人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

新☆戦場のミッフィーちゃんと仲間たち(13)

 トトポトミー・クリークの戦いとは、南北戦争の4年目に入った1864年5月28日から30日に、バージニア州ハノーバー郡で、北軍ユリシーズ・グラント中将のオーバーランド方面作戦の中で、南軍ロバート・E・リー将軍の北バージニア軍と対抗した戦闘を言います。
 グラントはリー軍の右翼に回り込む戦略を続け、開けた場所での会戦に持ち込もうとしましたが、リーはジュバル・アーリー中将の北バージニア軍第2軍団で、北軍ガバヌーア・ウォーレン少将の前進してくる第5軍団を攻撃する機会を伺いました。アーリーの指揮下、ロバート・E・ローズ少将とドッドソン・ラムスール少将の師団が北軍の部隊をシャディグローブ道路まで押し返しましたが、ラムスールの前衛隊が北軍歩兵と砲兵の激しい抵抗に遭って停止させられてしまいます。グラントは他の軍団長に南軍の全線に渡って攻撃を支援するよう命令しました。南軍はトトポトミー・クリークの背後の塹壕に入っていました。北軍ウィンフィールド・スコット・ハンコックの第2軍団のみがクリークを渡りましたが、すぐに撃退されました。決着のつかなかった戦闘の後、北軍は南東方面への動きを再開し、月末からのコールドハーバーの戦いに向かったのです。
 これがその時の武勲章じゃ、とジョースターさんは言いました。子どもたちはざわめきました。わお、おじいさんすごい人なんだねえ!とチャーリーもライナスも目を輝かせました。それでおじいさんどっちの軍にいたの?もちろん南軍さ!わあ!
 南軍なんて結局負けたんじゃない、とルーシーはサリーに同意を求めました。そんなこと言われても、とサリー・ブラウンは、そういえば男の子って何で南北戦争ごっこすると南軍の勝ちにしたがるんだろう、と思いました。
 さきほどまでのジョースターさんはかすかべ防衛隊を相手に、新選組には前身にあたる、文久3年(1863年)2月27日に集合し中山道を西上した200名余りの浪士からなる「浪士組」の時からおったよ、とためになるお話しをしていたのです。じゃあじゃーおじぃさん、近藤勇には会ったことある?ああ、わしは倒幕派からの二重スパイじゃったからな、時には敵の前で仲間を斬らねばならぬこともあった。聞きたいかね?……いいです、と風間くんはビビって血の気が引きました。
 しかしこの店、とジョースターさんは首を傾げました。一体わしらの目星は見当違いだったのだろうか?