人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

2017年映画日記4月11日~4月14日/ルネ・クレール(1898-1981)の中期監督作品

 今回はルネ・クレール(1898-1981)の中期監督作品から4作を観てみました。トーキー初期の作品はトーキー第1作『巴里の屋根の下』から戦前フランスでの最終作になった野心作『最後の億萬長者』まで(『ル・ミリオン』と『巴里祭』を除く)昨年12月に観直しています。ひさしぶりに観ると古いなあルネ・クレールとその時は思いましたが、時期的にはすぐ後に続く今回の中期作品はどれも面白く観直せました。特に『奥様は魔女』『そして誰もいなくなった』は今でも2本立て劇場再公開されたらもっと評判になる作品ではないでしょうか。

●4月11日(火)
『幽霊西へ行く』(イギリス'35)*79mins, B/W
・18世紀スコットランドで領地争いで無念の事故死を遂げた青年貴族(ロバート・ドーナット)の幽霊がご先祖様から仇討ちを果たすまで成仏を拒まれ、20世紀に没落した子孫の青年(ドーナット2役)が城をアメリカの食品チェーン成金に売り渡したことから解体・アメリカに再建築された城ごと呪縛霊アメリカに渡り、幽霊城来ると企業広告に使われた挙げ句青年と成金令嬢の恋が実り、偶然の巡り合わせで幽霊の仇討ちも成って万事めでたしとなる風刺コメディ。前年の『最後の億萬長者』が本国フランスでコケたが外国では高評価だったことからイギリスに招かれ、アレクサンダー・コルダ製作で作られ日本でも前作に続き大好評、キネマ旬報年間2位にランクされたが、スピード感はトーキー初期の『巴里の屋根の下』より目覚ましく向上しつつも『~億萬長者』よりはテンポがのろい。時系列順の語り口だからで現代までの前振りが悠長なのだが、今観るとかったるい(初見ならいいが、くり返し観るにはきつい)初期のムード本位のパリ世相作品から5年程度でここまで変わった才気を感じる。フランス時代の作品とはセットと照明のセンスがまるで違うが違和感なく、イギリス作品ならではの仕上がりになっているのはさすがという感じがする。ストーリー自体は今や大して面白くないし風刺も生温いものだが、ロバート・ドーナットの洒落者ぶりと成金一家の悠然とした芝居が良い雰囲気で後半は尻上がりにテンポが良くなる。80分を切るコンパクトな尺も成功の一因ではないか。80年前の映画だから古いのは当然だが、現代では作れない悠長な良さがある。怪作『最後の億萬長者』の風刺性からは後退していると言っても本作の場合は無い物ねだりになる。

●4月12日(水)
奥様は魔女』(アメリカ'42)*77mins, B/W
・イギリスの次は大戦勃発でハリウッドに渡ったクレールはマレーネ・デートリッヒ主演の『焔の女』'41を撮り、次にこれを撮る。のちの人気テレビ・シリーズの先駆になったコメディ。18世紀に魔女狩りの犠牲になった父の悪魔と娘の魔女(ヴェロニカ・レイク)に代々呪いをかけられた一族。当代の末裔は婚約者(スーザン・ヘイワード)との結婚と州知事選を控えた青年政治家(フレデリック・マーチ)なのだが、魔女自身が誘惑して台無しにしようと作った惚れ薬を自分で飲んでしまう事故が起き、青年にメロメロになってしまう。後は推して知るべしの展開で楽しいご都合主義のハッピーエンドまで一直線になるが、女優としては格上のヘイワードがガミガミ高飛車美女でB級映画女優レイクの美貌とコメディ演技がますますイケているのが麗しい。知事選と結婚式をともに控えた前日のパーティーでスタンダード名曲「Out of Nowhere」(笑)の生演奏が流れるのもお伽話にばっちりで洒落ている。ストーリー自体はテレビドラマの『奥様は魔女』とはまったく関係ない。ヒロインの名前もサマンサではなくジェニファーだし。製作がクレール自身のクレール・プロダクションとユニヴァーサルからプレストン・スタージェスの共同なのは感心する。スタージェスの代表監督作の一つ『サリヴァンの旅』はレイクがヒロインで前年1941年の作品だった。レイクはブロンド美人なのでB/W作品なのが惜しいが、カラー映画でこの内容だと作り物っぽく派手になってしまったかもしれない。

●4月13日(木)
そして誰もいなくなった』(アメリカ'45)*97mins, B/W
・'70年代後半の日本初公開だったので当時の話題に覚えがある。『オリエント急行殺人事件』『ナイル殺人事件』などのヒットを受けた公開だったはず。原作を知っていると映画化は絶対無理そうなのだが、映画(または舞台)にするならこれしかないよな、という改変がされているのはお見事。もっともこれはアガサ・クリスティー自身の戯曲化(1943年刊)をクレールと何でも書くダドリー・ニコルズがシナリオにしたもの。オールスターキャストで(バリー・フィッツジェラルドウォルター・ヒューストン、ルイス・ヘイワード、ローランド・ヤング、ジューン・デュプレ、ミッシャ・オウア(笑)、C・オーブリー・スミスリチャード・ヘイドン、そしてジュディス・アンダーソン!)演出も軽妙なのが緊張感の面ではいまいち、と指摘されるがクリスティー原作のダークサイド(非本格推理ものに顕著。『終りなき夜に生れつく』1967と双璧)の爆発した陰鬱さを移したらベルイマン映画のようになってしまうので、この軽さはむしろ正解。というか97分の映画で10件の予告殺人があるわけで、一人目の被害者の後は10分毎に一人のペースで殺人が起こるから小説ならともかく映画でやると殺人コメディになるのは当然。同じ原作でも監督によって十人十色だろうが、クレールが撮ってこれだけばっちりはまるのは面白く、たとえばフランス人アメリカ亡命監督でもジャン・ルノワールには絶対回らなかった企画。終戦により本作を最後にハリウッドを後にして、フランス帰国第1弾が『沈黙は金』という落差にも恐れ入る。

●4月14日(金)
『沈黙は金』(フランス'46)*95mins, B/W
・父親のように目をかけた青年男女の若者の恋に傷心しながら見守る中年男というのは本作の主役、サイレント時代の映画監督を演じるモーリス・シュヴァリエの得意役らしい。『ライムライト』(チャップリン)、『イリュージョニスト』(ジャック・タチ)、寅さん映画にも似ている。というよりチャップリンのミューチュアル社時代の中短編(1916年~1917年)にすでに原型があり、『キッド』『サーカス』『街の灯』と延々チャップリン映画のペーソスになっていたもので、松竹新喜劇は全部『街の灯』がルーツという説もある。このペーソスがチャップリンとロイド、キートンの認知度を分けたのだが、旧友の旅芸人のお嬢さんで昔の片想いの女性の遺児でもある少女(フランソワ・ペリエ)を預かる羽目になり、端役女優の仕事を世話しているうちにだんだん惚れ込んでしまい、一方少女は主役抜擢された映画の撮影中に相手の青年俳優と恋仲になってしまう。青年俳優と監督は事情も知らず恋愛相談しあって励ましあう始末。パリ連作の頃ならけっこう強引な展開になった題材だが30代始めと50代近くの15年間で良い具合に力が抜けてきた。時代設定もクレールが小僧の頃の映画界だからまたしてもチャップリンの先取り(『自由を我等に』と『モダン・タイムス』。今回は5年後の『ライムライト』)だが『沈黙は金』は帰国カムバック作、『ライムライト』は引退声明作と方向はまるで違い、題材上やばそうなノスタルジア作品を免れている。さりげない結末をさりげなく描く手腕も冴えていて、この後の『リラの門』やジェラール・フィリップ主演作を思うとクレールは初期作品からもブレはないし、戦後作品から入った方が楽しめるのではないか。イギリス~アメリカ時代はちょうどフランス本国ではクレールらしい作品は作れなかった時期で、『幽霊~』『奥様は~』『そして誰も~』はどれも佳作だしフランスを離れていた(しかし監督ブランクにはならなかった)時期あらばこそ帰国カムバック作も新鮮に作れたのが伝わってくる。それにしてもイギリス製作、アメリカ製作、フランス製作で絵面、特にフレームと照明の感覚がまるで違うのは監督が同じだけに印象的で、ドイツやイタリアや日本で撮ったらクレールのドイツ映画、イタリア映画、日本映画になったのだろうと思うと(3国とも大戦敵国だが)さすがにそれはないだろう、と可笑しくなる。