人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

Charles Mingus - The Jazz Experiments of Charles Mingus (Bethlehem, 1955)

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Charles Mingus - The Jazz Experiments of Charles Mingus (Bethlehem, 1955) Full Album : http://youtu.be/yl0Md48qTbc
Recorded in New York in December 1954
Released 1956, Bethlehem BCP-65
Original released 1955, Period Records "Jazzical Moods Vol.1" & "Vol.2"
(Side A)
A1. "What Is This Thing Called Love?" (Cole Porter) - 8:14
A2. "Minor Intrusion" - 10:23
A3. "Stormy Weather" (Harold Arlen, Ted Koehler) - 3:21
(Side B)
B1. "Four Hands" (John LaPorta, Mingus) - 8:59
B2. "Thrice Upon a Theme" - 6:47
B3. "The Spur of the Moment" (LaPorta) - 8:43
All compositions by Charles Mingus except as indicated
[Personnel]
Charles Mingus - bass, piano(A1,A2,B1)
John LaPorta - clarinet, alto saxophone
Thad Jones (credited on original issue as "Oliver King") - trumpet (tracks A1-3 & B3)
Teo Macero - tenor saxophone, baritone saxophone
Jackson Wiley - cello (tracks A1-3)
Clem DeRosa - drums, tambourine

 チャールズ・ミンガス(1922~1979)の存在感は70年代ミンガス・バンドのメンバーによるジョージ・アダムス&ドン・プーレン・カルテットが存続していた80年代末までは大きかった。事実上のリーダーは1957年以来ミンガスの専属ドラマーだったダニー・リッチモンドで、リッチモンド死去の88年にカルテットは解散し、アダムス(テナーサックス)、プーレン(ピアノ)もまだ壮年のうちに世を去った。現在でもミンガスはビバップ世代から70年代までのモダン・ジャズを牽引した巨匠と認められているが、プレイヤーにとってもリスナーにとっても取っつきにくい大物でもある。
 ジャズ史上ミュージシャン=コンポーザーで質量ともに巨匠と呼ばれるのはデューク・エリントンセロニアス・モンクチャールズ・ミンガスの3人とミンガスは生前から高い評価を受けていたが、エリントンやモンクのオリジナル曲が他のジャズマンのレパートリーに高い頻度で浸透したのと違って、ミンガスの曲はミンガスによるアレンジと切り離せないものだった。また、ビッグバンド時代がすでに過去のものとなった時代のバンドリーダーとしては、ミンガスはサン・ラとフランク・ザッパをつなぐ位置にいるが、サン・ラのようにローカル・ミュージシャンとしてレギュラー・バンドを確保して鍛え上げるにはミンガスは商業的激戦区に進出しすぎていたし、ザッパはミンガスの失敗やジョニー・オーティス楽団の成功例から学んで堅実なバンド経営から出発することができた、といえる。

 オーティス、ミンガス、ザッパはいずれもロサンゼルス出身者だが、ミンガスは当時のジャズの趨勢から最前線で活動するにはニューヨークに進出せざるを得なかった。ミンガスより8歳年長のサン・ラはニューヨーク、ロサンゼルスに次ぐ全米第三の大都市シカゴから60年代初頭まで動かず、ニューヨーク/ロサンゼルスの二大都市中心のジャズの消長からはオルタナティヴな存在として独自の平行進化を遂げていた、全体像のつかみづらい大物バンドリーダーだった。だがサン・ラやオーティス、ザッパが歴代メンバーの交替こそあれレギュラー・バンドを持ってライヴもレコーディングも盛んな活動をしていたのに対し、ミンガスがレギュラー・バンドを持てるようになったのは楽歴でも晩年に入った70年代、ジョージ・アダムスやドン・プーレンを迎えて安定した評価を獲得してからだった。晩年にも名作はあるが、音楽的にはミンガスの手札は60年代のうちに出尽くしていた、と言ってよい。
 チャールズ・ミンガスの音楽が初めて広く革新的ジャズとして迎えられ、一実力派ベーシストのみならず作曲家、バンドリーダーとしての実力を知らしめたのは1956年1月録音のアトランティック・レーベルへの第1作『直立猿人』だった。57年2月には『道化師』、7月に『チャーリー・ミンガス・トリオ』(ジュビリー・レーベル)、7月と8月にかけて『メキシコの思い出』(RCA、1962年発表)、8月に『イースト・コースティング』(ベツレヘム)、10月に『モダン・ジャズ・シンポジウム』(ベツレヘム)と、以降のミンガスはレコーディング毎にミュージシャンを招集しながら優れたアルバムを連発していくことになる。

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 ("The Complete Debut Recordings 1951-1957")
 初期ミンガスの楽歴を一望するのに、2000年にまとめられた自主制作シングル集『Baron Mingus - West Coast 1945?49 』(Uptown、24曲収録)、2004年にまとめられた初期サイドマン参加作とリーダー録音のアンソロジー『The Young Rebels 1945-1953』(Proper, 4CD)、またニューヨーク進出後にマックス・ローチ(ドラムス)と共同経営したインディーズ・レーベル「デビュー」からリリースされたミンガス参加作アルバム16枚、シングル数枚、未発売アルバムも加えた『The Complete Debut Recordings 1951-1957』(Debut/Fantasy, 1990,12CD)で初期作品のうち主要なものはたどることができる。また、これらに収録されていない重要作には『ジャズ・コンポーザーズ・ワークショップ』(サヴォイ、1954年10月録音)、『ジャジカル・ムーズVol.1』『Vol.2』(ピリオド、1954年12月録音、『ザ・ジャズ・エクスペリメンツ・オブ・チャールズ・ミンガスベツレヘムカップリング収録)、テディ・チャールズ・カルテット『エヴォルーション』(プレスティッジ、55年1月録音)、『チャールズ・ミンガス/ウィリー・チレロ・カルテット』(サヴォイ、1955年1月、『ジャズ・コンポーザーズ・ワークショップ』にカップリング収録)、ラルフ・シャロンセクステット『イージー・ジャズ』(ロンドン、55年5月録音)がある。
 さて、デビュー・レーベルのボックスの1957年分はジミー・ネッパー(トロンボーン)、シャフティ・ハディ(カーティス・ポーター、テナーサックス)のお蔵入りレコーディングで、デビュー・レーベルは実質的に1955年いっぱいで活動を停止している。『直立猿人』が56年1月録音なのはミンガス自身にも勝負をかけていたのが推察されるが、これら膨大な初期10年間の作品のうち、ベーシストとして出世作となったレッド・ノーヴォ・トリオの『ムーヴ!』1950以外のミンガス自身によるシングル、アルバム群は54年10月録音の『ジャズ・コンポーザーズ・ワークショップ』までは失敗作の山と言えるのだ。ロサンゼルス時代の『バロン・ミンガス』もニューヨーク進出後のデビュー・レーベルの録音も、ミンガスはコンポーザーやプレイヤーで関わった作品ではレーベル社主としてプロデューサーも兼任している。だが他人名義のアルバムはおろかミンガス本人のシングル、アルバムもサヴォイの『ジャズ・コンポーザーズ・ワークショップ』、デビュー・レーベル作品ではかろうじてサド・ジョーンズ・カルテット『ジャズ・コレクション』(55年3月録音)、マイルス・デイヴィス『ブルー・ヘイズ』(55年7月録音、ただし実質テディ・チャールズとミンガスの共同リーダー作)がようやくミンガスの手法の確立を感じさせる。

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 (Period 10inch LP "Jazzical Moods Vol.1")
 デビュー・レーベルでようやくミンガスの音楽が全面的な成功をおさめたのは、『ミンガス・アット・ザ・ボヘミア』と『ザ・チャールズ・ミンガスクインテット・プラス・マックス・ローチ』の2枚に分散収録された55年12月、カフェ・ボヘミアでのライヴ録音になった。『コンプリート・デビュー・レコーディングス』を聴いているとディスク9の5曲目からようやくカフェ・ボヘミアが始まるので、実に何というか、苦楽をともにしてきた気になる。デビュー・レーベルはミンガスが始めてマックス・ローチも巻き込んだが実験的なジャズばかりで売れない、そこで1953年5月にカナダのトロントで行われたディジー・ガレスピーチャーリー・パーカーバド・パウエル、ミンガス、ローチというビバップ・オールスターズのライヴ録音『ジャズ・アット・マッセイ・ホール』をリリースし、口コミでインディーズでは破格のヒットになった。はっきり言って『ジャズ・アット・マッセイ・ホール』だけで持っていたレーベルだった上、マックス・ローチは54年にロサンゼルスでクリフォード・ブラウンマックス・ローチクインテットを立ち上げて一躍トップ・グループの座に立つ。
 だから『アット・ザ・ボヘミア』はようやくミンガスがデビュー・レーベルでの活動で満足できる成果を上げ、レーベルとしての役割を終えたと納得のいくアルバムだったろう。サヴォイやピリオド(ベツレヘム)で1年早く成果を出していたものの、やはり本格的な成功作と言えるものはデビューからのアルバムでフィードバックさせないとミンガス自身にはケリがつかないことだった。

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 (Period 10inch LP "Jazzical Moods Vol.2")
 ベツレヘム・レーベルからのアルバム『ザ・ジャズ・エクスペリメンツ・オブ・チャールズ・ミンガス』はLPレコードが12インチLP時代に入ってからの1956年リリースで、録音が54年12月だから10インチLPと12インチLP過渡期の1955年にまずピリオド・レーベルから『ジャジカル・ムーズ』Vol.1、Vol.2の2枚に分けて発売されたものだった。収録時間の都合でVol.1から"Abstractions"、Vol.2から"Echonitus"が割愛されている。10月録音の『ジャズ・コンポーザーズ・ワークショップ』は『直立猿人』で達成されるミンガス音楽のアイディアの萌芽が見られるアルバムだったが、『エクスペリメンツ』ではさらに直接『直立猿人』とそれ以降のミンガスの音楽の下敷きになる作風になっている。冒頭のスタンダード『恋とは何でしょう』で同曲の改作『ホット・ハウス』(タッド・ダメロン作)と、曲想が類似する『ウッディ・ン・ユー』(ディジー・ガレスピー作)の3曲を平行演奏する手法は後のミンガス作品に頻繁に用いられる。ブルース・フォームで始まる『マイナー・イントルション』はミンガスがピアノにまわり、チェロがベース・ラインを弾く辺りからはっきりと『直立猿人』タイトル曲の原型が現れる。『ストーミー・ウェザー』ではピアノレス、4管、チェロ入りという異様な編成を生かした対位法的アレンジが聴ける。
 A面3曲は『ジャジカル・ムーズVol.1』からでチェロ入りだったが、B面はチェロが抜けてミンガスのピアノ・パートはベースを先に録音したオーヴァーダビングになる。従来のビバップとも、当時全盛に向かっていたハードバップ・スタイルとも決定的に異なるのは、コレクティヴ・インプロヴィゼーション(集団同時即興)によるサウンドのかたまりで標題音楽的な具体的イメージを持つ、結果的にはエドガー・ヴァレーズの流派に近い現代音楽的な響きを持つ非バップ的なジャズになった。B1『フォー・ハンズ』はタイトル通りミンガスのピアノのオーヴァーダビングをフィーチャーした曲で、続く『トワイス・アポン・ア・タイム』ともどもトランペットは抜ける。『トワイス~』は構成のわかりづらい曲でピアノレスのまま進むが、Aメロは後の『リーンカーネイション・オブ・ア・ラヴバード』(『道化師』収録)に、中間部は『直立猿人』タイトル曲に流用されると覚しい。『ザ・シュプール・オブ・ザ・モーメント』ではトランペットが戻り、ピアノレスによる同時即興4管アンサンブルの興味で引っ張る曲で、結局全6曲中ミンガスがピアノを兼任する曲は3曲だが、A面2曲でチェロがベースラインにまわるアンサンブルには異様なサウンド・バランスの崩れが面白さになっている。
 だがミンガスが『直立猿人』に到達するには『アット・カフェ・ボヘミア』というステップが必要だった。そこでは『直立猿人』以前のライヴ版『直立猿人』と呼んでいいサウンドを聴くことができる。