人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

Miles Davis - Call It Anything (Miles Electric,1971)

イメージ 1


Miles Davis - Call It Anything (Miles Electric) : http://youtu.be/hMYVvjoXf4o
Recorded live at Isle of Wight Festival,August 29,1970
1. Directions (J.Zawinul) 7:30
2. Bitches Brew (M.Davis) 10:09
3. It's About That Time (M.Davis) 6:17
4. Sanctuary (M.Davis) 1:10
5. Spanish Key (M.Davis) 8:15
6. The Theme (M.Davis) 2:10
[Personnel]
Miles Davis - Trumpet
Gary Bartz - Soprano and Alto Saxophone
Chick Corea - Electric Piano
Keith Jarrett - Electric Organ
Dave Holland - Bass,Electric Bass
Jack DeJohnette - Drums
Airto Moreira - Percussion

 これは昔から有名な公式ライヴ音源で、当初はアトランタ・ロック・フェスティヴァルとの抱き合わせオムニバス・ライヴ盤に『コール・イット・エニシング(何とでも呼べ)』というタイトルで17分半の短縮版が発表されていた。マイルスの公式フル・アルバムで言うと70年6月録音の『マイルス・デイヴィス・アット・フィルモア』と70年12月録音の『ライヴ・イーヴル』の中間に当たる。ちなみにジミ・ヘンドリクスの急逝が70年9月18日、ジャニス・ジョプリンの急逝が70年10月4日で、ジャニスはともかくマイルスはジミの大才を認めてもっとも共演を望んでおり、急逝さえなければその翌週にはマイルスのブレインであるギル・エヴァンスが指揮するオーケストラ作品にジミの参加が実現するはずだった。
 すでにマイルスは、『イン・ア・サイレント・ウェイ』(69年2月録音)、『ビッチズ・ブリュー』(69年8月録音)、『ジャック・ジョンソン』(70年2月録音)でジミの音楽に接近しており、特にジミの『バンド・オブ・ジプシーズ』(69年大晦日録音)のキー・マンだったバディ・マイルズ(ドラムス)を迎えた『ジャック・ジョンソン』は完全なロック・アルバムと言える。『アット・フィルモア』は『サイレント・ウェイ』と『ビッチズ・ブリュー』からのライヴで、『ビッチズ・ブリュー』当時のメンバーがドラムスのディジョネット以外入れ替わった『ライヴ・イーヴル』は全曲新曲のライヴ&スタジオ盤になった。ワイト島ライヴは『フィルモア』からサックスがゲイリー・バーツに代わり、これで脱退するチック・コリアより『フィルモア』から入ってきたキース・ジャレットの出番が『フィルモア』より増えている。

 マイルスは70年2月の『ビッチズ・ブリュー』発売後に、積極的にロックのライヴ・スポットに出演する。東西フィルモアに出演するのにローラ・ニーロスティーヴ・ミラー・バンドソフト・マシーンの前座扱いだったというのだから、ジャズ上がりのメンバーによるジャズ・ロック・バンドのソフト・マシーンなど居心地悪かっただろう。前座扱いまでされても、マイルスにはロックのリスナーにもアピールできる音楽を、という意地があった。マイルスが青少年の頃にはもともと黒人音楽であるはずのジャズが、すっかり白人の演奏する、白人リスナーばかりの音楽になっていたのもあった。ジャズを再び黒人の音楽に取り戻したのがマイルスの師事したチャーリー・パーカーであり、マイルス本人だった。ロックについても同じことが言えて、白人による黒人音楽の文化的詐取にすぎない、とマイルスは考えた。ワイト島フェスティヴァルは特にそうは謳っていないがロックとフォークのフェスティヴァルで、素人主催者のため進行は混乱を極めた。フェスティヴァル全体の様子は1995年に『Message To Love: The Isle of Wight Festival 1970』という2枚組CD/DVDで視聴できる。CD、映像ともフルステージではない。映像ではマイルスの出番は数分しかない。それがフルステージ発表されたのが2004年の『Electric Miles:Another Kind of Blue』で、ワイト島ライヴのノンストップ36分メドレーと、約40分のドキュメント映像・インタヴュー映像を収録している。ライヴ音源だけは2009年のCBSコロンビア・ボックスに初収録されたが、昨年ようやく新発見の野外フェス・ライヴと抱き合わせで単独発売された。『ビッチズ・ブリュー・ライヴ』がそれになる。

イメージ 2


 ワイト島フェスティヴァル出演がマイルスにとってどれほどの挑戦だったかと言えば、前年のウッドストック・フェスティヴァルの柳の下を狙って過疎の島ワイト島に50万人(!)の観客が集まったのだが、マイルス・デイヴィスなど眼中にないリスナーばかりだったろうことは出演者リストを作ればわかる。DVD出演順に上げれば、ジミ・ヘンドリクス(急逝18日前)、ザ・フー、フリー、テイスト、タイニー・ティムジョン・セバスチャン、ドノヴァン、テン・イヤーズ・アフター、ザ・ドアーズ、ムーディ・ブルース、クリス・クリストファーソン(『ミー・アンド・ボビー・マギー』)、ジョニ・ミッチェル(ステージ上に観客乱入)、マイルス・デイヴィスレナード・コーエンエマーソン・レイク&パーマー(公式デビュー・ステージ)、ジミ・ヘンドリクスジョーン・バエズジェスロ・タル、(観客によるフェンス破壊)、ザ・ドアーズ、ジミ・ヘンドリクスザ・フー、という流れになっている。マイルス以外にもジミ、ジェスロ・タルザ・フーは完全映像が市販されており、音源だけならムーディ・ブルース、EL&Pも単独CD化されている。ジミ、ザ・フー、ザ・ドアーズは映像・音楽ともフェスの象徴的扱いで複数回に分けられている。ジミへは追悼の意を込め、ドアーズはヒッピー的理想主義の破綻の予言として、フーはそれでもかすかに残されたロックの未来の希望が託されているのだろう。

イメージ 3


 しかしマイルスは真っ昼間の出演で、ステージのチェンジ込みで1時間強しか時間がもらえなかったのだろう。フル・ステージ録音のあるバンドはその倍は時間をもらえている。曲の長いジャズは圧倒的に不利で、クラブ出演でもワンセット1時間弱として3、4曲程度演るのが普通なのだが、観客50万人という大舞台をフイにする手はない。普通のコンサートなら90分くらいかけて(実際この演奏曲目のスタジオ・ヴァージョンを合計すればそのくらいにはなる)演奏するだけの曲目を、ノンストップの怒涛のメドレーで36分で仕上げてしまった。しかもオムニバス・ライヴ盤の収録にはLP片面分しか与えられないとなると、曲単位の短縮ではなく各曲のテーマ部分をカットして完全に1曲として再編集した。あのLPの17分半ヴァージョンは凄いもので、曲調が変化したのはわかるが(テーマがカットされているので)何で変化したのかわからない、というリスナー置いてきぼり演奏がLP片面分続くのだ。ノーカット版、ただしノンストップ・メドレーには違いないのでその眩惑感はCDまたはDVDで視聴しても半分は残っているが、ワイト島の50万人は予備知識など当然ないから、仮に『イン・ア・サイレント・ウェイ』と『ビッチズ・ブリュー』を聴いていてもほとんど曲の識別など出来なかったに違いない。マイルスこの時44歳、出演者中最年長で、今では40代のロック・ミュージシャンなど珍しくもないが、1945年からすでに25年(これも今では珍しくない)のプロ・キャリアでロックの土俵に上がった意地はさすがだ。
 ついでに、この時は結果的に、マイルスとジミが共演できるラスト・チャンスでもあった。ワイト島のジミは強行スケジュールの寝不足時差ボケで、目が虚ろになったりもするが、演奏自体に乱れや衰えはない。日程的にズレており、自分の出演番に間に合わせて来て、終わったらさっさと買えるしかないような孤島だったのだから仕方ないが、たとえばこのマイルスのバンドをバックにジミがギターを弾いたとしたらどうか。マイルスは『ライヴ・イーヴル』ではジョン・マクラフリンを迎えてそういうサウンドを実行することになる。