人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

Cecil Taylor Jazz Unit - Nefertiti, The Beautiful One Has Come (Denmark Debut, 1965)

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Cecil Taylor Jazz Unit - Nefertiti, The Beautiful One Has Come (Denmark Debut, 1965) Full Album : https://youtu.be/4GywiubpYHs
Recorded live at the Caf?? Montmartre in Copenhagen, Denmark on November 23, 1962.
Released 1965, Denmark Debut Records DEB-148
(Side A)
1. What's New? (Johnny Burke, Bob Haggart) - 12:11
2. Nefertiti, the Beautiful One Has Come (Cecil Taylor) - 9:11
(Side B)
1. Lena : Second Variation (Cecil Taylor) - 14:21
2. Nefertiti, the Beautiful One Has Come : Second Variation (Cecil Taylor) - 8:07
(CD Bonus Tracks)
1. (Unrecorded Silence) - 1:02
2. D Trad, That's What : Second Variation (Cecil Taylor) - 20:08
[Cecil Taylor Jazz Unit]
Cecil Taylor - piano
Jimmy Lyons - alto saxophone (exept.A2)
Sunny Murray - drums

 60年10月録音の『セシル・テイラーの世界』で初めて抽象性と肉体性を両立させたアルバムに成功したものの、テイラーの音楽は商業性に乏しいあまり順調な新作録音に恵まれない、という状況は60年代いっぱい続くことになる。62年発売のギル・エヴァンス『イントゥ・ザ・ホット』(61年10月録音)はマイルスのオーケストラ作品のアレンジャーで高名なギル・エヴァンスのアルバムでも何でもなく、エヴァンスの弟子筋に当たるアレンジャーのジョン・キャリシ・オーケストラが3曲、セシル・テイラー・ユニット(ここではクインテットとセプテット)が3曲というスプリット・アルバムだった。翌62年にテイラーはジミー・ライオンズ(アルトサックス)、ヘンリー・グライムス(ベース)、サニー・マレー(ドラムス)とのカルテットで渡欧し、聴衆からの反応も良かったがすぐにグライムスがソニー・ロリンズのツアーに現地合流して引き抜かれてしまう。ロリンズはトランペットにドン・チェリー、ドラムスにビリー・ヒギンズと、隠棲中のオーネット・コールマンからメンバーまで借りたフリー・ジャズへの傾倒を深めており、グライムスの脱退自体はテイラー側も了解済みのことだった。当時渡欧中のフリーランスのジャズマンは多かったし、適任ならばヨーロッパ人でもいいから、当初テイラーとしては現地採用ベーシストでツアーを予定していたに違いない。実際これまでテイラーのバンドにベーシストを含まない編成はなかった。
 グライムスの脱退までに後任ベーシストは決まらず、暫定的にベースレスでリハーサルを続けてみて、テイラーは異例のベースレス・トリオに新しい方向性を見つける。バンド、グループ、トリオなどではなく自分たちをユニットと名乗ったのはセシル・テイラーが初めてになるが、確かにテイラーとメンバーたちはユニットと呼ばれるだけの新しいグループ・コンセプトがあった。

 1962年11月16日にトリオにアルバート・アイラーの加わったカルテットでラジオ出演した音源(1曲・21分50秒)が2004年のアルバート・アイラーの未発表音源集で発掘されたが、それからすぐの23日、コペンハーゲン(デンマーク)のカフェ・モンマルトルでのライヴ・レコーディングはアルバム2枚分になり、デンマークのフォンタナ傘下のデビュー・レーベルから『セシル・テイラー・アット・カフェ・モンマルトル』1963、『ネフェルティティ、ザ・ビューティフル・ワン・ハズ・カム』1965に分けられて発表された。日本ではデンマーク盤のリリースからすぐに日本盤が発売されたが、アメリカ本国での発売は2枚組アルバムで1975年になる。
 テイラーについてはヨーロッパや日本での評価の方が早かったのもそうした事情に起因し、ブルー・ノート・レーベルから1966年に『ユニット・ストラクチャー』『コンキスタドール』の2作が発売され、またカーラ・ブレイらの『ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラ』1968で2枚組アルバムのC・D面のフィーチャリング・ソロイストに参加した以外、アメリカ国内でのレコード発売がなかったのだ。ヨーロッパ盤オリジナルではこのカフェ・モンマルトルのライヴ2枚があり、2枚組ライヴ『グレート・パリ・コンサート』1966や3枚組ライヴ『Aの内幕』1968年なども発表ごとに日本盤がリリースされていた。テイラーがアメリカでメジャー・アーティストと認知されるのはアリスタ・フリーダム・レーベルからの『インデント』1973以降とおぼしい。

 60年代のアルバムの評価は後追いのかたちで高まったが、テイラーの音楽は同じフリー・ジャスでもオーネット・コールマンのようには親しまれ、影響力を持つようなものではなかった。オーネットのようにヴァリエーションを生み出せる手法ではなく、テイラーの音楽はそれだけ抽出して応用できない強固な構造があり、『セシル・テイラーの世界』『イントゥ・ザ・ホット』からもカフェ・モンマルトルのライヴ2枚は飛躍的にアンサンブルの密度が増している。これまでテイラーの音楽は中心となるテイラーにメンバーがぴたりとつけているようなところがあった。だがこのトリオでは、ドラムスのマレーは4ビートを叩かないどころかテイラーのピアノとも張り合って引かないようなプレイを聴かせる。A2はピアノとドラムスのデュオだからわかりやすい。サニー・マレーの発明したこのドラミング手法はパルス・ビートと呼ばれ、64年のアルバート・アイラーのアルバム『スピリチュアル・ユニティ』に参加した時には完成してフリー・ジャズに限らず広くジャズのドラム奏法に影響を与えることになる。
 また、ジミー・ライオンズのアルトサックスはチャーリー・パーカーのスタイルをそのまま持ち込み、ドラムスともピアノともつかず離れずどこまでもビバップ・マナーのインプロヴィゼーションを吹き続ける。パーカーお得意の『52丁目のテーマ』や『ソング・イズ・ユー』の引用フレーズもたびたび飛び出す。A2とB2は同じ曲だが、ピアノとドラムスのデュオのA2とアルトも加わるB2を較べると、アルトが加わった効果がよくわかる。ベースも入っていたらおそらくベースラインがアンサンブルの中心になって聴こえてしまい、セシル・テイラー・ユニットがやってのけたようなテンションの高いサウンドにはならないだろう。このアルバムはテイラーの作品でももっともシンプルで、それゆえに不動の最高傑作になったとも言える。先に発表された『セシル・テイラー・アット・カフェ・モンマルトル』の曲目も上げておく。

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[Cecil Taylor - Cecil Taylor at Cafe Montmartre]
Recorded live at the Caf?? Montmartre in Copenhagen, Denmark on November 23, 1962.
Released 1963, Denmark Debut Records DEB-138
(Side A)
1. Trance (Cecil Taylor) - 9:12
2. Call (Cecil Taylor) - 9:00
3. Lena : https://youtu.be/zFdWVFTNqUc (Cecil Taylor) - 6:58
(Side B)
1. D Trad That's What : https://youtu.be/Tx3rFerfL_k (Cecil Taylor) - 21:26
(CD Bonus Tracks)
1. (Unrecorded Silence) 1:02
2. Call : Second Variation (Cecil Taylor) - 6:37