人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

路傍の花

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 といっても川路柳虹詩集(明治43年=1910年)のタイトルではなく、この花束は私鉄駅のすぐ脇の踏切横にある大きな変圧器の柵の前が駅前ロータリーでは唯一歩行者に踏まれない場所になっており、そこに、記憶では30年前からもう供えられている。その間20年は大学生だったり水商売をしていたり家庭を持ったりして、この町からは離れていた。生まれ育った実家のある町に戻ってくるのは都落ちという感じが強く悔しかったが、事情がありやむを得なかった。なにしろ戸籍上住民登録してある家がありながら突然住めなくなってしまったので、手っ取り早く宿無しから間借人になるには郷里(くに)に帰るしかなかった。
 30年前の記憶はともかく、花束はその時、7年半ほど前のその頃には確実にあった。ここで誰かが死んだんだな、と月並みなことを思ったのを思い出す。自分自身がもっとも死に近い状態だったので、死人の眼で現世の花を見ている気分がした。具体的には供花が現実の世界にあるならば、自分は死者の側にいるような疎外感を感じた。被害者意識とは違うものだ。故人は自分に捧げられた花を、当然見ることはできない。しかし花を供え続けられるのは、生きている遺族なり友人なりが惜別の思いを忘れたくないからで、あの世のことはこの世からはわからないのと同様、この世のことは生きている人だけで決めることだ。
 だから誰かがこの場所に花束をきちんきちんと交換しに来て、踏切にさしかかる人はいつも新しい花束を目にすることになる。それがいつ始まったことかもわからないし、いつまで続けられることかも知れない。こうしたことは善し悪しで決めることではないし、また合理性の面から見るべきことでもない。生活は習慣や作法から成り立っており、惰性という原動力がなければそれらを維持するのは難しい。供花する人は、供花によって自分たちの余生を鼓舞しているのだ。およそ故人たちへの弔いの意味はそのあたりにある。