク・ザッパ&ザ・マザーズ・オブ・インヴェンジョン『フリーク・アウト!』1966の先駆性は異彩を放っていた。ジャズでは何と言ってもマイルス・デイヴィスの『ビッチズ・ブリュー』1970から始まる2枚組連発リリースが思い浮かぶ。

 現在出回っている60年代までのジャズのライヴ盤は、ほとんどがアナログ盤発売当初は同時収録ながらVol.1、Vol.2といった具合に分売されたものをカップリングさせたものか、アナログLPでは個別のタイトルをつけて発売されていたものだったりする。有名なアルバムではマイルス・デイヴィスの『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』と『フォア&モア』が同時収録のライヴ(1964年)、ビル・エヴァンスの『サンデー・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード』と『ワルツ・フォー・デビー』(1961年)やセロニアス・モンク『イン・アクション』と『ミステリオーソ』(1958年)もそうなる。
 チャールズ・ミンガス初のフル・ライヴ・アルバム『アット・ザ・ボヘミア』と『チャールズ・ミンガスクインテットマックス・ローチ』もそうで、どうしてもライヴ・シリーズは後に発売されたものの方が評価が低くなる。先にリリースされた方が豊富な素材から編集できるわけで、Vol.2、Vol.3と残りテイクが発表されるに従って落ち穂広い的な選曲になるのはやむを得ない。

 先に発売された『アット・ザ・ボヘミア』は全6曲がバランス良く収録され、楽曲も多彩ながらアルバム全体の流れも良かった。このカフェ・ボヘミアでのライヴのマル・ウォルドロン(ピアノ)、ミンガス(ベース)、ウィリー・ジョーンズ(ドラムス)はそのままアトランティック契約第1作『直立猿人』1956のメンバーで、エディ・バート(トロンボーン、2012年逝去)とジョージ・バーロウ(テナーサックス、2013年逝去)は他に名演というほどのものもなくバートは生涯ビッグバンド要員で、バーロウは参加アルバムでもアンサンブル要員でソロがなかったりする(オリヴァー・ネルソン『ブルースの真実』1961など)。二人とも自己名義のアルバムは生涯に1枚しかない。だが、ミンガスのカフェ・ボヘミア・ライヴでは十分に『直立猿人』のサウンドに向かいつつあったリズム・セクション3人の演奏に見劣りせずにバートとバーロウがコクのある演奏を聴かせてくれる。ウィリー・ジョーンズ(1991年逝去)も無名ドラマーで参加アルバムは8枚しかないが、セロニアス・モンク2枚、ミンガス3枚、エルモ・ホープとランディ・ウェストンとサン・ラが1枚ずつ、という栄光の日陰者ドラマーで、プレスティッジ盤『モンク』『セロニアス・モンクソニー・ロリンズ』1953とホープメディテーションズ』1955、ウェストン『モダン・アート・オブ・ジャズ』1956とサン・ラ『フューチャリスティック・サウンズ』1961のドラマーがミンガスのボヘミア二部作(1955年)と『直立猿人』1956のドラムスだとは普通は誰も気づかない。参加アルバムの少なさからも、専業ミュージシャンではなかったことは確かだ。
 結局『直立猿人』ではジャッキー・マクリーンのアルト、J・R・モンテローズのテナーと2サックスのフロントになるのだが、マクリーンとモンテローズと比較してはさすがにバートとバーロウではかなわない。そこら辺の食い足りなさのさじ加減も『アット・ザ・ボヘミア』二部作の味わいになっている。

 選曲面でも『アット・ザ・ボヘミア』は単に『直立猿人』のプロトタイプには見えない斬新さがあって、それまでのミンガスの試行錯誤が54年末の『ジャズ・コンポーザーズ・ワークショップ』と『ジャジカル・ムーズ』でしっかり方向性をつかんで、『アット・ザ・ボヘミア』でついに集大成に達した観があった。『ボヘミア』で『セプテンバリー』『オール・ザ・シングス・ユー・C♯』と2曲もやった複数曲同時演奏の手法は『直立猿人』のコンセプトでは合わず一旦棚上げにされるが、その後のアルバムではたびたび同種の手法が用いられる。
 この『クインテットマックス・ローチ』が残り曲ぽく、また『直立猿人』のプロトタイプ然としていて割を食っているのは、A面3曲・B面3曲にそれぞれまとまりがある構成の『アット・ザ・ボヘミア』に対してA面4曲・B面2曲の『&マックス・ローチ』はA面に独立した曲が並び、B面が長尺セッションのような印象を与えるようなことで、『ア・フォギー・デイ』と『ラヴ・チャント』が『直立猿人』で決定ヴァージョンがスタジオ録音される通りほぼ完成したアレンジ、ただし『直立猿人』ヴァージョンほどのインパクトに欠けるヴァージョンで収められ、タッド・ダメロンの『レディ・バード』とレイ&デ・ポールの『四月の思い出』もバップ・スタンダードで悪くない出来だが、『アット・ザ・ボヘミア』の『オール・ザ・シングス・ユー・C♯』ほど仰天するような出来ではない。この2曲はミンガスもローチもガレスピーやパーカーとバテるほど演り倒してきたからあえて軽く飛ばしたか(ローチ参加の『四月~』)、『レディ・バード』はダメロンのバンドのスターだったファッツ・ナヴァロへのオマージュも入っているかアレンジのアイディアは重いが仕上がりはやや散漫。『ハイチの戦闘の歌』は後にアトランティック第2作『道化師』で凄まじい決定ヴァージョンが生まれるが、ピアノは両ヴァージョンで拮抗しているものの、ジミー・ネッパー(トロンボーン)とシャフティ・ハディ(アルト&テナーサックス)の重量級のフロント、ミンガスの番頭ことダニー・リッチモンドのドラムスの『道化師』収録ヴァージョンとは同曲とは思えないほど弱い。

 しかしこれは『アット・ザ・ボヘミア』や『直立猿人』『道化師』と比較するからの話で、もっとも実験的な『ドラムス』は2管がAマイナーのドローンで絡みあう中をベースとドラムスが自在にインプロヴィゼーションする。『ボヘミア』の『パーカッション・ディスカッション』と同工異曲だがこちらは管入りで、キーがAマイナーのドローンだからかオーネット・コールマンの『ロンリー・ウーマン』1959を思わせる。『パーカッション・ディスカッション』も『ドラムス』もドラム・ソロしか予想させない即物的なタイトルで損をしていて、当時としては大胆なフリー・ジャズだが曲としてのフォームはオーネット同様ちゃんとある。
 もし『アット・ザ・ボヘミア』『直立猿人』『道化師』なしにミンガスのディスコグラフィが『ジャジカル・ムーズ』から『クインテットマックス・ローチ』『ミンガス・スリー』と一枚おきしかなかったら、『アット・ザ・ボヘミア』と同等の重要ライヴ・アルバムとして『クインテットマックス・ローチ』は里程標とされ、『ア・フォギー・デイ』『ラヴ・チャント』は『クインテットマックス・ローチ』収録版が決定ヴァージョンとされ、『直立猿人』タイトル曲と『道化師』の『リーンカーネーション・オブ・ラヴ・バード』は『ジャジカル・ムーズ』の『マイナー・イントルション』の原型のままで、『ハイチの戦闘の歌』は『アット・ザ・ボヘミア』の『ワーク・ソング』とあまり変わりない『クインテットマックス・ローチ』ヴァージョンで初演にして決定ヴァージョンと見做されていた可能性もある。

 ミンガスの場合改作・別タイトル曲でどちらも決定ヴァージョンになっていることもあれば、改作・同タイトル曲でもそれぞれ異なる魅力をもった名演がざらにあるのだ。セロニアス・モンクの場合は編成が変わればアレンジも変わるにせよ、曲のエッセンス自体はほとんど変わらない、というアーティストだった。それはパーカーやバド・パウエルでもそうで、新しい60年代のジャズマンと言えるオーネット・コールマンエリック・ドルフィーローランド・カークでもシチュエーションは変わっても音楽の質はほぼ一定だった。彼らの音楽はソロイストの音楽だった、と言える。
 ミンガス同様、方法自体をどんどん変えていったジャズマンにはマイルスがいて、マイルスとミンガスでは相当異なって見えるが発想がアレンジャーの音楽という点では共通する。コルトレーンはどちらとも言えず難しい。コルトレーンの弟子アーチー・シェップはアレンジャー・タイプだったし、アルバート・アイラーは完全にソロイストだった。コルトレーンは生前に共演したいミュージシャンはないか、たとえばミンガスなど、とインタビューで訊かれて、考えられない、ミンガスの音楽は嫌いだ、と答えている。一方チコ・ハミルトン・クインテット出身のエリック・ドルフィーはニューヨーク進出後、ミンガスのバンドとコルトレーンのバンドとオーネットのバンドとオリヴァー・ネルソンのバンドをかけもちして、どこで演奏してもドルフィーだった。匹敵するのはマイルスのバンド出身でミンガスのバンドとアート・ブレイキージャズ・メッセンジャーズをかけもちしたジャッキー・マクリーンくらいだろう。そして『直立猿人』と『ミンガス・プレゼンツ・ミンガス』1960がミンガスの大傑作になっているのは、前者がマクリーン、後者がドルフィーの初参加アルバムだからとも言える。