人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

アル中病棟の思い出11

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前回は2010年3月2日、入院初日の日記をほぼ忠実に起こしたものだ。アルコール依存症と診断され入院が決定してから一か月近く間が空いたのは、病院から指定された入院日が確か2月の末か3月のこの日だったからだった。空きベッドの具合とかいろいろあったのだろう。3月2日を選んだのは月の1日付けで入院していると翌月の生保支給額がほぼ1/3に減額されることもあったし、2月から放映中の「ハートキャッチ・プリキュア」をせめて最初の一か月分でも観たかったからだ。病院にも談話室にテレビくらいはあるだろうが、チャンネル争いまでして観たいとは思わない。前作の「フレッシュプリキュア」も良かったが、三月から五月までは観られなくなると思うと「ハートキャッチ」は毎回が残り少ないシャバでの楽しみだった。

タクシーに乗ったのは自宅外泊練習の帰りだと思っていたが、入院当日だったのは日記を読み返すまで失念していた。前回は初日だからあの程度だが、院内の事情がわかるにつれて記述も詳しくなるから、大体あの分量の三倍の日記が数日後からは約90日分続く。それをそのまま載せてしまうと先九か月におよぶ長期連載になってしまって、書く側としては適切にリライトしていけばいいが、長すぎるというのも読む人には不親切きわまりないだろう。

どの程度省略していけばいいか、書き手としては当事者だから徐々にさまざまな経験があり、認識は後からやってきた。日記ではそれを生起順に記述しているのだが、これをそのまま書くとヘンリー・ジェイムズウィリアム・フォークナーの小説のように現実と事実の区別が曖昧になり、因果関係は想像力で補完していくしかなくなる。それとても全知全能の視点など存在しないのだから、なにをかいわんやということになるだろう。これは入院に限らず現実の日常生活でも事情に変わりはないのだが、入院という非日常事態となるといっそう際立ってくることだ。精神病院となるとなおさらのことになる。

入院初日、Kくん(同い年とわかって「くん」づけで呼びあうようになった)と同室になり、Mさん(われわれよりひとつ上)、Sくん(同年下)と、退院まで馴染みになる顔ぶれが揃ったとはその時はまだ知らなかったのもそうだ。最後に入院してきたからニュートラルな立場でいたが、この三人にも微妙な力関係があった。