ヘンリー・ハサウェイ(1898-1985)という映画監督は多作なうえに手がけたジャンルも広く、ジャンル別に代表作を選ぶと題材や手法、俳優にも相当目のつけどころも早く、仕上がりも鮮やかな作品が上がるにもかかわらず、得意分野一筋の映画監督の作品に較べると穏健で物足りなく見えます。ジョン・フォードやハワード・ホークスより数歳年少で、ヒッチコックより1歳年長のハサウェイはサイレント時代にデミルの『十誡』、ニブロの『ベン・ハー』などに助監督として就き、トーキー時代の1932年に初監督作品『砂漠の遺産』で一本立ちしました(フォード、ホークス、ヒッチコックはサイレント時代に既に監督デビューしています)。これはパラマウント社の2本立て用作品で、第11作の初長編『ベンガルの槍騎兵』'35(ゲイリー・クーパー主演)まで2本立て用作品が続きます。ただし特筆されるのは『砂漠の遺産』が西部劇を代表する俳優ランドルフ・スコットの初主演作で、ハサウェイは続く『白馬王国』1932、『轟く天地』1933、『燃ゆる山道』1933、『森の男』1933、『最後の一人まで』1933、『国境の狼群』1934とスコット初期の主演作8作を監督しており、これらはすべて大衆ウェスタン作家ゼイン・グレイ作品を原作としていることから一連のシリーズとして'50年代後期のバット・ベティカー監督作品の「ラノウン・サイクル」7連作と対をなすスコット初期代表作になりました。「ラノウン・サイクル」同様「ゼイン・グレイ」ものはどれも同じような設定とストーリーですが、長さを制限されているため異様にテンポが早く畳みかけるような演出のドライさに魅力があります。フォード的な題材をホークス的なスピード感でこなしている観もありますが、監督デビュー1、2年目でこれだけ決まった作品を物したのは後発デビューならではの強みでしょうか。今回の4本はいずれもランドルフ・スコット主演の「ゼイン・グレイ」もので、出来は後になるほど良くなります。傑作というような作品はありませんが、西部劇映画史上に重要な位置を占めるものとされています。ランドルフ・スコットという西部劇俳優もそうですが、ハサウェイという監督も出るべくして世に出た映画監督という感じを抱かせます。
●8月27日(日)
『砂漠の遺産』Heritage of the Desert (When the West Was Young) (アメリカ/パラマウント'32)*56min, B/W, Standard
・主演ランドルフ・スコット、サリー・ブレイン。ランドルフ・スコット初主演作品にしてハサウェイ監督第1作、またゼイン・グレイ連作第1作でもある。ユニティ再配給により"When the West Was Young"と改題。1890年代、西部。ホワイト・セージの町で酒場兼賭場を営むジャドスン・ホルダネス(デイヴィッド・ランドー)は子分レフティ(グィン・ウィリアムス)と共謀して家畜泥棒を働き、牧場主アダム・ナアブ(J・ファーレル・マクドナルド)の所有地を手に入れようとナアブを脅迫するが、ナアブは屈しない。ナアブにはスナップ(ゴードン・ウェストコット)という息子がおり、死んだ友達の遺児ジュディ(サリー・ブレイン)を引き取って婚約させているが、スナップは金が手に入るとこっそり酒場通いをしており、博打で大負けしてホルダネスから金を借り、交換条件に父親の馬を50頭盗ませる約束をする。その夜酒場にナアブが牧場を測量させるために都から呼び寄せた測量技師ジャック・ヘア(ランドルフ・スコット)が何の事情も知らずに現れる。ジャックはナアブの牧場に向かう途中レフティに馬を狙撃され、徒歩で砂漠をさまよう内に倒れてしまう。ナアブ家の人々は町へ家畜の移送中にジャックを見つけ、ジュディのかいがいしい介抱でジャックも回復する。スナップの嫉妬をよそにジャックとジュディの親睦は急速に深まる。それに気づいたナアブはスナップとジュディの結婚を急ぐことにする。しかしジュディはジャックのもとへ逃れ、ジャックはナアブに結婚の許しを求める決心をしジュディと伴に牧場へ戻ると、ジャックは嫉妬に狂ったスナップに撃たれる。傷は軽く、騒ぎの最中ジュディは山小屋へ逃れるが、待ち伏せたホルダネスたちに捕らえてしまう。ホルダネスらはジュディを追って来たスナップを殺し、死骸に手紙をつけて馬に乗せナアブの元へ送り届ける。ナアブは自警団を召集してホルダネスの逮捕に向かう。ジャックもジュディを救出に向かうも捕らえられてしまうがナアブたちに救われ、ジャックとジュディの結婚は許されることになる。なんというか、あらすじのとおり誰も颯爽としていない西部劇で、初主演のスコットは二枚目だが優男で役柄でもまるで強い男ではない。脇役たちの方が個性的な容貌で西部劇らしいのにスコットだけ現代劇のような佇まいで、体技らしい体技もしないし演技が良く言えば自然、言い換えれば地味でおよそ主役らしくない。すぐにヒロインと相思相愛になるのが不自然ではないのは西部男たちに混じると優しさが際立っているからで、ゼイン・グレイ作品の翻訳など読んだことはないが調べると改作が著しいらしいからスコットのキャラクターに合わせた改変がされているのだろう。これがスコットにとっても当たり役のキャラクターだったそうだから、ジョン・ウェインも下積み時代の当時は(『駅馬車』は1939年)西部劇の主役はむしろランドルフ・スコットのような軟弱なアンチ・ヒーローが好まれた、という意外性がある。スコット以外の登場人物はいかにも西部劇らしい古風な雰囲気で、思えばハサウェイの映画は後年の西部劇以外の作品でも主人公は受動的な立場なのが多い。それが第1作から始まっているというのがハサウェイとスコット双方の奥ゆかしさだろうか。
『轟く天地』The Thundering Herd (Buffalo Stampedo) (アメリカ/パラマウント'33)*57min, B/W, Standard
・主演ランドルフ・スコット、ハリー・ケリー、ジュディス・アレン。ゼイン・グレイ連作第3作。フェヴァリット・フィルム再配給により"Buffalo Stampedo"と改題。原作者の名前の方が"Zane Gray's"とタイトルのトップに出てくる。1874年、西部。バッファロー狩りの監視員トム・ドーン(ランドルフ・スコット)と先輩のクラーク(ハリー・ケリー)は御者のビル(バスター・クラッブス)と伴に先住民に変装した白人バッファロー密猟団を捜査し、ランドール(ノア・ビアリー・シニア)が子分のジュード(レイモンド・ハットン)、スマイリー(モンテ・ブルー)、プルーイット(バートン・マクレイン)らと野営して密猟を行っているのを突き止める。一味はランドール不在中はランドールの古妻ジェーン(ブランシェ・フリデリシ)に仕切られ不満が絶えないが、ランドールは拾ってきて養女にしているミリー(ジュディス・アレン)の成長に舌なめずりしている。トムはランドール一味の調査からミリーの存在を知り救出を決意する。やがてランドールの密猟がバッファローと共生する先住民の怒りを招き、バッファローの不猟から正規取引のバッファロー革相場が高騰し、ランドール留守中にランドールの妻ジェーンはミリーを幽閉、分け前を要求するジュードら子分3人を殺害し、ミリーはからくもランドールの帰宅前に窓から脱出してトムに助けられる。子分を失ったランドールは単身トムとクラークの馬車と対決し御者のビルが犠牲になるが、バッファローの暴走に巻き込まれて命を落とす。実はランドルフ・スコットは西部劇俳優なのに乗馬は並程度だったのではないか。馬車の操縦はいけるが、突っ走るシーンだと必ず相棒がいる。撮影上の工夫はなかなかで、走る馬車にカメラを乗せてアップで会話シーンを撮る、併走する馬車からロングで撮る、固定カメラで通過シーンを撮るといった具合に手間をかけてきれいにカットを割って撮影している。本作はスコットの役柄上馬車で巡回するシーンが多いので屋根なしの馬車を走らせる姿をどう撮るかという見本みたいな映画になっており、『ベン・ハー』の助監督を勤めた経験が生きているのだろう。スコットが馬より馬車に乗る男なのも(闊歩程度の乗馬シーンなら出てくるが)得手不得手ではなく馬車の方が絵が決まる、という演出上の判断なのかもしれない。本作は後半で悪党の陰気で嫉妬深い中年妻を演じるブランシェ・フリデリシの存在感が映画を引き締めている。アメリカ映画の伝統的悪女はフィルム・ノワール以前には蠱惑的美女よりこの手の強欲姥的キャラクターが主流だったのに気づかされる。本作のスコットもヒロインとあっさり結ばれる役で活躍しているのはヴェテランの相棒ハリー・ケリー、濃いキャラクターはみんな悪党一味という印象だが、『砂漠の遺産』ほど役立たずには見えないのは一応ちゃんと監視員の仕事をしているからだろう。主役はロマンス担当、ドラマは脇役担当と割り切って、本作のようにすっきりした出来だと60分未満の映画ではそうした役割分担も理に叶っているように思える。
●8月28日(月)
『森の男』Man of the Forest (アメリカ/パラマウント'33)*61min, B/W, Standard
・主演ランドルフ・スコット。ゼイン・グレイ連作第6作。フェヴァリット・フィルム再配給(タイトル同じ)。これも「Zane Gray's "Man of the Forest"」とタイトルが出る。テーマ曲は「おおスザンナ」。主人公の仲間や悪党、その嫉妬深く陰気な中年妻役を始めとして配役も『轟く天地』とほとんど同じ。無実の罪で前科者になったジム・ゲイナー(ハリー・ケリー)の牧場をクリント・ビーズリイ(ノア・ビアリー・シニア)が強奪しようとする。ゲイナーは前科者なので正式な土地登記の権利がなく、姪のアリス(ヴァーナ・ヒリー)を呼び寄せ姪の名義で登記する計画を立てる。ゲイナーの牧場にスパイを潜ませていたビーズリイはアリス誘拐を企てたが謎の「森の男」が現れて、横からアリスを誘拐してしまう。この男はゲイナーの親友ブレット・デール(ランドルフ・スコット)で、ゲイナーの協力者だった。ゲイナーはアリスに会いにデールの家に向かう途中ビーズリイに射殺される。町の保安官ブレイク(トム・ケネディー)はビーズリイの買収でゲイナー殺害犯人としてブレットを逮捕する。ビーズリイはアリスを情婦ミセス・フォーニイ(ブランシュ・フレデリシ)の家に幽閉し牧場強奪計画を進める。いよいよ牧場の登記の前夜、ブレットのペットのマウンテン・ライオンのマイクが保安官ブレイクを襲ってブレットを脱獄させる。一方ゲイナーの牧場ではブレットの味方の市民がブレットを救おうと集合する。ブレットたちアリスを救い出して倉庫に立て籠もる。ビーズリイは倉庫を遠巻きにして焼き討ちを企てるが、アリスに嫉妬したミセス・フォーニイがビーズリイを射殺する。ゲイナーの残した牧場はブレットとアリスが継ぐことになる。これも1時間の映画だから展開がめまぐるしい。無駄なシーンなど入れる余裕はないから少し目を離すとえらく話が進んでいたりする。1シークエンスに盛られたカットの情報の圧縮度が高く、可能な限り効率化されている。『轟く天地』、その双子のような本作と観てくるとあまりぱっとしない出来に見えた第1作『砂漠の遺産』の狙いが見えてくる。『砂漠~』のスコットは馬を失って砂漠に迷いヒロインにめぐり合う男でなければならなかった。その方がスコットの柄に合い話も早い。またスコットは受動的であることで味方からも悪党からも等距離という条件によって中心人物の座にあるヒーローだった。本作のスコットは珍しく積極的にヒーローらしく登場するが窮地を救ってくれるのはペットのマウンテン・ライオンだし、悪党はまたしても陰気で嫉妬深い古妻に返り討ちに遭って勝手に自滅してくれる(『砂漠~』では恋敵は悪党が始末してくれる)。スコットばかりに運の良いご都合主義の世界なのだが、ドミノ倒しのようにパタパタと進むハサウェイの演出とランドルフ・スコットの主演だとご都合主義とは感じさせない。シナリオの塩梅がいいのかいくつも選択肢のあり得る偶然がうまい具合に噛み合って進み、しかもスコット演じる主人公は直接重要な展開には関わらないため、実際はご都合主義なのにごく自然で客観的に事件が継起したように見える。計算よりも西部劇という虚構の歴史劇がリアリティの裏打ちになっている点で日本の時代劇と共通するジャンル性の強みがあり、つまり約束事が通用する世界を生かしきることでハサウェイ監督のスコット作品は8連作に及ぶ成功と好評を博した。西部劇に代わるジャンルは西部劇以来戦争映画くらいしかなく、西部劇も戦争映画も現代ではかつてのような約束事で成り立つ世界は描けないと思うと、スコット=ハサウェイのゼイン・グレイ連作の文化遺産的価値は見かけよりずっとスケールが大きいと実感される。
『最後の一人まで』To the Last Man (アメリカ/パラマウント'33)*74min, B/W, Standard
・主演ランドルフ・スコット、エスター・ラルストン。ゼイン・グレイ連作第7作。これも「Zane Gray's "To the Last Man"」とタイトル。フェヴァリット・フィルム再配給(タイトル変わらず)。冒頭、1865年、リー将軍降伏(南北戦争、南部敗戦による終結)の新聞記事。ケンタッキーのヘイデン家とコルビー家は代々確執を続けて来たが、南北戦争に従軍したマーク・ヘイデン(エゴン・ブレッチャー)は終戦後平和を望み、義父スペルヴィンがジェド・コルビー(ノア・ビアリー・シニア)に殺された時も復讐せず、殺人犯として州裁判所に訴える。15年後、ジェドが服役を終えると、マークは長男リン(ランドルフ・スコット)を祖母のもとに残してアン(ゲイル・パトリック)とビル(バスター・クラブ)を連れて西部で牧場を経営し、ビルはモリイ(ミュリエル・カークランド)を妻に貰い、アンはニール・スタンリイ(バートン・マクレーン)に嫁ぎ、平和に暮らしていた。ジェドは復讐のため獄中で仲間になったジム(ジャック・ラルー)にヘイデン家の所在を探らせ西部にいると知り、娘のエレン(エスター・ロールストン)とジムを連れて西部のヘイデン家の近くに住み、ヘイドン家の牧場から家畜を盗んで挑発を始める。ちょうどこの時、祖母が逝去してリンが西部のヘイデン家に帰ってくる(スコット初登場、24分目)。リンは帰途でエレンに出会い惹かれたが、エレンはリンがヘイドン家の者だと知り激怒するも二人は惹かれあう。リンが帰宅した日、アンの婿のニールが家畜を盗みに来たコルビーの手下を殺したことにより、また両家の争いは一触即発になる。だが家長マークは争いを堪える。たまたまリンがエレンに送ったドレスがジェドの目にとまり激怒したジェドはジムらとヘイデン家を襲撃し、ビルを殺す。ついに争いが始まり、リンたちがコルビーたちを追って山峡に迫った時、ジムの仕掛けたダイナマイトで崖崩れが起き、リンだけが助かり途中で出会ったエレンの助けで彼女の家に身を横たえた。ジムはエレンを手に入れるためジェドを崖から突き落とし、エレンの家に帰り力ずくで屈服させようとしたが、隠れていた納屋の天井からナイフを持って転がり落ちたリンに刺されて倒れる。リンとエレンは結ばれ、両家の争いは絶える。一言で言えばハッピーエンド版西部劇ロミオとジュリエットだが、仇討ちではなく法の裁きを貫こうとするヘイデン家家長と法より報復を是とする伝統的な南部思考のコルビー家の対立を打ち出して、これまでの作品でも共通していた西部劇ならではのテーマを尖鋭化させた。つまり法か面子か、という日本の任侠にも通じるテーマだが、これは任侠のみならず世界各国の文化圏ごとに形を変えて存在する二律背反だろう。本作はテーマ自体はなし崩しにクライマックスを迎え、功利的な第三者の位置の悪党が最終的な悪玉になるというすり替えでテーマの霧散を補って、スコットも初めて正当防衛ながら殺傷で決着をつけるが、ハサウェイは本作のテーマを後のヘンリー・フォンダ主演の『丘の一本松』'36で十分に展開し、ジョン・ウェイン主演の『丘の羊飼い』'41でさらにその先に浮かぶテーマにたどり着く。この2本の傑作でハサウェイはフォードやホークスとはまったく別の内省的西部劇を切り開くことになり、その萌芽がゼイン・グレイ連作終わり近い本作には確かにある。たった2年で作品毎に長足の腕前を見せ、7作目にして後の傑作への礎石を築いたハサウェイの実力と、何かと「B級西部劇スター」呼ばわりされることの多いランドルフ・スコットのキャラクターの意外な深みを感じる。『丘の一本松』のフォンダ、『丘の羊飼い』のウェインは明らかにスコットのキャラクターの延長線上にあり、これをB級の一言で済ませられるものではない。