人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

西條八十作詞『東京行進曲』

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西條八十作詞の『東京行進曲』は昭和四年(1929年)六月に佐藤千夜子の歌で発売され、蓄音機販売台数が20万台と推計されていた当時に25万枚という空前のヒットとなった。これは元々、雑誌「キング」連載中の菊池寛の長編小説を日活が映画化(溝口健二監督)するに当り、中山晋平の作曲とともに映画主題歌として依頼されたものだった。
八十の意図は当時の風潮に対して風刺的なもので、四からなる原詞はこのようなものだった。

『東京行進曲』

昔恋しい銀座の柳
仇など年増を誰が知ろ
ジヤヅでをどつてリキユルで更けて
あけりや彼女のなみだあめ。

恋の丸ビルあの窓あたり
泣いて文かく人もある
ラツシユアワーに拾つたばらを
せめてあの娘の思ひ出に。

広い東京恋故せまい
いきな浅草忍び逢ひ
あなた地下鉄私はバスよ
恋のストツプまゝならぬ。
長い髪してマルクス・ボーイ
今日も抱へる「赤い恋」
プロの新宿あの武蔵野の
月もシネマの屋根に出る。

昭和四年は非合法共産主義活動取り締まりのために治安維持法が成立した年でもあり、小林多喜二の『蟹工船』が爆発的反響を呼び、「赤い恋」はソヴィエト作家コロレンコの当時のベストセラー小説だった。第四連の「プロ」はプロレタリアート、シネマは今もある老舗映画館の新宿武蔵野館を指すが、まず作曲家の中山の提案で第一連の「あけりや彼女のなみだあめ。」の「彼女」が「ダンサア」に変えられ、レコーディング当日にビクター・レコードの文芸部長から第四連の書き換えを依頼され、結局第四連は、

シネマ見ませうかお茶のみませうか
いつそ小田急で逃げませうか
変る新宿あの武蔵野の
月もデパートの屋根に出る。

とたちどころに改稿されたという。この歌でもっとも人口に膾炙されたのがこの第四連、ことに「シネマ見ませうかお茶のみませうか/いつそ小田急で逃げませうか」と思うと怪我の功名でもあり、また流行歌作詞は本意としなかった八十には皮肉な結果を招いたとも言える。

私鉄小田急線は沿線の強固な反対(労働人口が都心に流出する、というのが最大の反対理由)を押し切り、昭和二年(1927年)に新宿から小田原に開通し、やがて箱根まで達した。箱根といえば関所、という意識がまだ当時にはあったことをこの歌のヒットは伝える。