人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

NEU! - NEU! (Brain-Metronome, 1972)

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NEU! - NEU! (Brain-Metronome, 1972) Full Album : https://youtu.be/vQCTTvUqhOQ
Recorded in December 1971 at the Windrose Studios (Dumont-Time), Hamburg.
Released by Brain-Metronome 1004, 1972
All songs written and composed by Klaus Dinger and Michael Rother.
(Side one)
1. Hallogallo (Play on "Halligalli", a German slang term for "wild partying", with the word "hallo" being German for "hello") - 10:07
2. Sonderangebot (Special Offer) - 4:51
3. Weissensee ("White Sea" or "White Lake"; Weissensee is a town in Carinthia, Austria, and a borough of Pankow, Berlin) - 6:46
(Side two) - Jahresubersicht (Year Overview)
4. Jahresubersicht (Part One): Im Gl??ck ("Lucky") - 6:53
5. Jahres??bersicht (Part Two): Negativland ("Negative Land") - 9:47
6. Jahres??bersicht (Part Three): Lieber Honig ("Dear Honey" or "Preferably Honey") - 7:18
[ Personnel ]
(Band members)
Michael Rother - guitar, bass guitar
Klaus Dinger - drums, guitar, koto
(Additional personnel)
Konrad "Conny" Plank - producer, engineer

 西ドイツのロックは際物、二流の代用品というニュアンスでクラウトロック(Krautrock)と呼ばれてきたが、英米ロックの模倣ではないアーティストにおいては積極的に反時代的な先駆性で隔世的な現代ロックを先取りしていたのではないか、と再評価が高まっていったのが1990年前後の5年間だった。アンコールに応えるようなかたちで多くのバンドが長く廃盤になっていたアルバムを再発売し(直前まではとんでもないプレミアがついていた)、当時は70年代クラウトロックのミュージシャンも40代後半~50代始めだったから盛んに再結成し、日本のユーロ・ロック専門誌「マーキー」のクラウトロック特集が1991年秋号、「マーキー」によるB5判250ページの大冊『ジャーマン・ロック集成』刊行が94年8月なのもそれを反映したものだったが、国際的に決定的なクラウトロック評価はイギリスのミュージシャン(ex.ティアドロップ・エクスプローズ)で音楽批評家のジュリアン・コープ著『Krautrock Sampler』が1995年に刊行されたことだった。「マーキー」よりは一般リスナー向きの「レコード・コレクターズ」誌も英米ポピュラー音楽中心の同誌では異例のクラフトワーク特集を97年3月号、またカン・ソロ・プロジェクト来日予定に合わせた(来日はメンバー急病で中止になったが)ジャーマン・ロックとカンの特集号を2000年6月号で組んでいるが、すでにジャーマン・ロックとはコープの定義するクラウトロックと同じ意味で使われていた。コープは2007年にクラウトロックと同じ重要性を日本の70年代ロックに指摘した『Japrock Sampler』(翻訳あり)を刊行し、欧米でもコープの著作で論究された日本のアルバムが次々インディーズから独自CD化される、という現象も起きた。
(Original Brain-Metronome "NEU!" LP Gatefold Cover Right & Left Side)

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 クラウトロックをジャーマン・ロック全体から「英米ロックの模倣ではないもの」とより分けるのはすでに日本のマーキー誌の評価軸にもあったのだが、英米スタイルのバンドにも良いアルバムがあり、ことさら排除するような極端さはなかった。コープの評価は徹底しており、それまで漠然と英米ロック・スタイルのバンドまで含めてクラウトロックと呼ばれていたものを、はっきり「ドイツ人の演奏する英米ロック」と「クラウトロック」に大別し、前者はまったく評価の対象としなかった。その賛否はさておき(筆者は狭量と考える)、コープによる評価からクラウトロックの重要バンド(アーティスト)のデビュー作を10組上げると(派生・合流バンドは複数で1組とする)、
・カン『Monster Movie』1969
・アモン・デュール『Psychedelic Underground』1969/アモン・デュールII『Phallus Dei』1969/エンブリオ『Opal』1970
タンジェリン・ドリーム『Electronic Meditation』1970
グル・グル『UFO』1970
クラスター(Kluster)『Klopfzeichen』1970/クラスター(Cluster)『Cluster』1971/コンラッド・シュニッツラー『Schwartz』1971/ハルモニア『Musik von Harmonia』1974
クラフトワークKraftwerk』1970/ノイ!『NEU!』1972/ラ・デュッセルドルフ『La Dusseldorf』1976
・ポポル・ヴー『Affenstunde』1971
ファウスト『Faust』1971/スラップ・ハッピー『Sort of Slapp Happy』1972
アシュ・ラ・テンペルAsh Ra Tempel』1971/アジテーション・フリー『Malesch』1971/アシュ・ラ『New Age of Earth』1976
クラウス・シュルツ(ex.タンジェリン・ドリームアシュ・ラ・テンペル)『Irrlicht』1972
 といったところになる。これらのアーティストのほとんどが70年代にはすでに日本盤LPの発売があったが、当時の日本のユーロ・ロック・リスナーが好んでいたプログレッシヴ・ロックハード・ロックとはかけ離れた音楽だったため一部のマニア以外には不人気だった。
 (Original Japanese Metronome "NEU!" LP Front Cover)

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 とりわけ前記アーティストで劇的に再評価が進んだのはノイ!だった。ノイ!への注目は70年代にすでにデイヴィッド・ボウイ、ブライアン・イーノが言及していたが、邦題やアルバム帯のキャッチコピーにあるように、スペース・ロック系プログレッシヴ・ロックとして広告されていた。デビュー・アルバムなのに『ノイIII』なのは、日本では1976年にサード・アルバム『NEU! '75』が『電子空間/ノイ』の邦題で本邦デビュー作として発売され、翌77年にセカンド・アルバム『NEU! 2』が『電子美学/ノイII』として先に発売されたので、最後に発売されたデビュー・アルバム『NEU!』は『宇宙絵画/ノイIII』になったのだった。ノイは『NEU! '75』を最後に解散していたが(ローターはハルモニア、ディンガーはラ・デュッセルドルフに分かれた)、日本初発売のサード・アルバムのキャッチコピーが「常軌を逸したプログレハード・ロックの結実が、ここに炸裂する!」だと知ったら大爆笑しただろう。確かに『NEU! '75』はローターのスペーシーなA面、ディンガーのパンキッシュなB面に整理されたアルバムだったが、ノイ!の3作はアルバムごとにカラーの違いはあるにしても、ピンク・フロイドキング・クリムゾン、イエスらのプログレッシヴ・ロックとは何の共通点もない。ローターとディンガーはデビュー当時のクラフトワークのライヴ要員で準メンバーだったが、クラフトワークのラルフ&フローリアンのコンセプト主義とも無縁な音楽をやり出したのがノイ!だった。『NEU! 2』1973と『NEU! '75』のアルバム・ジャケットも人を食ったものだった。帯が面白いから日本盤を掲載する。黒地に白抜き文字のものが『NEU! '75』になる。
(Original Japanese Metronome "NEU! 2" & "NEU! '75" Front Cover)

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 このおめでたいくらいハレハレユカイなファースト・アルバムが(ジャケットからしプログレッシヴ・ロックではまずあり得ないポップアートではないか)、5年遅れで1977年当時SFブームのマスメディア向けとはいえ『宇宙絵画/ノイIII』もあんまりだが、収録曲の邦題もあんまりなものになっている。
 (Original Brain-Metronome "NEU!" LP Liner Cover)

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A1. 宇宙絵画
A2. 不思議な惑星
A3. 白い銀河
B - Jahresubersicht
1) 遊泳
2) 軟着陸
3) 月世界~恍惚の時
*
 原題のニュアンスは曲目リストに英語版ウィキペディアの注釈を添付した。直訳すれば、A1は「やあ!」、A2は「特別提供」、A3はオーストリアの地名だが一般名詞としては「白い湖」と、ごくあっけない。A1「Hallogallo」は「Hello」のドイツの与太者風あいさつだそうだから「よお!」とか「ちーす!」くらい崩しても良さそうだ。B面の総タイトルは「年間概要」で、(1)は「ラッキー」、(2)は「意地悪な国」、(3)は「可愛い子ちゃんへ」と、いったいどこから宇宙絵画が出てきたものやら、日本のバンドで言えば外道に近いセンスを感じる。つまりタイトルなんか曲の区別のために適当につけているだけで、一応アシッド・エレクトリック・フォーク調のヴォーカル曲B3に「可愛い子ちゃんへ」とついていたりはするものの、全体的には極端に平坦な8ビートにフレーズをなさない各種楽器が現れては消えていく。
 (Original Brain-Metronome "NEU!" LP Side1 Label)

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 ところがこのアルバムが90年代に入るやいなや元祖ハウス、元祖トランスの金字塔とされ、前述したクラウトロックのアーティストでも屈指の先駆性を誇る大傑作と一躍伝説化し、大して人気もなく中古市場に出回っていたノイ!全3作はあっという間にプレミア盤になった。多くの現役アーティストがノイ!に言及し、90年代のロック系音楽の源流をただひとつのバンドに絞るとすればノイ!以外ないんじゃないか、というほどノイ!はミュージシャンズ・ミュージシャンになった。カンやクラフトワーク、アシュ・ラを始めとしてハウスやトランスを予見していたようなサウンドのバンドはクラウトロックには他にもいる、だが純度がいちばん高いのはノイ!だったのではないか。そして実際ノイ!を参照したサウンドを自称するバンドも現れた。その点ではノイ!の異常人気は軽薄ですらあった。だが肝心のノイ!のアルバムは再評価の到来とともに市場から姿を消していた。発売権すら不明だった。
 そしてこの時のクラウトロック再評価ブームで明暗を分けたのは、カンのように徹底的にバンド自身が版権管理をしている例などほとんどなく、インディーズによる再発ならずさんでも正式なだけまだマシで、版権自体が不明になっている場合はがんがん海賊盤CDが横行したことだった。当然音源はレコード盤起こしで、ジャケットもオリジナルの版下ではなくレコード・ジャケットから複写したものだった。バンド側が直接LP時代の発売元レコード会社と交渉して著作権を確保し、オリジナルのマスター・テープとジャケット版下原盤から正式な再発売され直されてようやく一通りの正式CD化が揃ったのは90年代末のことで、今でも全国チェーンの大型輸入・中古CDショップでは格安品扱いにされた海賊盤再発CDがよく見かけられる。ノイ!の3作も海賊盤3in2CDが輸入盤店の隠れたベストセラーになっていたので、正規再発後に買い直した人が一斉に手放したものが中古バーゲン品になっているが、逆に海賊盤で聴いてノイ!に期待外れ感を持った人もいただろう。90年代に一切クラウトロック海賊盤CD化がなかったら、かえって飢餓感が高まったか、一向に実物を聴けないので興味があるリスナーも痺れをきらして関心を失ってしまったかは一概には言えないものがある。
 (Original Brain-Metronome "NEU!" LP Side2 Label)

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 ノイ!の特徴的な8ビートはロック的なバック・ビートでもディスコ的なオン・ビートでもない均等なものでニュアンスが欠如しており、結果的に小節感がほとんど消失する、という通常なら音楽的に成立しないものだった。ドラムスのクラウス・ディンガーがそういうドラムを叩く一方(1996年のラ・ノイ!名義の来日公演では1曲90分という曲目もあったという)、ギターとベース兼任のミヒャエル・ローターは小節単位ではない音響的発想の演奏で、要するにまったく曲を演奏するという意識がないのがノイ!のアンサンブルであり、音楽的発想だった。これはミニマリズムポリリズム・ポリトーナルといった音楽理論的背景から由来したものではない。思いついても演奏しようとすれば既成の音楽概念がリズムや拍節にニュアンスをつけてしまうのが普通なのだが、ディンガーとローターは普通ではなかった。
 どう普通でなかったかは何となく当時の文化的背景から想像すれば的外れでもない気がするが、ディンガーとローターがやっていたことは音楽の演奏ではなく、トリップの過程がたまたま音楽化したものだったのだろう。80年代になって彼らはノイ!の再結成に動きライヴ活動もするが、70年代のノイ!は3作のアルバムを発表しながら公式なライヴは判明する限り1度きりだったらしい。レコード制作だけで生計が立ったとは思えないから職業的ミュージシャンですらなかったわけで、ノイ!の解散以降も彼らは別々のバンドでアルバムを発表しているが、ノイ!ほど極端に反音楽的な音楽ではなかった。そんなノイ!が最高の再評価を受けていたのが1990年代なのだが、それから15年~25年も経っている。ノイ!はどちらかといえばディンガーのバンドだったのは、ディンガーは他人のバンドでは通用しないドラマーだったことでもこじつけられるが、そのディンガーも2008年、享年61歳で世を去った。これからノイ!を知る人にこの音楽がどう聞こえるか、ちょっと教えてほしいような気もする。