人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(補12i)B・ハッチャーソン(vib)

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Bobby Hutcherson(1941-,vibes & marimba)。
マッコイ・タイナーコルトレーンのバンドで60年の「マイ・フェヴァリット・シングス」から66年の「メディテーションズ」までエルヴィン・ジョーンズ(ドラムス)とともに不動のメンバーだったピアニスト。それだけでもジャズ史に残る巨匠なのだが、カルテット在籍中のソロ・アルバムは余技としても、独立以後のアルバムにはむらがある、という印象がある。生意気言って申し訳ない。実はコルトレーンやマッコイの曲はバンドでさんざん演奏したので冷静になれないのだ。

McCoy Tyner:Time For Tiner(画像1)68.5.17
-は全6曲中4曲ハッチャーソン参加、後はピアノトリオとソロ・ピアノという趣向で、マッコイ作'African Village'がかっこいい。だがピアノトリオ+ヴァイブの手法はMJQを踏襲しているきらいがあり、意外とマッコイ保守的じゃん、と思わせる。ただしアルバムはなかなかの佳作になっている。

ハッチャーソン自身の作品はチェンバースとカウエルとの'Spiral'68.11,'Medina'69.8がことごとくお蔵入りにされた。'Patterns'も含めて全滅だった。バンドのテナーは伝説的なブラウン=ローチ・クインテットハロルド・ランドに交替した。皮肉なことに、ピアニストがチック・コリアに一時交替した、
Total Eclipse(画像2)68.7.16
-はすんなり発売された。コリアの名曲'Matrix'を含み、ランドも60年代ジャズの手法を消化した秀作なのだが、カウエル三部作だってそうではないか。

69年5月の'Now'は9人編成にコーラス隊入りの企画物だった。ハッチャーソンは巧く時流と折り合いをつけて76年までブルーノート社に在籍したが、
San Francisco(画像3)70.7.15
-の紹介を、締め括りとしたい。ランドは留任、ピアノはジョー・サンプル。この頃のブルーノート社はなんでもあり状態だったが、新グループが志向したのはイージーリスニング・ジャズだった。'A Night In Barcelona'のエキゾチシズム、'Ummh'の脱力ファンク、全体的なトロピカル・ムード。この作風でハッチャーソンは70年代以降を乗りきる。