人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記裏ばなし

 大した裏話があるわけではない。裏話らしい裏話といえばブログの映画日記に載せているのは事実ちゃんと観て書いているが、テレビ放映の映画やブログに感想文を書くつもりはなく観ている映画もけっこうある。今ブログに書くために毎日観ているのはベルイマン映画だが、先週7月22日(土)は『紅の翼』'58(日活/中平康)、23日(日)は『錆びたナイフ』'58(日活/桝田利雄)の2本の石原裕次郎映画を観た。西部劇と戦争映画、それに何といってもサイレント映画は感想文の連載とは関係なく観る。いずれ関連作品とまとめて観直したら感想文を書く程度のつもりで、もともとブログに載せるつもりで観る映画はいわば宿題みたいなものだから、それはそれで楽しいがそれ相応に骨も折れる。

 そもそも当初「(2016年)6月~8月に観た映画」として映画日記を始めたきっかけは『勝手にしやがれ』'60~『東風』'70までのゴダール作品を一気に観直し、同じ頃最愛の西ドイツ映画監督ヴェルナー・シュレーターの『アイカ・カタパ』'69、『マリア・マリブランの死』'70を四半世紀ぶり以上を経て再見したらシュレーターの系譜に連なるファスビンダージーバーベルグも実はけっこう大した映画作家だったのに今さらながら気づき、ジーバーベルグの7時間半ある『ヒットラーまたはドイツ映画』'77もヌーヴェル・ヴァーグ最後の難関ジャック・リヴェットの12時間55分ある『アウト・ワン』'71も、シャンタル・アケルマンの『ジャンヌ・ディエルマン、ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』'75を始めとする70年代作品も現代イギリス映画の秘宝テレンス・デイヴィスの『三部作』'76-'83、『遠い声、静かな暮し』'88も今では映像ソフトで手軽に手に入り、名画座で観るよりも安価なほどなのがわかり、まずは手持ちの映像ソフトの観直しから手当たり次第に観て少しずつ買い足していった。

 先に上げたのはヨーロッパのインディペンデント映画ばかりだが、商業映画でもたとえばアラン・タネールの『どうなってもシャルル』'69、『サラマンドル』'70、『ジョナスは2000年に25歳になる』'75や大島渚吉田喜重の諸作、神代辰巳の『赤線玉の井・ぬけられます』'74、手当たり次第に古いハリウッド映画(アメリカ映画はコメディと西部劇とミュージカルと犯罪映画と戦争映画ばかりなのがよくわかる。つまり20世紀とはどういう時代だったかがわかる)と日本映画、ヨーロッパ映画サイレント映画全般(一部の特別な監督・俳優は別だが基本的には知名度や世評も気にしない、安い値段で大量に観る)といった具合に、またよく映画を観るようになったのはゴダール様のおかげと言うしかない。共産圏映画はめぼしいものしか、またアジア映画を体系的に観ることができないのが心残りだが、これは一生かなわないかもしれない。それに今からではたぶんもう遅い。

 ただし10代終わり~20代に観てあれほどグッときた'60年代ゴダール作品は今観ると何だか距離を感じて仕方なかった。『女と男のいる舗道』と『彼女について私が知っている二、三の事柄』はやはり名作だと思うが、最初に熱中した『勝手にしやがれ』と『気狂いピエロ』の2大傑作がどうも乗れない。こちらの加齢のせいだと思うが感覚のズレを感じて入っていけない。それでも映画の見方を映画そのものによって教えてくれたのはゴダールなので、ちょっと窮屈で強迫的ではあるがゴダール映画を追って観ていなかったら黒澤明全作品とか大島渚全作品とかフリッツ・ラング全作品とかイングマール・ベルイマン全作品とか(もう全42作は観終えたので今は毎日1本ずつ観直している)とか到底観る覚悟はつかなかっただろう。映像ソフトさえ揃えられればどんな映画監督の全作品踏破だってやってのける自信がある。ちなみに昨日ベルイマンとは別に観直したのはもう何度となく観たこの映画だった。ラストシーンです。

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