人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

#28.承前『イエスタデイズ』

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『スウィート・アンド・ラヴリー』録96(画像2)の前に(と言っても22年前だが)リー・コニッツにはとびきり優れたデュエット・アルバム「アイ・コンセントレイト・オン・ユー」74(画像3)があった。これはたぶんアルトサックス奏者にはもっとも取り組み甲斐のあるコール・ポーター作品集で、テナーでもトランペットでもポーター作品のいなせな味は出ない。ただしそれだけアルト奏者の資質が問われるものにはなり、例えばチャーリー・パーカーの遺作の「プレイズ・コール・ポーター」54ではパーカーは拙演どころではない醜態を晒しており、急逝による話題性がなければ没後発表も見送られたかもしれない。

ベーシストはコニッツと同年輩のレッド・ミッチェルで、キャリアも同格。ロサンゼルスではミンガスとタメを張るバップ・ベーシストで、スコット・ラファロチャーリー・ヘイデンもおれの弟子、と公言してはばからない白人ベースの巨匠。ミンガスとおなじくピアノと作曲も堪能で、歌もうまい。60年代末からはコペンハーゲンに移住しており、74年夏にヨーロッパ各地のジャズ祭を巡業したコニッツがデンマークに立ち寄った時にスタジオ録音されたデュオ・セッションがこのアルバムになる。

(このツアーで録音されたライヴ・アルバムを聴くと現地のピアノ・トリオと共演したコニッツの演奏はまるでフィル・ウッズ&ヨーロピアン・リズム・マシーンのようにパワフルで、このデュオ・アルバムと同一奏者とは思われない。こうした多面性をなかなか統一できないところに、コニッツの演奏の出来・不出来の大きさが反映していると思われる)。

「スウィート・アンド・ラヴリー」が佳作になったのは、やはりチャーリー・ヘイデンオーネット・コールマンの番頭だからこそに違いなく、コニッツとオーネットはスタイルこそ異なるが非バップ的でアンチ・マチズム的アプローチでは共通していた。パーカーはアルトをテナーのように吹いたが、アルトをアルトらしく吹いたのがコニッツやオーネットだった。

ぼくとKがアルト&ベースのデュオ練習中に発表された「スウィート・アンド・ラヴリー」は、まるでぼくとKの狙っていた線をやられてしまっていた。ぼくたちは「アイ・コンセントレイト~」の発展型を狙っていたのだ。コニッツとオーネット、ミッチェルとヘイデンのブレンド。特に『イエスタデイズ』には。