人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

Love - Love (Elektra, 1966)

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Love - Love (Elektra, 1966) full album : https://youtu.be/wIKPy4PBpkk
Recorded December 1965, January 24-27, 1966
Released March 1966, Elektra KL-4001(Mono), EKS-74001(Stereo)
(Side A)
1. "My Little Red Book" (Burt Bacharach, Hal David) 2:38
2. "Can't Explain" (Lee, John Echols, John Fleckenstein) 2:41
3. "A Message to Pretty" (Arthur Lee) 3:13
4. "My Flash on You" (Arthur Lee) 2:09
5. "Softly to Me" (Bryan MacLean) 2:57
6. "No Matter What You Do" (Arthur Lee) 2:46
7. "Emotions" (Lee, John Echols) 2:01
(Side B)
1. "You I'll Be Following" (Arthur Lee) 2:26
2. "Gazing" (Arthur Lee) 2:42
3. "Hey Joe" (Billy Roberts) 2:42
4. "Signed D.C." (Arthur Lee) 2:47
5. "Colored Balls Falling" (Arthur Lee) 1:55
6. "Mushroom Clouds" (Lee, John Echols, Ken Forssi, Bryan MacLean) 2:25
7. "And More" (Lee, Bryan MacLean) 2:57
[Personnel]
Arthur Lee - Lead vocals, percussion, and harmonica. Also drums on A2,A6,A7,B6,B7
Johnny Echols - Lead guitar
Bryan MacLean - Rhythm guitar and vocals. Lead vocals on "Softly to Me" and "Hey Joe".
Ken Forssi - Bass
Alban "Snoopy" Pfisterer - Drums
with Jan.1966: A3,A4 may feature John Fleckenstein on bass and Don Conka on drums in place of Forssi and Pfisterer.

 60年代後半のアメリカでもっとも優れた最重要ロック・バンド、というのが英語版ウィキペディアのラヴの項目で、本当にこのデビュー・アルバムは素晴らしい。ザ・シーズや13th・フロア・エレヴェイターズ、チョコレート・ウォッチ・バンドのガレージ・サイケ勢、グレイトフル・デッドやジェファーソン・エアプレイン、クイックシルヴァー・メッセンジャーズ・サーヴィスらサンフランシスコの大物バンド、ザ・バーズフランク・ザッパマザーズ・オブ・インヴェンジョン、バッファロー・スプリングフィールドやザ・ドアーズらロサンゼルスの先輩後輩たち、シカゴのバタフィールド・ブルース・バンド、ニューヨークのボブ・ディランやブルース・プロジェクト、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、これだけ群雄割拠の(まだまだいるのだ)60年代アメリカン・ロックでもラヴの存在は際立っている。
 デビュー・アルバムで鮮やかに新しいサウンドを打ち出してみせたのはザ・バーズやザ・ドアーズもそうだし、イギリスではザ・ヤードバーズザ・フーもいた。だがラヴのファースト・アルバムはザ・フーの『マイ・ジェネレーション』やドアーズのファースト以上かもしれない。ジミ・ヘンドリクスMC5といったあたりは必ずしも時代の背景を背負っていないが、ラヴのデビュー・アルバムは一気にリスナーを1966年に引きずり込み、いつ聴いても新しい。『マイ・ジェネレーション』や『ハートに火をつけて』は聴くうちにその後のフーやドアーズを重ねてしまうところもあるが(ほとんどのバンドのデビュー・アルバムとはそういうものだろう)、ラヴのこのアルバムの燃焼度はすごい。イタリアのオザンナくらいしか思いつかないが、一人一殺とか明日のことは知らずというか、任侠の心に近いイメージを感じる。

 アルバム・ジャケットをご覧いただければわかるが、ラヴは当時珍しい人種混合バンドで、中央のサングラスの黒人青年がアーサー・リー(1945~2006)、当時20歳のリード・ヴォーカル/ギター/ソングライターで、ラヴはアーサー・リーのワンマン・バンドだった。チャック・ベリーやリトル・リチャードらのR&B系古典的黒人ロックではなく、アーサー・リーはビートルズボブ・ディランローリング・ストーンズとバーズに影響を受けた新しいスタイルのロックを黒人ミュージシャンとしては初めて手がけたのだった。
 ラヴがデビューしたエレクトラ・レーベルはもともとフォークとクラシック・ブルースのレーベルだったが、65年に初めてエレクトリックなモダン・ブルース・バンドのバタフィールド・ブルース・バンドをデビューさせて成功させており、バタフィールド・バンドは実質的にはブルース・ロックでユダヤ系白人と黒人の混合バンドだった。ラヴはロック・バンドとしてはエレクトラ・レーベルの初契約バンドで、当時流行のフォーク・ロック系バンドではあったがブルース色は皆無だった。

 アーサー・リーのワンマン・バンドとはいえ、白人のリズム・ギタリスト、ブライアン・マクリーン(1946~1998)の存在も在籍時の初期3作では大きい。マクリーンのヴォーカル曲や提供曲はアルバム中2曲まで、と決められていたようだが、マクリーン没後のデモ音源集で、実際はもっと多作だったと判明した通り、マクリーン担当曲は選りすぐりの名曲佳曲になった。また、マクリーンはザ・バーズ初期のローディ経験があり、バーズのデイヴィッド・クロスビーがクイックシルヴァー加入前のディノ・ヴァレンテ(実際の作者はビル・ロバーツだが、伝承歌を改作したもの)から提供されてライヴ・レパートリーにしていた『ヘイ・ジョー』をラヴのレパートリーに持ち込んだ。
 ザ・バーズのライヴを観て『ヘイ・ジョー』をコピーし、最初に録音・発売したのはロサンゼルスのアマチュア・バンドのザ・リーヴス(1965年11月発売)で、12月に録音したラヴのデビュー・アルバム版が続き(66年3月発売)、当時すでにロサンゼルスを離れて全国区のバンドになっていたバーズのクロスビーが激怒してバーズのサード・アルバム『霧の五次元』(66年7月発売)の収録曲になったという。ジミ・ヘンドリクスのデビュー・シングル『ヘイ・ジョー』は66年12月で、ジミ以前のヴァージョンはすべてザ・バーズのアレンジを基本にしたものだった。ジミはロサンゼルス時代からアーサー・リーとは親交があり、後のラヴのアルバムに1曲ゲスト参加がある他、ジミとリーの双頭バンドのプランもあったと証言がある。

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 (Love - "Love" Elektra EKS-74001 LP Liner Cover)
 ザ・ビーチ・ボーイズフランク・ザッパマザーズザ・バーズがロサンゼルスのローカル・シーンから全国区のバンドになっていた1966年には、ラヴはロサンゼルスでNo.1の人気を誇るバンドだった。メンバーの平均年齢がようやく20歳でロサンゼルスほどの大都市のNo.1バンドとはロック界自体の年齢層の若さ、薄さを感じずにはいられないが、ザ・バーズやラヴに憧れ、次の座を狙っていたのがザ・ドアーズで、大学卒のバンドだったため平均年齢はラヴよりずっと高く、ローリング・ストーンズと同年輩だった。ドアーズのドラマー、ジョン・デンズモアの自伝には、両目色違いのサングラスをかけたアーサー・リーがどれほど格好良かったか、鬱病からの精神療法を受けた時にザ・バーズのドラマーになりたかったと打ち明けて号泣したかが書かれている。
 ラヴは国道沿いにアルバム広告のビルボードエレクトラ・レーベルに提案したがエレクトラはしなかった。デビュー・アルバムとセカンド・アルバム『ダ・カーポ』(66年11月発売)はイギリスではアメリカ以上にヒットしたが、リーはツアー嫌いでイギリスどころかロサンゼルス以外への巡業も断った。ドアーズはラヴの契約レーベルならばとエレクトラ・レーベルに売り込み、エレクトラはラヴを手がけた手応えとドアーズのスター性を確信してビルボード広告を立てる強力なプロモーションを行い、セカンド・シングル『ハートに火をつけて』とデビュー・アルバムはどちらも67年夏のNo.1ヒットになり、アルバムは年間チャートでもトップ10入りする大ヒットになる。

 ラヴのデビュー・アルバムは冒頭のバート・バカラック作『マイ・リトル・レッド・ブック』とB2『ヘイ・ジョー』以外は全曲オリジナルで、アルバム片面7曲・全14曲というのもアメリカの大手レーベルの規定(片面6曲まで、全12曲まで)では当時例外的だった。エレクトラはインディーズとはいえアトランティック同様ワーナー傘下のレーベルになる。『キャント・エクスプレイン』はザ・フーとは同名異曲で、かっこいいパンク・フォーク・ロック。
 サウンド面ではザ・バーズローリング・ストーンズザ・フーを合わせてパンキッシュにした感じで、時おりダークなムードになるとストーンズの『プレイ・ウィズ・ファイア』風になる。ストーンズはまだシングル『黒くぬれ!』、アルバム『アフターマス』発表以前だから、ラヴはストーンズに影響されて先取りしたと言える。またセカンド・アルバム『ダ・カーポ』収録の『シー・カムズ・イン・カラー』はストーンズの『シーズ・ア・レインボー』に影響どころか歌詞を直接引用されている。

 バカラック作『マイ・リトル・レッド・ブック』は映画『何かいいことないか子猫チャン』挿入歌でポール・ジョーンズ時代のマンフレッド・マンの小粋な傑作だが、ラヴは強烈なリズム・リフでハードなガレージ・パンク曲に仕立て上げた。このラヴのヴァージョンがシド・バレット時代のピンク・フロイドのデビュー・アルバム『夜明けの口笛吹き』で改作され、B1の12分近いインプロヴィゼーション曲『星空のドライブ』のメイン・リフになっている。とにかく他のオリジナル曲も捨て曲というものがない。強烈な印象を残すのがいわゆる黒人ブルースとは違うニュアンスを感じさせるロックなアコースティック・マイナー・ブルース『サインドD.C.』で、アルバムの流れからはすっきり聴ける(B面はA面よりフォーク・ロック色が濃い)が、後のハード・ロック色を強めたアルバムでの再演ではもろに陰鬱になっている。
 ラヴの最高傑作はサード・アルバム『フォーエヴァー・チェンジズ』というのが定評だが、リーとマクリーンが組んでいた初期3作はそれぞれ独自のカラーがありどれもいい。『ダ・カーポ』A面など名曲がずらりと並び『フォーエヴァー・チェンジズ』でもそこまで密度は高くない。それこそビートルズか、ビートルズで言いすぎならモビー・グレープのデビュー・アルバム、とうかつにも忘れていた。60年代後半のアメリカン・ロック3大過小評価不遇バンドはラヴとモビー・グレープと13th・フロア・エレヴェイターズだろう。優れた無名バンドは山ほどいるが、この3バンドは素晴らしいアルバムを残しながら悲惨な末路をたどった。アーサー・リーさんだけは、それでもハッピーエンドの人生だったと思える。それはまたいずれ。