現代のポピュラー音楽と事情が異なるのは、ポップスのミュージシャンにとってレコードは臨時収入にしかならず、スタジオ・ミュージシャンに専念してサラリーマン生活を送るか、ステージ活動の合間にレコードを吹き込むかに二分されていたことだ。名前の売れたミュージシャンほどステージ収入は多いからどちらの道を採るかは難しい。
オーディオ普及率は50年のLPレコード技術開発(それまではSP)でようやく伸びつつあったがそれでも数百枚~数千枚が単位であり、万の桁まで行けばベストセラーで、ギャラは買い取り制が基本。つまり初回プレス分しか支払われない。これを悪用してわざと音楽家組合規定の最低賃金分しか初回プレスせず(ひどい場合はサンプル盤)再プレス以降を大々的に販売するのがインディーズのジャズ・レーベルの常套手段になっていた。
新たにビリーの所属したレーベルのヴァーヴ社は大手MGMレコード社傘下で、大物ミュージシャンたちを多数組み合わせた巡業で当たりをとった名物プロデューサーのノーマン・グランツが設立したジャズ界でも最大手のひとつだった。まだデッカ所属時代の46年にビリーはその巡業に参加しており、彼女のジャズ界の地位からしてもヴァーヴは安住の地に見えた。折しもレコード業界はLPレコードへの移行に伴うオーディオ普及率の増加で売り上げを伸ばしつつあった。
これまで紹介してきたビリーの録音はすべてシングル盤に相当するSPレコードで発売され、のちにLP、今日ではCDでアルバムにまとめられたものになる。近年編まれた全集ではCD15枚組、LPでは30枚相当(その他放送用録音がCD13枚)がビリーが18歳~44歳の楽歴で残した録音になる。そのうち14枚がこれからご紹介する晩年八年間のアルバムになる。
(続く)