人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

オーネット・コールマン Ornette Coleman - ジャズ来るべきもの The Shape of Jazz to Come (Atlantic,1959)

オーネット・コールマン - ジャズ来るべきもの (Atlantic, 1959)

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オーネット・コールマン Ornette Coleman - ジャズ来るべきもの The Shape of Jazz to Come (Atlantic,1959) : Full Album : https://www.youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_n7YmaDfWV83iiAeKf3YtJzwa952vExGgs
Recorded at Radio Recorders, Hollywood, California, May 22, 1959
Released by Atlantic Records 1317, October 1959
All Titles Composed By Ornette Coleman

(Side 1)

A1. Lonely Woman - 4:56
A2. Eventually - 4:23
A3. Peace - 9:02

(Side 2)

B1. Focus on Sanity -6:49
B2. Congeniality 6:44
B3. Chronology -6:04

[ Ornette Coleman Qurtet ]

Ornette Coleman - alto saxophone
Don Cherry - cornet
Charlie Haden - bass
Billy Higgins - drums

(Original Atlantic "" LP Llner Cover & Side 1 Label)

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 本作『ジャズ来るべきもの』は発売前から話題作と喧伝され、アメリカ盤発売からすぐに日本盤が発売され高い評価を得ました。テキサス州出身でロサンゼルスで活動していたアルトサックス奏者オーネット・コールマン(1930-2015)は、すでにロサンゼルスのインディー・レーベルのコンテンポラリー・レコーズか第1作『サムシング・エルス!(Something Else !!!!)』(1958年2月・3月録音、同年10発売)を発表しており、同社に『明日が問題だ(Tomorrow Is The Question !)』(1959年1~3月録音、同年11月発売)も制作していましたが、全国デビューになった本作での登場は新人アーティストとしてはモダン・ジャズ史上もっともセンセーショナルなものでした。現在でもこの作品はジャズ史上の最重要アルバムと目されています。では、オーネット・コールマンの位置づけはどういうものでしょうか。昭和53年刊の書籍『Jazz&Jazz 歴史にみる名盤カタログ800』(講談社)は同時刊行された『Rock&Rock』と共に80年代まで増補改訂され、LP時代には広く読まれたレコード・ガイドブックですが、その序文の総論では「1900年代から今日にいたるまでのジャズを築いてきた偉大なミュージシャンの名をあげるとき、チャーリー・パーカールイ・アームストロングデューク・エリントンジョン・コルトレーンマイルス・デイビスオーネット・コールマンの六人はとりわけ巨大な存在としてジャズ史上にその名をとどめている」とし、「しかしマイルスとコールマンを除いて、四人はすでにこの世にない」と続けています。マイルスもまた1991年に逝去しており、21世紀までキャリアを伸ばし85歳の高齢で逝去するまで現役ミュージシャンだったオーネットはここに名前の上がった他の誰よりも長い楽歴を誇ることになりました。また多くの概説には、ジャズ史上最高の小編成レギュラー・バンドとしては、ルイ・アームストロングのホット・ファイヴ、カウント・ベイシーのカンサス・シティ・セヴン(レスター・ヤング在籍)、オリジナル・チャーリー・パーカークインテット(マイルス・デイヴィス在籍)、オリジナル・マイルス・デイヴィスクインテット(ジョン・コルトレーン在籍)、ジョン・コルトレーン・カルテット、オーネット・コールマン・カルテットがジャズの里程標をなす六大バンドとして目されています。アート・ブレイキージャズ・メッセンジャーズチャールズ・ミンガス・ジャズ・ワークショップは歴史が長い上にメンバーが流動的すぎてレギュラー・バンドとは言えないとしても、レニー・トリスターノセクステットジェリー・マリガン・カルテット、クリフォード・ブラウンマックス・ローチクインテットはどうしたと言えばきりがありませんが、先の引用でも年代を無視してコルトレーンをマイルスの先に置き、チャーリー・パーカーを筆頭とオーネット・コールマンで締めくくっているのは序列の意識が働いています。つまりパーカーを最重要ジャズマンとし、次にパーカーに先立つ巨匠を二人、またパーカーの薫陶を受けたマイルスとコルトレーンを上げ、マイルスは当時まだ現役でしたから後に置いています。そしてパーカーから始めてオーネットで締めくくるのはモダン・ジャズの基準からのジャズ発展史の一巡という意図からでしょう。

 オーネットはモダン・ジャズ史上のアヴァンギャルド・ジャズの開祖とされるアーティストですが、チャーリー・パーカーのビ・バップ自体がオーネットに先立つジャズのアヴァンギャルド運動であり、ビ・バップに対する白人ジャズ側の回答というべきクール・スタイルのレニー・トリスターノによる初期キーノート・レコーズへの録音は1946年には開始されています。トリスターノの最初のフル・アルバム『奇才トリスターノ(Tristano)』、チャールズ・ミンガスの『直立猿人(Pithecanthropus Erectus)』、セロニアス・モンクの『ブリリアント・コーナーズ(Brilliant Corners)』がいずれも1956年録音~翌年初頭のリリースで、トリスターノはアルバム発売を機にジャズ界の第一線から身を引き、ミンガスとモンクはこれが長い試行錯誤を経たのちの出世作となりました。マイルス・デイヴィスクインテットの『Relaxin'』『Workin'』『Cookin'』『Steamin'』四部作も同年5月・10録音ですし、ブラウン&ローチ・クインテットの『ベイズン・ストリートのブラウン&ローチ(Clifford Brown and Max Roach at Basin Street)』、ソニー・ロリンズの『サキソフォン・コロッサス(Saxophone Colossus)』もこの年です。また、インディー・レーベルのため評価はずっと遅れましたが、フリー・プロデューサーのトム・ウィルソン(60年代にはボブ・ディランサイモン&ガーファンクルフランク・ザッパマザーズ、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドを手がける)が設立したトランジション・レコーズからセシル・テイラーの『ジャズ・アドヴァンス(Jazz Advance)』、サン・ラの『ジャズ・バイ・サン・ラ(Jazz by Sun Ra)』が制作・発売されたのも同年になり、ニューヨークのリヴァーサイド・レコーズからはビル・エヴァンスの第1作『ニュー・ジャズ・コンセプションズ(New Jazz Conceptions)』が制作・発売されています。オーネット自身はロサンゼルスのコンテンポラリー・レコーズから『サムシング・エルス!』で58年にデビュー、『ジャズ来るべきもの』の直前に第2作『明日が問題だ』1959を録音していましたが、インディー・レーベルのためあまり話題になりませんでした。ですが同年モダン・ジャズ・カルテット(MJQ)の西海岸ツアー中にジョン・ルイスがオーネットに注目し、ルイスはアトランティック・レコーズのジャズ部門の監修者でもあったため、インディーながらワーナー傘下の大手で全国への配給網を持つアトランティックからの全国デビューが決まります。ルイスは制作が難航していた『明日が問題だ』を早く完成させてアトランティックに契約させるため、MJQのベーシストのパーシー・ヒースを参加させてアルバムを仕上げさせてすらいます。

 東部の黒人上流階級に育ち大卒でバッハ研究の権威でもあったルイスはジャズ・ジャーナリズムの世界でも絶大な影響力があり、現役ジャズマンとしての実績と批評的見識では第一人者と尊敬されていました。ディジー・ガレスピーのバンドから生まれたMJQはチャーリー・パーカーのバック・バンドの経験も多く、クラシックにも造詣の深いルイスのパーカー評「バッハ以来の音楽的発明」はジャズ界の定説になっていたほどです。ジョン・ルイスオーネット・コールマンを評した「パーカー以来のジャズの革命」はオーネットをたちまちジャーナリズムの注目の的にし、『ジャズ来るべきもの』発売から間もなくメンバー全員でロサンゼルスからニューヨークに進出を果たしたオーネット・コールマン・カルテットはジャズ・クラブのファイヴ・スポットと出演契約し、ライヴは大評判を呼んで契約延長を重ね、新人としては異例の6か月連続出演(週6日出演)を果たします。リスナーはもちろんですがニューヨークの現役ジャズマンたちもこぞってオーネットのライヴを聴きに訪れました。傑作『カインド・オブ・ブルー(Kind of Blue)』を発表したばかりのマイルス・デイヴィスはインタヴューでオーネットの音楽を批判し、ジョン・コルトレーンの『ジャイアント・ステップス(Giant Steps)』は録音済みでしたが同じアトランティック作品だったため発売はオーネットのブームが落ち着いた翌年に持ち越されました。コルトレーンはオーネットの音楽に大きなショックを受け、アルバム『アヴァンギャルド(avantgarde)』でオーネット・カルテットのメンバーと共演します。ソニー・ロリンズも『アワー・マン・イン・ジャズ(Our Man in Jazz)』でオーネット・カルテットのドン・チェリーとレギュラー・バンドを組み、ヨーロッパ・ツアーまで行います。

 オーネットが評判を呼んだためオーネットの友人のマルチ木管奏者(アルトサックス、フルート、バス・クラリネット)のエリック・ドルフィーもロサンゼルスからニューヨークへ単身進出してきます。ドルフィーは本格的なビ・バップからオーネット以上の奔放なプレイまでこなす応用力の強いプレイヤーだったため、旧知のチャールズ・ミンガスのバンドとマイルスから独立したコルトレーンのバンドをかけもちし、自分のアルバムも出し、フィーチャリング・ソロイストとして多忙なセッションマンにもなりました。チャールズ・ミンガスはトランペットのテッド・カーソンとドルフィーをオーネットのライヴに偵察に出し(自分は車の中で待っていたそうです)、オーネット・カルテットと同じピアノレス・カルテット編成でオーネットへのアンサー・アルバム『ミンガス・プレゼンツ・ミンガス(Charles Mingus Presents Charles Mingus)』1960を制作します。ビル・エヴァンスの『ポートレイト・イン・ジャズ(Portrait In Jazz)』もこの時期のジャズ・ピアノの革新的アルバムでした。ミンガスの盟友マックス・ローチはオーネットには批判的でしたが、前後してオーネット影響下の『ウィ・インシスト!(We Insist !)』をミンガスと同じインディー・レーベルのキャンディドからリリースします。ですが、プレスティッジ・レコーズと契約したドルフィーにせよ、すでにメジャー・レーベルからのリリースを確保し評価面ではマイルスと同格の大家だったミンガスやローチさえも、オーネットに迫ったアルバムはインディー・レーベルでしか制作できなかったことは留意すべきでしょう。キャンディドはセシル・テイラーの傑作『セシル・テイラーの世界(The World of Cecil Taylor)』も制作していますが、これはオーネットよりさらにアヴァンギャルドな作風のジャズ・ピアノ作品でした。また、サン・ラ&ヒズ・アーケストラもアヴァンギャルド・ジャズ流行の風潮に乗ってシカゴからニューヨークに進出し、トム・ウィルソンの斡旋でインディーのサヴォイから『フューチャリスティック・サウンド・オブ・サン・ラ(The Futuristic Sounds of Sun Ra)』1961年をリリースしますが、サン・ラのバンドも1965年頃までは食料品店でメンバーがアルバイトしてようやく続けていた状態になりました。オーネット自身がアトランテックとの2年契約満了後にはブームの反動でライヴ活動の場を失い、アトランテックとの契約も更新されず、オーネット影響下の新人たちの登場で再評価の高まった1965年のカムバックまで沈黙を強いられることになります。
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 オーネットは1959年5月~1961年3月の2年間に、アトランティックに、

[ Ornette Coleman on Atlantic Discography ]
1. The Shape of Jazz to Come (rec. May 22, 1959) Atlantic 1317, October 1959
2. Change of the Century (rec. October 8, 1959) Atlantic 1327, June 1960
3. This Is Our Music (rec. July 19, 26 & August 2, 1960) Atlantic 1353, February 1961
4. John Lewis:Jazz Abstraction(rec. December 19, 20, 1960) Atlantic 1365, September 1961
5. Free Jazz (rec. December 21, 1960) Atlantic 1364, September 1961
6. Ornette! (rec. January 31, 1961) Atlantic 1378, February 1962
7. Ornette on Tenor (rec. March 21, 1961) Atlantic 1394, December 1962
8. The Art of the Improvisers (Various Sessions, rec. 1959-61) Atlantic 1572, November 1970
9. Twins (Various Sessions, rec. 1961) Atlantic 1588, 2LP, October 1971
10. To Whom Who Keeps a Record (Various Sessions, rec. 1959-60) Atlantic/Warner Pioneer P-10085A, November 1975

 の10作(11枚)のアルバムを残しています。8~10は契約満了後のアルバム未収録テイク・未発表曲集ですが、ジョン・ルイスのアルバム参加と『This Is Our Music』収録のガーシュウィン・ナンバー「Embraceble You」(パーカーの愛奏曲でもある)を除いて、すべてオーネットの書き下ろしオリジナル曲で占められており、重複曲はアルバム1枚全1曲の『Free Jazz』のリハーサル録音「First Take」のみです。以降のアルバムもオーネットのアルバムは数曲の例外を除いて書き下ろし新曲のみなので、オーネットがビ・バップ以降セロニアス・モンクチャールズ・ミンガスと並んで最高の作曲家とされるゆえんです。

 オーネットのジャズは不規則なビートが疾走しながらどんどんずれていき、ベースはコード進行をリードせず持続音やシンコペーションでリズムの推進力にのみ集中し、トランペットとアルトサックスはコード・チェンジやドラムスのビートに頓着せず自由にフレーズをつむいで行くものでした。パーカーが理論化したコードの細分化によるビ・バップのインプロヴィゼーションを極端にデフォルメし、平行調全音階によってコード進行を組み替え、無調に近づいたアプローチでした。その点でトリスターノのスタイルの延長にありますが、オーネットのジャズは白人ミュージシャンのトリスターノには稀薄だったブルース色が前面に押し出されたもので、メトロノーム的なリズムに固執したトリスターノとはリズム面では真っ向から対立するものでもありました。それがジョン・ルイスからの絶讃の根拠となりましたが、アルバムは評判ほどはヒットせず、アトランテックのリリースも徐々に録音から発売までの間隔も開くようになり、1965年のカムバックまでオーネットはレコード契約を失います。しかしオーネットの影響力は絶大だったので一時引退中にオーネット影響下の新人が次々とデビューし、1965年にはオーネットはベースとドラムスだけを従えたトリオでヨーロッパ・ツアーの敢行によるカムバックを果たし、再びジャズ界の第一線ミュージシャンに返り咲きましたそれらの起点が『ジャズ来るべきもの』であり、現在ではジャズの古典的名盤との名声も定着して、現在のリスナーが聴くとむしろ気合いの入ったモダン・ジャズの好盤になっています。今でもアヴァンギャルド・ジャズとして聴けるかは別として、ユニークな楽曲やピアノレス編成ならではのアンサンブルとともに非常に魅力的なアルバムです。当時オーネットは白いプラスチック・アルトを使っていることでも話題になりました。オーネットは後に普通にセルマー社のアルトサックスも使い、プラスチック・サックスでも真鍮製のサックスでもまったく同じ音色で吹く奏者なのが判明しましたが、肉声に近いベンドの効いたオーネットのアルトサックスの音色とともにこのアルバムは以降絶大な影響力をジャズ全般にもたらしたのです。

(旧稿を改題・手直ししました)
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