人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

チャールズ・ミンガス・クインテット&マックス・ローチ Charles Mingus Quintet & Max Roach (Fantasy, 1964)

チャールズ・ミンガスクインテットマックス・ローチ (Fantasy, 1964)

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チャールズ・ミンガスクインテットマックス・ローチ Charles Mingus Quintet & Max Roach (Fantasy, 1964) Full Album : https://www.youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_kd2Bfrr_uNHSfKQr1gG8-heQjYnyta85A
Recorded live at Cafe Bohemia,NYC, December 23, 1955
Unissued by Debut Records DEB-139, 1956
Released by Fantasy Records 6009 (Mono) / 86009 (Stereo), 1964

(Side 1)

A1. A Foggy Day (George Gershwin, Ira Gershwin) - 5:36
A2. Drums (Charles Mingus, Max Roach) - 5:38
A3. Haitian Fight Song (Mingus) - 5:27
A4. Lady Bird (Tad Dameron) - 5:58

(Side 2)

B1. I'll Remember April (Gene de Paul, Patricia Johnston, Don Raye) - 13:13
B2. Love Chant (Mingus) - 7:26

[ Charles Mingus Jazz Workshop & Max Roach ]

Charles Mingus - bass
George Barrow - tenor sax
Eddie Bert - trombone
Mal Waldron - piano
Willie Jones - drums
Max Roach - drums, percussion (A2, B1)

(Original Fantasy "Charles Mingus Quintet & Max Roach" LP Liner Cover & Side 1 Label)

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 この本作は『ミンガス・アット・ザ・ボヘミア(Mingus at the Bohemia)』と同じ時のライヴですが、ポピュラー音楽でLP2枚組が普通に発売されるようになるのはLPレコードの売り上げが飛躍的に増大した1967年以降で、ザ・ビートルズ『(ホワイト・アルバム)』1968の発売時にはイヴェント的意味があったほど珍しかったのです。白人ロックの2枚組アルバムの系譜はクリーム『クリームの素晴らしき世界』1968、エリック・バードン&ジ・アニマルズ『愛』1968、グレイトフル・デッド『ライヴ/デッド』1969、ザ・フー『トミー』1969、ザ・バーズ『(名前のないアルバム)』1970、デレク&ザ・ドミノス『愛しのレイラ』1970、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング『4ウェイ・ストリート』1971、オールマン・ブラザース・バンド『アット・ザ・フィルモア・イースト』1971と続き、主にライヴ・アルバムで多く制作されることになります。スタジオ録音アルバムで2枚組発売されたボブ・ディラン『ブロンド・オン・ブロンド』1966とフランク・ザッパ&ザ・マザーズ・オブ・インヴェンジョン『フリーク・アウト!』1966の先駆性は異彩を放っていました。ジャズではマイルス・デイヴィスの『ビッチズ・ブリュー』1970から始まる2枚組連発リリースが思い浮かびます。同作はスタジオ録音アルバムでしたが、以降マイルスはスタジオ盤・ライヴ盤ともリリースの多くを2枚組LPで発売して2枚組アルバムの先鞭をつけます。

 現在出回っている'60年代までのジャズのライヴ盤は、ほとんどがアナログ盤発売当初はVol. 1、Vol. 2といった具合に分売されたものをカップリングさせたものか、アナログLPでは個別のタイトルをつけて発売されていたものです。有名なアルバムではアート・ブレイキークインテットの『バードランドの夜Vol. 1』『V 2』『Vol. 3』(1954年)やブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズの『アット・ザ・カフェ・ボヘミアVol. 1』『Vol. 2』(1956年)、『サンジェルマンのジャズ・メッセンジャーズVol. 1』『Vol. 2』『Vol. 3』(1958年)、モダン・ジャズ・カルテットの『アット・ミュージック・インVol. 1』『Vol. 2』(1956年)や『ヨーロピアン・コンサートVol. 1』『Vol. 2』(1961年)、マイルス・デイヴィスの『アット・ザ・ブラックホークVol. 1』と『Vol. 2』(1961年)、『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』と『フォア&モア』(1964年)、セロニアス・モンク『イン・アクション』と『ミステリオーソ』(1958年)やビル・エヴァンスの『サンデー・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード』と『ワルツ・フォー・デビー』(1961年)、オーネット・コールマンの『ゴールデン・サークルVol. 1』『Vol. 2』(1965年)もそういった分売ライヴ盤でした。

 チャールズ・ミンガス初のフル・ライヴ・アルバム『アット・ザ・ボヘミア』と『チャールズ・ミンガスクインテットマックス・ローチ』もそうしたLP2枚分のライヴの分売盤で、どうしてもライヴ・シリーズは後に発売されたものの方が評価が低くなりがちです。先にリリースされた方が豊富な素材から編集できるわけで、Vol.2、Vol.3と残りテイクが発表されるに従って落ち穂広い的な選曲になるのはやむを得ません。先に発売された『アット・ザ・ボヘミア』は全6曲がバランス良く収録され、楽曲も多彩ながら全体の流れも良いアルバムでした。このカフェ・ボヘミアでのライヴのマル・ウォルドロン(ピアノ)、ミンガス(ベース)、ウィリー・ジョーンズ(ドラムス)はそのままアトランティック契約第1作『直立猿人(Pithecanthoropus Erectus)』1956のメンバーで、エディ・バート(トロンボーン、2012年逝去)とジョージ・バーロウ(テナーサックス、2013年逝去)は他に名演というほどのものもなくバートは生涯ビッグバンド要員で、バーロウは参加アルバムでもアンサンブル要員でソロがなかったりします(オリヴァー・ネルソン『ブルースの真実』1961など)。二人とも自己名義のアルバムは生涯に1枚しかありません。ですが、バートとバーロウはミンガスのカフェ・ボヘミア・ライヴではすでに『直立猿人』のサウンドに向かいつつあったリズム・セクション3人の演奏に見劣りしない演奏を聴かせてくれます。ウィリー・ジョーンズ(1991年逝去)も無名ドラマーで参加アルバムは8枚しかありませんが、セロニアス・モンク2枚、ミンガス3枚、エルモ・ホープとランディ・ウェストンとサン・ラが1枚ずつ、という実にジャズの裏街道を歩んだ栄光の日陰者ドラマーで、プレスティッジ盤『モンク』『セロニアス・モンクソニー・ロリンズ』1953とホープメディテーションズ』1955、ウェストン『モダン・アート・オブ・ジャズ』1956とサン・ラ『フューチャリスティック・サウンズ』1961のドラマーがミンガスのボヘミア二部作(1955年)と『直立猿人』1956のドラムスだとは普通は誰も気づきません。参加アルバムの少なさからも、専業ミュージシャンではなかったドラマーでしょう。結局『直立猿人』ではジャッキー・マクリーンのアルト、J・R・モンテローズのテナーと2サックスのフロントになりますが、マクリーン&モンテローズと比較してはさすがにバートとバーロウではかないません。そこら辺の食い足りなさのさじ加減も『アット・ザ・ボヘミア』二部作の味わいになっているとも言えます。

 選曲面でも『アット・ザ・ボヘミア』は単に『直立猿人』のプロトタイプには見えない斬新さがあって、それまでのミンガスの試行錯誤が54年末の『ジャズ・コンポーザーズ・ワークショップ』と『ジャジカル・ムーズ(ジャズ・エクスペリメンツ)』でしっかり方向性をつかんで、『アット・ザ・ボヘミア』でついに集大成に達した観があります。『ボヘミア』で「Septemberly」「All The Things You C♯」と2曲もやった複数曲同時演奏の手法は『直立猿人』のコンセプトには合わず一旦棚上げにされますが、その後のアルバムではたびたび同種の手法が用いられることになります。この『クインテットマックス・ローチ』が残り曲ぽく、また直接『直立猿人』のプロトタイプ然としていて割を食っているのは、A面3曲・B面3曲にそれぞれまとまりがある構成の『アット・ザ・ボヘミア』に対してA面4曲・B面2曲の『&マックス・ローチ』はA面に独立した曲が並び、B面が長尺セッションのような印象を与えるようなことで、「A Foggy Day」と「Love Chant」は『直立猿人』で決定ヴァージョンがスタジオ録音される通りほぼ完成したアレンジながら、『直立猿人』ヴァージョンほどのインパクトに欠けるヴァージョンで収められ、タッド・ダメロンの「Lady Bird」とレイ&デ・ポールの「I'll Remember April」もバップ・スタンダードでこれまでのミンガスの試行錯誤からは各段に練れていますが、『アット・ザ・ボヘミア』の「Septemberly」「All The Things You C♯」ほど仰天するような出来にはなっていません。「I'll Remember April」はミンガスもローチもガレスピーやパーカーとさんざん演り倒してきたからあえて軽く飛ばしたか、「Lady Bird」はダメロンのバンドのスターだったファッツ・ナヴァロへのオマージュも入っているからかアレンジのアイディアは込み入っていますがやや散漫な仕上がりです。ミンガス屈指の名曲の一つ「Haitian Fight Song」は後にアトランティック第2作『道化師』で凄まじい決定ヴァージョンが生まれますが、ピアノは両ヴァージョンで拮抗しているものの、ジミー・ネッパー(トロンボーン)とシャフティ・ハディ(アルト&テナーサックス)の重量級のフロント、ミンガスの番頭ことダニー・リッチモンドのドラムスの『道化師(The Clown)』収録ヴァージョンにはおよびません。

 しかしこれは『アット・ザ・ボヘミア』や『直立猿人』『道化師』と比較するからの話で、もっとも実験的な「Drums」は2管がAマイナーのドローンで絡みあう中をベースとドラムスが自在にインプロヴィゼーションするプレ・フリージャズです。『ボヘミア』の「Percussion Discussion」と同工異曲ですがこちらは管入りで、キーがAマイナーのドローンだからかオーネット・コールマンの「Lonely Woman」1959を思わせます。「Percussion Discussion」も「Drums」もドラム・ソロしか予想させない即物的なタイトルで損をしており、当時としては大胆なフリー・ジャズですが曲としてのフォームはオーネット同様ちゃんと備えているものです。もし『直立猿人』『道化師』をミンガスが制作していなかったら、『アット・ザ・ボヘミア』と同等の重要ライヴ・アルバムとして『クインテットマックス・ローチ』は里程標とされ、「A Foggy Day」と「Love Chant」は『クインテットマックス・ローチ』収録版が決定ヴァージョンとされ、『直立猿人』タイトル曲と『道化師』の「Reincarnation of a Lovebird」は『ジャズ・エクスペリメンツ』の「Minor Intrusion」と『アット・ザ・ボヘミア』の「Jump Monk」の原型のままで、「Haitian Fight Song」は『アット・ザ・ボヘミア』の「Work Song」の姉妹曲のような仕上がりの『クインテットマックス・ローチ』ヴァージョンの初演が決定ヴァージョンとなっていた可能性もあるのです。もっともミンガスはこのライヴ二部作の時点でアトランティック移籍後の『直立猿人』『道化師』の構想がすでにあったか、『アット・ザ・ボヘミア』は録音8か月後の1956年8月にリリースしましたが、姉妹編である本作はジャケットやタイトル、レコード番号まで決まっていながら一旦お蔵入りになり、ファンタジー・レコーズに原盤を貸す形でリリースされたのは1964年、すでにエリック・ドルフィーを帯同した同年4月のヨーロッパ・ツアーを終え、帰国後の最新ライヴ『Right Now: Live at the Jazz Workshop』(Recorded at the Jazz Workshop in San Francisco, California on June 2 & 3, 1964, Fantasy LP 6017, 1964)をリリースする直前でした。本作のレコード番号が6009であることから、ファンタジー・レコーズから新作ライヴをリリースする際にまとめて未発表になっていた本作の原盤権を貸し出して発表したものと思われます。『ミンガス・アット・ザ・ボヘミア』と本作が傑作『直立猿人』直前の重要なライヴ二部作としてあまり語られることがないのは、本作が録音後9年もの間未発表になっていたからで、その間にミンガスは絶頂期の作品を連発していましたから『アット・ザ・ボヘミア』も含めて本作は習作時代の発掘ライヴあつかいされることになってしまったので、これはアトランティック移籍後の多忙と契約上、楽曲の重複する本作をリリースできなかった事情があったのかもしれません。

 多作家のミンガスの場合、改作・別タイトル曲でどちらも決定ヴァージョンになっていることもあれば、改作・同タイトル曲でもそれぞれ異なる魅力をもった名演がざらにあるのも混乱を招いています。「Jump Monk」と『直立猿人』タイトル曲は『メキシコの思い出(Tijuana Moods)』の「Dizzy Moods」に改作され、さらに『ミンガス・アー・ウム(Mingus Ah Um)』以降は「Fables of Faubus」に改作されるのでその都度発売レコード会社が変わっている上に、「Jump Monk」「Pithecanthoropus Erectus」「Dizzy Moods」「Fables of Faubus」はいずれも独立した名曲としてミンガスの名曲に数えられるものです。セロニアス・モンクの場合は編成が変わればアレンジも変わるにせよ、曲のエッセンス自体はほとんど変わらない、というアーティストでした。それはチャーリー・パーカーバド・パウエルでもそうで、'60年代の新世代のジャズマンだったオーネット・コールマンエリック・ドルフィーローランド・カークでもシチュエーションは変わっても音楽の質はほぼ一定でした。それは一般的には、ビ・バップ以降のモダン・ジャズはソロイストを中心とした音楽だったからでもあります。ミンガスはベーシストとしてもトップクラスのジャズマンでしたが、バンドリーダーで作・編曲家という立場からも手法や方法自体を作品ごとに練り上げていくタイプでした。

 ミンガスと同様に方法自体をどんどん変えていったジャズマンにはマイルス・デイヴィスがいて、マイルスとミンガスでは相当異なっていますがアレンジャーとして音楽を発想する点では共通します。コルトレーンはソロイストとしてもコンセプト・リーダーとしても徹底していたのでどちらとも言えないタイプのミュージシャンでした。コルトレーンの弟子アーチー・シェップはアレンジャー・タイプのジャズマンでしたし、アルバート・アイラーは本人の意図はともあれ完全にソロイストでした。生前のインタビューでコルトレーンは今後共演したいミュージシャンはいないか、たとえばミンガスなど、と訊かれて、はっきりミンガスの音楽は嫌いだから考えられないと答えています。一方チコ・ハミルトン・クインテット出身のエリック・ドルフィーはニューヨーク進出後、ミンガスのバンドとコルトレーンのバンドとオーネットのバンドとオリヴァー・ネルソンのバンドをかけもちして、どこで演奏してもドルフィーのままでした。ドルフィーに匹敵するのはマイルスのバンド出身でミンガスのバンドとアート・ブレイキージャズ・メッセンジャーズをかけもちしたジャッキー・マクリーンくらいでしょう。『直立猿人』と『ミンガス・プレゼンツ・ミンガス(Charles Mingus Presents Charles Mingus)』がミンガスの大傑作になっているのは、前者がマクリーン、後者がドルフィーの初参加アルバムだからとも言えるので、ミンガスの作品歴の節目節目にはミンガス本人以上に融通の利いたソロイストの参加があり、その点でも共演者に左右されることが少なかったセロニアス・モンクと似て非なる対照を見せています。

(旧稿を改題・手直ししました)