人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

はっぴいえんど - HAPPY END (キングレコード/ベルウッド, 1973)

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はっぴいえんど - HAPPY END (キングレコード/ベルウッド, 1973) Full Album : http://youtu.be/u1npuRr5xsc
Recorded at Sunset Studio, Los Angeles, October 13 to 18, 1972
Released by キングレコード/ベルウッド OFL-8, February 25, 1973
(Side A)
A1. 風来坊 (作詞;細野晴臣/作曲;細野晴臣) - 3:30
A2. 氷雨月のスケッチ (作詞;松本隆/作曲;鈴木茂) - 3:05
A3. 明日あたりはきっと春 (作詞;松本隆/作曲;鈴木茂) - 4:00
A4. 無風状態 (作詞;細野晴臣/作曲;細野晴臣) - 3:16
(Side B)
B1. さよなら通り3番地 (作詞;松本隆/作曲;鈴木茂) - 3:14
B2. 相合傘 (作詞;細野晴臣/作曲;細野晴臣) - 3:05
B3. 田舎道 (作詞;松本隆/作曲;大瀧詠一) - 2:36
B4. 外はいい天気 (作詞;松本隆/作曲;大瀧詠一) - 2:17
B5. さよならアメリカ さよならニッポン (作詞;はっぴいえんど/作曲;はっぴいえんど) - 4:35
[ はっぴいえんど ]
鈴木茂 - lead guitar, celesta, vocal
大瀧詠一 - 12st.guitar, 6st.guitar & vocal
細野晴臣 - electric bass, keyboards, 6st.guitar & vocal
松本隆 - drums & percussions, chorus

 はっぴいえんどの解散は1972年12月のスケジュール満了までと決まっていましたから、本作のための10月13日~18日のロサンゼルス・レコーディングは解散後のラスト・アルバムという決定事項でした。サード・アルバムにしてラスト・アルバムとなった本作『HAPPY END』の発売は1973年2月25日になりましたが、大瀧詠一はっぴいえんど解散前にソロ・デビュー・アルバムの録音を開始しており、1972年11月25日発売の『大瀧詠一ファースト・アルバム』のレコーディング・セッションはロサンゼルス・レコーディング出発の当日朝にも行われていたのです。細野晴臣も1973年5月25日発売のソロ・デビュー・アルバム『HOSONO HOUSE』のための曲作りを始めていました。プレイヤー指向の強く、またバンド最年少であった鈴木茂細野晴臣が仕切った数々のセッションを経てソロ・デビュー・アルバム『BAND WAGON』はやや遅れた(年齢的には順当な)1975年3月25日になります。その頃には松本隆はポップス系歌謡曲の作詞家としてのキャリアをスタートさせていました。
 こうして辿っていくと1972年後半から慌ただしく解散に向かったようですが、実際にはセカンド・アルバム『風街ろまん』の発表された1971年11月の翌12月には大瀧詠一のファースト・ソロ・シングルが発売されており、解散までには1年のスケジュールを消化したことになります。1973年にさかのぼると、2月に『HAPPY END』が発表され5月に『HOSONO HOUSE』が発表された後はっぴいえんどには再結成の要望が高まり、ライヴ盤を予定して1日限りの再結成コンサートが行われます。ライヴ盤は『1973.9.21 ライヴ!! はっぴいえんど』として1974年1月15日に発売され、収録会場は文京公会堂でした。その後細野晴臣YMO、また大瀧詠一の『LONG VACATION』の大成功でさらに知名度を上げ、伝説化されたはっぴいえんどは、1985年6月の大規模音楽フェスティヴァルで1度限り、4曲きりの再結成ライヴを行いました。曲目は大瀧の『12月の雨の日』、細野の『風をあつめて』、鈴木の『花いちもんめ』と全員合作の『さよならアメリカ さよならニッポン』のメドレーでした。
(Reissued King/Bellwood "HAPPY END" LP Front/Liner Cover & Side A/B Label)

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 解散後の発表を予定したアルバムですから仕方がないとも言えますが、ライヴでの演奏も積んでアレンジが試行錯誤された前2作の楽曲に較べて本作はスタジオ作業でアレンジの決められた演奏に聴こえます。アルバム全体がそうですから、バンドの作品というよりもメンバー個々の持ち寄った楽曲を、作曲者のアイディアによるアレンジでスコア、またはヘッド・アレンジに起こしていった印象を受けます。前2作では大瀧と細野がほぼ均等にアルバム収録曲を折半していました。細野は『風来坊』『無風状態』『相合傘』の名曲3曲を提供しており、『さよならアメリカ さよならニッポン』もバンド全員合作名義ながら細野のアイディアでしょう。鈴木茂も佳曲『氷雨月のスケッチ』『明日おたりはきっと春』『さよなら通り3番地』とこれまで最多の3曲を提供していますが、ソロ・アルバム制作中の大瀧詠一は持ち曲不足から軽いポップ・ロックの『田舎道』『外はいい天気』と冴えません。細野の3曲がソロ・アルバム制作を控えつつ惜しみなく名曲を提供しているのと較べると、アルバムへの貢献はソロ・アルバムに多忙だった大瀧の不調を鈴木が補い何とか様になっていると言えます。何より前2作にはあったバンドの一体感とアルバム単位の強力なコンセプトに欠けています。
 ワールド・ミュージック路線に早くもシフトする細野にとって「さよならアメリカ さよならニッポン」は脱日米メインストリーム・ポップスへの宣言だったでしょう。このコンセプトは残念ながらバンド全員の共感によるものではないように思えます。細野単独名義ではなくバンド全員の合作にしたのはリーダーとしての意地を感じます。しかしロサンゼルスの敏腕セッション・ミュージシャンの腕前に負う面が大きいとはいえ、このアルバムは細野がイニシアチヴをとったとびきりの名曲3曲と鈴木茂の佳曲で聴くに耐えるものになっているのです。