人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(37c)ブッカー・アーヴィン(ts)

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ブッカー・アーヴィン(Booker Ervin)のチャールス・ミンガス(Charles Mings)・ジャズ・ワークショップ在籍期間は1958年-1963年で、これは歴代メンバーではジミー・ネッパー(トロンボーン、在籍56-78)、ペッパー・アダムス(バリトン・サックス、在籍57-78)といった常連の助っ人を除けば最長になる。エリック・ドルフィー(アルト)も60-64と長いが、ミンガスはアルバムは売れるのにライヴでは客が入らないので悪名高く、滅多にクラブからお声もかからずリーダー以外のメンバーは飯の食い上げになるからドルフィーコルトレーンクインテットと掛け持ち、アーヴィンは別にホレス・パーラン・トリオと「プレイハウス・フォー」というバンドを組んでいた。アーヴィン「ザッツ・イット!」やパーラン「アップ・アンド・ダウン」は正式にはプレイハウス・フォーのアルバムになる。
ミンガスは客がうるさいと説教する癖があった。ライヴまるごと説教になった時にはジャズ雑誌の大記事になり、ますますライヴの本数が減った。
レニー・トリスターノ(ピアノ)はレコードも売れず客も入らない人だったが、ミンガスとデュオでクラブ出演していた記録がある。ちょっとすごい。

傑作「ミンガス・アー・ウム」に続くコロンビア第二弾は「ミンガス・ダイナスティ」59.11(画像1)で、前作の7人編制から10人編制になった。前作がオリジナルの名曲満載だったので今回はデューク・エリントンを2曲。曲よりはアレンジに凝った作品になる。冒頭の'Slop'は快作。
60年はアーヴィンはアルバイトの方が多く、次の参加作は61.11の「ミンガス・オー・ヤー!」(画像2)で、ミンガスがピアノを弾いて歌っている異色作。ジミー・ネッパー、ローランド・カーク(!)との3管ゴスペル・ジャズ。「オー、ヤーッ!」だけで6分半引っ張る'Ecclusiastics'が白眉だろう。
アーヴィンはソロ活動が軌道に乗り、バンドには「ミンガス、ミンガス、ミンガス、ミンガス、ミンガス」(略称「5ミンガス」)63.9(画像3)が最後になる。これは再演の多いアルバムで、しかも11人編制だが、曲がいいしアレンジも凝りすぎていない。'Theme For Lester Young'や'Hora Decubitus'は過去の曲の改題版で甲乙つけがたい。