ぼくがアルコール依存症治療院に「学習入院」(と呼ばれる。検査はあるが、内科的な治療が行われるのではないからだ)する破目になったのは、当時通っていた近所の小教会でのトラブルからだった。信徒は15人にも満たず、ごく家庭的なところに思えた。だから毎年三月の年度末総会のたびに、信徒数が伸びないのは牧師のせいだ、罷免して新しい牧師をむかえよう、と争いになっていたことなどを現場に居合わせて初めて知った。
ぼくは牧師を擁護する長口舌をふるい、しかも牧師罷免派のだれもがあっさり前言撤回するのを聞き、こんなことが毎年あり、普段は家庭的で腹の内では不満たらたらなこの偽善に激しく落胆した。
「あなたたちには何を言っても無駄だ!もう二度と来ません」と飛び出すと、泣きながら追ってくる婦人もいて、彼女は牧師罷免など決して口にしない暖かな信仰の持ち主だったから胸が痛んだが、振りきって帰宅した。それから三日三晩食事もせずに飲み続けた。自分の、牧師擁護の長口舌の愚かさが悔しかった。アジテーションとは失敗や空転しても成果を残さねばなるまい。ぼくは三島と同じ病気だが、三島は失敗を織り込み済みでクーデター未遂をやってのけたのだ。
今から思えば、馬鹿正直に訪問看護のアベさんやクリニックのK先生に話さなくても良かったと思う。ぼくは本当に一時的にお酒に逃避しただけで、部屋にこもって飲んでいただけだからやがて飲酒欲求は軽い晩酌程度に戻り、虚脱感だけが残った。
ぼくがここまで酒びたりになったことは、先にも後にもなかった。友人や女性、家族のことでさえも酒に逃げ場は求めなかった。ぼくが酒びたりになったのは、それが信仰の問題だったからだ。
千葉に久里浜病院という日本最大のアルコール依存症更正病院がある。最終学歴が「久里浜病院」なんて、ちょっとかっこいい。ぼくなど最終学歴は「横浜拘置所」なのだから。
ただし久里浜は遠く、隣の町田市によしの病院という一般精神科とアルコール依存症更正科半々の病院がある。ぼくはこれまでの病歴を履歴書にまとめて受診した。失業。発症。離婚。入獄。障害認定。生活保護。一年間で二度の入院。「アルコール依存症ですね」経歴で診断されたようなものだった。
学習入院といっても想像もつかなかった。とはいえ生活保護受給者に医師の指示への選択の余地はない。