…リー・コニッツとチャーリー・ヘイデンによるアルトサックスとベースのデュオ・ヴァージョンの『イエスタデイズ』(画像2)が、オーネット・コールマン・カルテットの(ヘイデンはその、オリジナル・ベーシストだった)『ロンリー・ウーマン』(画像3)を意識した演奏なのは、アドリブの中に『ロンリー・ウーマン』のテーマ断片を挟んでいることでもわかる。それにあわせてベース・ラインもモードを意識したものになる。これは、ぼくとKがもっと稚拙で乱暴なやり方で試していたのと同じアイディアだった。
コニッツとオーネット、ヘイデンはぼくにとってもKにとっても雲の上の人、憧れのジャズマンだった。そもそもデュエットというアイディアをもらったのが、この人たちのアルバムからだった。ぼくとKのオリジナリティなどこの人たちに包括されてしまうようなものだ。バンドで演る時は守屋くんの強烈なポリリズムのドラムスがあり、花ちゃんのフラッシーな超変態ギターがあった。
だがぼくとKのデュオとなると、守屋くんや花ちゃんのやってくれる要素抜きで音楽にしなければならない-コニッツとヘイデンの演奏を聴くと、なおさら自分たちの未熟さが自覚されてならなかった。
だが自分たちのアイドルがまったく同時に自分たちと同じアイディアを実践していたのは、少なくとも音楽センスの点では自信を強めてくれることだった。それに稚拙さも乱暴さも逆に言えば老練なコニッツやヘイデンには出せない味には違いない。彼らの演奏は安定しているからある程度先が読める。Kとぼく、特にKはしばしばまるで先の読めない演奏をする。だからやり方次第ではぼくたちは先達たちよりもスリリングな演奏ができる可能性もある-ぼくとKはピアニストのTさんから「プロだって間違えるよ。それをどう持っていくかだね」と教わってから、ジャズにおける間違え方のコツ、みたいなものに敏感になったと思う。それは『エピストロフィー』の試聴研究等でも役にたったことだった。
ただし、ホーンとベースのデュオではこれだけは完全にベースが正確でなければならないことがある。これはサックス奏者からは救いの手が差しのべられない。それはピッチ、いわゆる音高で、フレットを持たないアコースティック・ベースの場合、一旦ピッチを外すとすぐには気づけず(ピアノなしだと)、気づいた頃には手遅れなのだ。