人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2018年1月4日・5日/アルフレッド・ヒッチコック(1899-1980)のほぼ全作品(16)

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 新年第5回目のヒッチコック映画感想文でようやく今年2018年になってから観直した日付に切り替わりました。まずイギリス盤DVD(60分)とドイツ盤DVD(74分)が出ている監督デビュー作『快楽の園』'25を、第1回では60分版を観たので今回は74分版を観て、前回は紹介にとどめただけでしたが今回は内容に踏みこんだ感想文を書きました。もう1作は年代順鑑賞の続きで、今回の『白い恐怖』'45からは第二次世界大戦後のヒッチコック作品になります。『白い恐怖』はヒッチコックの長編劇映画第31作目、偶然ながらちょうど監督デビュー作から満20年、30作を隔てている実に切りのいい取り合わせになりました。なお、今回も『ヒッチコック/トリュフォー 映画術』(晶文社刊、山田宏一蓮實重彦訳)からの発言は例によって多少表現を変えて引用させていただきました。

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●1月4日(木)
『快楽の園』The Pleasure Garden (英ゲインズボロー/独エメルカ=GBA'25)*74min, B/W, Silent; 日本未公開(特集上映、BSテレビ放映、台湾盤日本語版ソフト発売<64分版>)

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○製作=マイケル・バルコン(ゲインズボロー)、エーリッヒ・ポマー(エメルカ)/原作(小説)=オリヴァー・サンディーズ/脚色=エリオット・スタナード/撮影=バロン・ヴェンティミグリア/助監督=アルマ・レヴィル
○あらすじ ロンドンのナイトクラブ「快楽の園」の踊り子パッツィ(ヴァージニア・ヴァリ)は、上京してすぐ掏摸に遭った女友だちのジル(カルメリータ・ゲラフティ)を救い、同じクラブの仕事を紹介した。ジルはヒューという青年(ジョン・スチュワート)と婚約していたが、生活と都会生活の憧れのため踊り子として売り出す。ヒューは事業のためにアフリカの植民地に旅立ち、ジルもすぐその後を追うことになっていた。ジルはパッツィとの同居から離れ、男たちにとりまかれたロンドンの夜の華やかな生活を享楽し、ヒューの待っているアフリカへの出発を遅らせ、パッツィはジルを諫めるがジルは取り合わない。一方パッツィはヒューの友人レヴィット(マイルズ・マンダー)と結婚し、イタリアのコモ湖に新婚旅行に出かけたが、すぐ後にレヴィットもヒューのいるアフリカに旅立ったが、レヴィットには結婚前から愛人にしている現地人の娘がいた。。レヴィットにはパッツィからの膨大な手紙が届くが、ヒューは新聞のゴシップ欄に浮き名を流すジルの記事に憤然とする。パッツィは夫の後を追ってアフリカに渡ったが、アルコールに溺れて放蕩三昧の夫に失望する。ヒューは熱病に倒れて失意のパッツィに熱心に看病され、ヒューも心を動かされる。パッツィが夫と別れる決心をするとレヴィットは半狂乱になり、現地人の娘を自殺に見せかけて溺死させて殺した娘の幻覚に襲われ、パッツィを殺そうと迫るが、植民地の医者に射殺される。パッツィは失意のヒューと結ばれ、イギリスに戻って新しい生活を始める誓いを立て、帰国した二人は下宿屋夫婦に暖かく迎えられる。

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○解説(キネマ旬報近着外国映画紹介より、大正14年) オリヴァー・サンデイス氏作の小説に基づきエリオット・スタナード氏が脚色しアルフレッド・ヒッチコック氏が監督したもので、主役は「細君御注意」「包囲の中に」等出演のヴァージニア・ヴァリ嬢が演じ、相手役は新進のイギリス俳優ジョン・スチュアート氏である。カーメリタ・ジェラティ嬢、マイルス・マンダー氏が共演し、フェルディナンド・マルティニ氏が助演している。無声。
○あらすじ(同上) 劇場「快楽園」の踊娘パッシーは或日踊娘志願の田舎娘ジルを救って自分の下宿に伴って来た。翌日機敏なジルは首尾よく雇われることが出来た。ジルにはヒュウという婚約者があったが彼はアフリカに出稼ぎに行って結婚費を得ようと出発した。彼の友人レヴェットはパッシーを恋して結婚しイタリアへ新婚旅行に出掛けた。ジルは次第に放縦に流れバッシーの意見を耳に入れずイヴァン公爵という遊蕩児をパトロンとすると共に支配人のハミルトンを抱込んで劇場の首尾をよくしたレヴェットもヒュウの後を追ってアフリカに赴き妻のことは忘れて恋を漁った。ヒュウはジルを想っていたがジルが公爵の愛妾となってしまったことを聞いて悲嘆せずにはいられなかった。夫が蛮地に病んだとの報に接したパッシーはジルに借金を申出たが拒まれ下宿屋の主人の情けで辛くも出発した。そうして彼女は夫が原住民の娘を抱いているのを見て驚いた。折柄熱病に悩んでいたヒュウを彼女は看護した。レヴェットは乱酔して原住民の娘を殺し更にパッシーを殺そうとして却って人々に射殺された。パッシーの介抱に本復したヒュウは始めて真の愛に目醒めパッシーを伴ってロンドンに帰った。公爵に棄てられたジルの末路は哀れだったとやら。

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 年代順で観ているこの映画日記でまず最初、12月1日に観たばかりのヒッチコックの監督デビュー作。その時は'25年のサイレント作品としては水準作かな、程度にしか思いませんでしたが、今回74分ヴァージョンを観て、もう一度60分ヴァージョンを立て続けに観て面白いの何の、処女作にすべてがあるとは限りませんが構図やカットのつなぎ、小道具でモチーフを示すやり方、テンポの取り方などに後年のヒッチコックの癖が早くも出ています。構図で言うと思い切った遠近法、建物や家具でトリミングされた構図、身体の部分的強調(着替えの場面ではヒロインたちの腿から下のみが映る)などがそうですし、カットのつなぎではヒロインが夫の出航にハンカチを振る手のアップ(画面右手)→左右対照にアフリカ現地の愛人がヒロインの夫を差し招く手のアップ(画面左手)、といった具合で、『疑惑の影』の寝そべるジョゼフ・コットン(頭が右側)→寝そべるテレサ・ライト(頭が左側)という登場シーンを連想させます。テンポではクライマックスで狂乱状態でヒロインを刺殺しようとした夫が駆けつけた医師に狙撃される→腹部をゆっくりと押さえ、出血を見てわれに返り、しばし唖然とした様子から突然倒れる夫の死の場面に工夫があり、小道具を使ったモチーフでは新婚旅行先で湖畔を散歩中に夫が胸に飾った薔薇の花を湖に投げてしまう、「私があげたのに」というヒロインに「たかが花じゃないか」という夫→妻が病気の友人の看護にかかりっきりで不機嫌に酔い潰れる夫、現地人の愛人が「私がいるじゃないの」というが出ていけと罵り、愛人が死んでやる、とふざけ半分に湖に入っていくと猛然と追いかけて溺死させる(水中撮影の挿入)、という湖の場面の照応。実は60分ヴァージョンにはなくて74分ヴァージョンにはあるカットやシーン、逆に74分ヴァージョンにはないのに60分ヴァージョンにはあるカットやシーンに今回気づいて、なるほどサイレント映画のメロドラマのデビュー作でもヒッチコックヒッチコックなんだな、との思いを強くしました。12月中に長編29本・短編2本観てきたのであっ、これは、と思わせられる部分が際立って見えるようになったのもあります。劇場、ブロンド、かつら、犬などヒッチコック好みの道具立てもデビュー作からお目見えしており、ラストシーンはヒロインたちの帰りを喜ぶ下宿屋夫婦とその飼い犬の部屋で、ちょうど趣味のラジオをヘッドフォンで聴いていた主人がヒロインの夫にラジオを聞かせようとして聞こえないぞと首をひねり、足元で犬がアンテナ線を噛んでいた、というカットで終わります。明らかにこの犬、『間諜最後の日』のあの犬と同じ犬種の犬です。
 また古い映画、特にサイレント映画は残っている作品も30%しかないと言われますが、さらに現存プリントも複数ある場合はヴァージョン違いがざらにあるのを考慮しなければならず、これは公開国によって倫理基準が違ったり上映の便のため再編集されたりするのが当たり前だったからで、ディレクターズ・カット版というべきヴァージョンがあればそれが決定版かというとそうもいかない、ヒットして一般に広く観られたのは編集ヴァージョンだったりする歴史的事情もあるわけです。またサイレント映画は作品ごとに1秒18コマ、20コマ、22コマ、24コマとまちまちな場合も多く、35mmフィルムの場合1秒24コマ(16mmフィルムでは18コマ)に統一されたのはトーキーになってからなので、1秒20コマのサイレント作品を1秒24コマで再生すると8割3分の短さになってしまいます。フィルム媒体ではない映像ソフトに起こすにはオリジナルの再生コマ数を確かめなければ本来の速度の映像にならないのです。今回観ることのできた本作のイギリス盤DVDは60分ヴァージョン、ドイツ盤DVDは74分ヴァージョンでしたが、60分版には下宿屋夫婦とのコミカルなやりとりやヒロインの新婚旅行のシークエンスが大幅に欠如していて、74分版にはそうした場面はしっかり入っていましたが、ヒロインの夫の愛人殺しのシーンは74分版では水中撮影部分がカットされて殺しか事故か曖昧になっており、60分版にはきちんと収録されていました。また60分版(英Network社2008年)・74分版(独Intergroove社2011年)ともにデジタル・リマスターされていると思いますが、74分版は元のプリントの問題か画質はいまいちで白味はハレーション気味・黒味は潰れて階調に鮮明さが乏しく、新規音楽が派手すぎ、映像はまったくのB/Wです。60分版はフィルム収集家レイモンド・ロウハウワー所蔵の16mm染色プリント(Color Tinted)からテレシネされた米Carlton社の新規マスターにより、音楽はカーネギー・ホールの映画音楽会収録のナチュラルな音響で、新婚旅行シーンの大半を欠損など短縮ヴァージョンではありますが、前述した殺人シーンの海中撮影がちゃんと入っている。またB/Wのサイレント映画の染色効果は音声が伴わないだけ雄弁なもので、主に黄金色(室内照明と日中)と青(夜間)、時折茜色(強いニュアンスの光、炎)などですが、プリント状態の良さ、リマスターの優秀さ、染色効果の細やかな再現(全体染色ばかりでなく部分染色でワイプも再現しています)で画質と丁寧なリマスタリングでは60分ヴァージョンに圧倒的に軍配が上がります。日本語字幕つきの唯一のDVDは台湾のメディアディスク社から2016年に発売されすぐに品切れになって重版予定がないようです。メディアディスク社の「超高画質名作映画シリーズ」はパブリック・ドメイン作品を対象に良質なマスター使用とリマスターで画質は謳い文句通り良く、日本語字幕も満足できる字幕翻訳と字幕配置ですが、サイレント作品は全部同じサウンドトラックを映像とはまったくシンクロさせずに流しっぱなしにしているだけなので、完全な無音鑑賞で観る気でないとがっかりしてしまいます。
 ヒッチコックのサイレント作品の感想文を書く機会はしばらくないと思われ、また昨年2017年には画期的なイギリス映画協会のヒッチコックの全サイレント作品のデジタル・リマスター版特集上映が日本でも行われましたので、この感想文のシリーズで観ることのできたヒッチコックのサイレント作品のDVDの最長版を一覧にしてイギリス映画協会版(英国英国協会版と略)と対照させておきたいと思います。サイレント時代の映画がどれだけ決定版を決め難いか、ヒッチコック作品だけの例でもお分かりいただけると思います。長くなっている物が多いのですが、長さは再生速度の誤差範囲とすれば内容にはかなりの改訂があるとも考えられるのです。

ヒッチコック全サイレント作品
『快楽の園』'25 = 60min(Carlton社版)→74min(Intergroove社版)→90min(英国映画協会版)
『下宿人』'26 = 90min(Delta社版)→90min(英国映画協会版)
ダウンヒル(下り坂)』'27 = 82min(Carlton社版)→105min(英国映画協会版)
『ふしだらな女』'27 = 79min(Delta社版)→70min(英国映画協会版)
『リング』'27 = 89min(Delta社版)→86min(Studio Canal社版)→108min(英国映画協会版)
『農夫の妻』'28 = 130min(Delta社版)→94min(Studio Canal社版)→107min(英国映画協会版)
シャンパーニュ』'28 = 86min(Studio Canal社版)→105min(英国映画協会版)
『マンクスマン』'29 = 80min(Studio Canal社版)→100min(英国映画協会版)
『恐喝(ゆすり)』'29 = 89min(Delta社トーキー版)→82min(Studio Canal社トーキー版)→75min(英国映画協会サイレント版)

●1月5日(金)
『白い恐怖』Spellbound (米セルズニック・スタジオ=UA'45)*111min, B/W; 日本公開昭和26年(1951年)11月23日、昭和58年(1983年)5月/アカデミー賞監督賞ノミネート、音楽賞受賞

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○解説(キネマ旬報近着外国映画紹介より) アルフレッド・ヒッチコックが「汚名」(46)に先立って監督した1945年度スリラー映画。フランシス・ビーディングの原作を「汚名」と同じくベン・ヘクトが脚色した。撮影は「船乗りシンバッドの冒険」のジョージ・バーンズ、音楽はこの作品でオスカーを得たミクロス・ローザ担当。夢の場面装置はシュル・レアリスト、サルヴァドル・ダリ、主演は「ジャンヌ・ダーク」のイングリッド・バーグマンと「白昼の決闘」のグレゴリイ・ペックで、「夢の宮廷」のロンダ・フレミング、「Gメン対間諜」のレオ・G・キャロル、ロシア出身の老優マイケル・チェホフ、「死の谷」のヴィクター・キリアン、ビル・グッドウィンらが助演する。
○あらすじ(同上) 長年精神病治療院「緑の園」の所長だったマアチソン博士(レオ・G・キャロル)が更迭され、新所長としてエドワァズ博士を迎えることになった。ただ1人の女医コンスタンス・ピイタアゼン博士(イングリッド・バーグマン)は、美人だが研究一徹で、同僚の求愛にも見向きもしない性格だった。だが治療院にやってきたエドワァズ博士を名乗る若い男(グレゴリー・ペック)にコンスタンスは一目惚れをしてしまう。ところが、食事しながら彼女が計画中のプールの略図をフォークの先で白いテーブルクロスに描いた途端彼の様子が変になる。その場は何事も無く収まり二人は急速に愛情を深める。夜更けに眠れぬコンスタンスは、図書室に本を取りに行くが、その途中でエドワァズの部屋に立ち寄り彼と抱き合う。その時彼女の部屋着の白地と縞に気付いた彼はまたしても荒々しい態度を取るのだった。そこへ患者のひとりが自殺を図ったと連絡が入る。エドワァズは手術室に駆けつけるも、その場に卒倒してしまう。コンスタンスはエドワァズの本の署名と彼がよこした手紙の署名が異なることに気付く。彼のシガレット・ケースにはJ.B.の頭文字が入っていた。エドワァズ博士を名乗る「男」は、自分はきっとJ.B.の頭文字を持つ男で本物のエドワァズ博士を殺して身代わりとなってここに来たんだろうと言い出し、そして逃亡する。コンスタンスはJ.B.が残した手紙から、彼がエンパイア・ステイツ・ホテルに身を隠していることを知り、ホテルに駆けつける。J.B.の手には火傷の痕があり、それが彼の記憶喪失症の原因を解き明かすと確信したコンスタンスは、J.B.を連れ恩師の精神分析学者ブルロフ博士(マイケル・チェホフ)を訪ねる。途中再び発作を起こしたJ.B.は空中戦闘のことを口走る。彼はロオマの上空の空中戦で負傷し、記憶喪失症になったのだった。ブルロフ博士に夫だと紹介するコンスタンス。二人はブルロフ博士の家に泊まることとなる。その夜ブルロフ博士の家にある様々な「白」により、再び発作を起こしそうになるJ.B.。翌朝ブルロフ博士はJ.B.の治療を試みる。その結果彼の恐怖は雪とスキーに関係があると判る。事件が起きた場所がゲイブリエル・ヴァリイだと知ったコンスタンスとJ.B.はそこに向かう。目的地に着いた二人はスキーを始める。滑走中J.B.は全てを思い出す。自分の名前は「ジョン・バリントン」であること。子供の頃不注意で弟を滑落死させてしまった罪に苛まれていたこと。エドワァズ博士は彼の記憶喪失症を直すために一緒にスキーをしてる時断崖から落ちて死んだことを。ところが、この報告に従って断崖を調べた警察はエドワァズ博士の遺体から銃弾を発見する。殺人嫌疑で逮捕されるジョン。「緑の園」に帰ったコンスタンスは、初めてジョンがこの医院にやってきた時に、マアチソン博士がエドワァズ博士と旧知なのにジョンをエドワァズ博士として扱ったことに気付く。更迭を恨んだマアチソンが新任のエドワァズを殺害したのだった。コンスタンスに詰問されたマアチソンはもはや逃れられぬと悟り自殺する。無実となったジョンとコンスタンスは新婚旅行に出かけるのだった。

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 大冊『映画術』は基本的には訊き手のトリフォーがヒッチコックをおだてる、ヒッチコック調子に乗って語る語るの同業者同士の芸談大会なのですが、作品によってはたまにはトリフォーもケチをつけるあたりがアクセントになっています。何でもかんでも褒める・自慢するばかりでは訊き手も訊かれ手もアホみたいだからですが、サスペンス/スリラー路線確立の第17作『暗殺者の家』'34以前の作品でヒッチコック本人が自信作としているのは第3作『下宿人』'26、第5作『リング』'27(以上サイレント)、初トーキー作の第10作『恐喝(ゆすり)』'29、第12作『殺人!』'30、第14作『リッチ・アンド・ストレンジ(おかしな成金夫婦)』'31の5作しかありません。このうち『下宿人』『恐喝(ゆすり)』『殺人!』は『暗殺者~』以前の数少ない犯罪サスペンス/スリラーで(他に小品スリラーの第15作『第十七番』'32があるだけです)、『リング』『リッチ~』はイギリス時代のヒッチコック作品中2本きりのヒッチコック原案作品です。なので『暗殺者~』以前はヒッチコックがだいたい自作をクサし、トリフォーが長所をフォローするとヒッチコックが作品の工夫を披露する具合になっています。『暗殺者~』以降は渡米直前のチャールズ・ロートン製作主演作で第23作『巌窟の野獣』'39以外はサスペンスの軸のために弱者(少年)を犠牲者にしてしまった第20作『サボタージュ』'36をトリフォーが難じるくらいでおおむね絶賛が続き(『サボタージュ』の長所もフォローし)、ハリウッド進出の第24作『レベッカ』'40以降はトリフォーべた褒めする、ヒッチコック謙遜しながら大いに語る、という『映画術』全体の印象通りになります。その中でトリフォーは珍しく『疑惑の影』'43を「ヒッチコック・タッチをほとんど伝えてくれない」と洩らし、本作『白い恐怖』では「何度観てもストーリーがよくわからないし、好きになれない」「グレゴリー・ペックが良くない」と真っ向から批判しています。ヒッチコックの方はまあ君の不満もわかるがいろいろ工夫した作品なんだ、といった調子で、技術談になると映画監督同士ですからそれなりに話が弾みます。一般的には『白い恐怖』はフロイト心理学を鍵にしたサイコ・サスペンスの先駆的作品で(トリフォーは註釈で本作を同じセルズニック製作のイギリス映画でシドニー・ボックス監督作品『第七のヴェール』'44影響下の作品と推定していますが)、イングリッド・バーグマンヒッチコック作品初主演作として知られているでしょう。バーグマン主演作は『汚名』'46、『山羊座のもとに』'49と3作あり、3作はヒッチコック作品の最多主演女優としてグレース・ケリー(『ダイヤルMを廻せ!』'54、『裏窓』'54、『泥棒成金』'55)と並ぶ本数です。ちなみに主演男性俳優の最多回数はケイリー・グラントジェームズ・スチュワートで、各4作ずつになります。
 ヒッチコックの理想の女優はグレース・ケリーだったというのが定評ですが、トリフォーが本作の難点を残念がるのは『汚名』をトリフォーにとってヒッチコック作品で最愛の最高傑作なので、バーグマンの主演だけが『汚名』の決め手ではありませんが、『汚名』はヒッチコックの映画でももっとも残酷で背徳的なテーマを抑鬱的で甘美かつ緊迫した映像で描き切った問題作で、その背徳性にスリルがあって割り切れない余韻を残し、複雑な味わいでは今日ヒッチコックの最高傑作と世評の高い『めまい』'58と並ぶものでしょう。トリフォーの好みは実によくわかり、『めまい』の原作小説がヒッチコックによる映画化を想定されてフランス人作家によって書かれたのを考え併せてもヒッチコック映画の芸術的評価が批評家時代のトリフォーを始めとするフランスの映画批評家主導だったのと符丁を合わせています。フロイト心理学は特にゲルマン的な発想とは言えませんがドイツ文化圏社会を背景に生まれたものであり、フランス流の心理主義とはまったく異なります。本作は公開当時でもフロイト心理学の解釈に大きな間違いはないが、あまりに都合よく抑鬱性患者の深層心理学を犯罪スリラーの枠組みにはめ込みすぎてはいないか、と思われたでしょう。サルヴァドール・ダリによる夢の場面の美術も子供が面白がるようなもので、主人公の病的性癖と一夜の夢の夢分析ですべての謎が解け、ついでに主人公のペックの記憶喪失と心身症も治ってしまい、真犯人まで自分で事件の決着をつけてしまうとは調子が好すぎます。名脚本家のベン・ヘクトの書き下ろしシナリオはヒッチコック作品では正式には本作と『汚名』だけですが(その他ノンクレジット協力は多いようです)、悪魔的ですらある『汚名』の脚本家のシナリオとしては見劣りがすると認めざるを得ません。バーグマンはさすがに光輝いており、グレゴリー・ペックトリュフォーが言うほど悪くは思えません。『疑惑の影』の感想文でジョゼフ・コットンを『断崖』『白い恐怖』『汚名』でも勤まる、と書いてしまいましたが、コットンでは知的で狡猾にすぎ色気に欠けるわけです。どのみちプロデューサーのセルズニックによる人選ですから本作はバーグマンとペック主演、次作『汚名』(RKO作品)はケイリー・グラントとバーグマン主演、次々作『パラダイン夫人の恋』'47(セルズニック・スタジオ=UA製作)はペックと新人女優アリダ・ヴァリ主演ですが、『汚名』はハリウッド進出後初のヒッチコック自身(とRKO側プロデューサー共同)の製作作品ですのでグラントとバーグマンの起用はヒッチコック自身によるもので『パラダイン夫人~』では再びセルズニックによるキャスティングになります。その『パラダイン夫人~』の1947年でセルズニックとの専属契約を満了したヒッチコックは自分自身のプロダクションを設立してほぼ2作単位でメジャー会社との契約作品を製作するようになります。
 アカデミー賞監督賞ヒッチコックがノミネート(受賞なし)されたのは『レベッカ』『救命艇』『白い恐怖』『裏窓』『サイコ』の5作ですが『レベッカ』『白い恐怖』は大プロデューサー、セルズニックの力が大きいでしょう。『レベッカ』はアカデミー賞作品賞、『白い恐怖』はアカデミー賞音楽賞受賞作でもあります。電気楽器テルミンを使った本作のミクロス・ローザの音楽は名高いものですがあまり趣味が良いとは思えません。オーケストレーションもベタで音楽が鳴り止むとホッとするようなものです。また(トリュフォー含めて)賞賛する評者も多いのですが、全体のムードに合わせて奇抜な映像で心理表現の比喩としており、不感症的な女医のバーグマンがペックと恋に落ち熱烈なキスをすると奥深い廊下のドアが次々と開いていく映像が重なる、とまるでアベル・ガンスサイレント映画のような喩法が堂々と出てきて苦笑を誘います。褒めどころに困る(クライマックスのバーグマンと真犯人の対決の犯人の一人称ショットの唐突さなど)つぎはぎのアイディアでチープな謎解きのからくりをごまかしているような本作ですが、では面白くないかといえば内容はないのに滅法面白いのが本作のやっかいなところで、ペックが良くない、目の表情がまったくないとトリュフォーが難じる色男なだけの大根役者ペックが(それはペックの責任というより、ヒッチコック自身が本作のペックに演技をつけなかったので、他のペック主演の名作を観れば良い俳優なのがわかります)むしろ本作ではうまく作品にはまっていて、もしペックが大根に徹しなければ(つまり豊かな表現力を示す演技をすれば)もともと嘘くさい趣向の本作は俳優の演技のリアリティによってますます嘘くさくなっていたでしょう。それを思えば本作が面白く観られるのは、ひどい言い方ですがペックが白痴的な二枚目になりきって映画の虚構性を一身に引き受けているからです。これがケイリー・グラントジェームズ・スチュワート、ましてやゲイリー・クーパーではこんな病人の役をやっても実は潜入捜査官だったりしそうで、映画が別物になっていたでしょう。ちなみにバーグマンの老師役の飄々としたマッドサイエンティスト風じいさんを演じるマイケル・チェホフはあの作家チェーホフの甥に当たる亡命ロシア演劇人で、アメリカにスタニスラフスキー・システム(メソッド演技法)をもたらした大物だそうです。またダリの美術はヒッチコックの提案だったそうですが、派手好み話題性好みのセルズニックはそりゃいいやと即座にOKが出たといいます。裏話も含めて、これはこれで面白く、ストーリーがよくわからなかろうと(納得いかなかろうと)好きになれなかろうと本作は本作ならではの楽しさがある映画ではないでしょうか。一瞬だけ画面が真っ赤になるというヴァージョンも観てみたいものです。