人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(20a)アルバート・アイラー(ts)

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Albert Ayler(1936-1970,tenor sax)。もうこの人は大傑作「スピリチュアル・ユニティ」1964(画像2)に尽きる。ジャズの常識、音楽の常識どころかおよそ人間の作り出したものとは思えないサウンドに言葉を失う。一体サックスからこんな音が出るものだろうか?これはエリック・ドルフィーが急死した翌月、オーネット・コールマンの活動休止中にゲイリー・ピーコック(ベース)、サニー・マレイ(ドラムス)との最強トリオで新興フリー・ジャズ・レーベルESPの第一弾としてほとんどノー・ギャラで録音された300枚の限定版だった。その内1枚が日本のジャズ雑誌「スイング・ジャーナル」に寄贈され、たちまちのうちに話題になる(アイラーの謎の死の前に最後のロング・インタビューを行ったのも同誌だった)。

ロリンズやコルトレーンにまでオーネット出現以上のショックを与えたアイラーだが、10代の頃はパーカーをコピーする普通の学生だったという。高校卒業後軍楽隊に2年間勤務。これは当時はよくある学・職歴で、軍務は生活費がかからない上給料を貯金でき、退役後は職業斡旋もあり、大学入学の場合は学費免除になった。
25歳で除隊後は駐屯地だった北欧で2年間ぶらぶらする。62年にスウェーデンのジャズ・マニアがLP2枚のライヴを自主制作する。まるで無名ジャズマンなのにデンマークの国営放送に出演する。アメリカの黒人サックス奏者だからだ(北欧でのラジオ出演は3回を数える)。

自主制作LP2枚を聴くと選曲はパーカー、ロリンズ、コルトレーンのレパートリーなのだが、アイラーはアメリカの田舎から軍務で渡欧したので、ジャズはレコードで学習したと思われる。現場で腕を研く経験なしにジャズマンになっていた。デンマーク国営放送ライヴ「マイ・ネーム・イズ・アルバート・アイラー」1963(画像1)は名作だが、バックは普通のジャズなのにアイラーひとりがフリーをやっている。

「マイ・ネーム~」録音後63年に帰国し、デンマークのレーベル用に2作を録音して、64年の「スピリチュアル・ユニティ」から翌年にかけて4枚をESPに録音。デンマークのレーベルには64年ツアーでトリオにドン・チェリー(トランペット)を加えたライヴの名盤「ゴースト」(画像3)も残す。ここまでが絶頂期だった。