タクシーに乗ったのは自宅外泊練習の帰りだと思っていたが、入院当日だったのは日記を読み返すまで失念していた。前回は初日だからあの程度だが、院内の事情がわかるにつれて記述も詳しくなるから、大体あの分量の三倍の日記が数日後からは約90日分続く。それをそのまま載せてしまうと先九か月におよぶ長期連載になってしまって、書く側としては適切にリライトしていけばいいが、長すぎるというのも読む人には不親切きわまりないだろう。
どの程度省略していけばいいか、書き手としては当事者だから徐々にさまざまな経験があり、認識は後からやってきた。日記ではそれを生起順に記述しているのだが、これをそのまま書くとヘンリー・ジェイムズやウィリアム・フォークナーの小説のように現実と事実の区別が曖昧になり、因果関係は想像力で補完していくしかなくなる。それとても全知全能の視点など存在しないのだから、なにをかいわんやということになるだろう。これは入院に限らず現実の日常生活でも事情に変わりはないのだが、入院という非日常事態となるといっそう際立ってくることだ。精神病院となるとなおさらのことになる。
入院初日、Kくん(同い年とわかって「くん」づけで呼びあうようになった)と同室になり、Mさん(われわれよりひとつ上)、Sくん(同年下)と、退院まで馴染みになる顔ぶれが揃ったとはその時はまだ知らなかったのもそうだ。最後に入院してきたからニュートラルな立場でいたが、この三人にも微妙な力関係があった。