人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

ある女友達への手紙

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(「伯母からの年賀状」「別れた次女との通話」「アベさんとの会話」「いつもの診察室」の続き)

お心づかいありがとうございます。ただ、そうなる時はもう近いと思っていましたし、実家との関係からも葬儀に呼ばれず、連絡すらない事態も予想していましたので、ショックはありませんでした。
悲しいことですが、悲しみには馴れました。生活保護精神障害者は身内には要らないのです。クリスチャン・ホームですら。
ブログにはしばらく父の逝去を心の整理のため書くかもしれません。

ところで、ご指摘されれば伯母の字とぼくの字は似ているようです。伯母は年配には珍しく若い頃から楷書で書きました。ぼくの手書き文字はいわゆる女文字かもしれません。
もっとも伯母と叔母(父の兄弟は同腹で四人。あとは兄。母は戦時中に自殺、異母兄弟は十数人)はかたやアナーキズム研究家と未入籍・事実婚の画家(伯母)、かたや中学教師を定年後は大島に家を建てて釣り三昧の独身主義者(叔母)という、ぼくどころではない変り者です。
さすがに父の訃報を知り、続篇を書きながらつい深酒してしまいました。前の記事も続篇も書き上げる寸前に誤って消去してしまい、あと一文字でも制限オーヴァーの、一語一句たりとも動かせない鉄壁のリライトをしました。題材が題材だけに、こればかりは自負するところです。

血統かは判りません。弟は文学や思想に興味はなく、筆跡も乱暴で、外車を乗り回すのと営業成績をあげるのが生き甲斐です。父方は男は躁鬱で職人、女は芸術系の遺伝的素質があるようです。父は聖書以外の本は読まず、ひらがなとカタカナしか書けない人でした。素朴な文学少女だったのは母でした。
長女と次女は対照的で、一見長女はぼくに、次女は妻に似ています。長女は多感で情感豊か、社交的で開放的な性格でした。次女は配慮はあまりなく、何事もマイペースでやや自閉的な面もありましたが、内省性は姉よりも強く物事に動じない子でした。長女は絶対音感がありましたが次女は音楽は不得手でした。実際はぼくと別れた妻、両方の気質が混ざり長女と次女に分かれたので、良い面を受け継いでくれるのを望むばかりです。
環境的には、伯母のご主人から献呈本があったので、アナーキズム、ダダには中学生の頃から関心がありました。今なお。これからも。どちらかといえばそれです。