詩人石原吉郎(1915-1977)の俳句と短歌については、もう一編、歌人・佐佐木幸綱による「物語の可能性と沈黙の詩」があり、藤井の屈折しがちな論考とは対照的に、すっきりした論考になっている。
佐佐木は石原の短歌全体について、こう指摘する。
「石原の歌集『北鎌倉』を読んでまず思ったのは、同語反復が実に多いということである」「こんなにも同語反復の頻出する歌集を読んだことはない」と、次の三首を挙げる。
・鎌倉は鎌倉ならじ鎌倉の北の剛毅のいたみともせむ
・飢ゑしも餓死には到る過程ならず われらはときに飢ゑにより樹つ
・北鎌倉橋ある川に橋ありて橋あれば橋 橋なくば川
こうした同語反復は、藤井の引用歌でも、11首中、
・砂丘へとぬけぬく足の指ありてひとつ多きかひとつすくなきか
・火を呼ぶは火にはあらずと言へる夜にあらぬ方より呼びとめらるる
・死に代り死に代らずば銀杏のこれのみどりはなほ掌に在りや
・十一月なんぢあがなふいちにちはひとりの死者をつひにあがなはず
・血迷へる指すらありて血迷わぬ箸あることをなんぢ知れるや
・夕まぐれゆふまぐれして身じろがぬものの気配を背には持たぬや
と、六首にものぼる。佐佐木の論考はこれを俳句との対比からとらえて明快で、まず、
・懐手蹼(ミズカキ)ありといつてみよ
を石原の代表句として、この瞬間的認識を切り取る時間的感覚から、石原の現代俳句への深い関心と理解を認める。そして石原の俳句の独創は、俳句に時間性と物語性を導入したことを実現した、として、
・夕焼けが棲む髭夜が来て棲む髭
・立冬や徹底的に塔立たず
・ハーモニカ二十六穴雁帰る
を佳句として挙げ、「ふっとした軽さとでもいうべき自由な心」を称賛する。
だが、俳句にある軽さが短歌にはない。重苦しくすらある。「蹼(ミズカキ)」ですら短歌ではこうなる。
・蹼(ミズカキ)の膜を啖(クラ)いてたじろがぬまなこの奥の狂気しも見よ
この重苦しさは石原の短歌では上句の意味を下句が反復する構造から来るのではないか、同語反復もその現れであり技巧的な実験ではないだろう。
しかし意味をなぞり返す暗い心情があって、こうまで重ね重ねて言わねばならない、表現することのむなしさを作者は味わっていたのではないか、と佐佐木は推測する。