これまでの四回の入院では救急車二回、クリニックとの連携で市役所の福祉課担当者氏に公用車で病院に運ばれたのが一回になる。いずれも緊急入院だった。アルコール依存性更正治療科の入院施設のある精神病院は隣町にあった。今回の入院の場合は精神症状としては緊急を要さないので、入院の必要性をあらかじめ診察してもらいに行き、その上で入院なら入院可能日を病院のスケジュールと擦り合わせる必要があった。
当時の日記を見ると2010年1月21日・木曜日で日記は中断し、翌日は市内の患者と家族会(自助グループ)に参加してから教会の児童絵画教室に手伝いに行き(三歳くらい~小学生の子どもたちと接するのは、男やもめと同様な身の上には大きな慰めだった)、その日の晩から毎日のように自助グループで知り合った女性から電話攻めにあうことになる。おかげで市内の自助グループにも、うかつに顔を出せなくなった。うっかり顔を会わせるとまずいからだ。彼女には以前の入院で一方的に求婚してきて、退院するまで追いまわしてきた女性を思い出させるところがあった。
それは三月の入院まで続いたが、食事の誘いから始まり、彼女の家(一人暮らしでアパート住まいだが)に音楽ヴィデオを観にこないか、しまいには泊まりにこないかまで一方的にエスカレートしていった。もちろん適当にごまかして一度も応じなかったが、そうなると長電話になることもしばしばだったので、
「長電話は電話代がかかるのよッ!」
―と怒鳴って切られる場合も多かった。電話してこなければいいのに。婉曲な拒絶が通じないのだ。
かたくなに拒んでいたのは相手が精神疾患だったからではない。それを言えば精神疾患はこちらも同じだ。だが彼女は、人間として交際したいような人格の女性ではなかった。
金曜日から日記を書いていないのは、次の日曜日の礼拝の後で行われる年次総会の決算で現牧師の罷免と本部教会への新任牧師依頼が決定されるからだった。日記どころではない。信徒のうち現牧師の大学時代の後輩氏夫妻以外は全員罷免を希望している。生まれ育った教会ではなく、この小さい教会に通っているのは、現牧師の真摯な信仰と人間性に惹かれたからだった。しかも仕事のシフトで後輩夫妻も総会決算日は欠席が決っている。
ひとりでもやらなければならない。金曜と土曜日をかけて現牧師留任の意見書を何度も練り直した。