「心境というか、考え方が変わったんですね」とアベさん。「お嬢さんへの誕生日プレゼントも、受け取りの返事もないのは無事だと言うことだろう、と、この前もおっしゃっていましたものね。それまではつらそうでしたけど、今の佐伯さんは淡々としている。未練が吹っ切れた感じです」
「ええ。これだけ別れて長いと…学齢期で六年半ですからね。あの頃までの娘たちはぼくが可愛がって育てましたが、離婚後は母子家庭で楽しくやっていると思いたい。ならばぼくにはぼくの生活がある。単に独身生活に戻ったというだけです。一時期あった女性問題も、傷つけあうような終り方でしたが、ぼくには避けられない経験でした。離婚の時がそうだったように、ぼくは何も悪い感情を相手に持っていません」
ぼくにあるのは、たとえばこんな思い出だ。スーパーの特売で玉子パックを買ってきて、ぼくは冷蔵庫に食品を収めていた。まだ二歳ほどの長女がテーブルの上の玉子パックに触れて落としてしまった。
「見ていてくれなきゃ困るじゃないか」とぼくは妻に言った。妻はキレて、
「何よ!私が悪いっていうの!?」
「こういうことは分担しなくちゃ」
すると長女は突然激しく泣き始めた。ぼくと妻は長女を抱きしめ、「何でもないんだよ。パパとママはけんかしてないよ。あかねが大好きだよ」
長女はもちろん、別れた妻でさえ憶えていないだろう-だけれどぼくは憶えている。玉子を買うたび、玉子料理をするたび思い出す。ぼくはそういう父親だったのだ。