人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

魍猟綺譚・夜ノアンパンマン(62)

 内容がきわどいので毎回びくびくものでお送りしている夜ノアンパンマンですが、この作文がリアリズムを尊び現実暴露を目的とするからにはそれも仕方がありません。その頃、朝の早いしょくぱんまんはいちごミルクちゃんとまだカーセックスをしていました。相手がいちごミルクちゃんに限らず、若い女の子なら誰でも車に乗ればしょくぱんまんの毒牙にかかるのですから、いっそしょくぱんまん号はカーセックス仕様にすれば良い、とも思われるほどですが、さすがにそれは公衆道徳上はばかられるとあっては、しょくぱんまんも今ある設備でがまんしなければいけません。しょくぱんまんしょくぱんまん号とセットで存在するからこそしょくぱんまんなのであり、それ以外にしょくぱんまんのあり方は考えられませんでした。たとえばカレーというものなしにカレーパンマンがあり得ないようなものです。
 しかし世界にはその逆の可能性もあり得たので、カレーパンはあってもカレーのない世界、をも想像できないことはありません。つまりカレーパンの具としてしかカレーの存在しない世界ですが、その場合なかなかカレーだけをパンから取り出して料理と供しようという発想にはいたらないのではないか。生理用品やコンドームを買うとどこのお店の店員もわざわざ中の見えない紙袋に入れてくれますが、カレーパンだけがありカレーだけでは存在しない世界とはこれと同じではないかと思われ、シールで結構ですとはいかないのではないか。
 一方、ティッシュペーパーのように汎用性の高いものは、性交時に大量消費されるにもかかわらずシールでよろしいですか?で済まされます。赤ん坊の紙おむつもシール。ですが介護用の紙おむつならばプライヴァシーと人間の尊厳がかかっていることも少なくないでしょう。もっともそれを言えば、婦人用化粧品ほどあられもないものはないわけで、男性が隠れて通信販売でアダルトグッズを購入するのと同等以上に隠蔽されるべきものでなければならないはずです。世界の性差の均衡には明らかな偏差があると言わざるを得ません。
 ですが均衡の崩れがまったくなければすべてのものは不動になり、朝になってもアンパンマンは起きてけないでしょう。正確には起きてこなかったのではなく、目は醒めていても起きられなかったのですが。
 こうしてる場合じゃないぞ、とばいきんまんは思いました。世界を救えるのはもうばいきんまんだけなのです。