Pink Floyd - On Stage with Zappa (October 25th, 1969) Full Concert : https://youtu.be/A_hIUYesbCM
Recorded at "Festival Actuel" 2nd Night Show (Full Concert) , Amougies, Belgium October 25, 1969
Released by European Unofficial Release, Not on Label (Pink Floyd) PF2-1, 2007
(Tracklist) ; 1:19:59
1. Astronomy Domine (Syd Barrett) - 10:53
2. Green Is The Colour (Roger Waters) - 3:37
3. Careful With That Axe, Eugene (Roger Waters) - 10:08
4. Tuning Up With Frank Zappa - 2:48
5. Interstellar Overdrive (Barrett, Waters, Richard Wright, Nick Mason) - 21:03
6. Set The Controls For The Heart Of The Sun (Waters, Wright, Mason, Gilmour) - 13:28
7. A Saucerfull Of Secrets (Waters, Wright, Gilmour, Mason) - 18:36 *incomplete
[ Pink Floyd ]
David Gilmour - guitar, vocals
Richard Wright - organ, vocals
Roger Waters - bass, vocals, percussion
Nick Mason - drums
*Guest Appearance on track 4, 5 only - Frank Zappa on Guitar
これは存在は旧くから知られ、部分的には流通していたライヴ音源だが、2007年にこの"On Stage with Zappa"と"Astronomy Domine - The Godfathers Of Invention"のCD2種と、"Pink Floyd Meets Frank Zappa"の同一タイトルで3種類(うち1種はピクチャー・ディスク仕様)のアナログLPで一斉にヨーロッパの業者によりUnofficial Releaseされた。CDは全長79分59秒とCD収録時間限界まで収められており、LPでは1~3をA面、4~5をB面に収めた(6~7をカットした)1枚の不完全版になっている。
1969年10月時点のピンク・フロイドは『The Piper at the Gates of Dawn』1967.8、『A Saucerful of Secrets』1968.6、『More』1969.6の3枚のアルバムがあり、シングルは8枚出しているがアルバム未収録シングルはそのうち5枚・9曲で、4作目のアルバム『Ummagumma』1969.11の発売を翌月に控えていたがまだライヴ用アレンジの完成には至らなかった(ラフなメドレー形式の部分曲としては演奏していたが新作収録の新曲の大半は実験的で、ライヴには不向きでもあった)という理由もあり、デビュー作『The Piper~』から1・5、第2作『A Saucerful~』から6・7、第3作の映画サントラ『More』から2、第2作と第3作のちょうど真ん中になる1968年12月発表のシングルB面曲3の6曲が演奏されている。フランク・ザッパ主催の現代前衛音楽フェスティヴァルの演奏だから前後の搬入・撤収で2時間枠はあったと思われ、フェスティヴァルとしてはメイン・アクトに準じる厚遇だったと想像される。
翌月発表の第4作『Ummagumma』はLP2枚組大作で1枚がライヴ盤、もう1枚が4人のメンバーが1/4ずつ曲を持ち寄ったソロ・プロジェクト集的な構成になっており、ライヴは1969年4月・5月のステージから4曲が選ばれ、半年後のこのフェスティヴァルの1・3・6・7と同曲でLP1枚分になっている。5も最終候補まで残ったがアナログ盤収録時間の問題で割愛された。音質こそラジオのエア・チェック並みだが、1コンサート無編集完全収録(最終曲エンディングのフェイド・アウトはあるが)、公式アルバムでは調整されてしまう音質やバランスがここでは生々しい臨場感で記録されており、ならばまずピンク・フロイドとブート・リリースの概要を振り返るとわかりやすいだろう。
(No Label "On Stage with Zappa" CD Inner Sleeve)
ピンク・フロイドのアルバム・デビューは前記の通り1967年8月で、当時はアメリカの最新のサイケデリック・ロック・スタイルを取り入れたイギリスの新人バンドとして、初期約2年間で2時間相当のBBCラジオのスタジオ・ライヴが残されている。ただしリーダーでギター、ヴォーカル、大半の作曲を勤めたシド・バレットはデビュー作発表時には薬物濫用癖で心身を病み始めており、1967年12月までには音質良好なライヴ録音もあるが、バレットがまったく生彩を欠いている。翌1968年からはバレットはアルバム制作だけに関与し、ライヴは残りのオリジナル・メンバー、ロジャー・ウォーターズ(ベース、ヴォーカル)、リチャード(リック)・ライト(キーボード、ヴォーカル)、ニック(ニコラス)・メイスン(ドラムス)の3人に、親しいバンドからデイヴィッド(デイヴ)・ギルモア(ギター、ヴォーカル)がシドの代役を勤めることになった。シドの病状は悪化の一途で、第2作の録音でも半数以下の曲にしか参加できず、しかもそれすら創造力は傑作デビュー作の才気の片鱗もなかった。1968年3月、第2作の発売に先立ってバレットはフロイドから解雇され、ソロで活動していくことになる。
第2作発表の前後からギルモア入りのライヴ活動を本格的に始動したバンドは、その後通算1300回以上のコンサートをこなし、350種類以上のバンド非公認ライヴアルバム、スタジオ・アウトテイク集が流通した。これは70年代バンドでは活動時期がほぼ同時期だったレッド・ツェッペリンに次ぐが、ツェッペリンの公式コンサート回数は250公演、それでいてブート・リリースは400枚に達するという。フロイド同様スタジオ・アウトテイク集も多いとはいえツェッペリンの場合は同一コンサートからの別ソースも多いということになる。もっともツェッペリンやフロイドですらビートルズ(メンバーのソロ含む、特にジョンとポール)、ローリング・ストーンズ、ボブ・ディランにはかなわない。ロックのブート・リリースはこの3組のライヴ録音や流出テープから60年代末に始まったもので(クラシックやジャズではもっと早くからあったが)、ポール、ストーンズ、ディランは今でも現役アーティストだし、特にディランなどは最新ライヴばかりか掘っても掘っても未発表録音が出てくる。
デイヴ・ギルモア加入後のピンク・フロイドがほとんど切れ目なくツアーを続けていたのは『Ummagumma』1969.11(全英5位・全米74位)発表後の1970年1月~1973年11月までの4年間で、この間にフロイドは『Atom Heart Mother(邦題『原子心母』)』1970.10(全英1位・全米55位)、『Meddle(邦題『おせっかい』)』1971.11(全英3位・全米70位)、『Obscured by Clouds(邦題『雲の影』)』1972.6(全英6位・全米46位)、『The Dark Side of the Moon(邦題『狂気』)』1973.3(全英2位・全米1位)の4作を制作・発表している。ギルモア加入時はロックのライヴ・ショー形態がそれまでのパッケージ・ショー形式(5組前後のグループが数曲ずつ演奏し、主役アーティストが30分前後のトリを勤める)から、1アーティストにせいぜい1~2の前座グループ、というコンサート形式に変わった。演奏時間もメイン・アクトは90分~120分、レッド・ツェッペリンのように3時間半の超長時間演奏で評判を集める例も出てきた。バレット在籍時にはそれほど長時間化していなかったフロイドも、1971年には2時間半のステージをこなすタフなバンドになっていた。
(No Label "Pink Floyd Meets Frank Zappa"LP Front Cover)
ピンク・フロイドのライヴ音源に熱心なマニアがついているのは、活動休止宣言のあった2014年末のラスト・アルバム発表まで45年間を越える活動歴でもスタジオ・アルバム15作、公式ライヴ盤3作しかなく、うち80年代以降にはスタジオ盤4作・ライヴ盤3作しかない寡作の人気バンドなのが第1にある。しかも評価は1967年のデビュー作から1979年の『The Wall』までの11作に集中していると言ってよい。初期作品ではシド・バレット一世一代の傑作でもあるデビュー作に突出した人気があり、アメリカよりポップ色の強いイギリスのサイケデリック・ロックを代表するアルバムとしてフロイド作品でも例外的な位置にある。つまりシド・バレット期のフロイドを深追いしたければフロイドがCD化しないアルバム未収録シングルやラジオ用スタジオ・ライヴや観客録音ライヴに手を出さないでは済まない。奇跡のデビュー作の背後ではリーダーだったバレットがもう限界まできていたのがありありと記録されていて、今後も公式発売はされないだろう。
次にデイヴ・ギルモア加入後、1970年の『Atom Heart Mother』で初の全英No.1になるまでの過渡期だが、1968年はまだ数の少ないライヴと、ラジオ放送用セッションで潜伏期間だったのがライヴ音源からわかる。1969年になるとバンドは長時間のライヴに挑み、2部構成の組曲で各40分の『The Man & The Journey』を春~秋の単独コンサートで披露する。明らかにバンドによる公式発売前提の録音が残されているのだが、第2作『A Saucerful~』、映画サントラ『More』からの流用、晩秋発売予定の『Ummagumma』収録予定曲によって構成されていることから、同曲はUnofficialでしか聴けない幻の組曲になる。今回ご紹介しているライヴは『The Man & The Journey』の決定ヴァージョンが披露・録音された69年9月のアムステルダム公演の翌月になり、バンドは『The Man & The Journey』には区切りをつけていたから曲単位の(2→3のメドレーに組曲のなごりがあるが)ライヴに戻っていた。
1970年1月からはセット・リストに『Atom Heart Mother』タイトル曲、収録予定曲が先行演奏される。それは『Meddle』収録予定曲の先行演奏がされる71年6月、アルバム1枚まるごと組曲の『The Dark Side of the Moon』先行演奏開始の72年1月も同様で、プロトタイプ演奏だった曲がライヴを重ねるごとに試行錯誤されて完成型に近づいていく過程が聴ける。テンションの高さが持続していたのは『The Dark Side of~』発表後の熱狂的なツアーの最終日になる73年11月のレインボー・シアター公演までだろう。『Atom Heart Mother』から『The Dark Side of the Moon』までの4作の人気は評価の分かれる『Wish You Were Here』『Animals』『The Wall』の3作よりも安定している。ライヴでも1969年春~1972年秋が創造性がもっとも高かった(『The Dark Side of~』のスタジオ録音は72年12月完成)時期と言える。
(No Label "On Stage with Zappa" CD Under Tray Picture)
フロイドのライヴ史の分岐点となったのは74年・75年ツアーが問題で、まずアルバム片面1曲ずつのサウンド・コラージュ作品『Household Objects』の録音企画を断念、74年ツアーで先行演奏されたのは『The Dark Side of~』に加えて後の『Wish You Were Here』と『Animals』収録曲の半々だったが、これが海賊盤で早々発売され推定15万枚を売り上げる異常事態になる。そこで75年ツアーでは『Wish You Were~』収録予定曲分を先行制作しながら『The Dark Side of~』メインに『Wish You Were~』収録予定曲の磨きをかけて『Animals』予定曲も取り混ぜ、76年はお休みで1977年は『Animals』発売に合わせて前半『Animals』全曲、後半『Wish You Were Here』全曲、アンコールに『The Dark Side of~』からのシングル・カット曲でもある「Money」(全米13位)、「Us and Them」(同101位)を演奏した。
以後フロイドはアルバム先行演奏を行わなくなり、ロジャー・ウォーターズ在籍時最後の「The Wall Tour」(1980?1981)、ギルモアがリーダーとなって事実上の再結成になった「A Momentary Lapse of Reason Tour」(1987?1989)、バンドとしては最後のツアーになった「The Division Bell Tour」(1994)があって、この3回のツアーはいずれも公式ライヴ盤が発売されている(「The Wall Tour」のみ後年の発掘発売)。シド・バレットは35年あまりの闘病のまま2006年逝去、リック・ライトは2008年に逝去しており、正式な解散宣言がされてメンバー全員が70代を迎え、今後ピンク・フロイドの新作は発掘発売しかあり得ない。しかし1300回のコンサートと350点(大半はCD2枚組以上)のUnofficial Releaseは、特に1969年~1972年のライヴ音源は未発表曲でも通る完全な別ヴァージョンの宝庫で、オムニバス盤提供曲でベスト盤のみの収録曲の「Embryo」が3分の原因から10分台~30分台、「Cymbaline」が3倍の15分近く、『Atom Heart Mother』ではタイトル曲が30分台で「Fat Old Sun」が3倍の15分あまり、また「A Saucerful of Secrets」も原曲の12分から20分台、30分台の長さになるなど1曲でLP片面分(15~20分台)、LP1枚分(30分台)など、LP収録の適正時間の制約とは関係なく曲の可能性をライヴで探っている。
これは公式発売されたアルバムだけではわからないことで、ライヴ用アレンジの長大な「Embryo」は楽曲としては捨てられ、新曲「Echoes」のアレンジに流用されることになった。また、既成曲と新曲の組み合わせにサウンド・エフェクトをコラージュして組曲に仕立てる手法は「The Man & The Journey」で試みられて未発表で終わったが、『Atom Heart Mother』の小規模インスト曲「Alan's Psychedelic Breakfast」で蘇生し、アルバム『The Dark Side of the Moon』全編の構成で大成功をおさめることになる。ロジャー・ウォーターズにとってのピンク・フロイドの集大成になったのがやり過ぎの『The Wall』で、その未収録曲を集めた『The Final Cut』1983を発表したらウォーターズにはプロモーション・ツアーを行うのもフロイドを続けるモチベーションもなかった。一方残りのメンバー、特にギルモアにはピンク・フロイドでやりたいことはまだまだあった。それが1987年以降の再結成フロイドだった。
(No Label "On Stage with Zappa" CD Liner Cover)
今回はピンク・フロイドのライヴ活動全般の概括で始終してしまったが、1977年以降のフロイドのライヴは完成度を高めてスタジオ盤の再現性に狙いが定めたものになった。デビュー10周年のバンドとしては当然の成熟とも言えるが、1969年のフロイドはロック実験室のまっただ中で最先端のバンドと見なされており、イギリスではデビュー作からアルバム・チャート10位以内に必ず入る人気を誇っていたが、『The Dark Side of the Moon』以降の世界的な大ブレイクは、このライヴの1969年の音楽性からは予想されなかっただろう。
ピンク・フロイドのライヴ音源を紹介するのに『On Stage with Zappa』から始めたのは、セット・リストと演奏、録音状態が初期のフロイドの音楽性をうまく伝える好サンプルだからでもあるが、同時にこのライヴは初期フロイドの美点も弱点もはっきりと現れたドキュメントになっている。それを指摘するには今回は前置きだけで長くなってしまった。本題は次回でじっくり、お話させていただきたい。
Recorded at "Festival Actuel" 2nd Night Show (Full Concert) , Amougies, Belgium October 25, 1969
Released by European Unofficial Release, Not on Label (Pink Floyd) PF2-1, 2007
(Tracklist) ; 1:19:59
1. Astronomy Domine (Syd Barrett) - 10:53
2. Green Is The Colour (Roger Waters) - 3:37
3. Careful With That Axe, Eugene (Roger Waters) - 10:08
4. Tuning Up With Frank Zappa - 2:48
5. Interstellar Overdrive (Barrett, Waters, Richard Wright, Nick Mason) - 21:03
6. Set The Controls For The Heart Of The Sun (Waters, Wright, Mason, Gilmour) - 13:28
7. A Saucerfull Of Secrets (Waters, Wright, Gilmour, Mason) - 18:36 *incomplete
[ Pink Floyd ]
David Gilmour - guitar, vocals
Richard Wright - organ, vocals
Roger Waters - bass, vocals, percussion
Nick Mason - drums
*Guest Appearance on track 4, 5 only - Frank Zappa on Guitar
これは存在は旧くから知られ、部分的には流通していたライヴ音源だが、2007年にこの"On Stage with Zappa"と"Astronomy Domine - The Godfathers Of Invention"のCD2種と、"Pink Floyd Meets Frank Zappa"の同一タイトルで3種類(うち1種はピクチャー・ディスク仕様)のアナログLPで一斉にヨーロッパの業者によりUnofficial Releaseされた。CDは全長79分59秒とCD収録時間限界まで収められており、LPでは1~3をA面、4~5をB面に収めた(6~7をカットした)1枚の不完全版になっている。
1969年10月時点のピンク・フロイドは『The Piper at the Gates of Dawn』1967.8、『A Saucerful of Secrets』1968.6、『More』1969.6の3枚のアルバムがあり、シングルは8枚出しているがアルバム未収録シングルはそのうち5枚・9曲で、4作目のアルバム『Ummagumma』1969.11の発売を翌月に控えていたがまだライヴ用アレンジの完成には至らなかった(ラフなメドレー形式の部分曲としては演奏していたが新作収録の新曲の大半は実験的で、ライヴには不向きでもあった)という理由もあり、デビュー作『The Piper~』から1・5、第2作『A Saucerful~』から6・7、第3作の映画サントラ『More』から2、第2作と第3作のちょうど真ん中になる1968年12月発表のシングルB面曲3の6曲が演奏されている。フランク・ザッパ主催の現代前衛音楽フェスティヴァルの演奏だから前後の搬入・撤収で2時間枠はあったと思われ、フェスティヴァルとしてはメイン・アクトに準じる厚遇だったと想像される。
翌月発表の第4作『Ummagumma』はLP2枚組大作で1枚がライヴ盤、もう1枚が4人のメンバーが1/4ずつ曲を持ち寄ったソロ・プロジェクト集的な構成になっており、ライヴは1969年4月・5月のステージから4曲が選ばれ、半年後のこのフェスティヴァルの1・3・6・7と同曲でLP1枚分になっている。5も最終候補まで残ったがアナログ盤収録時間の問題で割愛された。音質こそラジオのエア・チェック並みだが、1コンサート無編集完全収録(最終曲エンディングのフェイド・アウトはあるが)、公式アルバムでは調整されてしまう音質やバランスがここでは生々しい臨場感で記録されており、ならばまずピンク・フロイドとブート・リリースの概要を振り返るとわかりやすいだろう。
(No Label "On Stage with Zappa" CD Inner Sleeve)
ピンク・フロイドのアルバム・デビューは前記の通り1967年8月で、当時はアメリカの最新のサイケデリック・ロック・スタイルを取り入れたイギリスの新人バンドとして、初期約2年間で2時間相当のBBCラジオのスタジオ・ライヴが残されている。ただしリーダーでギター、ヴォーカル、大半の作曲を勤めたシド・バレットはデビュー作発表時には薬物濫用癖で心身を病み始めており、1967年12月までには音質良好なライヴ録音もあるが、バレットがまったく生彩を欠いている。翌1968年からはバレットはアルバム制作だけに関与し、ライヴは残りのオリジナル・メンバー、ロジャー・ウォーターズ(ベース、ヴォーカル)、リチャード(リック)・ライト(キーボード、ヴォーカル)、ニック(ニコラス)・メイスン(ドラムス)の3人に、親しいバンドからデイヴィッド(デイヴ)・ギルモア(ギター、ヴォーカル)がシドの代役を勤めることになった。シドの病状は悪化の一途で、第2作の録音でも半数以下の曲にしか参加できず、しかもそれすら創造力は傑作デビュー作の才気の片鱗もなかった。1968年3月、第2作の発売に先立ってバレットはフロイドから解雇され、ソロで活動していくことになる。
第2作発表の前後からギルモア入りのライヴ活動を本格的に始動したバンドは、その後通算1300回以上のコンサートをこなし、350種類以上のバンド非公認ライヴアルバム、スタジオ・アウトテイク集が流通した。これは70年代バンドでは活動時期がほぼ同時期だったレッド・ツェッペリンに次ぐが、ツェッペリンの公式コンサート回数は250公演、それでいてブート・リリースは400枚に達するという。フロイド同様スタジオ・アウトテイク集も多いとはいえツェッペリンの場合は同一コンサートからの別ソースも多いということになる。もっともツェッペリンやフロイドですらビートルズ(メンバーのソロ含む、特にジョンとポール)、ローリング・ストーンズ、ボブ・ディランにはかなわない。ロックのブート・リリースはこの3組のライヴ録音や流出テープから60年代末に始まったもので(クラシックやジャズではもっと早くからあったが)、ポール、ストーンズ、ディランは今でも現役アーティストだし、特にディランなどは最新ライヴばかりか掘っても掘っても未発表録音が出てくる。
デイヴ・ギルモア加入後のピンク・フロイドがほとんど切れ目なくツアーを続けていたのは『Ummagumma』1969.11(全英5位・全米74位)発表後の1970年1月~1973年11月までの4年間で、この間にフロイドは『Atom Heart Mother(邦題『原子心母』)』1970.10(全英1位・全米55位)、『Meddle(邦題『おせっかい』)』1971.11(全英3位・全米70位)、『Obscured by Clouds(邦題『雲の影』)』1972.6(全英6位・全米46位)、『The Dark Side of the Moon(邦題『狂気』)』1973.3(全英2位・全米1位)の4作を制作・発表している。ギルモア加入時はロックのライヴ・ショー形態がそれまでのパッケージ・ショー形式(5組前後のグループが数曲ずつ演奏し、主役アーティストが30分前後のトリを勤める)から、1アーティストにせいぜい1~2の前座グループ、というコンサート形式に変わった。演奏時間もメイン・アクトは90分~120分、レッド・ツェッペリンのように3時間半の超長時間演奏で評判を集める例も出てきた。バレット在籍時にはそれほど長時間化していなかったフロイドも、1971年には2時間半のステージをこなすタフなバンドになっていた。
(No Label "Pink Floyd Meets Frank Zappa"LP Front Cover)
ピンク・フロイドのライヴ音源に熱心なマニアがついているのは、活動休止宣言のあった2014年末のラスト・アルバム発表まで45年間を越える活動歴でもスタジオ・アルバム15作、公式ライヴ盤3作しかなく、うち80年代以降にはスタジオ盤4作・ライヴ盤3作しかない寡作の人気バンドなのが第1にある。しかも評価は1967年のデビュー作から1979年の『The Wall』までの11作に集中していると言ってよい。初期作品ではシド・バレット一世一代の傑作でもあるデビュー作に突出した人気があり、アメリカよりポップ色の強いイギリスのサイケデリック・ロックを代表するアルバムとしてフロイド作品でも例外的な位置にある。つまりシド・バレット期のフロイドを深追いしたければフロイドがCD化しないアルバム未収録シングルやラジオ用スタジオ・ライヴや観客録音ライヴに手を出さないでは済まない。奇跡のデビュー作の背後ではリーダーだったバレットがもう限界まできていたのがありありと記録されていて、今後も公式発売はされないだろう。
次にデイヴ・ギルモア加入後、1970年の『Atom Heart Mother』で初の全英No.1になるまでの過渡期だが、1968年はまだ数の少ないライヴと、ラジオ放送用セッションで潜伏期間だったのがライヴ音源からわかる。1969年になるとバンドは長時間のライヴに挑み、2部構成の組曲で各40分の『The Man & The Journey』を春~秋の単独コンサートで披露する。明らかにバンドによる公式発売前提の録音が残されているのだが、第2作『A Saucerful~』、映画サントラ『More』からの流用、晩秋発売予定の『Ummagumma』収録予定曲によって構成されていることから、同曲はUnofficialでしか聴けない幻の組曲になる。今回ご紹介しているライヴは『The Man & The Journey』の決定ヴァージョンが披露・録音された69年9月のアムステルダム公演の翌月になり、バンドは『The Man & The Journey』には区切りをつけていたから曲単位の(2→3のメドレーに組曲のなごりがあるが)ライヴに戻っていた。
1970年1月からはセット・リストに『Atom Heart Mother』タイトル曲、収録予定曲が先行演奏される。それは『Meddle』収録予定曲の先行演奏がされる71年6月、アルバム1枚まるごと組曲の『The Dark Side of the Moon』先行演奏開始の72年1月も同様で、プロトタイプ演奏だった曲がライヴを重ねるごとに試行錯誤されて完成型に近づいていく過程が聴ける。テンションの高さが持続していたのは『The Dark Side of~』発表後の熱狂的なツアーの最終日になる73年11月のレインボー・シアター公演までだろう。『Atom Heart Mother』から『The Dark Side of the Moon』までの4作の人気は評価の分かれる『Wish You Were Here』『Animals』『The Wall』の3作よりも安定している。ライヴでも1969年春~1972年秋が創造性がもっとも高かった(『The Dark Side of~』のスタジオ録音は72年12月完成)時期と言える。
(No Label "On Stage with Zappa" CD Under Tray Picture)
フロイドのライヴ史の分岐点となったのは74年・75年ツアーが問題で、まずアルバム片面1曲ずつのサウンド・コラージュ作品『Household Objects』の録音企画を断念、74年ツアーで先行演奏されたのは『The Dark Side of~』に加えて後の『Wish You Were Here』と『Animals』収録曲の半々だったが、これが海賊盤で早々発売され推定15万枚を売り上げる異常事態になる。そこで75年ツアーでは『Wish You Were~』収録予定曲分を先行制作しながら『The Dark Side of~』メインに『Wish You Were~』収録予定曲の磨きをかけて『Animals』予定曲も取り混ぜ、76年はお休みで1977年は『Animals』発売に合わせて前半『Animals』全曲、後半『Wish You Were Here』全曲、アンコールに『The Dark Side of~』からのシングル・カット曲でもある「Money」(全米13位)、「Us and Them」(同101位)を演奏した。
以後フロイドはアルバム先行演奏を行わなくなり、ロジャー・ウォーターズ在籍時最後の「The Wall Tour」(1980?1981)、ギルモアがリーダーとなって事実上の再結成になった「A Momentary Lapse of Reason Tour」(1987?1989)、バンドとしては最後のツアーになった「The Division Bell Tour」(1994)があって、この3回のツアーはいずれも公式ライヴ盤が発売されている(「The Wall Tour」のみ後年の発掘発売)。シド・バレットは35年あまりの闘病のまま2006年逝去、リック・ライトは2008年に逝去しており、正式な解散宣言がされてメンバー全員が70代を迎え、今後ピンク・フロイドの新作は発掘発売しかあり得ない。しかし1300回のコンサートと350点(大半はCD2枚組以上)のUnofficial Releaseは、特に1969年~1972年のライヴ音源は未発表曲でも通る完全な別ヴァージョンの宝庫で、オムニバス盤提供曲でベスト盤のみの収録曲の「Embryo」が3分の原因から10分台~30分台、「Cymbaline」が3倍の15分近く、『Atom Heart Mother』ではタイトル曲が30分台で「Fat Old Sun」が3倍の15分あまり、また「A Saucerful of Secrets」も原曲の12分から20分台、30分台の長さになるなど1曲でLP片面分(15~20分台)、LP1枚分(30分台)など、LP収録の適正時間の制約とは関係なく曲の可能性をライヴで探っている。
これは公式発売されたアルバムだけではわからないことで、ライヴ用アレンジの長大な「Embryo」は楽曲としては捨てられ、新曲「Echoes」のアレンジに流用されることになった。また、既成曲と新曲の組み合わせにサウンド・エフェクトをコラージュして組曲に仕立てる手法は「The Man & The Journey」で試みられて未発表で終わったが、『Atom Heart Mother』の小規模インスト曲「Alan's Psychedelic Breakfast」で蘇生し、アルバム『The Dark Side of the Moon』全編の構成で大成功をおさめることになる。ロジャー・ウォーターズにとってのピンク・フロイドの集大成になったのがやり過ぎの『The Wall』で、その未収録曲を集めた『The Final Cut』1983を発表したらウォーターズにはプロモーション・ツアーを行うのもフロイドを続けるモチベーションもなかった。一方残りのメンバー、特にギルモアにはピンク・フロイドでやりたいことはまだまだあった。それが1987年以降の再結成フロイドだった。
(No Label "On Stage with Zappa" CD Liner Cover)
今回はピンク・フロイドのライヴ活動全般の概括で始終してしまったが、1977年以降のフロイドのライヴは完成度を高めてスタジオ盤の再現性に狙いが定めたものになった。デビュー10周年のバンドとしては当然の成熟とも言えるが、1969年のフロイドはロック実験室のまっただ中で最先端のバンドと見なされており、イギリスではデビュー作からアルバム・チャート10位以内に必ず入る人気を誇っていたが、『The Dark Side of the Moon』以降の世界的な大ブレイクは、このライヴの1969年の音楽性からは予想されなかっただろう。
ピンク・フロイドのライヴ音源を紹介するのに『On Stage with Zappa』から始めたのは、セット・リストと演奏、録音状態が初期のフロイドの音楽性をうまく伝える好サンプルだからでもあるが、同時にこのライヴは初期フロイドの美点も弱点もはっきりと現れたドキュメントになっている。それを指摘するには今回は前置きだけで長くなってしまった。本題は次回でじっくり、お話させていただきたい。