チャーリー・パーカー Charlie Parker's Ree Boppers - Billie's Bounce (Charlie Parker) (rec.Savoy '45, from the album "Charlie Parker Memorial Vol. 2", Savoy Records MG-12009, 1955) : https://youtu.be/qDm-8HIa7tY - 3:05
Recorded at WOR Studios, Broadway, NYC, November 26, 1945
[ Charlie Parker's Ree Boppers ]
Charlie Parker - alto saxophone
Miles Davis - trumpet
Dizzy Gillespie - piano
Curley Russell - bass
Max Roach - drums
ビッグバンド時代まではともかくビ・バップ以降のモダン・ジャズはブルース、循環(I→IV→V→I)、スタンダード曲かスタンダード曲のコード進行の改作(拝借またはパクり)、この3パターンに尽きます。しかも9割は長調です。それを開発定着させたのがビ・バップのディジー・ガレスピー(トランペット)、チャーリー・パーカー(アルトサックス)、セロニアス・モンク(ピアノ)の3巨頭で、ガレスピーやモンクにも「A Night In Tunisia」や「'Round About Midnight」のようなオリジナルなコード進行で短調の曲がありますがアメリカのスタンダード曲の9割は長調の楽曲で、黒人ブルースとなると本来は長調短調どちらにも属さない(トニックIに解決する半音階を含まない)民族音階のメロディーです。シングル2枚(当時78prmのSP盤)をチャーリー・パーカーが録音するためにスタジオ入りの午前10時半までに当日の朝に書いたばかりの新曲「Billie's Bounce」「Now's The Time」はどちらも管楽器ではもっとも演奏しやすいFのキーの12小節ブルースでした。パーカーはジェイ・マクシャン楽団やガレスピーのバンドのメンバーとしてはすでに多くの録音がありましたが、この'46年11月26日セッションは初めてのパーカー名義のレコードでした。ここでサヴォイ得意の一部前借り契約に乗ったためにパーカーは翌'47年2月にはロサンゼルスのダイアル社との並行契約を交わしながらサヴォイへは'48年9月まで93テイク26曲を前借り金以外ノーギャラで録音する羽目になります。ともあれパーカー作の2曲のオリジナル・ブルース「Billie's~」と「Now's~」は最新ジャズのマニアの間で大評判となり、たちまちビ・バップ・スタンダードになりました。
この「Billie's Bounce」で聴けるパーカーのアドリブ・ソロ4コーラスはパーカー以前にはコールマン・ホーキンスとレスター・ヤングが一部の演奏で試みていた程度だった自在なシンコペーションと意表を突くスケールによるもので、パーカーのニックネームの"Bird"を世に知らしめ、クラリネットの管構造で金管楽器の音色と音量を出せるサキソフォンを一躍ジャズの花形楽器に変えてしまったものでした。サックスは旧来のジャズではトランペットとクラリネットの従属楽器であり、ホーキンスは初めてテナーサックスをソロ楽器に用い、レスターはさらに柔軟な奏法に踏み出した人でしたが、パーカーはアルトサックスでジャズの楽器編成のサックスの地位を後のロック・バンドに置き換えればリード・ヴォーカルとリード・ギターを兼ねた楽器に変貌させたのです。まだ19歳の新人トランペット奏者マイルス・デイヴィスが神妙に2コーラスを吹き、ピアノ・ソロがないのは出来たばかりの新曲だったのでメンバーのピアニスト、サディク・ハキム(バド・パウエルの前任者)には演奏できず、録音アドヴァイスのために応援に来ていたガレスピーがピンチヒッターでピアノを弾いたからでした。
この曲はパーカーのレコードを聴いて育った世代の'60年代のテナーサックス奏者、アルバート・アイラー(1936-1970)が兵役でヨーロッパに駐屯し、除隊後そのままヨーロッパをジャズ留学中に(当時アメリカではジャズ不況で、多くのアメリカ人ジャズマンがヨーロッパ巡業で身を立てていました)マニアによる自主制作アルバム1枚(『Something Different』'62.10録音)の実績でデンマークの国営ラジオ局のスタジオ・ライヴ番組に出演した時のセッションでも取り上げています。まだ15歳だったデンマークのセッション・ベーシスト(前年にバド・パウエルと共演)、ニルス・H・O・ペデルセンが将来の大成を予感させる凄腕を聴かせます。アイラーは少年時代すでに地元オハイオ州クリーヴランドではパーカーの曲なら全部アドリブ・フレーズや音色まで完全コピー演奏できる"Little Bird"と呼ばれていたそうですが、パーカーのコピーから出発してよくもここまで似ても似つかない演奏にたどり着いたと感心させられます。しかもこれはアイラーとしてはまだビ・バップに近い演奏です。
アイラーは翌'64年にアメリカ帰国後2月に早くも2枚のアルバム(全曲オリジナルの『Spirits』、ゴスペル曲集『Swing Low Swing Spiritual』)を同時録音し、7月録音の大傑作アルバム『Spiritual Unity』ESP'64ではジョン・コルトレーンを驚嘆させて「アイラーのように吹けたら!」とまで言わせ、コルトレーンはアイラーを自分の所属するメジャーのインパルス・レコーズに招きます。コルトレーンは早い晩年('67年、享年40歳)直前に師のガレスピーの見舞いで君が死んだら後継者は誰かね、と問われ、「アルバート・アイラー」と即答したそうです。コルトレーンの葬儀では故人の指名でオーネット・コールマン(アルトサックス)のバンドとアイラーのバンドが追悼演奏を行い、その録音も近年発掘されました。さすがに葬儀の演奏に師のガレスピーやモンク、マイルスほどの大物にノーギャラ演奏は頼めない、多忙で来てもらえるかもわからないのもあったでしょうが、自分の葬儀で参列者に聴いてほしい音楽がオーネットとアイラーだったのは心底信頼し惚れこんでいないと指名できないことでしょう。ちなみにパーカーの葬儀は疎遠だった親族が見栄を張ってクラシックの演奏家と合唱団が呼ばれ、アイラーは突然行方不明になり死因不明の遺体となってニューヨークのイーストリヴァーに浮いているのを発見されました。コルトレーンの没後はアイラーは精神的に不安定になり奇行が目立って仕事も少なくなり、亡くなった年のインタビューではこれまでのミュージシャン収入は年収80ドルだった、と答えています。ともあれ、パーカーのデビュー曲をアイラーが海外とは言えメジャー(デンマークのフォンタナ・レコーズ傘下のデビュー・レーベル)からのデビュー・アルバムで演奏しているのは、モダン・ジャズの歴史の一巡を感じさせます。
Albert Ayler - Billie's Bounce (rec.'63, from the album "My Name Is Albert Ayler", Fontana/Debut Records DEB-140, 1964) : https://youtu.be/FWHw5CPJeYY - 6:05
Recorded at Danish National Radio Studios, Copenhagen, Denmark, January 14, 1963
[ Personnel ]
Albert Ayler - tenor saxophone
Niels Bronsted - piano
Niels Henning Orsted Pederson - bass
Ronnie Gardiner - drums