訪問看護のアベさんはぼくの病名診断が双極性障害1型と変わり、入院を終えて病気の性質上デイケア等も無理、と診断されてから、病状観察と早期発見・予防のためにお願いすることになった。2009年秋のことだから満四年になる。もっとも2011年の3月までにはぼくはさらに2回、計7か月入院している。最後の入院から退院して女性問題を清算し、自分ではメンタル面の自信はあったが実際は重い鬱に陥った。鬱期には読書もできず日記も書けない。だが携帯なら読み書きができるので、その年の5月に始めたのがこのブログだった。最初からリハビリ効果を期待したのではない。だがブログを始めてからのメンタル面の安定は主治医もアベさんも目を見張るほどだった。元々作文好きの少年がプロの文筆家になり、再び作文が趣味の中年男に戻った。ただそれだけのことだ。
「心境というか、考え方が変わったんですね」とアベさん。「お嬢さんへの誕生日プレゼントも、受け取りの返事もないのは無事だと言うことだろう、と、この前もおっしゃっていましたものね。それまではつらそうでしたけど、今の佐伯さんは淡々としている。未練が吹っ切れた感じです」
「ええ。これだけ別れて長いと…学齢期で六年半ですからね。あの頃までの娘たちはぼくが可愛がって育てましたが、離婚後は母子家庭で楽しくやっていると思いたい。ならばぼくにはぼくの生活がある。単に独身生活に戻ったというだけです。一時期あった女性問題も、傷つけあうような終り方でしたが、ぼくには避けられない経験でした。離婚の時がそうだったように、ぼくは何も悪い感情を相手に持っていません」
ぼくにあるのは、たとえばこんな思い出だ。スーパーの特売で玉子パックを買ってきて、ぼくは冷蔵庫に食品を収めていた。まだ二歳ほどの長女がテーブルの上の玉子パックに触れて落としてしまった。
「見ていてくれなきゃ困るじゃないか」とぼくは妻に言った。妻はキレて、
「何よ!私が悪いっていうの!?」
「こういうことは分担しなくちゃ」
すると長女は突然激しく泣き始めた。ぼくと妻は長女を抱きしめ、「何でもないんだよ。パパとママはけんかしてないよ。あかねが大好きだよ」
長女はもちろん、別れた妻でさえ憶えていないだろう-だけれどぼくは憶えている。玉子を買うたび、玉子料理をするたび思い出す。ぼくはそういう父親だったのだ。