人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

プリズナー113

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告訴内容が確定しないうちは、警察署内の留置場に任意とは名ばかりの強制的拘置になる。これは10日ごとに更新で、無理矢理拇印の捺印を強制させられる。国家警察内部では「任意」も「捏造」も「冤罪」も同じことだ。

留置場にぶちこめる条件は簡単明瞭。住民登録の実態がなく、住居不定無職であればそれだけで不審者の条件を満たせる。人がかくも簡単に他人の人権を剥奪できる仕掛けはない。
ぼくの場合は既に離婚が成立した妻と同じ住所に住民登録が残っていたが、妻からの民事訴訟家庭内暴力と育児ネグレクトが被告不在裁判で決定し-ぼくは妻の意向で陸の孤島みたいな町のウィークリー・マンションに飛ばされていた-離婚後60日間の接近禁止条令が適用されるからにはぼくは住民登録先がありながら、妻にブロックされてにっちもさっちもいかない状況になっていた。
なかなか円満離婚とはいかないものだ。ぼくが不審者の条件を満たすのを、妻は警察と保健所の指導に従って待っていた。ぼくはむしろ、妻のために悲しんだ。

家庭内暴力育児放棄?何の話し合いもない離婚だった。妻は保健所と警察署に煽られて、しまいにはそれが事実でもあったかのように担当刑事(あいつらは人として最低だ)の捏造した告訴状にサインしたのだった。
「だって知らなかったのよ!」と妻は言った、「こんなに長くなるなんて」
「でもきみは知っていてもサインしただろうね」

刑事犯(県条令違犯だが)の秘疑者として足かけ4か月(5月23日-9月12日)。113日の獄中生活のうち7月末日までは多摩警察署留置場、8月1日からは横浜拘置所。単純な告訴なのに長引いたのは盆休みが重なったからだ。通常なら2~3か月で裁判は結審する。

検事や弁護士、裁判官がだらだら休んで裁判を先送りにしている間、ぼくは12畳に男10人の雑居房では憎まれ(ぼくが誰にもなびかないからだ)、畳み2畳に板の間1畳(水洗便器置き場でもある)の独居房は廊下に沿って50部屋もあるだろうか。ぼくは奥から数部屋目だった。静まり返った廊下を歩くと、絶望や孤独よりももっと強いもの、張りつめたもの…狂気を感じた。雑居房では独居房送りを恐れている未決囚ばかりだった理由がわかった。

だがぼくは自分から最上階の独居房に移してもらった。それで良かったのだ。

・独房の五階の窓斬れつばくらめ(囚人吟)