人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

集成版『戦場のミッフィーちゃんと仲間たち』第二章

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 第二章。
 そろそろ出ないとヤバいんじゃない、と、それまで黙ってちびちびとオレンジジュースをすすっていたウインがボソッとつぶやいたのとハローキティのお出ましがほぼ同時だったので、おしゃべりに興じていたミッフィーたちはぴたり、と黙り込みました。そうね、まだ直接対決には時期尚早ね、と内心反発を感じながらメラニーも賛同せざるを得ませんでした。メラニーはこの仲間たちの中でウインだけは御し難し、と苦手意識を持っていました。ミッフィーを筆頭に、他のうさぎたち(バーバラはくまですが)の弱みは一通り握っているメラニーですが、ウインからは弱みと呼べるようなものがつかめないのです。逆にウインの方がメラニーに対して優位に立っていると思われるのは、彼女だけがいつもメラニーよりも早く的確な状況判断を下していると見えるからでした。
 一方ミッフィーは出口近いこのテーブルからはかなり遠いカウンターに、ついに現れた宿敵の姿を認めて怨恨の焔をめらめらと上げていました。それは老舗のヒロインたる自分が知名度では後発組に抜かれた嫉妬でしたが、ハローキティだって今や老舗の部類に入るのですから実情は住み分けが済んでいると言えるのです。仲良くやって行けばいいのになあ、とどちらのディヴィジョンの構成員にも敵対意識はほとんどありませんでした。しかしトップであるミッフィーちゃんとハローキティの間には晴らしがたい確執があり、それはもはやうさぎとねこのどちらが可愛いかを越えた問題でした。
 その時店内に『暁の空中戦』が鳴り響きました。撃墜王がいらしたわよ、とキャシーたちがざわめきました。何なの?この店の常連が来たみたいよ、たぶんVIP待遇の。店の前にガタガタと何か移動する小屋のような乗り物が横づけするのが見えました。む、とジョースターさんはすぐにでもハーミットパープルを発動できる態勢に入りました。ヤバいスタンドの臭いがするぜ、とイギーの野生のカンが働き、テーブルの下で唸って警告を発しました。かすかべ防衛隊はばばぬきをして遊んでいましたが、しんのすけは店の入り口をちらりと見て、何か犬小屋みたいだナ、と首を傾げました。
 カーペットがするすると店の床に延びてきました。ゴーグルつき飛行帽をかぶり、マフラーをしめたビーグル犬が、お伴の小鳥を連れて二足歩行で犬小屋から出てきました。撃墜王スヌーピーさまのご来店です、とミミィが告げました。


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 撃墜王、正確には「第一次世界大戦撃墜王」ことスヌーピーは、テーマソング『暁の空中戦』すら捧げられた伝説の英雄でした。愛機ソッピース・キャメル号(普段は犬小屋)を操縦し、さっそうと大空を駆けめぐる操縦士として数えきれない戦勲を上げたその経歴は、第一次世界大戦から一世紀を経た現在も記憶されて、彼を不死の存在にしていました。フォッカー三葉機に乗る宿敵レッド・バロンとの空中戦の数々を経て、撃墜王の名声は死線をくぐるたびに高まったものでした。第一次世界大戦中は、夜になるとマーシーの小さなカフェへ行き、ルートビアを楽しんていたのも懐かしい思い出でした。相棒の小鳥ウッドストックは担当整備兵でもあり、またレッド・バロンの助手ピンク・バロンでもありました。また、ドイツ兵に占領された家のフランス娘を救助したらマーシーだったこともありました。
 思わぬ来客の出現に、ミッフィーちゃんとその仲間たちは不覚をとられた気分でした。あまり賢くないバーバラすらこのビーグル犬のことは何となく知っているのです。幼稚園児や荒くれ者たちは、どうやら常連客というわけではないらしい。つまり自分たちの店の売り上げにはさほど関係ないふりの客にすぎないようで、敵情視察に来たのですから収穫がないのでは意味がありませんが、客層が重ならないと確認できればそれもデータのうちです。しかし本当のVIPがこの店の常連客としたら、店柄の格付けにも大きな影響が生じないではいられないことでしょう。ハローキティ本人が接客に現れた以上、あまり長居をするのはミッフィーたちにはリスクが高すぎましたが、おそらくこれからVIPに続き来店するだろう関係者たちを見極めずに立ち去るのも忍びないことです。
 そうだ、とミッフィーは思いつき、バーバラにお勘定させている間にジョータローたちやしんのすけたちと談判しました。何してたの、と店を出て、バーバラ。これ渡してたのよ、とミッフィーは自分たちの店の地図入りチラシを取り出しました。うちの店に来たら、あの撃墜王とやらの話を聞き出さなきゃ。そう言いながらミッフィーは犬小屋ソッピース・キャメル号の屋根にもチラシを挟みました。
 その頃店内では、ハローキティが本気モードの接客に入っていました。素性には気づきませんでしたが、女性客がいる前では決してしないことでした。ミミィら従業員たちも皆、恐怖でその場に凍りついていました。


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 トトポトミー・クリークの戦いとは、南北戦争の4年目に入った1864年5月28日から30日に、バージニア州ハノーバー郡で、北軍ユリシーズ・グラント中将のオーバーランド方面作戦の中で、南軍ロバート・E・リー将軍の北バージニア軍と対抗した戦闘を言います。
 グラントはリー軍の右翼に回り込む戦略を続け、開けた場所での会戦に持ち込もうとしましたが、リーはジュバル・アーリー中将の北バージニア軍第2軍団で、北軍ガバヌーア・ウォーレン少将の前進してくる第5軍団を攻撃する機会を伺いました。アーリーの指揮下、ロバート・E・ローズ少将とドッドソン・ラムスール少将の師団が北軍の部隊をシャディグローブ道路まで押し返しましたが、ラムスールの前衛隊が北軍歩兵と砲兵の激しい抵抗に遭って停止させられてしまいます。グラントは他の軍団長に南軍の全線に渡って攻撃を支援するよう命令しました。南軍はトトポトミー・クリークの背後の塹壕に入っていました。北軍ウィンフィールド・スコット・ハンコックの第2軍団のみがクリークを渡りましたが、すぐに撃退されました。決着のつかなかった戦闘の後、北軍は南東方面への動きを再開し、月末からのコールドハーバーの戦いに向かったのです。
 これがその時の武勲章じゃ、とジョースターさんは言いました。子どもたちはざわめきました。わお、おじいさんすごい人なんだねえ!とチャーリーもライナスも目を輝かせました。それでおじいさんどっちの軍にいたの?もちろん南軍さ!わあ!
 南軍なんて結局負けたんじゃない、とルーシーはサリーに同意を求めました。そんなこと言われても、とサリー・ブラウンは、そういえば男の子って何で南北戦争ごっこすると南軍の勝ちにしたがるんだろう、と思いました。
 さきほどまでのジョースターさんはかすかべ防衛隊を相手に、新選組には前身にあたる、文久3年(1863年)2月27日に集合し中山道を西上した200名余りの浪士からなる「浪士組」の時からおったよ、とためになるお話しをしていたのです。じゃあじゃーおじぃさん、近藤勇には会ったことある?ああ、わしは倒幕派からの二重スパイじゃったからな、時には敵の前で仲間を斬らねばならぬこともあった。聞きたいかね?……いいです、と風間くんはビビって血の気が引きました。
 しかしこの店、とジョースターさんは首を傾げました。一体わしらの目算は見当違いだったのだろうか?


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 ありがとうボリス、とバーバラはボーイフレンドをねぎらうと、ボリスは脱いだエプロンとレジの鍵を渡しながら、そう悪い売り上げじゃなかったよ、とミッフィーに報告しました。ミッフィーは受け取った鍵でレジスターからレシート総計を打ち出して、あんたテイクアウトだけじゃなくてバーテンダーもやってたの?うん、座って休ませてくれって客ばかりで断り切れなかったんだよ。ひとり入れたら後から来る客も断れないしね。バーバラ!とミッフィーは鋭く呼びました。はい、何あに?ボリスに接客させたら無資格民間人を使役した軍務違反になります。はい。ボリスの分はあんたが仕事した、ってことにしとくからね。
 でも私だけじゃ、と言いかけるバーバラに、くまのアリバイはくまにしか務まらないでしょっ?あんたがひとりでシフトをこなしていたのよ、いいわね、と言いながら、ミッフィーは内心穏やかならぬ気分でした。ミッフィーたちがハローキティの店を偵察していた間、ボリスはひとりでディヴィジョン♯1総員が稼ぎ出す注文を捌いていたのです。これはひょっとしたら、ハローキティの店に流れた客筋以上に由々しき問題でした。おかみの自分は残るとして、バニーズパブ・ミッフィーズからボリスのような従業員ばかりを置いて兄貴喫茶マッチョーズにした方が良い、と軍部上層部から編成変えが強要されるかもしれない。
 ミッフィーはさっき覗いてきたばかりのディヴィジョン♯2を思い出しました。どうもこれといって取り柄のないこねこちゃんパブのようで、サーヴィスの質なら老舗の自分たちが上という自信がある。それがまずいのではないか。ぼんくらのボリスひとりを置いておいた方が売り上げも上々なら、お客さんが求めているのはサーヴィスではなくて静けさと無関心なのではないか。ミッフィーには軍務を終えた兵卒たちが、どこの店に行く?落ち着いた店で休みたいな、あのうさぎの店?騒ぎたいならいいけど、ちょっとくつろぐにはうざいんだよな、と会話を交わしている様子が脳裏に浮かんでくるようでした。
 しんどいわあ、とミッフィーはため息をつくと、自分は事務仕事があるから適当に交替してやってて、指名があれば店に出るから、と事務室に引っ込みました。60年もやっていて後継者を育てなかった自分が悪いのかもしれない、とミッフィーはうさぎらしからぬ反省をしました。その時メラニーがノックもせずに部屋に入ってきました。


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 知られて困る秘密を握られるのは、親友であっても嫌なものです。もっとも些細な内緒ごとを知られて困るほどの相手まで親友と呼ぶのは無理があるとも言えますが、親しき仲にも礼儀あり、という言葉もありますからいちがいに何をもって親友か否かを線引きするわけにはいかず、人類みな兄弟と大きく括るならうさぎにも同じことが言えるでしょう。
 ただしうさぎのような攻防ともに心もとない小動物は、警戒心はとびきり強いのが普通です。こればかりは親友であろうと肉親であろうと隔てなく、四六時中寝首を掻かれないよう神経を張りつめさせていなければなりません。まして女友だちともなれば、親しいほどに距離感は微妙にならざるを得ません。
 ミッフィーちゃんとニナ、もといメラニーの関係はそういう種類のものでもあるば、さらにこじれたものでもありました。ミッフィープライヴェートではナインチェと呼ばれないと怒るのですが、実際はそうしてみせることで本名がナインチェプラウスであると確認させているだけで、源氏名、もといニックネームの方がはるかに世間には通りが良いのをアピールしているのが本心なのです。アギーことアーヒェもウインことウィレマインもバーバラことバルバラも、ナインチェミッフィーでいるなら自分たちがアギーであり、ウインであり、バーバラであることに特に頓着はありませんでした。女の子の大半は本名よりもニックネームで呼ばれますし、結婚すれば名字だって変わります。家柄が良ければ何某家令嬢、何某家夫人と個人名すら問題になりません。
 ですがペンフレンドから始まったミッフィーちゃんとメラニーの仲は、基本的にはいつまでもナインチェとニナのままでした。それよりもニナはメラニーと呼ばないと感じが出ないほどメラニーになっていましたが、ナインチェは不安定にミッフィーとナインチェ、ともすればうさこちゃんという呼び名の間を移ろっていたのです。お父さんのファデル・プラウスさんやお母さんのムデル・プラウスさんは、ついついナインチェをうさこと呼んでしまうことがありました。妹のクライネ・プラウスが生まれると、ミッフィーちゃんはうさこと呼ばれても大胆に無視する口実ができました。どっちのうさこを呼んでいるのよ、というわけです。第二子ができると難しいのはうさぎの世界も同じですが、その上ミッフィーの場合は事実上、一家の大黒柱でもある、という事情もありました。


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 そんなミッフィーの惑いをよそに、入るわよナインチェ、とメラニーがオフィスに来たので、もう入ってるじゃないの、とミッフィーちゃんはあからさまに不興げなそぶりをしましたが、もちろんメラニーは旧友ナインチェの癪にさわりに来たので遠慮会釈もなければ悪びれた様子もなくつかつかと窓辺に歩み寄ると、せっかくのいい季節なんだから窓くらい開けなさいよ、とブラインド・カーテンのシャッター紐を引いてがらり、と防弾二重ガラスの窓を全開しました。とたんに激しい銃撃戦、立て続けの爆発音、怒号と悲鳴が部屋の中に流れ込んできました。何だかよくわからない、黒板に爪を立てるような音まで聞こえてくるのでした。
 のどかねえ、とメラニーは煙草をくわえると魔法で火をつけ(メラニーはできるのです)、ふーっとひと口喫うとまた聞こえてくる奇妙な音に、今日は変な音がするわね、何かしら、黒板に爪を立てているような音よね。ミッフィーは投げやりに黒板に爪を立てている音じゃないの?と答えると、じゃあさっきまで部屋で流していた場違いな音楽は?とメラニーは訊きました。ミッフィーはしぶしぶドビュッシー『月の光』のフルート編曲版とラヴェル『死せる王女のための孔雀舞(パヴァーヌ)』ピアノ独奏版、と音楽趣味を白状させられる羽目になりました。悪くはないけど、とメラニーは決めつけました、職場、特にうちみたいな職場で聴く音楽じゃないわね。キャバレーに流れる音楽はリヒャルト・シュトラウスプロコフィエフみたいに満艦飾じゃなきゃ、というのがメラニーのうさぎらしからぬ持論でした。うさぎらしからぬ、とはこの場合、なかなか正鵠を獲ている、という意味合いです。
 それよりあんた何か用があって来たの?ふうん、どうして?みんなと一緒でもできた話題ならさっき話せたでしょ、とミッフィーはナインチェらしからぬカンを働かせました。そうねえ、とメラニーのわざと気をもたせるような返答に、ミッフィーはとっさにお給料なら上がらないわよ、と言わずもがなのことを口にしてしまいそうになりました。確かにこのディヴィジョン全体への手当ては規模に見合っただけの額しか下りませんが、約半額相当になるミッフィーピンハネ分を平等にすればメラニーたちの給料は上げられるのです。
 やばい、とミッフィーは思いました。ですがメラニーはため息をまたひと息つくと、そろそろお店をたたまない?と言ったのです。


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 ナインチェがオフィスに引っ込んだので、アーヒェたちの話題は何となくナインチェについての話になりました。感謝しなくちゃね、と珍しくウィレマインが話題の口火を切りました、何だかんだ言っていちばん働いているのはナインチェだもの。そう言いながら清掃用具をかたづけているので、清掃用具は用具戸棚の前のバルバラに手渡すことになります。全員の視線がバルバラに集中しました。バルバラはじわっ、と発汗するのを感じ、いっそ清掃用具ごと戸棚の中に隠れてしまいたくなりましたが、そういえば今日は営業前のミーティングがまだなのに気づきました。朱に交わればうさぎと同様なバルバラとはいえ、素がくまですから仲間たちよりは少しは物おぼえが良いのです。
 だからバルバラは、ナインチェはミーティングもしないでどうしたのかしら、とだけ言えば良かったのですが、それは先ほどのウィレマインの発言を受けるというよりも別方向にかわしてしまうことになり、さらには今日の営業はナインチェからの指示なしで動いてしまっていいいと任せられているのか、単なる物忘れか、下手に訊きにいくと私がいなくちゃ何もできないわけ?と開き直られて叱責されかねないか、どのみちミーティングをしたとしてもその内容はいつまで経っても変わり映えのしないものですから週に一回でも、月や年に一回でも、何かあった時だけにでも行えばいいのです。
 要するに気がつかないで普段通りに店を開ければ、ミーティングをしたもしないも関係なく、そのことでナインチェは何か言ってくるかもわかりませんが、ナインチェを除く4人が4人ともミーティング、何それ?とすっとぼければナインチェと言えどもそれ以上の追求はできないはずで、バルバラは束ねた矢の譬えを思い出しました。ひとりは弱くても徒党を組めば強い、というあれです。
 そう上手くいくといいけどね、と窓拭きをしていたニナがつぶやいたので、バルバラを含めた全員が大混乱に陥りました。ニナの独白はウィレマインの発言への感想か、それとも誰かの心を読んだとも解釈できるものだったからです。バルバラにとってはミーティングなしでも問題ないか、でしたが、アーヒェはウィレマインの発言には素直に肯けない以上そうはいかない、と思い、ウィレマインは口ではああ言うものの、本心では何を考えているかわからない種類の少女でした。そして彼女もまた、ニナを見透かしているとも見えました。


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 アーヒェは子どものころ、たぶん赤ちゃんの頃からナインチェちゃんのお友だちのアーヒェちゃんとして知られていました。記憶にないほどの昔からでもあり、今ならそれを利用してどれだけ自分に有利な状況を工作できたかを思うと、もっと子どもの頃から策略に長けていれば良かったとだけは悔やまれるのです。
 彼女は気弱でしたが、それはアギーという名のペルソナをかぶっている時に演じるべき役割であり、現実のアーヒェはむしろ彼女の年頃としては平均的な少女でした。それはウインがどこかしら生まれつきの巫女的存在感を放っていたり、メラニーが斜に構えた都会的な態度と田舎育ち風の押しの強さを併せもっていたり、バーバラが疑いもなく一匹のこぐまだったりするのと事情は変わらないことでした。
 ではミッフィーは?あのナインチェは、ナインチェであろうとミッフィーであろうと一見して変わらないように見えました。アギーの記憶ではほとんど物心ついた頃から、この世界的なマスコット・キャラクターの幼なじみはミッフィーであろうとナインチェであろうと変わらずに6色だけ、つまり白い紙面に黒い線以外には紫、青、緑、黄、灰、朱でできた世界の住人でした。彼女は正方形に配置またはトリミングされた空間に住み、真正面でなければ後ろ姿で、決して横顔は見せずに佇んでいました。それは遠近法からも自由な世界でした。アギーはミッフィーを羨むことはまったくありませんでしたが、アーヒェとしての彼女は(またはアーヒェが想像するにウィレマイン、バルバラ、ニナたちもアーヒェと同様のはずですが)、ナインチェはなぜキャラクターの見直しもされずミッフィーになり得ているのか、これまでともにした60年間の半分近くにおよぶかなり長い間、不可解なままでした。
 ようやくアーヒェが最近理解できた説明は、ナインチェは世界の中心点としてミッフィーちゃんと呼ばれても不動の同一性を持つ。それに対してアーヒェたちはミッフィーとの関係性によって各自の持ち場についているから、そのキャラクターは相対的なものにならざるを得ない、という解釈です。それも一応は論理的でしょう。ですが仮説に過ぎない点では決定的なものではなく、この説明はあまりに状況を固定的・静的にとらえていて、実存主義的立場からの形而上学批判に類した反発さえ感じさせました。それは自由をめぐる問題であり、まず勝ち目がないことでもあったのです。


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 だいたい私たちが戦場で働いている自体無理がなくない?とメラニーが言うので、そうでもないわよ、やってることはそれまでの私たちと大して変わりはないじゃない、とつとめて冷静にミッフィーは答えました。窓の外では味方・敵軍入り混じっての殺戮戦が繰り広げられていましたが、この店は一種の次元断層で外界から護られているので危険が及ぶようなことはなく、窓外の激戦は三次元式テレビ・モニターのようなものでしかありません。また彼女たちは軍事要員といっても赤十字社のように非戦闘員と位置づけられていましたから、もしこの地帯が敵軍の占領地になっても俘虜にはならず、軍務に変化はないのです。その意味ではミッフィーたちのディヴィジョンには敵も味方もなく、お客さまがいるだけ、とも言えます。うさぎがナイチンゲールというのも変な話ですが、慰安部隊には一応非戦闘員特権がありました。はむかわなければ、の話ですが。
 だいたいここは戦場よ、って言っていたのはニナじゃない?とミッフィーは立ち上がり、窓を閉めながら説明を求めました。あんたにああ言われてハロー何たらの店に偵察に行ってきたんじゃない、なのにあんたが真っ先に折れていたら、何のために偵察に行ってきたのかわからなくなるわ。実際自分でそう言いながら、ミッフィーちゃんはメラニーへの八つ当たりめいた憤怒がむらむらと湧いてくるのを感じました。メラニーは彼女にしてはしおらしいとも、またはあえて感情を抑えているようにも見えましたが、そうね、とあっさりと前言を認めたのでミッフィーとしては拍子抜けした思いでした。それならあんたは何をどうしたいってわけ?そうねえ、とメラニーは慎重に言葉を選んでいる様子です。そうねえ……。
 もし私たちが戦っていて、とうてい勝ち目のない戦いだとわかったらどうする?問いかけられて、ミッフィーは耳を疑いました。それってハローキティの店のこと?メラニーは答えませんでしたが、沈黙そのものが返答とも言えました。勝ち目がないってどういうこと?どうしてそんなことが言えるわけ?とミッフィーは質問をたたみかけたくなりましたが、うかつに訊き返してわからないの?と混ぜかえされるのも癪に障ります。早呑み込みをしてからかわれるのもご免です。それに本来うさぎは無口ですから、黙っているのは根くらべのようなものでした。根くらべなら負けないわ、とミッフィーは×の口を*に結びました。


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 確かにミッフィーは私たちのリーダーよ、自分から私たちの分まで働いてくれるわ、とメラニーは変装用のリボンを外しながら言いました、それに私たちは全員友だちだし(とウインをちらっと見て)、友だちのことを悪くなんか言えるかしら。そう言ってメラニーが顔を向けたのがアギーとバーバラが並んでメイクをしていた席の方だったので、アギーとバーバラは思わず顔を見合わせました。アギーたちは最近の流行りに乗って全席禁煙のお店にするのってどうかしら、いきなりじゃ何だからまず半年は分煙で、ついでにゴミ箱も撤去してゴミは持ち帰りで、そしたら手抜きできて一挙両得よね、といかにも昨今のサーヴィス業者らしい会話に花を咲かせていたのです。
 つまりはほとんど話を聞いなかったので、メラニーとウインの間に何か意見の行き違いがあり、それについて意見を求められているんじゃないかと考えました。当たらずとも遠からずと言うべきか、まるで的外れと言うべきか、メラニーとウインはまったく別々のことを考えてはいましたが、意志の疎通すらなかったのですからそもそも論議そのものが存在していなかったのです。ミッフィー不在では彼女たちはセーラームーンのいないセーラー戦士たちのようなものでした。うさぎちゃん!
 ええと何かしら、とバーバラとアギーは顔を上げると同じようなことを口を揃えてつぶやきました。ミッフィーのことよ、どう思う?どう思うって……。わからない?何を訊かれているのかも、確かにアギーたちにはわかりません。ミッフィーは頼りになるリーダーってことよ。ええ、そうね、それに友だちだし。そこよ、とメラニーは言いました。
 そこよ、とメラニーは言いました、ミッフィーは頼りになるリーダーで、それに何より友だちだわ。でもナインチェはどうかしら?
 あの、私よくわからないんだけど、とアギー、ミッフィーはナインチェよね。そうそう、とうなずくバーバラ。それにナインチェミッフィーよね。そう思っていたのが間違いだったのよ、とメラニーは言いました。
 そう思っていたのが間違いだったのよ、とメラニーは言いました、さっきの店にみんなで行って、初めて気がついた気がする。私たちはお客で行ったから、もともとの名前に戻っていて、あのお店ではミッフィーはナインチェだった。でもハローキティはきっと私たちの店にお客で来ても、やっぱりハローキティのままに違いないのよ!
 第二章完。


(五部作『偽ムーミン谷のレストラン』第三部・初出2015年4月~8月、全八章・80回完結)
(お借りした画像と本文は全然関係ありません)