人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

Jefferson Airplane - Surrealistic Pillow (RCA Victor, 1967)

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Jefferson Airplane - Surrealistic Pillow (RCA Victor, 1967) Full Album : https://youtu.be/HRs4xKVRUhA
Recorded on October 31 - November 22, 1966 in RCA Victor's Music Center, Hollywood, California
Released in February 1967 as RCA Victor LSP-3766 (stereo) & LPM-3766 (mono), #3 on the Billboard album chart, gold album by the RIAA.
(Side one)
1. She Has Funny Cars (Jorma Kaukonen, Marty Balin) - 3:14
2. Somebody to Love (Darby Slick) - 3:00 (Single Released: April 1, 1967/#5)
3. My Best Friend (Skip Spence) - 3:04
4. Today (Balin, Paul Kantner) - 3:03
5. Comin' Back to Me (Balin) - 5:23
(Side two)
1. 3/5 of a Mile in 10 Seconds (Balin) - 3:45
2. D.C.B.A.-25 (Kantner) - 2:39
3. How Do You Feel (Tom Mastin) - 3:34
4. Embryonic Journey (Kaukonen) - 1:55
5. White Rabbit (Grace Slick) - 2:32 (Single Released: June 24, 1967/#8)
6. Plastic Fantastic Lover (Balin) - 2:39
[ Personnel ]
(Jefferson Airplane)
Marty Balin - vocals, guitar, album design
Jack Casady - bass guitar, fuzz bass, rhythm guitar
Spencer Dryden - drums, percussion
Paul Kantner - rhythm guitar, vocals
Jorma Kaukonen - lead guitar, vocals
Grace Slick - vocals, piano, organ, recorder
(Additional personnel)
Jerry Garcia - guitar on "Today", "Comin' Back to Me", "Plastic Fantastic Lover"
Herb Greene - photography
David Hassinger - engineering
Rick Jarrard - production

 ヴァニラ・ファッジ、アイアン・バタフライと続けてきたので新年からこれにする。昨年7月ラヴの初期アルバム4作をご紹介した拙文のくり返しになるが、1966年~1967年のアメリカのロックは急激な展開期を迎えて煮えたぎっていた。ザ・シーズや13thフロア・エレヴェイターズ、チョコレート・ウォッチ・バンドらガレージ・サイケ勢、グレイトフル・デッドやクイックシルヴァー・メッセンジャーズ・サーヴィス、ビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニー、マッド・リヴァーらサンフランシスコのヒッピー系、ザ・バーズフランク・ザッパマザーズ・オブ・インヴェンジョン、ラヴ、バッファロー・スプリングフィールドやザ・ドアーズらロサンゼルスの実力派たち、シカゴのバタフィールド・ブルース・バンド、ニューヨークのボブ・ディランやブルース・プロジェクト、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、これだけ群雄割拠の(まだまだいるのだ)60年代アメリカン・ロックでもジェファソン・エアプレインの存在は際立っている。
 エアプレインのデビュー・アルバム『Takes Off』(1965年12月~66年3月録音・1966年8月発売)の時点でビートルズの最新作は『Yesterday and Today』(アメリカ編集盤66年6月)と『Revolver』(アメリカ盤66年8月)、ストーンズは『Big Hits』(アメリカ編集盤66年3月)と『Aftermath』(アメリカ盤66年6月)、ザ・フーはデビュー作『My Generation』(65年12月)、ボブ・ディランは『Blonde on Blonde』(66年5月)、ザ・バーズは『Fifth Dimension』(66年7月)だった。ラヴのデビュー作が66年3月とずば抜けていたのには一歩遅れたが、ジェファソンの先進性と当時のロックの最前線のすごさがよくわかる。エアプレインはデビュー作でビートルズストーンズボブ・ディランザ・バーズと競合する水準に達していた、と言える。ラヴと同じエレクトラからバタフィールド・ブルース・バンドが『East West』をジェファソンのデビュー作と同月発売していたが、これは66年12月発表のクリームのデビュー作『Fresh Cream』とともにセカンド・アルバム以降のジェファソン・エアプレインの急激なサウンド強化に影響を与えることになった。
(Original RCA Victor "Surrealistic Pillow" LP Liner Cover)

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 ラヴはデビュー作発売から早くも半年後の66年9月・10月には、ストーンズの『Out of Our Heads』『December's Children』『Aftermath』のエンジニア(当時はプロデューサーはマネジメントを表し、サウンド・プロデュースを勤めていたのはエンジニアだった)デイヴ・ハッシンガーをエレクトラ・レーベルのハウス・エンジニアのブルース・ボトニックとの共同エンジニアに迎えたセカンド・アルバム『Da Capo』を録音、11月に発売した。ラヴのアルバム録音完了を待っていたようにジェファソン・エアプレインはセカンド・アルバムをデイヴ・ハッシンガーの録音で開始した。当時としては1か月の録音期間は画期的に長い(ドアーズのデビュー作は毎晩3時間で1週間だった)。
 ラヴ、ジェファソン、グレイトフル・デッド、ママス・アンド・パパス、ドアーズ等ロサンゼルス~サンフランシスコの新しいロックがハッシンガーのエンジニアリングによるサウンドを求めたのは、ハッシンガーが「Satisfaction」から「Paint It Black」の時期のストーンズのほぼ専属録音エンジニアだったからだろう。ジョージ・マーティンにプロデュースを頼むのは不可能だが、ハッシンガーなら依頼できる。ビートルズサウンドは真似ができないがストーンズサウンドなら参照できる、という風潮があったと思われる。
(Original RCA Victor "Surrealistic Pillow" LP Side1 Label)

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 1966年の目立った動きは、ストーンズでは他には『Got Live If You Want It!』(アメリカ独自盤66年11月)、が発表されている。他に特筆すべきはビーチ・ボーイズ『Pet Sounds』(66年5月,『Blonde on Blonde』と同日!)とフランク・ザッパマザーズ・オブ・インヴェンジョン『Freak Out!』(66年8月,『Revolver』と同月!)で、ザ・バーズやラヴとともにロサンゼルスのトップ・バンドであり、60年代アメリカン・ロックの記念碑的作品となる。66年11月(実売は10月説もある)にはアルバム・タイトルに初めてサイケデリックを謳った13thフロア・エレヴェイターズ『The Psychedelic Sound of the 13th Floor Elevators』とブルース・マグース『Psychedelic Lollipop』、ザ・ディープ『Psychedelic Moods』が同時発売され、音楽的にはヤードバーズ、ゼム、アニマルズの影響の強いものだった。また66年12月にはザ・フー『Quick One』と前述のクリームのデビュー作も発表されたが、ロサンゼルスから渡英してきたジミ・ヘンドリックスのデビュー・シングル「Hey Joe」がぶっ飛ばしてしまう。
 エレクトラが送り出したロサンゼルスのカルト・シンガー、ティム・バックリィのデビュー作が66年10月でセカンドが66年8月、やはりロサンゼルスのザ・ドアーズとバッファロー・スプリングフィールドのデビュー・アルバムは67年1月で、ニューヨークからのフランク・ザッパへの返答ともいうべきヴェルヴェット・アンダーグラウンドのデビュー作が67年3月だが、カントリー・ジョー&ザ・フィッシュのデビュー作が67年5年、サンフランシスコとロサンゼルスからメンバーが集まったモビー・グレープは67月6月にデビュー作、ニューヨークのアンダーグラウンド・シーンでヴェルヴェットの宿敵パールズ・ビフォー・スワインが67年10月だからだいぶ遅い。しかし、これら画期的な名盤も67年6月のビートルズ『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』で場をさらわれてしまい、同作は67年度グラミー賞年間最優秀アルバム賞を受賞する。ビートルズに対抗できるのは唯一新人ジミ・ヘンドリクスだけで、67年5月のデビュー・アルバムは全米年間アルバム・チャートNo.1になり、11月の『Bald as Love』(クリームのセカンド・アルバムと同月)もビートルズと異なる土壌で拮抗し得る唯一のサウンドを持っていた、といえる。
(Original RCA Victor "Surrealistic Pillow" LP Side2 Label)

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 バッファロー・スプリングフィールドのセカンド・アルバム『Again』(67年10月)、ラヴのサード・アルバム『Forever Changes』(67年11月)、13thフロア・エレヴェイターズのセカンド・アルバム『Easter Everywhere』(67年11月)も1967年のアメリカン・ロックの傑作としては10指に入るものだったが、ドアーズだけがデビュー作に続いてセカンド・アルバム『Strange Days』(67年9月発売)を大ヒットさせ、バッファローやラヴはもちろん13thフロアやヴェルヴェットなど問題にならない一人勝ちをしていた。ザッパ&マザーズグレイトフル・デッドはライヴでは根強い支持者を広げていた。こうして有力バンドを見ていくと、ドアーズのデビュー作の翌月に、デビュー作以後メンバーチェンジによってさらに強力なバンドになり、デイヴ・ハッシンガーの録音によるセカンド・アルバム『Surrealistic Pillow』で勝負をかけてきたジェファソン・エアプレインはアルバム、シングルのセールス、チャート実績ともに、アンダーグラウンド出身のバンドとしては唯一ザ・ドアーズに対抗しうる存在だったといえる。まあヴァニラ・ファッジ(67年8月デビュー)もいるが、ファッジはハード・ロック系のルーツとして異なる系統と見たい。
 ヴェルヴェット、ザッパ、ジャニス、ジミ、ドアーズと並べても、世界的に同時代的な影響力がもっとも大きいバンドはビートルズストーンズに次ぐと言えるほど、ジェファソンのフォーク・ロックとブルース・ロックの混合によるサイケデリックジャムバンド・スタイル、男女ヴォーカルによるラフなコーラス、キャッチーなソングライティングとドラマティックなアレンジは模倣意欲をそそったか、サヴェージ・ローズ(デンマーク)、アース&ファイヤー(オランダ)、サーカス2000(イタリア)、フランピー(ドイツ)、フェアポート・コンヴェンションやアフィニティ、アトランティス(イギリス)、カトリーヌ・リベロ + アルプ(フランス)、フラワーズ(日本、カルメン・マキ&OZもそうだろう)など枚挙に暇がないほどのフォロワーを生んだ。これは当時の美意識ではヴェルヴェットは理解されず、またドアーズの音楽は模倣も安易な影響も許さないものだったからヴァニラ・ファッジのオルガン・ロックの方が広範な影響力を誇ったのに似ている。エアプレイン+ファッジというサウンド・スタイルは爆発的に流行したが、だからといって元祖のジェファソンらが陳腐なサウンドではなく、起点においては革新的で創造性の豊かなものだった。
(Original RCA Victor "Surrealistic Pillow" LP Inner Sleeve)

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 デビュー作では女性ヴォーカルにシグネ・トリー・アンダーソン、ドラムスは適任者がおらず本来はギタリストのアレクサンダー・"スキップ"・スペンスが担当していたが、アンダーソンは出産のため、スペンスはモビー・グレイプ参加のため脱退が決まる。ジェファソンは大手RCAヴィクターが本腰をかけて売り出した初めてのアンダーグラウンド出身バンドであり、仲間うちのバンドから女性ヴォーカルのグレース・スリック、ヴェテラン・ドラマーのスペンサー・ドライデンの加入が決まって、ジェファソン・エアプレインの黄金ラインナップが揃うことになる。LPレコードのスリーヴを見ると当時のRCAヴィクターが発売していた主流ポップスの中で、エアプレインのデビューはまったく伝統的ポップスからは無縁な、画期的な事件だったのがわかる。解散までのアルバムは、
Jefferson Airplane Takes Off (1966.8) #128 (Billboard Top 200)
Surrealistic Pillow (1967.2) #3
After Bathing at Baxter's (1967.12) #17
Crown of Creation (1968.9) #6
Bless Its Pointed Little Head (live, 1969.2) #17
Volunteers (1969.11) #13
The Worst of Jefferson Airplane (compilation, 1970.11) #12
Bark (1971.9) #11
Long John Silver (1972.7) #20
Thirty Seconds Over Winterland (live, 1973.4) #52
 で、黄金ラインナップは『Volunteers』まで。リーダーの男性ヴォーカル、マーティ・ベイリンとドラムスのスペンサーが脱退し、ヴァイオリンのパパ・ジョン・クリーチが加入。『Bark』のドラムスはジョーイ・コヴィントン、『Long John Silver』と『Thirty Seconds Over Winterland』のドラムスはジョン・バーベイタが加入している。バンドはさらにメンバーチェンジしてジェファソン・スターシップになるが、グレースばかりが目立ってヒッピー・バンドから洗練された大人の都会的ハード・ロックになってしまった。グレースの存在感に頼ったバンドの姿勢は70年代中期以降の女性ロッカーの悪しき前例に変化し、演奏面では充実していたが、内容は一過性の底の浅いものになる。エアプレイン時代の功績までもが風化したのはバンド自身が招いた事態だった。
(Original RCA Victor "Surrealistic Pillow" LP Inner Sleeve)

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 このアルバムからの2大ヒット曲はどちらもグレース・スリックがジェファソン加入前に在籍していたバンドのレパートリーで、ジェファソンのヴァージョンとは似ても似つかないのでエアプレインのアレンジ力に感心することになるが、サイケデリックという観点ではオリジナル・ヴァージョンもそれなりに筋は通っていると言える。
The Great Society - Somebody To Love (1966) : https://youtu.be/0fd7s5d_nhQ
The Great Society - White Rabbit (1966) : https://youtu.be/8LPDCdtjkx0
 先入観抜きにエアプレインの、特にデビュー作から『Volunteers』までの7作を聴くとしみじみ良いが、実は落ち着いたサウンドエヴァーグリーンな貫禄を感じさせる一連のアルバムよりも、ジェファソンはライヴがすごかったのが90年代以降次々発掘されるようになったライヴ音源で現代のリスナーにも届くようになった。グレースとスペンサーが加入したのが66年11月、スペンサーの脱退が『Volunteers』発表後の70年だから、エアプレインの黄金時代はジム・モリソン生前のドアーズとほぼ重なる。グレイトフル・デッドほどではないが、エアプレインの発掘ライヴもCollector's ChoiceやSnapperといった正規レーベルで進んでおり、クイックシルヴァーよりも多く、ドアーズのBright Midnight盤に匹敵するくらいの点数が出ている。1点お薦めするなら3枚組廉価盤ボックス・セット『Jefferson Airplane Loves You』1992で、発掘ライヴの嚆矢となったボックスでもある。後のスターシップ事大を含まない純粋なエアプレインの適切な年代順ベストとともにスタジオ録音の未発表曲、未発表ライヴ満載で、未発表曲・発掘ライヴでたどるエアプレイン史にもなっている。バーズ4枚組、ビーチ・ボーイズ5枚組、ドアーズ4枚組、ヴェルヴェット5枚組らのボックス・セットと較べてまるで評判にならなかったから国内盤でも中古価格も情けないほど安いが、これを聴くと認識が改まる。過小評価されている重要バンドの筆頭とも、過大評価されていた時期を思えばあるべき評価に落ち着いたとも言える。本当に充実していたのは1966年~1969年の足かけ4年にすぎないバンドだったが、ジェファソンを笑う者はジェファソンに泣く。今年2016年、ジェファソン・エアプレインはデビュー50周年を迎える。