人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

オーネット・コールマン/モダン・ジャズ・カルテット Ornette Coleman Quartet / MJQ - 淋しい女 Lonely Woman (Atlantic, 1959/1962)

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オーネット・コールマン Ornette Coleman Quartet - 淋しい女 Lonely Woman (Ornette Coleman) (from the album "The Shape of Jazz to Come", Atlantic SD 1317, 1959) : https://youtu.be/OIIyCOAByDU - 4:59
Recorded at Radio Recorders, Hollywood, California, May 22, 1959
Released by Atlantic Records Atlantic SD 1317, October 1959
[ Ornette Coleman Quartet ]
Ornette Coleman - alto saxophone
Don Cherry - cornet
Charlie Haden - bass
Billy Higgins - drums

 フリー・ジャズというだけで先入観を抱かれがちですが実際のフリー・ジャズ(欧米諸国では『Free Jazz』'62はオーネット・コールマンのアルバム・タイトルを指すので時代的区分として'50年代末~'60年代半ばに限定され、一般名称としてはAvant-garde jazz, Post Bop, Modal Jazzなどの呼称で呼ばれます)はパーカー、ディジー、モンク、マイルス、ミンガス、バド・パウエル、ロリンズ、コルトレーンなどビ・バップ直系の本格的ジャズ指向のジャズマンの影響下にあるので、聴いてみると意外とキャッチーで気合いの入った乗りの良いジャズとして普通に聴けるものです。セシル・テイラー(ピアノ、1929-)がボストンで、オーネット・コールマン(アルトサックス、1930-2015)がロサンゼルスで同時期に始めていたのがフリー・ジャズの始まりで、テイラーはクラシック音楽も学んでいた裕福な東部の黒人家庭出身でしたから音楽は現代音楽の素養も入ったやや難しいものですが、デビュー・アルバムの録音日が'56年9月27日と同年生まれのビル・エヴァンスのデビュー・アルバムとほぼ同日に録音しているくらいでモンク、パウエル、トリスターノに影響されたピアノ・スタイルでも環境は同じ、エヴァンスの黒人版がテイラーでテイラーの白人版がエヴァンスと思えばわかりやすくなります。オーネットはというとテキサス出身でR&Bの楽団にいましたが、ジャズをやりたくてロサンゼルスに上京し、エヴァンスの仲間でロサンゼルス出身のミンガスの弟子だった白人ピアニスト、ポール・ブレイのバンドと自分のバンド(ブレイがいないだけの同じメンバー)で活動しロサンゼルスのインディー・レーベル、コンテンポラリー社から1枚アルバムを出し2作目のアルバムも録音完了した頃、西海岸ツアーに来ていたモダン・ジャズ・カルテット(MJQ)のリーダー、ジョン・ルイスが惚れこみ、ルイスはMJQを看板アーティストとするニューヨークの老舗大手レコード会社アトランティックの顧問だったのでオーネットをアトランティックに引き抜き早速ハリウッドのスタジオでアトランティックへの初メジャー・レコーディングを行わせます。ルイスはマイルス、モンクと並びジャズ・ジャーナリズムにもっとも重視されている黒人ジャズマンだったのでオーネットを「バッハ、チャーリー・パーカー以来の音楽的革新」と絶讃・喧伝し(ルイスはバロック音楽の権威でもあり、またディジー・ガレスピーのバンドからMJQが生まれたのでパーカーのバック・バンドの経歴も有名でした)、オーネットはメンバーたちを連れてアルバム『ジャズ来るべきもの (The Shape of Jazz to Come)』(ジョン・ルイス命名)の発売直前からニューヨークに移住してきてジャズクラブ「Five Spot」の公演(週6晩)に入ります。通常2週間の契約が異例の観客動員で半年間におよぶ長期公演になる大反響を呼び、コルトレーンやロリンズ、ジャッキー・マクリーンらサックス奏者が足しげく通い、マイルスやミンガスがお忍びで観に来る、とニューヨークのジャズマン間にもショックが襲いました。セシル・テイラーやシカゴのサン・ラがニューヨークに本拠を移したのもオーネットへの反響によるものでした。
 あまりに急速に話題になったのでブームの後はオーネットへの出演依頼は激減し、'63年・'64年はジャズの仕事を休業しアルバイトで食いつなぎつつ新曲を書きためていたオーネットですが、'65年のカムバックはアルバート・アイラーアーチー・シェップら新鋭、サン・ラの成功、何よりフリー・ジャズに変貌したコルトレーンによるフリー・ジャズの第2次ブームにタイミングが合って大歓迎を呼び、以降オーネットは毎年のようにヨーロッパ・ツアーを行いアルバム発表も順調な地位の確立したジャズマンになります。全曲オーネットのオリジナル曲による『ジャズ来るべきもの』の冒頭の衝撃的名曲「Lonely Woman (旧邦題「淋しい女」)」はフリー・ジャズ曲では数少ないスタンダード曲になり、歌詞のついたヴォーカル・ヴァージョンも生まれました。ここでは同曲の初めての他のアーティストによるヴァージョンとしてMJQがアルバム・タイトル曲にまでした'62年のカヴァー・ヴァージョンを上げます。オーネットのアトランティックでの5枚目のアルバム『Ornette』(Atlantic SD 1978)が'62年2月発売なので、これはジョン・ルイスによるオーネットへの追加応援のような意味もあったと思われます(オーネットのアルバムはアトランティック社の期待ほど売れず、契約は6枚目の『Ornette On Tenor』'62.12で打ち切られました)。なおMJQの看板ヴィブラフォン奏者ミルト・ジャクソンの担当が「vibraharp」というのはリーダーのルイスのこだわりによるものらしく、MJQ以外ではミルトは普通に「vibraphone」とクレジットされています。MJQの物々しいヴァージョンはこの曲のカヴァーとしては珍しく、「Lonely Woman」はオリジナル通りストレート・アヘッドなリズム・アレンジで演奏されるのが普通です。パーカーの「Billie's Bounce」のどこが斬新か今ではリスナーにはわかりづらくなっているように「Lonely Woman」もよくあるジャズにしか聴こえないかもしれませんが、今でもジャズマンが「Billie's Bounce」や「Lonely Woman」を取り上げるのは演奏してみればこれほどやり甲斐のある、常に新しい発見のある曲はないからです。オーネットの演奏でしか聴けないアルトサックスとコルネットのピッチのズレたような異様な音色とシャウト奏法、シンコペーションだらけのアンサンブル、異常なベースラインとデッドパンなドラムスはビ・バップから発してビ・バップとはまるで違うジャズ、しかし本質は同じルーツに根ざしたものです。一生飽きのこないジャズとはパーカーやオーネットのようなジャズを言うのです。

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Modern Jazz Quartet - Lonely Woman (from the album "Lonely Woman", Atlantic SD 1381, 1962) : https://youtu.be/5OucWYBeBoo - 6:20
Recorded at Atlantic Recording Studios, January 25, 1962
Released by Atlantic Records Atlantic LP-1381, March 1962
[ Modern Jazz Quartet ]
John Lewis - piano
Milt Jackson - vibraharp
Percy Heath - bass
Connie Kay - drums