人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

現代詩の起源(18); 八木重吉詩集『秋の瞳』大正14年刊(i)

(大正13年1924年5月26日、長女桃子満1歳の誕生日に。重吉26歳、妻とみ子19歳)

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 日本でキリスト教牧師(伝道師)を生業としていた詩人には明治に宮崎湖處子(1864-1922)、北村透谷(1868-1894)、大正に山村暮鳥がおりましたが(1884-1824)、教会組織では非常に冷遇された上に詩人であることでも反感を買い不遇な生涯を送りました。作品を参観しても湖處子、透谷、暮鳥には明らかな宗教的神秘体験の痕跡があり、それは詩人仲間からもうさんくさいポーズであると疎まれてしまったのです。湖處子が透谷の夭逝、暮鳥が湖處子の断筆と入れ替わるようにして出てきたキリスト教詩人ならば、八木重吉は暮鳥の逝去を継ぐように登場してきた無教会派キリスト教詩人でした。日本語版ウィキペディアの簡単な略歴を上げると、

八木 重吉(やぎ じゅうきち)
生年: 1898-02-09
没年: 1927-10-26
人物について: 早世の詩人。1898(明治31)2月9日、東京府南多摩郡堺村(現在の町田市)に生まれ、東京高等師範学校に進む。在学中、受洗。卒業後、兵庫県御影師範の英語教師となる。24歳で、17歳の島田とみと結婚。この頃から、詩作に集中し、自らの信仰を確かめる。1925(大正14)年、第一詩集『秋の瞳』刊行。以降、詩誌に作品を寄せるようになるが、1926年、結核を得て病臥。病の床で第二詩集『貧しき信徒』を編むも、翌1927(昭和2)年10月26日、刊行を見ぬまま他界。『貧しき信徒』は翌年、出版された。

 八木は当時すでに文芸書出版の大手だった新潮社の編集部員と姻戚関係で親好があり、第1詩集『秋の瞳』は少部数の自費出版が当たり前だった(今日でもそうですが)無名詩人の処女出版では異例の大手出版社からの刊行となりました。割愛しましたが、八木自身の自序の前に新潮社編集部の加藤武雄(八木重吉の遠縁)による推薦文が掲載されています。大正時代の日本では宗教文学のブームがあり、『秋の瞳』の商業出版はその流行を抜きにしては考えられません。なお、この詩集は第1詩集にもかかわらずほとんど全編が書き下ろしなのも異例のことでした。すべて短詩の全117編のうち、今回は前半66編をご紹介します。詩人・作品論は次回で後半全編をご紹介してからにしましょう。

詩集『秋の瞳』大正14年(1925年)8月1日新潮社刊

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 秋 の 瞳

 八木重吉


  序

 私は、友が無くては、耐へられぬのです。しかし、私には、ありません。この貧しい詩を、これを、読んでくださる方の胸へ捧げます。そして、私を、あなたの友にしてください。


  息を 殺せ

息を ころせ
いきを ころせ
あかんぼが 空を みる
ああ 空を みる


  白い枝

白い 枝
ほそく 痛い 枝
わたしのこころに
白い えだ


  哀しみの 火矢(ひや)

はつあきの よるを つらぬく
かなしみの 火矢こそするどく
わづかに 銀色にひらめいてつんざいてゆく
それにいくらのせようと あせつたとて
この わたしのおもたいこころだもの
ああ どうして
そんな うれしいことが できるだらうか


  朗(ほが)らかな 日

いづくにか
ものの
落つる ごとし
音も なく
しきりにも おつらし


  フヱアリの 国

夕ぐれ
夏のしげみを ゆくひとこそ
しづかなる しげみの
はるかなる奥に フヱアリの 国をかんずる


  おほぞらの こころ

わたしよ わたしよ
白鳥となり
らんらんと 透きとほつて
おほぞらを かけり
おほぞらの うるわしいこころに ながれよう


  植木屋

あかるい 日だ 
窓のそとをみよ たかいところで
植木屋が ひねもすはたらく

あつい 日だ
用もないのに
わたしのこころで
朝から 刈りつづけてゐるのは いつたいたれだ


  ふるさとの 山

ふるさとの山のなかに うづくまつたとき
さやかにも 私の悔いは もえました
あまりにうつくしい それの ほのほに
しばし わたしは
こしかたの あやまちを 讃むるようなきもちになつた


  しづかな 画家

だれでも みてゐるな、
わたしは ひとりぼつちで描くのだ、
これは ひろい空 しづかな空、
わたしのハイ・ロマンスを この空へ 描いてやらう


  うつくしいもの

わたしみづからのなかでもいい
わたしの外の せかいでも いい
どこにか 「ほんとうに 美しいもの」は ないのか
それが 敵であつても かまわない
及びがたくても よい
ただ 「在る」といふことが 分りさへすれば、
ああ ひさしくも これを追ふにつかれたこころ


  一群の ぶよ

いち群のぶよが 舞ふ 秋の落日
(ああ わたしも いけないんだ
他人(ひと)も いけないんだ)
まやまやまやと ぶよが くるめく
(吐息ばかりして くらすわたしなら
死んぢまつたほうが いいのかしら)


  鉛と ちようちよ

鉛(なまり)のなかを
ちようちよが とんでゆく


  花になりたい

えんぜるになりたい
花になりたい


  無造作な 雲

無造作な くも、
あのくものあたりへ 死にたい


  大和行

大和(やまと)の国の水は こころのようにながれ
はるばると 紀伊とのさかひの山山のつらなり、
ああ 黄金(きん)のほそいいとにひかつて
秋のこころが ふりそそぎます

さとうきびの一片をかじる
きたない子が 築地(ついぢ)からひよつくりとびだすのもうつくしい、
このちさく赤い花も うれしく
しんみりと むねへしみてゆきます

けふはからりと 天気もいいんだし
わけもなく わたしは童話の世界をゆく、
日は うららうららと わづかに白い雲が わき
みかん畑には 少年の日の夢が ねむる

皇陵や、また みささぎのうへの しづかな雲や
追憶は はてしなく うつくしくうまれ、
志幾(しき)の宮の 舞殿(まひでん)にゆかをならして そでをふる
白衣(びやくえ)の 神女(みこ)は くちびるが 紅あかい


  咲く心

うれしきは
こころ 咲きいづる日なり
秋、山にむかひて うれひあれば
わがこころ 花と咲くなり


  劒(つるぎ)を持つ者

つるぎを もつものが ゐる、
とつぜん、わたしは わたしのまわりに
そのものを するどく 感ずる
つるぎは しづかであり
つるぎを もつ人(ひと)は しづかである
すべて ほのほのごとく しづかである
やるか!?
なんどき 斬りこんでくるかわからぬのだ


  壺(つぼ)のような日

壺のような日 こんな日
宇宙の こころは
彫(きざ)みたい!といふ 衝動にもだへたであらう
こんな 日
「かすかに ほそい声」の主(ぬし)は
光を 暗を そして また
きざみぬしみづからに似た こころを
しづかに つよく きざんだにちがひあるまい、
けふは また なんといふ
壺のような 日なんだらう


  つかれたる 心

あかき 霜月の葉を
窓よりみる日 旅を おもふ
かくのごときは じつに心おごれるに似たれど
まことは
こころ あまりにも つかれたるゆえなり


  かなしみ

このかなしみを
ひとつに 統(す)ぶる 力ちからはないか


  美しい 夢

やぶれたこの 窓から
ゆふぐれ 街なみいろづいた 木をみたよる
ひさしぶりに 美しい夢をみた


  心 よ

ほのかにも いろづいてゆく こころ
われながら あいらしいこころよ
ながれ ゆくものよ
さあ それならば ゆくがいい
「役立たぬもの」にあくがれて はてしなく
まぼろしを 追ふて かぎりなく
こころときめいて かけりゆけよ


  死と珠(たま)

死 と 珠 と
また おもふべき 今日が きた


  ひびく たましい

ことさら
かつぜんとして 秋がゆふぐれをひろげるころ
たましいは 街を ひたはしりにはしりぬいて
西へ 西へと うちひびいてゆく


  空を 指(さ)す 梢(こずゑ)

そらを 指す
木は かなし
そが ほそき
こずゑの 傷いたさ


  赤ん坊が わらふ

赤んぼが わらふ
あかんぼが わらふ
わたしだつて わらふ
あかんぼが わらふ


  花と咲け

鳴く 蟲よ、花 と 咲 け
地 に おつる
この 秋陽(あきび)、花 と 咲 け、
ああ さやかにも
この こころ、咲けよ 花と 咲けよ


  甕(かめ)

甕 を いくつしみたい
この日 ああ
甕よ、こころのしづけさにうかぶ その甕

なんにもない
おまへの うつろよ

甕よ、わたしの むねは
『甕よ!』と おまへを よびながら
あやしくも ふるへる


  心 よ

こころよ
では いつておいで

しかし
また もどつておいでね

やつぱり
ここが いいのだに

こころよ
では 行つておいで


  玉(たま)

わたしは
玉に ならうかしら

わたしには
何(なん)にも 玉にすることはできまいゆえ


  こころの 海(うな)づら

照らされし こころの 海(うな)づら
しづみゆくは なにの 夕陽

しらみゆく ああ その 帆かげ
日は うすれゆけど
明けてゆく 白き ふなうた


  貫(つら)ぬく 光

はじめに ひかりがありました
ひかりは 哀しかつたのです

ひかりは
ありと あらゆるものを
つらぬいて ながれました
あらゆるものに 息(いき)を あたへました
にんげんのこころも
ひかりのなかに うまれました
いつまでも いつまでも
かなしかれと 祝福いわわれながら


  秋の かなしみ

わがこころ
そこの そこより
わらひたき
あきの かなしみ

あきくれば
かなしみの
みなも おかしく
かくも なやまし

みみと めと
はなと くち
いちめんに
くすぐる あきのかなしみ


  泪(なみだ)

泪(なみだ)、泪(なみだ)
ちららしい
なみだの 出あひがしらに

もの 寂びた
哄(わらひ) が
ふつと なみだを さらつていつたぞ


  石くれ

石くれを ひろつて
と視、こう視
哭(な)くばかり
ひとつの いしくれを みつめてありし

ややありて 
こころ 躍(おど)れり
されど
やがて こころ おどらずなれり


  竜舌蘭

りゆうぜつらん の
あをじろき はだえに 湧く
きわまりも あらぬ
みづ色の 寂びの ひびき

かなしみの ほのほのごとく
さぶしさのほのほの ごとく
りゆうぜつらんの しづけさは
豁然(かつぜん)たる 大空を 仰あふぎたちたり


  矜持ある 風景

矜持ある 風景
いつしらず
わが こころに 住む
浪(らう)、浪、浪 として しづかなり


  静寂は怒る

静 寂 は 怒 る、
みよ、蒼穹の 怒(いきどほり)を


  悩ましき 外景

すとうぶを みつめてあれば
すとうぶをたたき切つてみたくなる

ぐわらぐわらとたぎる
この すとうぶの 怪! 寂!


  ほそい がらす

ほそい
がらすが
ぴいん と
われました


  葉

葉よ、
しんしん と
冬日がむしばんでゆく、
おまへも
葉と 現ずるまでは
いらいらと さぶしかつたらうな
葉よ、
葉と 現じたる
この日 おまへの 崇厳

でも、葉よ
いままでは さぶしかつたらうな

彫られた 空

彫られた 空の しづけさ
無辺際の ちからづよい その木地に
ひたり! と あてられたる
さやかにも 一刀の跡


  しづけさ

ある日
もえさかる ほのほに みいでし
きわまりも あらぬ しづけさ

ある日
憎しみ もだえ
なげきと かなしみの おもわにみいでし
水の それのごとき 静けさ


  彫られた 空

彫られた 空の しづけさ
無辺際の ちからづよい その木地に
ひたり! と あてられたる
さやかにも 一刀の跡


  しづけさ

ある日
もえさかる ほのほに みいでし
きわまりも あらぬ しづけさ

ある日
憎しみ もだえ
なげきと かなしみの おもわにみいでし
水の それのごとき 静けさ


  夾竹桃

おほぞらのもとに 死ぬる
はつ夏の こころ ああ ただひとり
きようちくとうの くれなゐが
はつなつのこころに しみてゆく


  おもひで

おもひでは 琥珀(オパール)の
ましづかに きれいなゆめ
さんらんとふる 嗟嘆(さたん)でさへ
金色(きん)の 葉の おごそかに
ああ、こころ うれしい 煉獄の かげ

人の子は たゆたひながら
うらぶれながら
もだゆる日 もだゆるについで
きわまりしらぬ ケーオスのしじまへ
廓寥と 彫られて 燃え
焔々と たちのぼる したしい風景


  哀しみの海

哀しみの
うなばら かけり

わが玉 われは
うみに なげたり

浪よ
わが玉 かへさじとや


  雲

くものある日
くもは かなしい
くもの ない日
そらは さびしい


  在る日の こころ

ある日の こころ
山となり

ある日の こころ
空となり

ある日の こころ
わたしと なりて さぶし


  幼い日

おさない日は
水が もの云ふ日

木が そだてば
そだつひびきが きこゆる日


  痴寂な手

痴寂(ちせき)な手 その手だ、
こころを むしばみ 眸(め)を むしばみ
山を むしばみ 木と草を むしばむ

痴寂な手 石くれを むしばみ
飯を むしばみ かつをぶしを むしばみ
ああ、ねずみの 糞ふんさへ むしばんでゆく

わたしを、小(ち)さい 妻を
しづかなる空を 白い雲を
痴寂な手 おまへは むさぼり むしばむ
おお、おろかしい 寂寥の手
おまへは、まあ
じぶんの手をさへ 喰つて しまふのかえ


  くちばしの黄な 黒い鳥

くちばしの 黄いろい
まつ黒い 鳥であつたつけ
ねちねち うすら白い どぶのうへに
籠(かご)のなかで ぎやうつ! とないてゐたつけ、

なにかしら ほそいほそいものが
ピンと すすり哭ないてゐるような
そんな 真昼で あつたつけ


  何故に 色があるのか

なぜに 色があるのだらうか
むかし、混沌は さぶし かつた
虚無は 飢えてきたのだ

ある日、虚無の胸のかげの 一抹(いちまつ)が
すうつと 蠱惑(アムブロウジアル)の 翡翠に ながれた
やがて、ねぐるしい ある夜の 盗汗(ねあせ)が
四月の雨にあらわれて 青(ブルウ)に ながれた


  白き響

さく、と 食へば
さく、と くわるる この 林檎の 白き肉
なにゆえの このあわただしさぞ
そそくさとくひければ
わが 鼻先きに ぬれし汁(つゆ)

ああ、りんごの 白きにくにただよふ
まさびしく 白きひびき


  丘を よぢる

丘を よぢ 丘に たてば
こころ わづかに なぐさむに似る

さりながら
丘にたちて ただひとり
水をうらやみ 空をうらやみ
大木(たいぼく)を うらやみて おりてきたれる


  おもたい かなしみ

おもたい かなしみが さえわたるとき
さやかにも かなしみは ちから

みよ、かなしみの つらぬくちから
かなしみは よろこびを
怒り、なげきをも つらぬいて もえさかる

かなしみこそ
すみわたりたる 「すだま」とも 生くるか


  胡蝶

へんぽんと ひるがへり かけり
胡蝶は そらに まひのぼる
ゆくてさだめし ゆえならず
ゆくて かがやく ゆえならず
ただひたすらに かけりゆく
ああ ましろき 胡蝶
みずや みずや ああ かけりゆく
ゆくてもしらず とももあらず
ひとすぢに ひとすぢに
あくがれの ほそくふるふ 銀糸をあへぐ


  おほぞらの 水

おほぞらを 水 ながれたり
みづのこころに うかびしは
かぢもなき 銀の 小舟(おぶね)、ああ
ながれゆく みづの さやけさ
うかびたる ふねのしづけさ


  そらの はるけさ

こころ
そらの はるけさを かけりゆけば
豁然と ものありて 湧くにも 似たり
ああ こころは かきわけのぼる
しづけき くりすたらいんの 高原


  霧が ふる

霧が ふる
きりが ふる
あさが しづもる
きりがふる


  空が 凝視(み)てゐる

空が 凝視(み)てゐる
ああ おほぞらが わたしを みつめてゐる
おそろしく むねおどるかなしい 瞳
ひとみ! ひとみ!
ひろやかな ひとみ、ふかぶかと
かぎりない ひとみのうなばら
ああ、その つよさ
まさびしさ さやけさ


  こころ 暗き日

やまぶきの 花
つばきのはな
こころくらきけふ しきりにみたし
やまぶきのはな
つばきのはな


  蒼白い きりぎし

蒼白い きりぎしをゆく
その きりぎしの あやうさは
ひとの子の あやうさに似る、
まぼろしは 暴風(はやて)めく
黄に 病みて むしばまれゆく 薫香

悩ましい 「まあぶる」の しづけさ
たひらかな そのしずけさの おもわに
あまりにもつよく うつりてなげく
悔恨の 白い おもひで

みよ、悔いを むしばむ
その 悔いのおぞましさ
聖栄のひろやかさよ
おお 人の子よ
おまへは それを はぢらうのか


  夜の薔薇(そうび)

ああ
はるか
よるの
薔薇


  わが児(こ)

わが児と
すなを もり
砂を くづし
浜に あそぶ
つかれたれど
かなし けれど
うれひなき はつあきのひるさがり


  「つばね」の 穂

ふるへるのか
そんなに 白つぽく、さ

これは
「つばね」の ほうけた 穂

ほうけた 穂なのかい
わたしぢや なかつたのか、え


  人を 殺さば

ぐさり! と
やつて みたし

人を ころさば
こころよからん


(引用詩のかな遣いは原文に従い、用字は当用漢字に改め、明らかな誤植は訂正しました。)
(※以下次回)