[ 八木重吉(1898-1927)大正13年=1924年5月26日、長女桃子満1歳の誕生日に。重吉26歳、妻とみ子19歳 ]
八木重吉詩集『秋の瞳』
大正14年(1925年)8月1日・新潮社刊
これまでの再読三読を概括しますと、八木重吉の第1詩集『秋の瞳』収録詩編の内容はおよそ3種に分けられ、全117編の収録詩編は、
●(a)生活詩・心境詩(詩的表現が断片的に過ぎ、生活報告や心境告白に留まるもの)……40編
●(b)警喩詩・思想詩・断章詩(詩としては断章的で、警句や意見表明の次元で成立するもの)……41編
●(c)純粋詩(一編の詩として自律性の高い、独立した短詩と見なせるもの)……36編
――と分けられると読み返してきたのが前回までの見方でした。この3種類の分類が詩集収録詩編をほぼ3等分していることからも、一見方法的な詩人と思われない八木が詩集の編集に相当入念な選択・配置を行ったのが想像されます。第1詩集『秋の瞳』編集時までに八木には20冊、約1,500編あまりを収めた手稿小詩集があり、『秋の瞳』はそれら小詩集から97編を選び20編の書き下ろし詩編を加えて編集したもの、というのが昭和57年(1982年)にようやく刊行された『八木重吉全集』(全3巻、筑摩書房刊)で判明しています。しかし『八木重吉全集』刊行を待たずとも前記のような詩集内容は『秋の瞳』だけからでも読みとれるので、現在の八木重吉詩集の読解がどんなものになっているか一介の市井の読者でしかない筆者は知りませんが、全集第3巻解説の参考文献解題を閲読しても八木重吉詩集への批評は人格的視点、宗教的性格に集中しており、戦後詩人の藤原定・郷原宏、また批評家の江藤淳による批評もそれぞれニュアンスは異なりますが、八木の詩の性格を宗教的発想による特異な審美性に求めているきらいがあります。また英文学者・キリスト教信徒としての面から八木の詩の発想の出典を八木のもっとも傾倒したイギリスのロマン派詩人キーツ、また無教会派キリスト教信仰に求めるのも篤実な方法で、そうした研究も行われていたようですが、大概の詩人ならば通用するそのアプローチは八木重吉に限ってはほとんど有効ではないと考えられるのは八木自身が詩論どころかエッセイすらほとんど残していない詩人なので、生前発表されたものは教育機関誌(八木は中学校の英語教員でした)に発表した「読書の勧め」として書かれた聖書案内と同人誌の求めで書かれた簡単な生活環境の近況報告の2編だけで、詩論と言えそうなものは遺稿中から発見された600字ほどの無題の断片(前半600字分が散佚)ですがブレイクとポオを引き合いに出した詩作の心得のような自戒的なもので、それ以外には相当量が残されている日記、書簡にも詩人や詩への言及はほとんどありません。
そのように手がかりのない八木重吉の詩をどう読むかと、これまでは八木が同時代の詩人でもっとも注目していたと思われるプロテスタント教会の伝道師だった詩人、山村暮鳥(1884-1924)や、八木と同世代で詩的出発点や作風も意外と近いと思われるダダイズムの詩人、高橋新吉(1901-1987)と読み較べてみた挙げ句、先に上げたような詩集『秋の瞳』収録詩編の分類にたどり着いたのですが、この分類は順序としては倒錯していることにはこれまであえて触れてこないできました。「生活詩・心境詩」「警喩詩・思想詩・断章詩」「純粋詩」と分類するとしたら、通常詩集中もっとも重視すべきは純粋詩であるはずで、生活心境詩や箴言詩(警喩詩・思想詩・断章詩を一言で表すとすれば、こうなるでしょう)は本来「詩」以前の次元にあると考えられます。また詩集『秋の瞳』のもっとも優れた詩編も純粋詩に分類される中に求められると思われます。それらも一般的に現代詩の抒情詩と目されるスタイルからは極端に短く、高橋新吉の他には尾形亀之助(1900-1942、詩集『雨になる朝』昭和2年)や淵上毛銭(1915-1950、詩集『誕生』昭和18年、『淵上毛銭詩集』昭和22年)が上げられますし(北川冬彦<1900-1990>、安西冬衛<1898-1965>らの「新短詩運動」は方法的な実験性を目的としており、方向性が異なります)、もっと遡れば現代俳句の始祖・正岡子規(1867-1902)の門弟・河東碧梧桐(1873-1937)の流派から出た中塚一碧樓(1887-1946)の「新傾向俳句」、荻原井泉水(1884-1976)の「自由律俳句」に明治末期から芽ばえていた詩的発想とも言えます。しかし詩集『秋の瞳』の純粋詩は純粋詩とそれぞれが同等の編数を占める生活心境詩・箴言詩に支えられて詩集中に結晶しているのに、一見するとこうした詩集中での住み分けがまったく方法意識を感じさせず行われているために、『全詩集大成・現代日本詩人全集』第12巻(昭和29年、創元社刊)の伊藤信吉(1906-2002)による解説では八木の詩の精神的な美しさを認めた上で、
「重吉の作品には、近代的な意味での詩的意識や詩的方法というべきものがない。どの作品の構成も単純で、現代詩の複雑な意識からはとおく距たっている。したがってこのような詩には、興味をもたない人も少くないだろう。私もこの詩人は現代詩の古典的面に属するとおもうが、だからといって私には、これを全面的に否定することはできない」
(伊藤信吉「解説」)
――と結んでいますが、こうした伊藤信吉の見方を生むのもそうした八木の詩集の見かけに原因があると思われます。ちなみに『全詩集大成・現代日本詩人全集』第12巻収録詩人は草野心平、高橋新吉、中原中也、尾形亀之助、逸見猶吉で、中原中也の収録からも草野心平の意向が働いたとおぼしい「歴程」系詩人集ですが、伊藤信吉の解説は中原中也、尾形亀之助、八木重吉におおむね否定的です。伊藤信吉もまた現代詩の重鎮であり、一つの見識だと思います。一方伊藤信吉と同世代の伊藤整(1905-1969)は詩人として出発し小説・批評に進んだ作家ですが、「萩原朔太郎に熱中し、八木重吉を尊敬した」(「私の読んだ本」昭和27年9月・読売新聞発表、『続我が文学生活』昭和29年、講談社刊より)と書き、後々までも自伝的エッセイで萩原朔太郎と八木重吉を自分の原点とくり返し述べています。伊藤信吉はアナーキズム系から出てプロレタリア文学系詩人になり三好達治に継いで萩原朔太郎の秘書を勤めた人であり、篤実な作風と人望の篤さから晩年まで広く慕われ詩壇のご意見番的な存在だった詩人であり、伊藤整は三好達治の紹介からモダニズム文学誌「詩と詩論」寄稿者になり同誌発表の文学論を中心に「詩と詩論」同人・寄稿者の著作をまとめたシリーズ「現代の芸術と批評叢書」から第1文学論集『新心理主義文学』昭和7年('32年)を刊行し、モダニズムの新人小説家として川端康成の推輓によって注目を集めて以来小説家・批評家の地位を築いた作家で、伊藤整は八木重吉を論じた文章は残していませんが伊藤整が伊藤信吉、井上靖、山本健吉とともに編集委員を勤めた中央公論社の「日本の詩歌」全30巻(昭和43年~)は伊藤整の意図により中原中也・伊東静雄・八木重吉の3人1巻があり、亀井勝一郎・河盛好蔵・草野心平・中野重治・山本健吉が編集委員の新潮社「日本詩人全集」全34巻(昭和42年~)が中原中也を1巻で八木重吉は中勘助・田中冬二と3人1巻、伊東静雄は立原道造と2人1巻なのと対照をなしています(立原道造は「日本の詩歌」では丸山薫・田中冬二・田中克己・蔵原伸二郎との5人1巻です)。しかしほぼ同時に企画刊行された二種類の詩人全集で方や中勘助・田中冬二と3人1巻、方や中原中也・伊東静雄と3人1巻とは八木重吉とはどんな詩人か位置づけの困難さを表しているような現象です。
詩集『秋の瞳』の中で(a)生活詩・心境詩(詩的表現が断片的に過ぎ、生活報告や心境告白に留まるもの)とした40編は、(b)箴言詩(警喩詩・思想詩・断章詩)、(a)純粋詩よりも玉石混淆が激しく、(b)や(c)からは半数~2/3以上が採れても(a)群の詩編の出来不出来はかなり大きな印象を受けます。意地の悪いようですが、まず出来の良くないと思われる詩編を抜き出してみましょう。これをご覧いただければ、八木の詩はどんな傾向のものほどあまり上手くいっていないかがわかると思われます。
大和の国の水は こころのようにながれ
はるばると 紀伊とのさかひの山山のつらなり、
ああ 黄金(きん)のほそいいとにひかつて
秋のこころが ふりそそぎます
さとうきびの一片をかじる
きたない子が 築地(ついぢ)からひよつくりとびだすのもうつくしい、
このちさく赤い花も うれしく
しんみりと むねへしみてゆきます
けふはからりと 天気もいいんだし
わけもなく わたしは童話の世界をゆく、
日は うららうららと わづかに白い雲が わき
みかん畑には 少年の日の夢が ねむる
皇陵や、また みささぎのうへの しづかな雲や
追憶は はてしなく うつくしくうまれ、
志幾(しき)の宮の 舞殿(まひでん)にゆかをならして そでをふる
白衣(びやくえ)の 神女(みこ)は くちびるが 紅あかい
(「大和行」全行)
うれしきは
こころ 咲きいづる日なり
秋、山にむかひて うれひあれば
わがこころ 花と咲くなり
(「咲く心」全行)
あかき 霜月の葉を
窓よりみる日 旅を おもふ
かくのごときは じつに心おごれるに似たれど
まことは
こころ あまりにも つかれたるゆえなり
(「つかれたる 心」全行)
甕 を いくつしみたい
この日 ああ
甕よ、こころのしづけさにうかぶ その甕
なんにもない
おまへの うつろよ
甕よ、わたしの むねは
『甕よ!』と おまへを よびながら
あやしくも ふるへる
(「甕(かめ)」全行)
ほのかにも いろづいてゆく こころ
われながら あいらしいこころよ
ながれ ゆくものよ
さあ それならば ゆくがいい
「役立たぬもの」にあくがれて はてしなく
まぼろしを 追ふて かぎりなく
こころときめいて かけりゆけよ
(「心 よ」全行)
照らされし こころの 海(うな)づら
しづみゆくは なにの 夕陽
しらみゆく ああ その 帆かげ
日は うすれゆけど
明けてゆく 白き ふなうた
(「こころの 海(うな)づら」全行)
石くれを ひろつて
と視、こう視
哭(な)くばかり
ひとつの いしくれを みつめてありし
ややありて
こころ 躍(おど)れり
されど
やがて こころ おどらずなれり
(「石くれ」全行)
葉よ、
しんしん と
冬日がむしばんでゆく、
おまへも
葉と 現ずるまでは
いらいらと さぶしかつたらうな
葉よ、
葉と 現じたる
この日 おまへの 崇厳
でも、葉よ
いままでは さぶしかつたらうな
(「葉」全行)
ある日
もえさかる ほのほに みいでし
きわまりも あらぬ しづけさ
ある日
憎しみ もだえ
なげきと かなしみの おもわにみいでし
水の それのごとき 静けさ
(「しづけさ」全行)
おほぞらのもとに 死ぬる
はつ夏の こころ ああ ただひとり
きようちくとうの くれなゐが
はつなつのこころに しみてゆく
(「夾竹桃」全行)
痴寂(ちせき)な手 その手だ、
こころを むしばみ 眸(め)を むしばみ
山を むしばみ 木と草を むしばむ
痴寂な手 石くれを むしばみ
飯を むしばみ かつをぶしを むしばみ
ああ、ねずみの 糞ふんさへ むしばんでゆく
わたしを、小(ち)さい 妻を
しづかなる空を 白い雲を
痴寂な手 おまへは むさぼり むしばむ
おお、おろかしい 寂寥の手
おまへは、まあ
じぶんの手をさへ 喰つて しまふのかえ
(「痴寂な手」全行)
くちばしの 黄いろい
まつ黒い 鳥であつたつけ
ねちねち うすら白い どぶのうへに
籠(かご)のなかで ぎやうつ! とないてゐたつけ、
なにかしら ほそいほそいものが
ピンと すすり哭ないてゐるような
そんな 真昼で あつたつけ
(「くちばしの黄な 黒い鳥」全行)
さく、と 食へば
さく、と くわるる この 林檎の 白き肉
なにゆえの このあわただしさぞ
そそくさとくひければ
わが 鼻先きに ぬれし汁(つゆ)
ああ、りんごの 白きにくにただよふ
まさびしく 白きひびき
(「白き響」全行)
丘を よぢ 丘に たてば
こころ わづかに なぐさむに似る
さりながら
丘にたちて ただひとり
水をうらやみ 空をうらやみ
大木(たいぼく)を うらやみて おりてきたれる
(「丘を よぢる」全行)
わが児と
すなを もり
砂を くづし
浜に あそぶ
つかれたれど
かなし けれど
うれひなき はつあきのひるさがり
(「わが児(こ)」全行)
みづに なげく ゆふべ
なみも
すすり 哭く、あわれ そが
ながき 髪
砂に まつわる
わが ひくく うたへば
しづむ 陽
いたいたしく ながる
手 ふれなば
血 ながれん
きみ むねを やむ
きみが 唇(くち)
いとど 哀しからん
きみが まみ
うちふるわん
みなと、ふえ とほ鳴れば
かなしき 港
茅渟(ちぬ)の みづ
とも なりて、あれ
とぶは なぞ、
魚か、さあれ
しづけき うみ
わが もだせば
みづ 満々と みちく
あまりに
さぶし
(「水に 嘆く」全行)
むなしさの ふかいそらへ
ほがらかにうまれ 湧く 詩(ポヱジイ)のこころ
旋律は 水のように ながれ
あらゆるものがそこにをわる ああ しづけさ
(「むなしさの 空」全行)
しづか しづか 真珠の空
ああ ましろき こころのたび
うなそこをひとりゆけば
こころのいろは かぎりなく
ただ こころのいろにながれたり
ああしろく ただしろく
はてしなく ふなでをする
わが身を おほふ 真珠の そら
(「こころの 船出」全行)
たちまち この雑草の庭に ニンフが舞ひ
ヱンゼルの羽音が きわめてしづかにながれたとて
七宝荘厳の天の蓮華が 咲きいでたとて
わたしのこころは おどろかない、
倦み つかれ さまよへる こころ
あへぎ もとめ もだへるこころ
ふしぎであらうとも うつくしく咲きいづるなら
ひたすらに わたしも 舞ひたい
(「不思議をおもふ」全行)
たかい丘にのぼれば
内海(ないかい)の水のかげが あをい
わたしのこころは はてしなく くづをれ
かなしくて かなしくて たえられない
(「あをい 水のかげ」全行)
かなしみは しづかに たまつてくる
しみじみと そして なみなみと
たまりたまつてくる わたしの かなしみは
ひそかに だが つよく 透きとほつて ゆく
こうして わたしは 痴人のごとく
さいげんもなく かなしみを たべてゐる
いづくへとても ゆくところもないゆえ
のこりなく かなしみは はらへたまつてゆく
(「はらへたまつてゆく かなしみ」全行)
秋の いちじるしさは
空の 碧(みどり)を つんざいて 横にながれた白い雲だ
なにを かたつてゐるのか
それはわからないが、
りんりんと かなしい しづかな雲だ
(「白い 雲」全行)
はるの日の
わづかに わづかに霧(き)れるよくはれし野をあゆむ
ああ おもひなき かなしさよ
(「おもひなき 哀しさ」全行)
――以上、40編中23編が詩集『秋の瞳』中の生活心境詩では不出来と思われるものですが、編数の上では半数強ですが数連に渡る長めの詩編(一般的には通常の標準的な長さの抒情詩)では、八木は必ずと言っていいほどあまり上手くいっていないのがわかります。そのため40編中23編と言っても行数では2/3以上に上ると思われます。八木は固有名詞や外来語の観念語を使うとたいがい失敗しているのもわかり、また短めにまとめて一連で完結している詩編でも心境詩にとどまる内容のものは言葉足らずの印象が残るものは不出来と見なしました。一方、「序」と先に23編を除いた残りの17編ははるかに引き締まった出来を示しており、八木らしく短い一連形式の短詩は先に不出来と見なした詩編と際どいところで成否を分けているのが、ご覧いただければおわかりいただけると思います。それは詩編のキーワードに詠み込んだ題材の選択や、ちょっとした文末表現による生かし方によるもので、成功した詩編における八木重吉の語感の精妙さはとてもほとんど100年以前の1921年~25年に書かれた作品とは思えない新鮮な感覚を伝えてあまりあります。
私は、友が無くては、耐へられぬので
す。しかし、私には、ありません。この
貧しい詩を、これを、読んでくださる方
の胸へ捧げます。そして、私を、あなた
の友にしてください。
(「序」全行)
はつあきの よるを つらぬく
かなしみの 火矢こそするどく
わづかに 銀色にひらめいてつんざいてゆく
それにいくらのせようと あせつたとて
この わたしのおもたいこころだもの
ああ どうして
そんな うれしいことが できるだらうか
(「哀しみの 火矢(ひや)」全行)
あかるい 日だ
窓のそとをみよ たかいところで
植木屋が ひねもすはたらく
あつい 日だ
用もないのに
わたしのこころで
朝から 刈りつづけてゐるのは いつたいたれだ
(「植木屋」全行)
ふるさとの山のなかに うづくまつたとき
さやかにも 私の悔いは もえました
あまりにうつくしい それの ほのほに
しばし わたしは
こしかたの あやまちを 讃むるようなきもちになつた
(「ふるさとの 山」全行)
いち群のぶよが 舞ふ 秋の落日
(ああ わたしも いけないんだ
他人も いけないんだ)
まやまやまやと ぶよが くるめく
(吐息ばかりして くらすわたしなら
死んぢまつたほうが いいのかしら)
(「一群の ぶよ」全行)
すとうぶを みつめてあれば
すとうぶをたたき切つてみたくなる
ぐわらぐわらとたぎる
この すとうぶの 怪! 寂!
(「悩ましき 外景」全行)
ふるへるのか
そんなに 白つぽく、さ
これは
「つばね」の ほうけた 穂
ほうけた 穂なのかい
わたしぢや なかつたのか、え
(「「つばね」の 穂」全行)
ふがいなさに ふがいなさに
大木をたたくのだ、
なんにも わかりやしない ああ
このわたしの いやに安物のぎやまんみたいな
『真理よ 出てこいよ
出てきてくれよ』
わたしは 木を たたくのだ
わたしは さびしいなあ
(「大木(たいぼく) を たたく」全行)
くらい よる、
ひとりで 稲妻をみた
そして いそいで ペンをとつた
わたしのうちにも
いなづまに似た ひらめきがあるとおもつたので、
しかし だめでした
わたしは たまらなく
歯をくひしばつて つつぷしてしまつた
(「稲妻」全行)
山のうへには
はたけが あつたつけ
はたけのすみに うづくまつてみた
あの 空の 近かつたこと
おそろしかつたこと
(「追憶」全行)
実(み)!
ひとつぶの あさがほの 実
さぶしいだらうな、実よ
あ おまへは わたしぢやなかつたのかえ
(「草の 実」全行)
止まつた 懐中時計(ウオツチ)、
ほそい 三つの 針、
白い 夜だのに
丸いかほの おまへの うつろ、
うごけ うごけ
うごかぬ おまへがこわい
(「止まつた ウオツチ」全行)
この虹をみる わたしと ちさい妻、
やすやすと この虹を讃めうる
わたしら二人 けふのさひわひのおほいさ
(「虹」全行)
れいめいは さんざめいて ながれてゆく
やなぎのえだが さらりさらりと なびくとき
あれほどおもたい わたしの こころでさへ
なんとはなしに さらさらとながされてゆく
(「黎明」全行)
白い 路
まつすぐな 杉
わたしが のぼる、
いつまでも のぼりたいなあ
(「白い 路」全行)
せつに せつに
ねがへども けふ水を みえねば
なぐさまぬ こころおどりて
はるのそらに
しづかなる ながれを かんずる
(「しづかなる ながれ」全行)
これは ちいさい ふくろ
ねんねこ おんぶのとき
せなかに たらす 赤いふくろ
まつしろな 絹のひもがついてゐます
けさは
しなやかな 秋
ごらんなさい
机のうへに 金糸のぬいとりもはいつた 赤いふくろがおいてある
(「ちいさい ふくろ」全行)
かの日の 怒り
ひとりの いきもののごとくあゆみきたる
ひかりある
くろき 珠のごとく うしろよりせまつてくる
(「怒り」全行)
――これら(a)群の不出来な、または(むしろ)成功した生活心境詩があるからこそ、読者には八木の詩の謎めいた箴言的性格(それを宗教性とも言えるでしょう)が一見露骨に現れているように見える(b)群の詩群からも詩人の肉声が感じられるとも言えます。たとえば、(b)群の箴言詩群中でも八木にとってはどうしても詩集に入れたかっただろう一編(八木は手稿小詩集「丘をよぢる白い路」「花が咲いた」などにしばしば「キーツに捧ぐ」「Dedicated To John Keats」と献辞を付しています)、
うつくしい 秋のゆふぐれ
恋人の 白い 横顔(プロフアイル)―「キーツ」の 幻(まぼろし)
(「「キーツ」に 寄す」全行)
――などは(a)群の生活心境詩の不出来な作品と同じく「横顔(プロフアイル)」も「「キーツ」」も上手くいっていない例に上がり、こういう外来語や固有名詞を使うと八木は失敗する上に言葉足らずに終わっている典型例ですが、この「「キーツ」に 寄す」はいわば作中作のように他の収録詩編の「わたし」の手になる断章として読まれる効果を前提としていると見るべきでしょう。(b)群の箴言詩(警喩詩・思想詩・断章詩)から詩集全体の中で成功していると思われる詩編を選抄してみます。
えんぜるになりたい
花になりたい
(「花になりたい」全行)
無造作な くも、
あのくものあたりへ 死にたい
(「無造作な 雲」全行)
このかなしみを
ひとつに 統(す)ぶる 力(ちから)はないか
(「かなしみ」全行)
死 と 珠 と
また おもふべき 今日が きた
(「死と珠(たま)」全行)
わたしは
玉に ならうかしら
わたしには
何(なん)にも 玉にすることはできまいゆえ
(「玉(たま)」全行)
ぐさり! と
やつて みたし
人を ころさば
こころよからん
(「人を 殺さば」全行)
この しのだけ
ほそく のびた
なぜ ほそい
ほそいから わたしのむねが 痛い
(「しのだけ」全行)
すずめが とぶ
いちじるしい あやうさ
はれわたりたる
この あさの あやうさ
(「朝の あやうさ」全行)
あき空を はとが とぶ、
それでよい
それで いいのだ
(「鳩が飛ぶ」全行)
わたしの まちがひだつた
わたしのまちがひだつた
こうして 草にすわれば それがわかる
(「草に すわる」全行)
くらげ くらげ
くものかかつた 思ひきつた よるの月
(「夜の 空の くらげ」全行)
巨人が 生まれたならば
人間を みいんな 植物にしてしまうにちがいない
(「人間」全行)
花が 咲いた
秋の日の
こころのなかに 花がさいた
(「秋の日の こころ」全行)
赤い 松の幹は 感傷
(「感傷」全行)
春も おそく
どこともないが
大空に 水が わくのか
水が ながれるのか
なんとはなく
まともにはみられぬ こころだ
大空に わくのは
おもたい水なのか
(「春も 晩く」全行)
かへるべきである ともおもわれる
(「おもひ」全行)
このひごろ
あまりには
ひとを 憎まず
すきとほりゆく
郷愁
ひえびえと ながる
(「郷愁」全行)
ひとつの
ながれ
あるごとし、
いづくにか 空にかかりてか
る、る、と
ながるらしき
(「ひとつの ながれ」全行)
宇宙の良心―耶蘇
(「宇宙の 良心」全行)
彫(きざ)まれたる
空よ
光よ
(「空 と 光」)
――これらはいかにも断章的で、極端な短さのみならず、一編の詩編の中で意味のみならず文法的にも完結していない詩編までもが含まれ、そうした点では箴言の体裁すらなしていないとも言えます。その意味でも生活心境詩群とこれらの断章的な箴言詩群は純粋詩とは別の性格ですれ違っている詩編であり、(a)→(b)→(c)群の純粋詩と→を追って累積的に形成されているというより同時進行的に読まれるのが要求されている、つまり読み終えた後で振り返った時にようやく姿を現してくるような内容と構成を取っていると見えます。純粋詩と目せる(c)群の詩編を選抄してみましょう。
息を ころせ
いきを ころせ
あかんぼが 空を みる
ああ 空を みる
(「息を 殺せ」全行)
白い 枝
ほそく 痛い 枝
わたしのこころに
白い えだ
(「白い枝」全行)
鉛(なまり)のなかを
ちようちよが とんでゆく
(「鉛と ちようちよ」全行)
ことさら
かつぜんとして 秋がゆふぐれをひろげるころ
たましいは 街を ひたはしりにはしりぬいて
西へ 西へと うちひびいてゆく
(「ひびく たましい」全行)
そらを 指す
木は かなし
そが ほそき
こずゑの 傷いたさ
(「空を 指(さ)す 梢(こずゑ)」全行)
赤んぼが わらふ
あかんぼが わらふ
わたしだつて わらふ
あかんぼが わらふ
(「赤ん坊が わらふ」全行)
こころよ
では いつておいで
しかし
また もどつておいでね
やつぱり
ここが いいのだに
こころよ
では 行つておいで
(「心 よ」全行)
はじめに ひかりがありました
ひかりは 哀しかつたのです
ひかりは
ありと あらゆるものを
つらぬいて ながれました
あらゆるものに 息を あたへました
にんげんのこころも
ひかりのなかに うまれました
いつまでも いつまでも
かなしかれと 祝福(いわわ)れながら
(「貫ぬく 光」全行)
ほそい
がらすが
ぴいん と
われました
(「ほそい がらす」全行)
くものある日
くもは かなしい
くもの ない日
そらは さびしい
(「雲」全行)
ある日の こころ
山となり
ある日の こころ
空となり
ある日の こころ
わたしと なりて さぶし
(「在る日の こころ」全行)
おさない日は
水が もの云ふ日
木が そだてば
そだつひびきが きこゆる日
(「幼い日」全行)
霧が ふる
きりが ふる
あさが しづもる
きりがふる
(「霧が ふる」全行)
空が 凝視(み)てゐる
ああ おほぞらが わたしを みつめてゐる
おそろしく むねおどるかなしい 瞳
ひとみ! ひとみ!
ひろやかな ひとみ、ふかぶかと
かぎりない ひとみのうなばら
ああ、その つよさ
まさびしさ さやけさ
(「空が 凝視(み)てゐる」全行)
ああ
はるか
よるの
薔薇
(「夜の薔薇(そうび)」全行)
各(ひと)つの 木に
各(ひと)つの 影
木 は
しづかな ほのほ
(「静かな 焔」全行)
しろい きのこ
きいろい きのこ
あめの日
しづかな日
(「あめの 日」全行)
ちさい 童女が
ぬかるみばたで くびをまわす
灰色の
午后の 暗光
(「暗光」全行)
秋が くると いふのか
なにものとも しれぬけれど
すこしづつ そして わづかにいろづいてゆく、
わたしのこころが
それよりも もつとひろいもののなかへくづれて ゆくのか
(「秋」全行)
おもたい
沼ですよ
しづかな
かぜ ですよ
(「沼と風」全行)
まひる
けむし を 土にうづめる
(「毛蟲を うづめる」全行)
春は かるく たたずむ
さくらの みだれさく しづけさの あたりに
十四の少女の
ちさい おくれ毛の あたりに
秋よりは ひくい はなやかな そら
ああ けふにして 春のかなしさを あざやかにみる
(「春」全行)
やなぎも かるく
春も かるく
赤い 山車(だし)には 赤い児がついて
青い 山車には 青い児がついて
柳もかるく
はるもかるく
けふの まつりは 花のようだ
(「柳も かるく」全行)
――以上23編を36編の(c)群の純粋詩群から抄出しましたが、(b)群の箴言詩群の断章性との差異はきわめて微妙と見えて、実際は(a)群の生活心境詩、(b)群の箴言詩と際どく隣りあいながら、一編ごとにきちんと完結感のある詩編に仕上がっているのに改めて気づかされます。これらの詩編の書き分けをもってしても、八木重吉の詩を「近代的な意味での詩的意識や詩的方法というべきものがない」(伊藤信吉)とする批評は批評として機能していないとしか思えないのです。つまりそれは八木がその詩で表したかったものは何か、読者に何を伝えたかったのかという以前に、八木にとっては明らかに明治以降の一般的な文学としての詩とは異なる詩意識が働いており、宮澤賢治のようにそれが膨大な生前未発表草稿であれ(自分自身に向けて確かめるためであっても)何かを伝えよう、言いつくそうという作業には見えない抽象化が行われているために読者を一種の空白、思考停止に陥らせる表現が出現しているとも言え、その場合八木の詩は見た目通りの断片、意味の放棄への指向があるとも考えられるのです。
(引用詩のかな遣いは原文に従い、用字は当用漢字に改め、明らかな誤植は訂正しました。回ごとの論旨のまとまりの便宜上、記述・引用の重複はご容赦ください。)