人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

続躁鬱、その他のエッセイ

○コメントと断片より

(1)こういう突拍子もない勧誘メールもある、ということで記事にしました。本当にあの手この手という表現がぴったりですね。

(2)ぼくの場合は、躁が重い時も鬱が重い時もほとんど眠れません。疲れている時電車で眠り込んでしまうような、限界に耐えられず気を失ってしまうような眠りです。
食欲もなくなり、味覚もなくなります。空腹感自体がなくなります。義務感でサンドイッチやおにぎりを買ってきて食べますが、無理に食べている感じです。

(3)出来れば映画はテレビ画面ではなく映画館で見たいものですね。それでぼくもテレビやヴィデオでは一切見ない時期がありました。

(4)ぼく自身もいろいろな理不尽や困難の積み重ねで下地ができ、ついにピークに達して発症した、と理解しています。でも過去のことです。精神疾患は確かにつらい病気だけど、いろんな病気の中のひとつだし-たとえば糖尿病や腎不全だって精神的な苦しみは同じでしょう。精神医学的な疾患は「頭が狂った」こととは違います。ぼくは病気になった自分を肯定できるように生きるつもりです。

(5)気になったのは精神疾患を「頭が狂った」と表現されている点です。狂ったのではなく、病気になったのです。狂った、という言葉を精神病の闘病されている数十万人のかたがたに対しても使われますか?それに-ぼくはクリスチャンだからこう習いました。神の目から見れば健常者も障害者もない。人間がいるだけです、と。

(6)The Black Keysはぼくが見たのはBBC放映用の45分のミニ・コンサートでしたが、やはりLoveやThe 13th Floor Elevatorsなど60年代アメリカのガレージ・パンク/サイケの支持が厚いイギリスのバンドだな(逆に本国では忘れられているスタイル)、と思いました。もっともアメリカのガレージ・パンクのルーツはイギリスのThemなのでどっちもどっちですが。
躁鬱の話に戻ると、躁・鬱併せて2か月ともなると、最後の2週間はコップを持てない、サンドイッチやおにぎりのパックも破れない、鋏も持てない、靴の脱ぎ履きもできない、服の着替えも出来ない、仰向けに寝ると動けない、というところまで進みます。ぼくは救急車で入院して2週間24時間点滴でした。脱水症状で危篤寸前でした。死ななかったな、と思いました。