Recorded May 14&15, 1957
Released; Atlantic SD1278, Late April/early May 1958
All songs composed by Thelonious Monk, unless otherwise noted.
(Side one)
1. Evidence - 6:46
2. In Walked Bud - 6:39
3. Blue Monk - 7:54
(Side two)
1. I Mean You - 8:02
2. Rhythm-A-Ning - 7:20
3. Purple Shades (Johnny Griffin) - 7:48
(1999 bonus tracks)
1. Evidence (alternate take) - 5:30
2. Blue Monk (alternate take) - 6:59
3. I Mean You (alternate take) - 7:34
[ Personnel ]
Bill Hardman - trumpet
Johnny Griffin - tenor saxophone
Thelonious Monk - piano
Spanky DeBrest - bass
Art Blakey - drums
アート・ブレイキーにとってもセロニアス・モンクにとっても唯一のアトランティック・レーベル作品。1958年にブルー・ノートと再契約し『Art Blakey and the Jazz Messengers』(通称『Moanin'』)で活動が軌道に乗るまで、やはりブルー・ノート作品だった『At the Cafe Bohemia, Vol. 1』1955で発足したジャズ・メッセンジャーズは1957年までにライヴ盤3枚、スタジオ盤9枚を録音しながらも契約レーベルやメンバーの安定しない、危なっかしいバンドだった。極論すれば良かったのはバンドのデビュー作である『At the Cafe Bohemia, Vol. 1』『Vol.2』と、初のスタジオ盤で『Cafe Bohemia』のメンバーからトランペットがケニー・ドーハムからドナルド・バードに替わった『The Jazz Messengers』1956だけで、以降『Moanin'』で名誉挽回するまでの1956年末~のジャズ・メッセンジャーズは1年足らずの間にスタジオ盤8枚、ライヴ盤1枚を制作しながらも暗黒時代とすら呼ばれている。トランペットはビル・ハードマン、ピアノはサム・ドッケリー、ベースはスパンキー・デブレストで、サックスは56年12月~57年3月上旬までのスタジオ盤3枚とライヴ盤1枚がジャッキー・マクリーン、57年3月中旬~57年8月のスタジオ盤5枚がジョニー・グリフィンになる。
暗黒時代のメンバーはブルー・ノート復帰作『Moanin'』でリーダーのブレイキー以外全員総入れ替えになるのだが、メッセンジャーズはメンバー交替ごとにメイン作曲家と音楽監督がブレイキーの指名で変更されるバンド運営をとっており、歴代メッセンジャーズもすでに、前身のアート・ブレイキー・クインテット時代からホレス・シルヴァー→ケニー・ドーハム→ドナルド・バード、ハンク・モブレー→ジャッキー・マクリーン、ビル・ハードマン→ジョニー・グリフィン、ビル・ハードマンと変遷を重ねていた。マクリーン(アルトサックス)とグリフィン(テナーサックス)は日本でも人気の高い優れたジャズマンだが、ハードマンはリスナーにはあまり高く評価されないトランペット奏者ながらバンドではアレンジの力量が重用されていたらしく、マクリーンもグリフィンもリーダーというよりはソロイスト体質だから主導権はアレンジャー指向のあるハードマンに委ねていたと思われる。今回ご紹介するのはそんな時代のメッセンジャーズ作品で、ピアノのドッケリーの替わりにセロニアス・モンクをピアニストに迎えてモンク曲集のフルアルバムを作ってしまった大胆な企画だった。
(Original Atlantic "Art Blakey's Jazz Messengers with Thelonious Monk" LP Liner Notes)
プレスティッジ移籍後の「Blue Monk」は54年9月22日初録音でドラムスはブレイキー。また、モンクの代表曲に数えられるようになった「Rhythm-A-Ning」はすぐにライヴ・レパートリーになり、名盤『Mulligan Meets Monk』57.8や『Thelonious in Action』58.8でリヴァーサイド移籍後の代表曲になったが(モンクの新曲多産時代はブルー・ノート、プレスティッジで終わり、以降はアルバムごとに新曲は1、2曲になった)、実は「Rhythm-A-Ning」初演はこのメッセンジャーズへのゲスト参加アルバムだった。また、前述のいきさつで新生メッセンジャーズには起用されなかったジョニー・グリフィンは「Purple Shadows」(「小さなスナック」ではない)の1曲を提供しているが(モンクの曲と並ぶと見劣りするが)、ソロイストとしてリヴァーサイド・レーベルに移籍してきたのでモンクのライヴのレギュラー・テナーマンになり傑作ライヴ『Thelonious in Action』と『Misterioso』(同日録音)を残した。グリフィンは40年代半ばからモンクに師事しており、グリフィンとモンクの初の共演録音としても『Art Blakey's Jazz Messengers with Thelonious Monk』は意義のあるアルバムになった。
(Original Atlantic "Art Blakey's Jazz Messengers with Thelonious Monk" LP Side1 Label)
ただし演奏はかんばしくない。モンクのセッションではブレイキーは的確なドラミングでサウンドに安定感をもたらしていたが、ここではブレイキーはリーダーシップを意識するあまりドラムスがバンドから乖離している。モンクのピアノも遠慮がすぎて、テーマ部やホーンのソロの背後でもほとんどピアノを弾いていない。ブレイキーに過度の遠慮をしているともとれるし、ブレイキーのリーダーシップによる自作曲のアレンジには不満があったのかもしれない。未発表アルバムとしてずっと後年に発売されたら、リハーサル段階の音源と見做されても仕方ないくらい演奏にムラがある。
(Original Atlantic "Art Blakey's Jazz Messengers with Thelonious Monk" LP Side2 Label)
その『Monk's Music』57.6の次にモンクとブレイキーが共演したのはディジー・ガレスピー(トランペット)、カイ・ワインディング(トロンボーン)、ソニー・スティット(アルトサックス)、モンク(ピアノ)、アル・マッキボン(ベース)、ブレイキー(ドラムス)のセクステットによる「Giants of Jazz」の世界ツアー(71年9月~11月)で、リーダーはガレスピーとブレイキーだった。ライヴ盤も数枚出たがモダン・ジャズの名曲オン・パレードのショー的なものだった。モンクは『Monk's Blues』68.11を最後にコロンビアとの契約も満了して更新しなかったので、ツアー途中ロンドンでインディーズのブラック・ライオン・レーベルからアルバム制作の依頼を引き受けてソロ・ピアノ10曲11テイク、うち1曲がアドリブのみの新曲と、マッキボン/ブレイキーとのトリオで8曲を71年11月15日の1日で録音した。マッキボンもブルー・ノートのSP録音時代に共演しているが、モンクはツアー中もレコーディング中もブレイキーとマッキボンとはひと言も会話しなかったという。このセッションは『Something in Blue』 『Nice Work in London』『 Blue Sphere』『The Man I Love』の4枚のLPに分けて発売されたが、現在ではCD3枚の『London Collection Vol.1』~『Vol.3』に録音順にまとめられている。これがモンクの公式スタジオ録音の最後になった。ブレイキーは奇しくもモンクのデビュー作と遺作の両方に参加したことになるが、その意味合いはまったく違ったものだったろう。