人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

Cecil Taylor Unit - Nuits De La Fondation Maeght (Shandar, 1971)

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Cecil Taylor - Nuits De La Fondation Maeght (Shandar, 1971) : https://www.youtube.com/playlist?list=PL33663346FEA9F9F9
Recorded in St. Paul de Vence, Nice, on July 29, 1969
Released Shandar SR 10.011, 3LP, 1971
Reissued Prestige Prestige P 34003 as "The Great Concert of Cecil Taylor", 3LP, US, 1977
Unofficial reissued Jazz View 001~003 as "Fondation Maeght Nights" Volume 1 to 3 , 3CD, Italy and Germany, 1991
All compositions by Cecil Taylor.
Face A. Second Act Of A (Part 1) - 21:17
Face B. Second Act Of A (Part 2) - 20:51
Face C. Second Act Of A (Part 3) - 18:08
Face D. Second Act Of A (Part 4) - 16:11
Face E. Second Act Of A (Part 5) - 12:45
Face F. Second Act Of A (Part 6) - 20:38
[Personnel]
Cecil Taylor - piano
Jimmy Lyons - alto saxophone
Sam Rivers - soprano saxophone, tenor saxophone
Andrew Cyrille - drums

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 (Original Shandar 3LP Box Liner Cover)
 邦題『Aの内幕』、LP3枚組で集団即興演奏ライヴ全1曲という究極のフリージャズ・アルバム。規模や活動歴の上でも、発売は73年になった前作『グレート・パリ・コンサート(スチューデント・スタディーズ)』(録音1966年)、次のセシル・テイラー・ユニットのアルバム(テイラー初のソロ・ピアノ・アルバムを挟む)で73年来日公演のライヴ盤『アキサキラ』(LP2枚組、全1曲82分)と並んでテイラー最高のアルバムと言えるものだろう。録音はニースのマグー美術館で行われたコンサートで、オリジナル・フランス盤はLP3枚の分売がまず発売され、すぐに3枚組セットで1971年に発売された。日本盤はテイラー初来日公演に合わせて、『グレート・パリ・コンサート』の世界初発売ともども73年に『Aの内幕』の邦題で発売され、テイラー絶頂期の名盤として即座に高評価を得た。
 アメリカでは、テイラーの評価が主流ジャズ界でも十分に浸透した77年にプレスティッジ・レーベルから『ザ・グレート・コンサート・オブ・セシル・テイラー』と改題されてLP3枚組ボックス・セットで発売されて、ジャズ雑誌や新聞の文化欄のレコード評では満点の評価で華々しく紹介された。かなりの枚数がプレスされたらしく、中古盤ではこれがいちばん見つけやすい。中古盤価格も3枚組LPボックスで2,000円前後と内容の稀少度から見て安価なのは、プレスティッジのジャケット・デザインが汚く箱の作りも粗雑で、ジャケット不良で大きく値崩れしているからだ。だが、現在このアルバムは版権が所在不明になっているらしい。

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 (Original Shandar LP Volume 1~3 Label)
 セシル・テイラー・ユニットは、アルトサックスにジミー・ライオンズ、ドラムスにアンドリュー・シリルを基本トリオとした1966年~1973年が全盛期だった。テイラーのオーケストラ参加作、ソロ・ピアノ作品を除いて、次のアルバムがある。録音年を記載した。
1. Unit Structures (Blue Note, 1966) スタジオ盤・トリオ+4人
2. Conquistador! (Blue Note, 1966) スタジオ盤・トリオ+3人
3. Student Studies (BYG, 1966) ライブ盤・トリオ+アラン・シルヴァ(ベース)
4. Nuits De La Fondation Maeght (Shandar, 1969) ライブ盤・トリオ+サム・リヴァース(サックス)
Cecil Taylor Quartet in Europe (Jazz Connoisseur, 1969) ライブ盤・トリオ+サム・リヴァース(サックス)
5. Akisakila (Trio Japan, 1973) ライブ盤・トリオ
6. Spring of Two Blue J's (Unit Core, 1973) ライブ盤・ソロ・ピアノ+トリオ+シローネ(ベース)

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 (Reissued Prestige 3LP Box Front Cover)
 テイラーとシリル共演には後に『Incarnation』(FMP, 1999)もあるが、ジミー・ライオンズが1986年に逝去しているので全盛期ユニットの再現ではない。また、69年の『カルテット・イン・ヨーロッパ』はラジオ放送音源からのハーフ・オフィシャルなので、簡単に言えば海賊盤だから含めないなら、全盛期ユニットのアルバムは6作になる。1966年~1973年の8年間で6作は、ライヴ盤は2枚組LPや3枚組LPばかりとはいえ職業ミュージシャンとしては寡作だが、テイラーの商業的成功は73年のソロ・ピアノ作品『インデント』以降なのだから(テイラーは1929年生まれ)、よく持ちこたえたものだとも思う。アンドリュー・シリル加入以前のセシル・テイラーのアルバムはこうなる。
1. Jazz Advance (Transition, 1956)
2. At Newport (one side of LP) (Verve, 1958)
3. Looking Ahead! (Contemporary, 1958)
4. Hard Driving Jazz (UA, 1958)
5. Love for Sale (UA, 1959)
6. The World of Cecil Taylor (Candido, 1960)
Air (Candido, rec1960)
Cell Walk for Celeste (Candido, rec1961)
Jumpin' Punkins (Candido, rec1961)
7. New York City R&B (with Buell Neidlinger), (Candido, 1961)
8. Gil Evans / Into the Hot (half of volume / Impulse!, 1961)
9. Nefertiti the Beautiful One Has Come (Debut, 1962)
10. Cecil Taylor live at Cafe Montmartre (Debut, 1965, rec1962)

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 (Reissued Prestige 3LP Box Liner Cover)
 通し番号をつけていないものは後年発掘された未発表テイク集、2はLP片面のみのライヴ(もう片面はジジ・グライス&ドナルド・バード・ジャズラボラトリー)、ギル・エヴァンス名義の8は全6曲を3曲ずつジョン・キャリシ・オーケストラと分け合ったもの、9と10は同じ時のライヴを分売したものだから、通し番号で10枚にはなるが実質8作分で、1956年~1965年の10年間に8作ではやはり寡作だろう。しかもレコード会社企画のスーパー・セッション(ケニー・ドーハムジョン・コルトレーン参加)の4、プロデュースのギル・エヴァンス名義になった8を除けば、テイラーは他人のアルバムには一切参加せず、自分のレギュラー・ユニット(バンドをトリオやカルテット、または固有名詞のバンド名ではなく「ユニット」と呼んだのはテイラーが初めてだった)のメンバーにも他のバンドへの参加を原則的に禁止した。
 テイラーやベースのビュエル・ネドリンガーは裕福な家庭だったらしいが、ドラムスのデニス・チャールズは手製のドラム・セットから始めたほどだったのできつい境遇だったのは想像がつく。それでもソプラノのスティーヴ・レイシーを含めてメンバー全員がテイラーの音楽に惹かれてついていった。1~7(と未発表テイク集3枚分)がその時代に当たる。6の『セシル・テイラーの世界』はタイトル通り初期テイラーの完成型に到達したアルバムだろう。

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 (Reissued Prestige 3LP Box Inner Sheet)
 テイラーの音楽が変化したのはドラムスがサニー・マレイ、ベースがヘンリー・グライムスに変わった『イントゥ・ザ・ホット』で、アルトに新加入のジミー・ライオンズを迎えてグライムス、マレイとのカルテットでヨーロッパ・ツアーに出て、グライムスが別の仕事(ソニー・ロリンズドン・チェリー・カルテット)でツアー途中で抜けた後もベースの後任を入れずに続行した画期的ベースレス・トリオのライヴ盤が9と10になる。ライヴァルのビル・エヴァンス・トリオがベースもピアノ・コードも4ビートを刻まない、という発明をしたのに対し、セシル・テイラー・ユニットはアルトサックスが4ビートに基づく以外はドラムスとピアノは小節線を越えたパルス・ビートを打ち続ける、という手法を一気に確立した。
 全盛期ユニットのアルバム1~6は基本メンバーのライオンズ、サニー・マレイの後任アンドリュー・シリルのトリオを基本に、5年ぶりのスタジオ盤になったブルー・ノートの2枚ではゲスト管楽器とベースを加え、ベースのアラン・シルヴァは66年秋のヨーロッパ・ツアーに同行し(シルヴァはそのままヨーロッパに残留する)、後任ベーシストは加えず69年ツアーではサム・リヴァース(テナー&ソプラノサックス)が加わり2サックス・ベースレス・カルテットになり、73年には再びトリオに戻って来日公演ライヴの『アキサキラ』と、ニューヨークでのライヴでLP片面がソロ・ピアノ、片面がトリオ+ベースの『スプリング・オブ・ツゥ・ブルー・Jズ』(雄志による自主制作盤)を録音した。シリルはこれを最後にユニットを脱退する。

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 (Reissued Prestige 3LP Box Disc 1~3 Label)
 サニー・マレイはテイラーとのコンビネーションで感覚的にパルス・ビートを発明した天才型のプレイヤーだが、本領を発揮したのはセシル・テイラー・ユニットからアルバート・アイラー・トリオに移ってからという印象が強い。マレイとテイラーの両者がパルス・ビートを応酬すると効果が過剰なものに聴こえるが、テナー、ベース、ドラムスのピアノレス・トリオではマレイのドラムスは安定したバランスで在来の4ビートとはまったく違ったスウィング感を実現してみせる。マレイは直感的なだけにテイラーとは微妙に噛み合わないプレイもあったが、アンドリュー・シリルは正確で精密な分数ドラミングで、テイラーのプレイスを計算した上で理論的なパルス・ビートを叩き出すことができる、とんでもないドラマーだった。
 シリルの加入によってライオンズのアルトも4ビート感覚から抜け出すプレイが可能になったのが全盛期ユニットで、66年には優れたベーシストのアラン・シルヴァが在籍したがシルヴァ脱退後は後任ベーシストを入れず、凄腕サックス奏者のサム・リヴァースが加入して2サックスにすることで音楽的スケールを拡大したのが『Aの内幕』だった。4年おいて『アキサキラ』では初めてライオンズ、シリルとのトリオのみとなり、『~ブルー・Jズ』はA面はソロ・ピアノ、B面はトリオ+ベースで同一曲を演奏する試みで、同作を最後にシリル脱退後はテイラーはソロ・ピアノ作品とユニット作品にほぼ交互に取り組み、現代ジャズ・ピアノの巨匠という評価も73年を境に定着する。

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 (Unofficial Jazz View CD Volume 1~3 Front Covers)
 だがやはり今でもスリリングなのは1956~1962年の初期テイラー、1966~1973年の全盛期ユニット時代で、以降のテイラーは円熟期ではあるがアルバムごとに驚かされるような試みはなくなった。トニー・ウィリアムズやメアリー・ルー・ウィリアムズ、マックス・ローチ、アート・アンサンブル・オブ・シカゴとの共演などの企画はあったが、テイラー自身の音楽性が大きく転換するようなことはなくなった。フリージャズのイノヴェイターとしてオーネット・コールマンと双璧をなす巨匠ではあるが、早逝したエリック・ドルフィーアルバート・アイラーらの業績と較べてもキャリアの絶頂期を越えた以降は作風が一定化するのは仕方ないだろう。大好評だった73年の発売日来日公演を受けてすぐ決定し、欧米での評価も高まって大きな期待が寄せられた翌74年の来日公演は、テイラー自身のヴォイスやダンス・パフォーマンス交じりで大不評だったという。
 ヴォイス・パフォーマンスなら『Aの内幕』パート5の10分過ぎや終盤にも入るが、このくらいが適度で効果的だろう。73年までのテイラーのアルバムは全作品が充実しているが、現在廃盤とはいえ正規CD化された『グレート・パリ・コンサート』はまだしも『Aの内幕』と『スプリング・オブ・ツゥ・ブルー・Jズ』は正規CD化がされていない。『Aの内幕』は『Fondation Maeght Nights』Vol.1~Vol.3の3枚で分売、『Spring of Two Blue J's』は原題通りで、Jazz Viewというイタリアとドイツの共同レーベルから正規ライセンスを取らずに1991年にCD化されたのが唯一になる。『Aの内幕』はユニット絶頂期の最大アルバムとして、『~ブルー・Jズ』は全盛期ユニット時代最終作として最重要アルバムで、ソロ・ピアノ面がいっそうパーカッシヴなのに対してバンド面は『カフェ・モンマルトル』の頃よりもメロディアスなアンサンブルが聴けて、ユニットの転機を感じさせる。ともに正式で良質なCD化がなされるべきだが、『~ブルー・Jズ』は元々自主制作盤なのでどさくさ紛れでも、『Aの内幕』はインディーズとはいえ一応まともに発売されたアルバム(日本盤はRCAより)だった。Jazz View盤CDはレコード起こしで針音まで入ったCDでもある。テイラーの重要作ならジャズの基本アイテムなのだから、アーティストが健在のうちにきちんとCD再発されて再評価されてほしい。仮にパブリック・ドメイン専門レーベルでも現在は水準が上がって、手抜きの盤起こしCDなどは淘汰されているのだから。