人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

Billie Holiday - All Or Nothing At All (Verve, 1958)

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Billie Holiday - All Or Nothing At All (Verve, 1958) Full Album
from "Lady Sings The Blues" (Not Now Music) : http://youtu.be/OHQcZy5DF_Y
Recorded August 14,1956(A1-4),August 18,1956(A5-6,B1-2), January 3,1957(B3), January 7,1957(B4), January 8,1957(B5-6)
(LP side A)
1. "Do Nothing till You Hear from Me" (Duke Ellington, Bob Russell) - 4:12
2. "Cheek to Cheek" (Irving Berlin) - 3:35
3. "Ill Wind" (Harold Arlen, Ted Koehler) - 6:14
4. "Speak Low" (Ogden Nash, Kurt Weill) - 4:25
5. "We'll Be Together Again" (Carl T. Fischer, Frankie Laine) - 4:24
6. "All or Nothing at All" (Arthur Altman, Jack Lawrence) - 5:39
(LP side B)
1. "Sophisticated Lady" (Ellington, Irving Mills, Mitchell Parish) - 4:48
2. "April in Paris" (Vernon Duke, E. Y. Harburg) - 3:02
3. "I Wished on the Moon" (Dorothy Parker, Ralph Rainger) - 3:25
4. "But Not for Me" (George Gershwin, Ira Gershwin) - 3:48
5. "Say It Isn't So" (Berlin) - 3:22
6. "Our Love Is Here to Stay" (Gershwin, Gershwin) - 3:41
[Personell]
Billie Holiday - vocals
Harry "Sweets" Edison - trumpet
Ben Webster - tenor saxophone
Jimmy Rowles - piano
Barney Kessel - guitar
Joe Mondragon - bass(A1-4)
Red Mitchell - bass(A5-6,Side B)
Alvin Stoller - drums

 NOT NOW MUSICからリリースされたオリジナル・アルバムからの5CDセット『Lady Sings the Blues』にはヴァーヴ・レーベルからの『ソリチュード』1956、『オール・オア・ナッシング・アット・オール』1958、『レディ・シングス・ザ・ブルース』1956と、コロンビア・レーベルからの『レディ・イン・サテン』1958、MGMレーベルからの『ラスト・レコーディング』1959がオリジナルLPフォームのまま全曲収録されている。最後の2枚は最晩年のオーケストラとの共演アルバムで、レイ・エリス編曲・指揮の対になる作品といえ、ビリーは入院先の病院で『ラスト・レコーディング』のテスト盤を受け取り試聴したが出来には不満をもらしていたという。だが再レコーディングの機会もなくそのままビリーは逝去した。1915年4月15日生まれ、1959年7月17日逝去だから満44歳3か月の生涯になる。
 2011年に仏ユニヴァーサルでまとめられたビリーの完全版全集はスタジオ録音のマスター・テイクを集成したもので、別テイク・ライヴ録音を含めないが、1933年11月の初録音から1959年3月の最終録音まででCD15枚組(アナログLP30枚相当)、全322曲が公式録音として収録されている。

 さらにヴァーヴ時代には公式ライヴ録音がアナログLP4枚分あり、正規のライセンスにより没後発掘されたライヴ盤がさらに数枚ある上に、各種のラジオ放送用ライヴ録音、テレビ出演音源、個人録音によるライヴ音源を集成したCD12枚組の『ビリー・ホリデイ・パーフェクト・コレクション』(日SOUND HILLS,1993)、サウンドヒルズ盤と重複しない音源を含む『Rare Live Recordings 1934-1959』(米ESP, 5CD, 2007)、もっとも近年の発掘では『At Stratford Shakespearean Festival 1957』(Solar, 2012)があり、ざっと数えてライヴ音源はCD15枚強あるとすればスタジオ録音とほぼ同数になる。
 ビリーは生涯で通算2年間は収監されていたから、実働25年間にアナログLP換算にしてスタジオ録音盤30枚、ライヴ録音盤30枚、CDに換算して総計30枚分を残したことになる。ビリーのような大歌手にはこれは多いのか少ないのかわからない。ビリーと同年生まれのフランク・シナトラ、ビリーより3歳年少のエラ・フィッツジェラルドは、ビリーの逝去の年までにもっと大量のスタジオ録音を残している。

 例えば第二次世界大戦中、ビリーは軍部の依頼による戦線慰問用レコード(Vディスクと呼ばれる)を1944年1月に3曲録音している。エラ・フィッツジェラルドは43年11月~47年7月までに23曲のVディスクがある。シナトラはといえば、43年10月~47年11月に47曲のVディスクがある。エラとシナトラのVディスクのうち半数は第二次大戦終結後のものだが、敗戦国で引き続き戦後処理に従事している兵士たちへの慰問用レコードとして需要が続いていた。
 2013年にドイツのメンブラン社が編集したフランク・シナトラ全集、エラ・フィッツジェラルド全集、マイルス・デイヴィス全集はいずれも初レコーディングから1960年までのものだが、シナトラ46CD組、エラ48CD組、マイルス34CD組となっている。1915年生まれのシナトラ、1918年生まれのエラ、1926年生まれのマイルスでは実働年数が違うが、59年7月に逝去したビリーの録音はスタジオ・ライヴ合わせて30CDほどなのだから11歳年下のマイルスより少なく(マイルスは歌手ではないが)、シナトラやエラの2/3に満たない。また、Vディスクの依頼も3曲きりだったというのも無理もない気がする。ビリーの歌は異国で軍務に従事する兵士にはあまりにも生々しすぎただろう。

 ビリーの生涯は浮き沈みの激しいものだったから、シナトラやエラのように順調な音楽活動はできなかったと言ってしまえばそれまでだが、ヴァーヴ・レーベルに移籍してスタンダード中心のポピュラー・レパートリー歌手になってもビリーの歌唱にはシナトラらにはない翳りがあった。もちろんシナトラ、エラにも深く多彩な表現力があり、表現の幅ならビリーはシナトラ、エラよりは狭かったとも言える。
 また歌の技術的力量なら、シナトラやエラほどビリーは技巧を究めるタイプの歌手ではなかった。シナトラやエラの歌の上手さは誰でも聴き入ってしまうが、ビリーの歌は歌唱技術など関係なしに、まるで特別に自分だけのために歌ってくれているような直接的な訴求力で心に響いてくる。どん底の苦しみも、時間を忘れるような幸福もこの女性歌手は知り抜いていて、どんな時に聴いてもそっと肩に手を置いてくれるような気がする。それがビリーをジャズ史上特別な歌手にしている。

 前回の『ソリチュード』はビリー初のLPレコーディングになる10インチLP『ビリー・ホリデイ・シングス』の増補改題12インチ盤だったが、ビリー生前にオリジナルLPとして録音されたアルバムのリストを掲げる。1951年以前のコロンビア=ブランズウィック、オーケエ(1933~1942)、コモドア(1939・1944)、デッカ(1944~1950)、アラディン(1951)の各レーベルへの録音はSPレコード時代のシングル単位のリリースがオリジナルになる(クラシックの長尺曲は数枚組で発売されたので、ポピュラー音楽での数枚組などの場合と併せてアルバムという呼称が定着した)。
 ポピュラー音楽がアルバム単位で制作されることになったのはLP技術開発後の10インチLP時代(1951~1954)、12インチLP時代(1955~)になってからなので、コロンビアやコモドア、デッカ録音からもLPが編まれたが、あくまで既発売音源の編集盤であり、LPのための新録音は以下のリストのアルバム(スタジオ録音盤)になる。01~03は10インチLP、04以降が12インチLPによる発売だった。

[ Billie Holiday Original Albums (Studio Recordings) ]
01. Billie Holiday Sings (Clef MGC-161, rec.&rel.1952) 10" LP
02. An Evening with Billie Holiday (Clef MGC-144, rec.1952/rel.1953) 10" LP
03. Billie Holiday (Clef MGC-118, rec1952+1954/rel1954) 10" LP
**.Solitude (Clef MGC-690, rec.1952/rel.1955) 12"LP
04. Music for Torching (Clef MGC-669, rec.&rel.1955)
05. Velvet Mood (Clef MGC-713, rec.1955/rec.1956)
06. Lady Sings the Blues (Clef MGC-721, rec.1954+1956/rel.1956)
07. Body and Soul (Verve MGV-8107, rec.&rel.1957)
08. Stay with Me (Verve MGV-8302, rec.1955/rel.1958)
09. All or Nothing at All (Verve MGV-8329, rec.1956-1957/rel.1958)
10. Songs for Distingue Lovers (Verve MGVS-6021, rec.&rel.1957)
11. Lady in Satin (Columbia CL-1157, rec.&rel.1958)
12. Last Recordings (MGM SE-3764, rec.&rel.1959)

 コロンビアからの『レディ・デイ』やコモドアの『奇妙な果実』、デッカの『ラヴァー・マン』『レディ・シングス』など名盤の誉れ高いアルバムは実際はベスト・アルバム(コモドアはアルバム1枚でちょうど全曲集)なので、他に数枚のライヴ・アルバムを除けば上記12枚(『ソリチュード』は01の増補改題盤)がビリーの全スタジオ録音アルバムになる。
 ただしこれはあくまでビリーの楽歴では後期なので、初期に当たるコロンビア時代、中期のコモドア~デッカ時代はシングルを集めた編集盤でしか聴けない。ワン・ステージを完全収録した発掘ライヴ盤も50年代以降の録音になり、それらを聴くとビリー自身による選曲と曲順がわかるので、同様の録音が30年代と40年代にも残されていればより実際の初期・中期のビリーを知る上で貴重だっただろう。
 最晩年の『レディ・イン・サテン』と『ラスト・レコーディング』は完全にビリー自身の選曲だが、クレフ/ヴァーヴからのアルバムのほとんどはプロデューサーのノーマン・グランツからの指示でスタンダード中心のアルバム作りをしていた。スタンダードばかりかほとんどがバラードなのだが、50年代でもライヴのビリーは、初期からのスウィンガーやジャンプ・ナンバーと自作バラードのヒット曲を得意にしていたのがわかる。

 だが実際のビリーのライヴ選曲を反映したアルバムは後期のスタジオ録音では作られなくなっていた。この『オール・オア・ナッシング・アット・オール』ではコロンビア時代のヒット曲『月に願いを』の再演が聴けるし、『バット・ナット・フォー・ミー』なども軽いタッチのスウィンガーだが、ライヴのビリーに較べるとアップテンポ曲の割合が極端に少ない。なぜか52年に初録音したばかりの『セイ・イット・イズント・ソー』をまた再演している。
 A面はしっとりとしたバラード中心ににダンス曲『チーク・トゥ・チーク』やラテン・リズムの『スピーク・ロウ』が薬味となっており、B面は『ソフィスティケイテッド・レディ』(エリントン)、『パリの四月』(デューク&ハーバーグ)、『月に願いを』(パーカー&レインジャー)、『バット・ナット・フォー・ミー』(ガーシュウィン兄弟)、『セイ・イット・イズント・ソーに(バーリン)、『わが恋はここに』(ガーシュウィン兄弟)と、とびきりの名曲が選りすぐられている。
 ただしビリーの歌唱力や表現力は円熟しきっているのだが、初期コロンビア時代の若々しい張りと無垢さのある声、コモドア~デッカ時代の自信に満ちた色艶のある声に較べると、説得力はあるとはいえ、声そのものの魅力に衰えは隠せない。クレフ/ヴァーヴ時代にもそれは進行していたのだが、ついに一気に露呈してしまったのがオーケストラとの共演盤『レディ・イン・サテン』だった。