人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(補12a)B・ハッチャーソン(vib)

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Bobby Hutcherson(1941-,vibes & marimba)。
このシリーズは(47)(48)のジミー・スミスレッド・ガーランドから(補10)(補11)のアンドリュー・ヒルラリー・ヤングまでピアニスト11人、オルガン2人を連続してご紹介した。今回は目先を変えてヴィブラフォンマリンバ奏者の、ボビー・ハッチャーソンの足跡を、デビューから60年代いっぱい追ってみたい。
これまでもマクリーン、ドルフィー、グリーン、ヤング、ヒルらの作品紹介で、ハッチャーソンの参加作品には折に触れ言及した。なかんずく同年生れでプロ・デビューも同期のハンコックとは楽器の違いこそあれ双子のようだった。所属がブルーノート社なので、60年代ハッチャーソンはサイドマン参加作、リーダー作ともども同社に集中している。前記のジャズマンたちのブルーノート作品はだいたい同じような顔ぶれの組み合わせで制作されておりブルーノートでヴァイブといえばハッチャーソンだった。8年間で30枚以上の制作に関わっている。

前年にフリー・ジャズを意識した'Let Freedom Ring'を発表したジャッキー・マクリーンが、新人ばかりのグループでさらに話題を集めたのが、
Jackie McLean:One Step Beyond(画像1)63.3.1
-だった。ハッチャーソンはアル・グレイ(トロンボーン)のバンドで62年1月~63年1月に3枚の参加アルバムがあったが、悪魔的トロンボーンのグラシャン・モンカー三世、17歳の天才ドラマー(すぐマイルスに引き抜かれる)トニー・ウィリアムズはこのバンドがプロ・デビューだった。ピアノを入れず、ヴァイブ・ドラムス・ベースのリズム・セクションにアルトサックス+トロンボーンの2管フロントという編成も斬新なサウンドを生んだ。前作でアルトサックスだけが試みていた新しさを、この作品ではバンド全体が表現することに成功した。

次にハッチャーソンが参加したのは、
Eric Dolphy:Conversations(画像2)63.5or6
-:Iron Man(画像3)63.5or6
-で、ドルフィーがプレスティッジからブルーノートに移籍する間に自主制作された作品。次回で触れる。