人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2017年11月18日・19日/ラオール・ウォルシュ(Raoul Walsh, 1887-1980)の活劇映画(7)

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 会心の傑作『白熱』『死の谷』の2作を1949年に発表したウォルシュは珍しく'50年には作品がなく、'51年にはカーク・ダグラス主演の『死の砂塵』(6月公開)、グレゴリー・ペック主演の『艦長ホレーショ』(9月公開)、ゲイリー・クーパー主演の『遠い太鼓』(12月公開)を発表し、それらより先にフランス出身のブレティン・ウィンダスト監督作品『脅迫者』(1月公開)にノンクレジットで共同監督を勤めます。同作はハンフリー・ボガートのワーナーの契約満了作品となったフィルム・ノワール(犯罪映画)で、ワーナーが製作にも宣伝にも力を入れなかった低予算映画のため当然監督も無名で、ボギー主演作品の中でももっともマイナーな一作になりましたが、ボギーのキャリアの育ての親であるウォルシュが名前を出さずに手伝ったということになるようです。面倒見がいいというか、今後ボギー出演作を撮る機会もないだろうとウォルシュの方から買って出たのでしょう。'50年に発表作品がなかったのは製作費300万ドルの大作『艦長ホレーショ』がプリプロダクション段階に入っていたからと思われ、『艦長ホレーショ』より後から製作が始まったと推定される『脅迫者』(1月公開ですから製作は'50年度中になります)、B/Wの低予算西部劇小品『死の砂塵』の方が先に公開されたのもウォルシュらしい監督ペースです。ゲイリー・クーパー主演の『遠い太鼓』もフロリダ始めアメリカ各所の自然公園でロケを行ったテクニカラーの大作西部劇ですから1951年のウォルシュは西部劇~海洋歴史活劇~西部劇と活劇三昧のアミューズメントパークな一年で、この年ウォルシュは64歳を迎えたと思うと作品の規模も合わせて精力的にもほどがあります。またこの年の3作(『脅迫者』含めず)はウォルシュらしい磊落な面白さに溢れたもので、一触即発の緊張感と魔力をはらんだ『白熱』『死の谷』よりもこちらを採る見方もでき、主人公の破滅を描いたそれら2作の後だからこそ'51年の(大まかに括れば)ヒロイックな3作があるとも言えそうです。しかし普通、定年退職年齢を過ぎた人間がこれほどの大工事を託され、やってのけるものでしょうか。ウォルシュは享年93歳の長命な人でしたが(引退作品は77歳の年でした)、人間の出来が違うとはそもそもこういうことなのでしょうか。

●11月18日(土)
『死の砂塵』Along the Great Divide (ワーナー'51)*88min, B/W; 日本公開1954年(昭和29年)6月

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(キネマ旬報近着映画紹介より、一部加筆訂正)
[ 解説 ] 「赤い風車」のアンソニー・ヴェイラーが1951年に製作した西部劇で、「欲望の砂漠」のウォルター・ドニガーのストーリーをドニガーと「青いヴェール」のルイス・メルツァーーが共同で脚色、「サスカチワンの狼火」のラウル・ウォルシュが監督した。撮影は「白熱」のシド・ヒコックス、音楽デイヴィッド・バトルフ。「想い出」のカーク・ダグラスと「地獄の狼」のヴァージニア・メイオが主演し、以下「アパッチ砦」のジョン・エイガー、「西部の掠奪者」のウォルター・ブレナン、レイ・ティール、ヒュー・サンダースらが助演する。
[ あらすじ ] 合衆国保安官レン・メリック(カーク・ダグラス)は助手ルー・グレイ(レイ・ティール)とビリー・シーア(ジョン・エイガー)は、牛を盗み、エド・ローデン(モーリス・アンダーソン)の息子を殺したというのでリンチにかけられそうになったポプ・キース(ウォルター・ブレナン)を救い、彼に公正な裁判のチャンスを与えるべく、ポプの娘アン(ヴァージニア・メイオ)とともに遠くの町へ行くことになった。その途中、一行はエドと息子ダン(ジェームズ・アンダーソン)の襲撃をうけ、乱闘中にビリーは死んだが、ダンを捕まえ、酷暑と渇に悩まされながらも旅を続けていった。町では、いきまいた陪審員により、ポプの絞首刑が宣告されようとしていたが、ダンが兄を殺したというレンの反証により事態は紛糾した。ダンは隙を見計らってアンを楯に逃亡を企てたが、レンの弾に倒れ、ポプはめでたく無罪となった。レンとアンは結ばれるだろう。

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 カーク・ダグラス(1916-)は『三人の妻への手紙』『チャンピオン』が'49年、『ガラスの動物園』『情熱の狂詩曲』が1950年、『探偵物語』が本作と同じ'51年ですから(2017年現在存命)、当時戦後デビューの新人俳優中の注目株でした。ハワード・ホークスの『果てしなき蒼空』、ヴィンセント・ミネリの『悪人と美女』に主演したのは翌'52年ですから、'49年~'52年の間に第一線級の監督の薫陶はひと通り受けた、ハリウッド黄金時代最後の時期に滑り込みで間に合ったスターだったと言えるでしょう。『チャンピオン』のような低予算映画の意欲作に出演するのは当然ギャラの安い仕事でも話題性があれば引き受けたということでもあり、ハンフリー・ボガートがハードボイルドだったならダグラスはいつも不機嫌そうだったのが戦後世代らしかったので、本作のダグラスも始終苦虫を噛み潰したような表情を変えません。キネマ旬報のあらすじがやけに短いように本作は容疑者を裁判所に護送していくだけの話で、正確にはその前後(ウォルター・ブレナン演じる容疑者をリンチから救う、裁判~判決後に事件の真相を暴く)があるので3部構成とも言えますが、大半は荒野を護送する三日三晩に尺が割かれています。西部劇とは町と町が点在するだけの果てしない荒野を馬で、稀に鉄道で移動するしかなかった時代のアメリカ合衆国の未開の地が舞台なので、こういう思い切った三幕劇のような構成にしても劇的な効果が可能になり、単純なシチュエーションからさまざまなヴァリエーションが編み出されてきたのが世界初の短編劇映画の一つとされる1903年の『大列車強盗』以来の西部劇の歴史でした。とまあ、映画史の基礎知識の基礎中の基礎みたいなことまで思い出させるのがこの『死の砂塵』で、"the Great Divide"とはロッキー山脈分水嶺、転じて「生死の境」の隠喩にもなっている成句ですが、"the Great Divide"に沿って、とは西部劇でこそそのものずばりとはいえアメリカ文化に根づいたテーマのようで、'60年代後半~'70年代前半のアメリカ映画の転換期に旅、放浪を描いた作品が多いのは開拓時代のアメリカの記憶を反映しているのです。同時期には映画のみならずこのテーマが採り上げられ、グレイトフル・デッドの代表曲「Truckin'」'70やリトル・フィートの代表曲「Willin'」'71(本人たちの前年にザ・バーズがカヴァーを先行発表)も西部(らしき荒野)を放浪する歌ですが、ザ・バンドにはずばり「Across the Great Divide」'69という名曲があります。邦題は「ロッキー越えて」で本作とは全然関係ないのですが、バーズ、デッド、フィートらはザ・バンドに触発されて「Truckin'」や「Willin'」を作ったので、ザ・バンドの作曲家のロビー・ロバートソンが映画マニアで解散コンサートのドキュメンタリー映画『ラスト・ワルツ』'78がマーティン・スコセッシ監督作品であり、ロバートソンはスコセッシの映画音楽家になったのを思えば「ロッキー越えて」が『死の砂塵』への返歌でなくても西部劇のイメージから作られた曲なのは明らかです。映画に話を戻すとダグラスがブレナンへのリンチを防ぎ法の裁きに固執するのは保安官だった父がリンチを防いで命を落とした時ダグラス自身がリンチに荷担していた負い目からであり、それをうっかり心を許した娘のメイヨに洩らしてしまったためにブレナンはダグラスを動揺させ隙を作って逃げようとダグラスの父が好きだったという小唄を口ずさみ、「Boy」や「My Son」と呼びかけてダグラスを不眠症に追い込みます。また若いジョン・エイガーはダグラスに従順な保安官助手であるものの、年配の助手を演じるレイ・ティールはダグラスがリンチを防ぐために人質にした被害者の弟の大農場主一家のジェームズ・アンダーソンに「逃がしてくれれば農場を分けてやる」と持ちかけられていつでも裏切る可能性がある、そういう誰にも油断のできないロッキー山脈大横断の護送道中なので、ウォルシュはこうした危機的状況を演出するのは実に上手く、本作も一種のフィルム・ノワール的西部劇ですが、フィルム・ノワール生みの親でもあるウォルシュの巧さはサスペンスの盛り上げ方がさりげなく自然なことでしょう。後続のフィルム・ノワール映画監督の多くはドラマチックな効果を狙うあまり作為性が目立つ作品を作りがちで、ウォルシュが手伝ったブレティン・ウィンダスト監督作品『脅迫者』も犯罪捜査映画ながら回想回想また回想で単純な事件をいたずらに複雑にしているばかりで、キューブリックの『現金に体を張れ』'56のような成功例もありますがフィルム・ノワール全般はワイルダーの『深夜の告白』'44の悪影響が大きいのです(ウォルシュの『追跡』'47も『深夜の告白』悪影響の一例でした)。『壮絶第七騎兵隊』『白熱』『死の谷』でもそうだったようにウォルシュは現在進行形で一直線に図太く話を進めていく時こそ本領を発揮する監督で、そこらへんも後輩のハワード・ホークスと共通するのですが、とかく凝りすぎなホークスよりもジャンル映画の類型を上手く利用していたずらに映画を複雑にしない点では先輩ウォルシュの方がスマートなのは、そもそもウォルシュの監督デビューした時代には映画の各種ジャンルすら確立されていなかったからでしょう。本作は名優ブレナンのキャラクターも普段お人好しの役が多いので意外性があって面白く、メイヨも『死の谷』を経てきたからか鉄火肌の西部娘を好演しており、主人公はロバート・ミッチャムモンゴメリー・クリフト、アラン・ラッドでもよかったかといえばミッチャムやクリフト、ラッドではマゾヒスティック、またはストイックに見えてしまうので基本的にはメンタルの強そうなダグラスでちょうどいい、とこれまたキャスティングが生きています。クライマックスは法廷推理劇になって万事納得のいく解決がありますが、映画の進行が「真犯人は誰か」と観客に考える余裕を与えない作りになっているので単純な謎解きにも意外性があり、それが実は大胆かつ合理的に映画自体が仕掛けたトリックにもなっているのがミソで、規模も趣向としても小品なのに充実した見応えがあります。名作傑作力作秀作というほどではない、'60年代ならテレビ用作品として作られたような小品佳作ですが、これは数年前の『追跡』'47や『賭博の町』'48よりも数段優れた作品です。これが超大作『艦長ホレーショ』の製作と平行して作られたのがウォルシュの快調ぶりを示しています。

●11月19日(日)
『艦長ホレーショ』Captain Horatio Hornblower (ワーナー'51)*117min, Technicolor; 日本公開1952年(昭和27年)11月

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(キネマ旬報近着映画紹介より、一部加筆訂正)
[ 解説 ] 「絶望の空路」のラウール・ウォルシュが監督に当たったテクニカラーの海洋活劇1951年作品、C・S・フォレスター(「アフリカの女王」)の原作小説を、著者自身映画用に潤色し、アイヴァン・ゴッフ、ベン・ロバーツ、イーニアス・マッケンジー(「黒騎士」)の3人が脚色した。撮影はガイ・グリーン、作曲はロバート・ファーノンの担当。主演は「愛欲の十字路」のグレゴリー・ペックと「ダニー・ケイの天国と地獄」のヴァージニア・メイヨで、ロバート・ビーティ(「邪魔者は殺せ」)、ジェームズ・R・ジャスティス(「四重奏」)、デニス・オディア(「邪魔者は殺せ」)らのイギリス俳優が助演している。
[ あらすじ ] 1807年、イギリスがナポレオン麾下のフランス、スペイン連合軍と戦を交えていたとき、英軍のリディア号は太平洋を秘密司令を受けて航行をつづけていた。ながい航海の後リディア号はニカラグアの海岸に着いた。艦長のホレーショ・ホーンブラワー(グレゴリー・ペック)は、そこにいるスペインへの反逆者でエル・スプレモこと独裁者フリアン王(アレック・マンゴ)に内戦を起こさせる命令をし、ホレーショはスペイン軍艦ナチヴィダド号を降伏させエル・スプレモに献上した。数日後リディア号は白旗を掲げたスペイン船に会い、スペインと英国は1ヵ月前に和を結び、協力してフランスに当たっていることを知った。この船でスペインにとらえられていた英国のウェリントン公爵の妹バーバラ姫(ヴァージニア・メイヨ)が帰国の途にあったが、リディア号は叛旗を翻したフリアン王のナチヴィダド号と交戦し、これを滅ぼした。こうして英国へ急ぐ船上でバーバラ姫がマラリア熱に倒れ、ホレーショが看病するうち2人の間には愛が芽生えたが、姫はレイトン提督(デニス・オディア)と婚約しており、ホレーショには妻があった。故国に帰ったホレーショは妻が子供を生んで死んだことを知り、やがてバーバラの結婚の報も伝わった。ホレーショは新艦スーザランド号の艦長に任ぜられ、フランス海岸封鎖の命令を受けた。ホレーショは一計を案じ、フランス国旗を掲げて敵の港に侵入し、敵艦を潰滅させたが自らも沈没し、彼は捕らえられて死刑を宣告された。だが、護送の途中副艦長ブッシュ(ロバート・ビーティ)、水夫クイスト(ジェームズ・R・ジャスティス)とともに脱走し、フランスに拿捕されていた英国艦を取り返して帰還した。彼の家には、1人息子とともに、今は未亡人となったバーバラが待っていた。ホレーショとバーバラは、やっと結ばれるときが来たのであった。

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 製作費300万ドル、19世紀の本物の帆船型戦艦数隻を撮影のため借り受け、ロケーション撮影でもセット撮影でも徹底して19世紀初頭を再現した超大作の本作は、ワーナーが当初エロール・フリンを主演に予定して原作の映画化権を押さえたそうです。ですがフリン主演でヴィンセント・シャーマン監督(1906-2006 !)のテクニカラー大作『ドン・ファンの冒険』'48(けっこう面白い作品です)がワーナーの経営が傾くほどの興業的惨敗に終わり、一方本作の製作準備は始まっていたので主演俳優を変更することになり、一旦バート・ランカスターに決まりかけるも19世紀のイギリス軍人らしくないとグレゴリー・ペックに白羽の矢が立ち、ペックはセルズニック・プロ専属俳優ですが借り受ける形で起用が決まりました。ペックは歴史物の主演は常連俳優でしたから(出世作が『血と砂』'41の闘牛士ですし後にもダヴィデ王になったりエイハブ船長になったりします)本作でも起用が成功していますが、フリンだったらもっとノリノリの艦長ホレーショになっていたと思うとそれも観たかった気がします。しかし原作者も本作の出来、特に歴史映画としてのムードに満足を表明していますので、フリンでは西部劇の将軍ならともかくイギリス艦隊の艦長は、しかも冷静沈着かつ内省的、かと思えば大胆不敵という性格の役柄は、大胆不敵ばかりが表に出すぎたかもしれません。原作小説であるイギリスの海洋冒険小説C・S・フォレスター(1899-1966)の「艦長ホレーショ・ホーンブロワー」シリーズは1937年の『パナマの死闘』、翌年の『燃える戦列艦』『勇者の帰還』の三部作が人気を呼んで作者の逝去まで全10巻に及ぶ大河小説になりましたが(その際に三部作の前史、後日談が追加され、この三部作は作中の年代順では第5巻~第7巻に位置することになりました)、フォレスター自身が映画用に整理し再構成したシノプシスを専任脚本家が3人がかりでシナリオの完成稿に仕上げた難物で、300万ドルのうち相当額がプリプロダクション段階で消費されたと思われます。キャスティング、衣装、セット、大道具小道具などなどきりがないでしょう。その間現場監督の親分ウォルシュは『脅迫者』を手伝ったり、小品『死の砂塵』を早撮りしたりと撮影開始までの準備期間をつぶして過ごし、次作のゲイリー・クーパー主演作『遠い太鼓』のプリプロダクションにも入っていたわけです。1951年は(1月公開の『脅迫者』は'50年中に完成として)『死の砂塵』が6月公開、『艦長ホレーショ』が9月公開、『遠い太鼓』が12月公開、うち『艦長ホレーショ』は2年越しの企画です。64歳のじじい(失礼)の仕事とは思えません。また、本作はヒット作にするための上映効率を考慮したか2時間にまとめられていますが、映画の内容は前半(ニカラグアの独裁者との戦い)・後半(フランス潜入任務)にはっきり分かれています。比率としては前半2/3がニカラグア編、後半1/3がフランス編といったところでしょうか。これを均等にしてニカラグア編・フランス編を半々としてしまうとニカラグア編はこれ以上圧縮できないのでフランス編をじっくり描く分3時間弱の長尺になり、ヒットしても上映効率が悪くなって興業収入も2/3になってしまいます。なぜニカラグア編だけでじっくり描いて一本の長編にしなかったかというと、ニカラグア編の後半から出てくるヴァージニア・メイヨとのロマンスが成就するのがフランス潜入任務成功・帰国後だからで、このロマンスをニカラグア編後半からのテーマにしているためにニカラグア任務完了だけでは映画が終われないことになってしまった。メイヨも進んで看護婦に志願して若い士官の死を看取ったり、マラリアで生死の境をさまよい看病したホーンブロワーとの熱いラヴ・シーンがあったりとヒロインらしい見せ場があるので別れたままでは映画は終われません。フランス潜入編も見所はありますが主人公の艦長、副艦長、艦長に心酔する野趣のある服役囚上がりの水夫の3人組の逃避行という地味な冒険譚であり、いかれた独裁者(中南米人への人種偏見丸出しの設定ですが、19世紀初頭のイギリス人の観点と思えばこんなものでしょう)と駆け引きしつつ最後は大海戦で帆船戦艦の対決で大砲の派手な撃ち合いがクライマックスになるニカラグア編の後では、フランス編はいささか尻すぼみの観があります。別々の映画で連作ならそれもありですが、そうするとニカラグア編はペックとメイヨの実らない恋で終わってしまいますし、フランス編は「ニカラグアから帰国した主人公を待っていたのは赤ん坊と産褥で死んだ妻、そしてバーバラ姫の結婚の報だった。そんなホーンブロワーに次の任務が……」という始まり方になり、フランス編はその方が「今回の任務は地味だが結末はメイヨとの恋が実るぞ編」で良かったかもしれません。ニカラグア編は予備知識、またはよほどよく観ないとなぜ前半はエル・スプレモ(スーパーマンの意)こと独裁者フリアン王に協力し、後半一転して敵対しフリアン王を滅ぼす任務になるのかわかりづらいところがあり、要は当時南米や中南米は大方ヨーロッパの海洋大国が植民地にしていたわけです。フランスと戦争していたイギリスはフランスの同盟国だったスペインとも敵対関係にあり、スペインが植民地化していたニカラグアで反スペイン派の現地人の王フリアンに協力し、スペイン艦隊を拿捕してフリアン王に与えることでスペインを牽制するのに成功した。その結果スペインはイギリスに和平条約を申し出て捕虜にしていたイギリス皇室貴族のバーバラ姫を帰し、親スペイン派になったイギリス海軍はフリアン王を征伐してスペインに謝辞を報いた、というのがニカラグア編のプロットです。なんともひどい話で当時のヨーロッパ人(イギリスを含む)が有色人種や現地人・先住民族をどう思っていたかを表すような内容ですが、20世紀に書かれたこの艦長ホーンブロワー・シリーズはイギリスの国民文学になっているわけで、見事な演出でこれをヴィジュアライズした本作は一種のファンタジー映画なので(ニカラグア人に謝れという気もぬぐえませんが)、ウォルシュ歴代の『バグダッドの盗賊』『ビッグ・トレイル』『壮絶第七騎兵隊』がそうだったようにこれはあくまでも神話的フィクションをリアリズムの手法で描いた映画ということになるでしょう。帆船戦艦の一騎打ちの戦闘シーンだけでも一見の価値はあります。近距離ショットは19世紀初頭の帆船戦艦の実物、ロングのフルショットは実物とミニチュアを使い分けて編集でつないであると思いますが、何しろ『バグダッドの盗賊』の超巨大セット同様、ミニチュアを使っているにしても風を受けた帆の具合から見て小型客船以上の大きさの実物の帆船を実物の戦艦仕様に改装しているので、ミニチュアどころではないわけです。現代の映像技術では凝らないところに湯水のように費用と手間をかけているわけで、後世のためにこれを残してくれた先人たちにはいくら感謝しても足りないでしょう。また、ウォルシュの海洋冒険映画には大航海時代末期のダークサイドを描き、完全にアンチヒーローを主役にした名作『海賊黒ひげ』'52もあるのです。