書籍扱い流通のコスミック出版刊行による廉価版10枚組DVDボックスのシリーズはこの映画日記でもたびたび取り上げており、昨年4月には『フランス映画パーフェクトコレクション』で最初に出た『ジャン・ギャバンの世界』全3集30作、また9月には続いて発売された監督・主演者の括りのない『フランス映画パーフェクトコレクション』の3集30作のご紹介・感想文を掲載しています。その後同シリーズはさらに『フランス映画パーフェクトコレクション』2集、『フランス映画パーフェクトコレクション・フィルムノワール』1集、さらに9本組『ジェラール・フィリップ・コレクション』1集が続刊されており、まだ続刊があるかもしれませんが、トーキー以降('30年)から現状パブリック・ドメイン期限の'53年度作品までで既刊10集・100本(ジャン・ギャバン主演作には戦時中のアメリカ映画の出演作が2本収録されていますが)と24年間の98本収録となると主要なフランス古典映画はほぼ網羅されており、1セットあまり廉価版10枚組1,800円で画質も良好なら字幕も丁寧でレア作品多数、これだけの作品を単品で揃えて観るのはつい最近まではたいへんな労力がかかった(筆者自身も学生~青年時代に各種上映会に足を運び稀なテレビ放映で10数年かけてようやく観た)と思うと隔世の感があります。今回は最新の『ジェラール・フィリップ・コレクション』(2018年12月発売)は次の機会に譲りますが、『フランス映画パーフェクト・コレクション』続刊2集に『フランス映画パーフェクト・フィルムノワール』を合わせて年代順に並べ直し、初見の作品数作を含めて有名無名作をまとめて30本観て(観直して)感想文を書くことにしました。各巻収録作品は次のようなラインナップです。
◎2018年9月発売 [ フランス映画パーフェクトコレクション~情婦マノン ] 1.『肉体の冠』'52、2.『悪魔の美しさ』'50、3.『北ホテル』'38、4.『旅路の果て』'39、5.『ピクニック』'36、6.『女だけの都』'35、7.『情婦マノン』'49、8.『罪の天使たち』'43、9.『美女と野獣』'46、10.『うたかたの恋』'36
◎2018年10月発売 [ フランス映画パーフェクトコレクション~嘆きのテレーズ ] 1.『恐怖の報酬』'53、2.『幸福の設計』'47、3.『とらんぷ譚』'36、4.『巴里祭』'33、5.『夜ごとの美女』'52、6.『田舎司祭の日記』'51、7.『牝犬』'31、8.『嘆きのテレーズ』'53、9.『新学期・操行ゼロ』'33、10.『恐るべき子供たち』'50
◎2018年11月発売 [ フランス映画パーフェクトコレクション~フィルム・ノワール 暗黒街の男たち ] 1.『犯罪河岸』'47、2.『パニック』'46、3.『最後の切り札』'42年、4.『密告』'43、5.『デデという娼婦』'48、6.『モンパルナスの夜』'33、7.『ランジュ氏の犯罪』'36、8.『十字路の夜』'32、9.『レミー・コーション / 毒の影』'53、10.『この手紙を読むときは』'53
――なお簡単な作品紹介はDVDパッケージ裏の紹介文を転載させていただき、原題、製作プロダクションとフランス初公開日、映画祭受賞歴、日本公開作は日本初公開日とキネマ旬報ベストテン入選作順位をつけ加えました。これもけっこうたいへんでしたが、データ面の参考にお役立ていただければ幸いです。
●6月1日(土)
『牝犬』La Chienne (Les Etablissement Braunberger-Richebe=Gaumont'31.11.19)*96min, B/W : 日本未公開、映像ソフト発売 : https://youtu.be/X4vizjwJUdA (Trailer)
◎監督:ジャン・ルノワール(1894-1979)
◎主演:ミシェル・シモン、ジャニー・マレーズ
○冴えない中年男ルグランは、ある晩出会った娘リュシエンヌに恋をし、彼女のために金をつぎ込むようになる。しかし、娘は金を無心する恋人デデのために、ルグランを利用しているだけで……。
ジャン・ルノワールはもちろんフランス印象派絵画の巨匠オーギュスト・ルノワール(1841-1919)の子息ですが、父ルノワールが油絵の具開発以降の西洋絵画に残した業績と同等以上の業績を映画で残した人でもあって、'24年の初長編『水の娘』から'65年の『捕らえられた伍長』(または『ジャン・ルノワールの小劇場』'69)まで約30作、散佚したサイレント作品を除くと25作と中短編数編の寡作家なのは基本的に処女作から遺作までルノワール自身の企画・脚本・プロダクションで作りたい映画しか作らなかった映画監督だったからですが、おそらく現在の評価で映画史120年でフランス映画の監督から1人、というと批評家投票では満場一致でまずルノワール、次いでロベール・ブレッソンが上がり、3位はトリュフォーとゴダールが分けあうのではないかと思います。ジャン・ルノワールは生育環境が特殊だったため教養、経済状態、交友とも芸術関係の仕事に進むのがごく自然だったので、当初陶芸家を志していたですが、兄ピエールが俳優の道に進んだのと'20年代初頭のサイレント映画の成熟ぶりを観て映画に新しい芸術表現の可能性を見ます。『水の娘』ではまだファンタジー映画的なものでしたが、180分の大作『女優ナナ』'26では早くも映画的なリアリズム表現を確立し、以降ルノワールの映画はファンタジー、コメディ的なものも重厚なドラマ的作品も鋭い観察力と人間性への洞察を際立った映像表現に定着させる、リアリズム表現が徹底しているためにリアリズムを踏み越えて非現実か悪夢の様相すら呈するものになりました。溝口健二(また小津安二郎)の映画がようやく欧米に紹介された時にD・W・グリフィス、ルノワール、ロベルト・ロッセリーニに匹敵するではないかとゴダールに驚嘆されたのは、ゴダールはもちろんフリッツ・ラングやハワード・ホークス、ブレッソンも念頭にあったでしょうが、これらの監督の映画はリアリズムに徹してリアリズムを踏み越える巨大な手腕があって、一般的に広く名作と目されてヒットした作品がまるでヒット性のない作品と平然と並んでいる。ルノワールなど戦前に日本公開されて好評だったのは『どん底』'36きりなので、ルノワールと同時代のフランス映画の巨匠とされたジャック・フェデー、ジュリアン・デュヴィヴィエ、ルネ・クレール、ずっと後輩のマルセル・カルネと較べてすら人気も評価も低く、まずルノワール自身の独立プロ製作が悪条件だったのか日本公開作品すら少ない。戦後日本公開された『大いなる幻影』'37や本国公開当時ルノワールがアメリカ移住に追いこまれるほど悪評を買いながら次第に声価が高まり40年近くを経てようやく日本公開された『ゲームの規則』'39が好評だった他は新作ではジャン・ギャバン主演作『フレンチ・カンカン』'54以外評判にならないし相変わらず未公開作品が多かったので、初期~引退までのルノワール作品の全貌がようやく知られるようになったのは日本では'80年代後半でした。それまでは観たくても数作の人気作しか観られなかったのですが、改めて全キャリアから大半の作品が紹介されると、フランス本国を始めとする欧米諸国では'50年代にはそうなっていたのと同様に、フェデー、デュヴィヴィエ、クレール、カルネらが過去の監督と見なされていたのと逆転現象が起きて、ルノワールこそが現代映画の原点ではないかとされるようになりました。長々と前置き書いてきましたが、ルノワールのサウンド・トーキー第2作である本作はほんとにすごい。トーキー第1作にミシェル・シモンとフェルナンデル主演の小品コメディ『赤ん坊に下剤を』'31が作られたのは『牝犬』の製作資金調達のためだったそうで、本腰を入れたトーキー作品は『牝犬』からになる。しかもつづく『十字路の夜』'32、『素晴らしき放浪者』'32はルノワールがトーキー技法を確立した恐るべき3部作と言えるので、サイレント映画がソヴィエト・アヴァンギャルドのドヴジェンコのウクライナ3部作(『ズヴェニゴーラ』'28、『武器庫』'29、『大地』'30)で臨界点に達したといえば、ルノワールの『牝犬』『十字路の夜』『素晴らしき放浪者』はいち早くサウンド・トーキー映画の究極の達成を示したと言える作品です。'30年にはスタンバーグの『嘆きの天使』『モロッコ』、ルネ・クレールの『巴里の屋根の下』がスタイリッシュなトーキー技法で圧倒的な評判を読んでいて、一般的にはこの両者の作風が非常に大衆的な支持を受けたのでスタンバーグとクレールの功績、画期性、また同時代の映画への甚大な影響力は紛れもないのですが、ルノワールの映画は反ドラマ的とも言える抑制された話法で一見陳腐な市井の情痴ドラマ(『牝犬』)、ほとんど合理的展開を欠き筋さえ追うのが困難な殺人捜査ドラマ(『十字路の夜』)、居候の傍若無人なホームレスがブルジョワ一家を崩壊寸前に追いやるアナーキーなコメディ(『素晴らしき放浪者』)と、およそ観客が歓迎する映画とは異なったものでした。ルノワールの天然性は父オーギュストのモデルに集まるあらゆる社会階層の人々との交際から上流階級からブルジョワ階級、庶民やホームレスまで老若男女等しく平等な人間として接してきたことで養われたものであり、通常映画監督(ルノワールの場合は製作・脚本も兼ねています)が映画にふさわしい題材・設定・人物像から外れている。しかしルノワールはそうした内容に十分な真実性を与えることができるので、まずスタイルありきで達成を示しサウンド・トーキー映画の規範になったスタンバーグやクレールとの差はそこにあります。ジョルジュ・デ・ラ・フシャルディエールの原作小説(1930年刊)をルノワール自身が脚色し、セオドア・スパークルが撮影(この撮影が1ショットごとにアイディアあふれる素晴らしい映像!)した本作は観始めたら、こんなすごい映画あるだろうか、ほかの映画など全部なくてもこの『牝犬』1本あれば映画は十分なのではないか、と観ている最中はあぜんとして画面に魅入られてしまう作品で、純度と密度ではルノワールの最高傑作かもしれません。ちなみに本作の紀伊国屋リリースのDVDに寄せられたユーザー評で「小谷野敦·2012年3月13日(投稿)」がタイトル「つまらん…」、評点★、評「何か異様に退屈な映画なのだが、なんで名作扱いされるのであろうか。分厚いパンフレットが入っている。しかしそれを読んでも、何がいいのか分からない。謎だ」というのが載っていますが、確かこの同名の人は『もてない男』というエッセイをベストセラーにした著述家だったはずです。「何がいいのか分からない」なら「つまらん…」★となんでわざわざ投稿するやらと思えますが、「何か異様に退屈な映画」どころか本作は観始めてすぐにこれは尋常な映画じゃないぞと観客を釘づけにする作品であり、見事なクロージングまで1シーン、1ショットたりとも無駄も余剰もない。完璧という形容でもまだ足りないとびきりの名作です。
――と、観終えてしばらくしてようやくいくらなんでも『牝犬』以外だって忘れがたい映画は山ほどあるだろう、と我に返りますが、観ている最中はほかの映画のことなんか考えられなくなる。唯一例外は本作のリメイク、フリッツ・ラングの『緋色の街/スカーレット・ストリート』'45で、同作もラングの最高傑作のひとつですが、記憶の中ではずいぶん異なった印象を残す作品だったはずなのに、学生時代以来30数年ぶりに『牝犬』をDVDで観直してみると、その間3回くらい観ている『緋色の街~』が実は印象以上に『牝犬』に直接負っているのも気づかされます。ちなみにラングの同作はこの映画日記の2017年5月27日で紹介しているので、本作のあらすじは『緋色の街/スカーレット・ストリート』と同じですから割愛させていただきます。同作のエドワード・G・ロビンソンの中年銀行員が本作のメリヤス問屋経理係ルグラン役のミシェル・シモン、ロビンソンが入れあげる街娼のジョーン・ベネットが本作の娼婦リュリュ役のジャニー・マレーズ、ダン・デュリエが演じていたその情夫が本作のリュリュのヒモのポン引き役のジョルジュ・フラマンです。ロビンソンとシモンは性格の異なる名優ですが甲乙つけがたく、また愛人役は圧倒的にジョーン・ベネットの色香が上でダン・デュリエの絶品のヒモぶりとともに'45年のアメリカではさもあらんといった現代性があるので、いかにも'31年の軽薄なちんぴらパリジャン然としたフラマンとパリジェンヌのマレーズはしょぼくれたシモンが主演の本作には合っており好演ですが、ロビンソンがなまぐさくデュリエとベネットがこすっからいラング作品のドライで陰鬱なブラック・ユーモア感覚と較べると本作は情痴ドラマとしての吹っ切れ方はまだ適度に市民的でもあり、その代わり映画の締めくくりに正反対の趣向を持ってきたので、ラング作品は帳尻を合わせたような具合なのにルノワール作品はアナーキー性が炸裂する。これはラング作品がアメリカ映画のため勧善懲悪的な印象を強く打ち出したとも言えますし、ルノワール作品の方は『素晴らしき放浪者』を予告するもので、どんなに社会的に下降しても人間にはそこで生きていけるだけの可能性が広がっているのだ、というルノワール自身の人間観の表れとも思えます。ラングの映画はそういった人生観がまったくない、一般的な映画の基準でも極端に情感が欠如しているのがドイツ出身の冷血監督ラングの面白いところですが、ラングは'36年~'56年のアメリカ時代の20作でラング自身が企画した映画は数本しかなく、『緋色の街~』はその1本ですから明らかに『牝犬』のアメリカ版リメイクをやりたかった意欲が仕上がりの充実に表れています。ルノワールの方が4歳年下、監督デビューも5年あとですがラングはプロデューサー企画ながらルノワールの傑作『獣人』'38もアメリカでリメイクしているほどで(『仕掛けられた罠』'54)、ラング自身はルノワール作品の優れた出来にはまったくおよばない不満足な作品としていますが、こちらは言われなければ『獣人』のリメイクと気づかないほど人間関係の力点が異なり、またラングには珍しい彫りの深いキャラクター造型に成功していて十分優れた作品です。非常に意識的な技巧家ながら必ずしも器用ではなく出来不出来の激しいラングには何を撮ってもずばりと核心に迫るルノワールの直観的な映画への驚嘆があり、それが『牝犬』のリメイクでラング流の解釈への達成感もあれば、『獣人』のリメイクではルノワールにおよばずと卑下することにもなったと思われ、ラングの初トーキー作品は『牝犬』と同年の大傑作『M』'31ですが、1作作るともう同じような作品は撮れない完結した性格の『M』に対して『牝犬』はつづく作品の可能性に満ちている柄の大きさがあり、おそらく同年にラングとルノワールの両者はおたがいの作品を観ていた、そしてたがいに畏敬の念を抱いたと思われます。実際ルノワールの次作『十字路の夜』は早くも『M』からの感化が見られるのです。
●6月2日(日)
『十字路の夜』La Nuit du carrefour (Compagnie Franco Coloniale Cinematographique'32.4.18)*72min, B/W : 日本未公開、映像ソフト発売 : https://youtu.be/5pKRJWwqqwc (Trailer)
◎監督:ジャン・ルノワール(1894-1979)
◎主演:ピエール・ルノワール、ヴィンナ・ヴィニフリート
○パリ郊外に住むデンマーク人カール・アンデルセンの車庫で、死体が入った車が発見される。メグレ警視は、容疑者カールの妹と名乗るエルゼに目を付け……。G・シムノンの『メグレと深夜の十字路』が原作。
本作『十字路の夜』はジョルジュ・シムノンのメグレ警視シリーズからの映画化として翌'32年のデュヴィヴィエ監督作『モンパルナスの夜』と並ぶ初期のメグレ警視映画ですが、めったに再上映されなかったので陽の目を見たらたちまち注目のあつまった作品です。しかも本作は'40年代~'50年代のアメリカのフィルム・ノワール(暗黒映画=犯罪官能サスペンス映画、といったところでしょうか)の諸作を特徴づける内容をほとんど備えた先駆的作品なのが後世の観客・批評家にショックを与えて再評価が高まった傑作で、謎に満ちた状況の犯罪、深夜の街、捜査、蠱惑的な謎の美女の登場と誘惑、二転三転する容疑者追究、敵味方の入り交じる複数の悪党の抗争、追跡、銃撃戦、反則すれすれの意外な真相といった具合に古典的推理小説の型から外れた行動型ミステリーの形式で浮かんでくる要素がアメリカではギャング小説やハードボイルド・ミステリーの出現から'20年代末~'30年代のギャング映画を経て'40年代以降のB級ミステリー映画のパターンになったのですが、それを指摘したのがフランスの映画脚本家・批評家のニーノ・フランクだったためアメリカ映画の潮流なのにフランス語でフィルム・ノワール(暗黒映画)と呼ばれるようになりアメリカ本国の映画批評家もその呼称を踏襲するようになりました。当時は娯楽映画も西部劇を筆頭にカラー化が進んでいましたが、犯罪サスペンス映画は予算・規模ともにB級映画あつかいの白黒作品が主流だったのもあります。アメリカの批評家も従来の犯罪スリラーやサスペンス・ミステリー映画とフィルム・ノワール作品を分けたのはフィルム・ノワールには特有のいかがわしさが多量に含まれているからで、たとえばジョン・フォードやワイラーなども犯罪スリラーやサスペンス・ミステリー映画を撮りますしヒッチコックなどはその専門家ですがいかがわしさがないのでフィルム・ノワールとは呼ばれない。フランクはフィルム・ノワールの起点をジョン・ヒューストン監督のハンフリー・ボガート主演作『マルタの鷹』'41とし、のちの批評家はオーソン・ウェルズ監督・主演の『黒い罠』'58をフィルム・ノワール時代に幕を下ろす作品としました。もっとも『マルタの鷹』以前にフランクの指摘したフィルム・ノワールの要素を満たしていた作品はアメリカ映画にもヨーロッパ映画、日本映画にすらあり(小津安二郎『その夜の妻』'30、『東京の女』'33、『非常線の女』'33などがすぐに上がります)、フランスではその条件に一致していた題材がリアリズム小説の手法で推理小説を書いたシムノンのメグレ警視シリーズだった、と偶然の同時代現象がありました。
――しかしそれを映画化して古典的なミステリー映画の枠から外れた作品を作るのはまた別の発想で、本作は都市犯罪映画として明らかにフリッツ・ラングの『M』からの感化があったと感じられます。同作はドイツ本国では'31年5月に公開されており、日本公開は昭和2年('32年)4月でフランスの一般公開も日本と同年同月ですが、当時フランスの大手映画社はほとんどドイツと合資系だったほどなので映画界内部では即座に内部試写されていたはずです。サイレント時代からのドイツ映画界の巨匠ラングの初トーキー作にルノワールが注目しなかったわけはなく、『M』のドイツ公開時にはルノワールは情痴犯罪映画『牝犬』に取りかかっていたので、『牝犬』の次回作にシムノン原作の本作を選んだところでルノワールには都会と郊外のはざまの闇の世界を描く構想がすっきりと出来上がっていた、と考えられる。ただし本作がその後上映されるのが稀な作品になったのはいかにもルノワールらしい原因があり、撮影が終わって編集に取りかかったら撮影済みのフィルムが総計2リール相当分紛失していたそうで、1リールは約10分ですから20分あまりが欠落していた。普通は慌てて欠落部分の追加撮影をするのですがもう納期も近ければ資金もないしスタッフや俳優に再招集をかける余裕もないので2リール欠落のまま編集して完成・公開してしまったのが本作だそうで、ルノワールは自身のプロダクションでインディペンデントな映画製作をしていたためこうした事態にたびたび陥っています。しかし本作では欠落のために起こった説明不足や飛躍、脈絡のつかめない唐突な挿入場面すら一寸先は闇の謎めいたムードを高めていて、まんべんない映画がしばしば陥りがちの全知全能の視点など入りこむ余地がないので観客も謎と暗闇のまっただ中に放りこまれることになる。おそらくルノワールも編集が始まってすぐ撮影したはずの場面の欠落には困ったでしょうが、何とかつないでみて一応90分強の完成作品にするつもりがフィルム紛失事故で70分強と20分あまり短い映画になってしまった弁明はした上で公開してしまったようです。そのため本作は公開されはしたものの未完成作品とする映画辞典類の言及もありますが、ルノワールとしては現実だってこの欠損だらけの映画と同じようなものでないかと思ったからこそこの型での公開でかまわないと考えたに違いなく、闇の中で犯罪者たちが跳梁跋扈するのを網の一振りで捕まようとするような、しかも蠱惑的な謎めいた悪女らしき美女も出てくれば関連があるのかどうかもわからない連続殺人まで起こる、カーチェイスもあれば銃弾も飛びかう、しばしば飛躍して前後の継ぎ目が不明瞭と、現実なのか面白すぎる悪夢なのかわからない未来の映画を先取りするような作品になった。そこが周到な計算と極端な理詰めで幼女連続誘拐殺害常習犯をめぐる捜査と犯人の運命を大都市映画のスケールで展開する画期的傑作『M』に匹敵しながらも、ルノワール作品の方は偶然が介入して仕上がった要素が強く、また感覚的な閃きで演出されているためラング作品のように整然とした完成度を尺度にはできない映画です。『M』がのちの犯罪映画、特にヒッチコック作品やアメリカのフィルム・ノワールに与えた直接影響が大きいのもテーマの設定、ムードの統一、人物像や人物配置、プロットとストーリーの妙、映像表現など応用の効く技法的発明にあふれているからですが、『十字路の夜』はそもそもほとんど上映されず観られる機会がなかったばかりか分解して応用しようがない作品で、次のルノワール作品が『素晴らしき放浪者』'32と思うと、『牝犬』『十字路の夜』『素晴らしき放浪者』の3作でサウンド化されたトーキー映画はもう頂点を究めたかの観があります。
●6月3日(月)
『巴里祭』Quatorze Juillet (Tobis'33.1.13)*86min, B/W : 日本公開昭和8年('33年)4月20日 : キネマ旬報ベストテン2位 : https://youtu.be/XU980kcKTis (Extract)
◎監督:ルネ・クレール(1898-1981)
◎主演:アナベラ、ジョルジュ・リゴー
○パリの下町に暮らすアンナとジャンは、いつもアパートの窓越しに顔を合わせ、お互いに恋心を抱いていた。巴里祭前夜のダンスを楽しみ幸せをかみしめる二人だったが、ジャンの元恋人ポーラが現れ……。
ルネ・クレールの初期トーキー作品の日本での人気はたいへんなもので、トーキー第1作『巴里の屋根の下』'30.1(翌年5月日本公開)がキネマ旬報ベストテン2位、第2作『ル・ミリオン』'30.4が同年4位(この年の1位はスタンバーグの『モロッコ』)、第3作『自由を我らに』'31.12が翌年日本公開でベストテン1作、翌年日本公開の本作がベストテン2位(1位レオンティーネ・ザガン『制服の処女』)と、ここまではフランス本国でも好評だったのですが、次作の大作『最後の億萬長者』'34は本国では不評かつ興行的大失敗に終わり(日本では翌年公開、ベストテン1位)、フランスでは映画が撮れなくなったクレールは渡英してイギリス映画『幽霊西へ行く』'36を作るも不評(日本では翌年公開、ベストテン2位)と、フランス本国ではクレールの全盛期は短かかったのですが日本では長い人気を誇りました。現在では欧米の映画史家もクレールのキャリアを尊重した高い評価を下していますが、日本でも戦後に'20年代や'30年代からキャリアのある伊藤大輔、池田富保、斎藤寅次郎、清水宏、稲垣浩らが現役で監督作品の新作を送り出していても過去の大家と見なされていたのと同じようなあつかいがクレールやデュヴィヴィエ、カルネら戦前の大家の現役時代~生前にはあり、唯一ルノワールのみが戦前戦後を通じての巨匠とされたのが戦後長らくの欧米の映画批評家評価だったので、日本映画では溝口健二と小津安二郎が戦前戦後を通じての巨匠とされたのと事情は似ています。フェデーやクレール、デュヴィヴィエやカルネの戦前作品をもっとも愛していたのは日本の観客だったと言えるので、フェデーやクレールは'30年代半ばにフランスで製作環境を失いイギリスに渡りますし、デュヴィヴィエも戦時中はアメリカに渡ってしまう。最年少のカルネはフランスにとどまって『陽は昇る』'39、『悪魔が夜来る』'42、『天井桟敷の人々』'45と名高い作品を作りましたが、帰国したデュヴィヴィエやクレール同様戦後作は本国ではあまり評判にならずたまに好評作が出る、とやはり日本での継続的関心や人気におよばず「過去の大家」あつかいされていたのに対し、日本では若い映画観客でも年輩者からフランス映画の巨匠はクレールやデュヴィヴィエと聞いて育つので上映会があれば観に行く、また長く人気が高かったのでクレールやデュヴィヴィエの'30年代作品はかつての地上波テレビ深夜放映映画の定番でした。ホームビデオとBS放送の普及以降は地上波の深夜放映映画が地を払ってしまいましたが、クレールやデュヴィヴィエの'30年代の映画が夜更かしの中学生や高校生の映画入門だったのは日本の文化のゆかしい伝承だったので、最初に触れる外国映画が'30年代フランス映画なのはまっとうな映画観をはぐくむのに最適な気がします。昔は淀川長治氏や品田雄吉氏、水野晴郎氏といった見識のある映画人がお茶の間のテレビ観客にも良い映画を案内してくれましたが、今は選択肢が広がった分かえって丁寧に映画を味わう慣習が薄れていると危惧されるだけになおさらです。本作は歴史的文献として日本初公開時のキネマ旬報の紹介(サイト上より。追加情報あり)を引いておきましょう。
○解説(キネマ旬報近着外国映画紹介より)「巴里の屋根の下」「ル・ミリオン」「自由を我等に」次ぐルネ・クレールの第四回トーキー作品で脚本も氏自身の手になったものである。そして前作品同様に撮影にはジョルジュ・ペリナールが、舞台装置にはラザール・メールソンが力をかしている。主演者は「ル・ミリオン」「掻払いの一夜」のアナベラと新進のジョルジュ・リゴーとの二人で、これを助けて「巴里の屋根の下」のポーラ・イレリー、「ル・ミリオン」「自由を我等に」のポール・オリヴィエ、「ヴェルダン 歴史の幻想」のトミー・ブールデル、それからレイモン・エーモス、等が出演している。なお此の映画にはモーリス・ジョーベールが作曲を施している。2019年6月22日より4Kデジタル・リマスター版が全国順次公開(配給:セテラ・インターナショナル)。
○あらすじ(同上) パリの下町、丘のあるカルチエでの物語。タクシーの運転手をしているジャン(ジョルジュ・リゴー)は向いのアパートに住んでいる花売娘のアンナ(アナベラ)が好きだった。だが彼にはポーラ(ポーラ・イレリー)という此の界隈にうろついている女がついていた。アンナとてジャンには心をひかれていた。で、フランスの国家祭ともいうべき七月十四日の革命記念日の前夜、二人は野天で、町の真中で踊った。が、この夕アンナは酔いどれの老人客に失礼したというので花を売りに出入りしていたダンス場から出入りを断られたので少し心が鬱いでいた。が、俄か雨で踊りの人が散り、彼女がジャンと二人きりになった時、二人は互いに本当に恋をしているのだという事を知った。それは二人にとって幸福な夜だった。が、翌日、七月十四日、もうパリ全市の人々が祭りで有頂天になっていた日ジャンの室を訪ねたアンナは其の室に女の持ち物を見た。これはポーラの持物で昨夜遅く彼女はジャンを訪ね押し掛けで泊まり込んだのであるが、ジャンはアンナに義理を立て一晩を外で明かしたのである。そんなジャンの思いやりを知らぬアンナは一重に男の心を疑った。が折も折病いの床にいた母が彼女一人を残して此の晩に死んで行った。アンナは一人ぽっちになり、やがて室も引越し近所のキャフェに勤める事となった。一時の誤解から仲違いしたアンナとジャンとはそれから長い間、逢わないでいた。自棄になったジャンは与太者になった。が、ポーラももう彼の女ではなくフェルナン(トミー・ブールデル)というアパッシュの情婦となっていた。或夜、ジャンはフェルナンの片棒を担いでキャフェに強盗に這入った。それがアンナの勤めているキャフェであった。アンナを見た時にジャンは我に返った。そして彼女を守ろうとした。アンナも男をかばおうとした。これが結果でアンナはキャフェから解雇された。二人がまた逢わないで日が経って行った。その内に、アンナは以前の酔いどれの老人客から法外な金で花を買ってもらった。彼女はその金で久しくやめていた花売りをまた始めた。そして或る日の事、アンナの手押車はタクシーにぶつかった。その運転手はジャンだった。ジャンもまた正業に戻っていたのである。二人の周りを取りまいて互いに加勢する野次馬がワイワイ騒いでいる内に、また俄雨がふってきた。野次馬は散って、またジャンとアンナとは二人きりになった。
――昨年観返した既刊の『フランス映画パーフェクトコレクション』でかなりの数の'30年代フランス映画を観て、今回は年代順だとルノワール作品2作に続いてこの『巴里祭』を観たため、クレールには不利なことになってしまいました。たぶん初公開時から本作はフランス本国でも日本の観客にも新しいけど懐かしい、どこか甘酸っぱい人情青春ドラマとして迎えられたはずです。本作のような内容の映画はサイレント時代にもすでにあったもので、むしろサイレントくさい古風さを新しい意匠に仕立てたものと言える。クレールの'30年代前半作品の例によって本作も音楽映画仕立てになっていて、趣味の良いさじ加減で懐かしい味わいを新しい切り口で見せている。クレールはサイレント時代にすでに実験映画の初期短編や長編コメディのキャリアがあるので、サイレントでつちかったテンポ感がサウンド作品でも生きていて、サウンド・トーキー映画の最初で最高の確立はスタンバーグの'30年の2作『嘆きの天使』『モロッコ』とクレールの同年の2作『巴里の屋根の下』『ル・ミリオン』でしょう。この2者が際立っていたのは徹底的なスタイリストだったからで、スタンバーグが激情的、クレールはほのぼのという違いはありますが極端に言って内容は二の次で、スタイリッシュな映像のサウンド映画を作ることの方が重要だったと思われる。両者ともに影響力は即座で絶大でしたが全盛期がほんの数年間だったのもスタンバーグやクレールの映像スタイルが普及してしまえば目新しさはなくなるので急速に飽きられたのが先駆者ならではの不運でした。しかしスタンバーグの真価は歳月の風化に耐えるものなので今なお十分観ごたえがあるのに対し、クレールの映画は核心部分まで甘いのが微温的で古くさく見えてしまう弱みがある。スタンバーグの冷徹な映像・ドラマ構成はスタイル自体の目新しさがなくなっても古びないのですが、庶民人情ロマンス映画のクレールだとそうはいかない。またクレールの映画のパリの下町は完全な巨大セットで、セットだから計算通りに精巧な撮影技法や演出ができたのが、そうした技巧による映像表現の新しさ自体に新味がなくなるとルノワールの映画のロケ撮影のような不整合な清濁飲みこんだリアリティの古びなさにはおよばなくなってしまう。『巴里の屋根の下』『ル・ミリオン』『自由を我等に』から本作『巴里祭』とほとんど連作といっていい作品を重ねてきたクレールが次作『最後の億萬長者』では飛躍を期するもフランス本国では不評と興行的大失敗に終わり、イギリスに招かれないと映画を撮れない苦境に早くも陥ってしまったのはフランス本国の観客の飽きっぽさもあるでしょうが、『巴里祭』まででクレールがいかに親しまれ、その分限界を見せてしまったのも大きいでしょう。映画の期待値は前作の最終的な評判で決まるとも言えるので、『巴里祭』を観た観客は次作『最後の億萬長者』にほとんど期待せず、同作を観た批評家・観客もクレールを見切ってしまった。それが日本ではキネマ旬報外国映画年間ベストテン1位ですから皮肉で、戦後'70年代以降の日本では外国の映画監督のスポンサーになって新作を撮らせるようになりましたが昭和10年ではそうはいかなかったので、クレールはまずイギリス、それからハリウッドと転々として戦後ようやくフランス本国の映画界に復帰します。『巴里の屋根の下』からの3作の延長として本作はあまりにこぢんまりと丁寧にまとまりすぎていて、異国情緒が付加価値となる外国の映画観客にはともかくフランス本国の批評家・観客には飽きられてくるきっかけになってしまった。クレール自身は作りたくて作った内容だし観客を喜ばせる内容とも自信があったでしょうから皮肉なものですが(また当時のドイツのナチス政権成立直前の右傾化に対して、フランスの民主的で自由な愛国心を革命記念日に託した意図もあるかもしれませんが)、本作は『巴里の屋根の下』『ル・ミリオン』の焼き直しと言ってしまえばそれまでと、クレールの発想と表現力の幅の狭さ、ルノワールのような直観力ではなく計算から来る映画作りの限界を感じないではいられない面があります。しかしこの時期のクレール作品はまっとうな映画の古典として襟を正してしかるべき、なおかつ楽しめる映画史の珠玉で、別にクレール自身がクレール作品の焼き直しをやったっていいではありませんか。