人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2018年6月22日・23日/ 本多猪四郎(1911-1993)監督時代のゴジラ映画より(3)

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 前2回で第6作までのゴジラ映画の概要はおおよそ紹介しましたので、以降はどんな作品が続いたかを列挙します。まず第7作と第8作の監督は福田純(1923-2000)が担当し、'66年(昭和41年)12月17日公開の第7作『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』は観客動員数421万人・興行収入3億3,000万円、ゴジラ以外の登場怪獣はエビラ、モスラ成虫、大コンドルでした。'67年(昭和42年)12月16日公開の第8作『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』は観客動員数309万人・興行収入2億6,000万円で、タイトル通りのミニラの他にカマキラス、クモンガが登場します。再び本多猪四郎監督に戻って第9作『怪獣総進撃』は'68年(昭和43年)8月1日に公開され、観客動員数258万人・興行収入2億3,000万円で、これもタイトル通りミニラ、アンギラスラドン、バラン、モスラ幼虫、マンダ、バラゴン、ゴロザウルス、クモンガ、キングギドラと怪獣大量登場が売り物で、次に今回感想文を書いた'69年(昭和44年)12月20日公開の第10作『ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃』(観客動員数148万人・興行収入2億6,000万円)になります。これは冬休み(正月映画)・夏休み(盆休み映画)の年2回のファミリー向け興行「東宝チャンピオンまつり」の第1回作品で「コント55号」映画と『巨人の星』映画との3本立てで公開され、以降ゴジラ映画は「東宝チャンピオンまつり」内で冬か夏のうち1作は新作、1作は第9作までの作品をオムニバス公開用に短縮再編集し怪獣対決を強調して改題した再上映が行われるようになります。第11作で坂野義光(1931-2017)監督が共同脚本にも当たった異色作『ゴジラ対ヘドラ』は'71年(昭和46年)7月24日に公開され観客動員数174万人・興行収入3億円(ひさびさにゴジラ以外の登場怪獣はヘドラのみ)でしたが坂野監督作品は同作きりで、福田純監督作品が3作続きます。それが'72年(昭和47年)3月12日公開の第12作『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』(観客動員数178万人・興行収入3.2億2,000万円、登場怪獣=アンギラスキングギドラガイガン)、対怪獣用ロボットのジェットジャガーが発明されてゴジラと共闘する'73年(昭和48年)3月17日公開の第13作『ゴジラ対メガロ』(観客動員数98万人・興行収入2億2,000万円、登場怪獣=アンギラスガイガン、メガロ)、'74年(昭和49年)3月21日公開の第14作『ゴジラ対メカゴジラ』(観客動員数133万人・興行収入3.7億7,000万円、登場怪獣=アンギラスメカゴジラキングシーサー)でした。そして今回感想文に取り上げた'75年(昭和50年)3月15日公開の第15作『メカゴジラの逆襲』は再び本多猪四郎監督が手がけましたが、観客動員数97万人・興行収入3億3,000万円と観客動員数・物価指数と製作費から計上される純益ともゴジラ映画でもっともヒットしなかった作品となり、本多監督の最後の劇場用映画監督作となるとともにここで一旦ゴジラ映画シリーズは幕を下ろすことになりました。
 今回観直す機会がなかった作品からさらに加えるなら、第11作『ゴジラ対ヘドラ』'71、第13作『ゴジラ対メガロ』'73、第14作『ゴジラ対メカゴジラ』'74がそれぞれ趣向の凝らされた異色作で、ゴジラ映画もシリーズとしてはもう末期を迎えている予感が製作者側・観客側にもある中でゴジラ以来の自然(公害)災害怪獣であるヘドラが強烈なインパクトを与えた第11作、対怪獣用ロボット・ジェットジャガー登場の第13作、沖縄の日本返還に伴いインファント島のモスラに相当する沖縄の守り神キングシーサーゴジラが共闘してキングギドラ以来の強敵である人工怪獣メカゴジラに立ち向かう第14作など、第11作は2年ぶりのゴジラの新作であり第10作がファミリー向けファンタジー作品だった内容からの急激な方向転換を図った社会派作品であり、また第13作と第14作('73年/'74年)がオイル・ショックによる世界的なインフレーションによってほとんど消費者物価2倍に上る経済恐慌進行中の製作・公開だったのを思えば、第15作『メカゴジラの逆襲』は福田淳監督の前作の健闘を受けたゴジラ映画最大の功労者、本多猪四郎監督勇退のための花道だったようにも思えます。今回選んだ7作は東宝の正式ライセンスによるレストア=デジタル・リマスター版のアメリカ版DVDボックス(アメリカ公開版と日本オリジナル版をともに収録)『Godzilla Collection』2006(ジーニアス・エンタテインメント社)収録作だったので、購入した当初は廉価版だからか(画質音質、仕様は非常に丁寧で良好なものですが)ずいぶん変なセレクションだなと思い、順不同でばらばら観直していたのですが、さすがに今観るときついなとDVDで初めて観直した時の印象は今回かなり変わってこの7作(正確にはレイモンド・バー主演作品としてテリー・モース監督により追加撮影・再編集された第1作のアメリカ版『怪獣王ゴジラ』'56を含む8作8枚組)のセレクションの意図や妥当さも理解できるような気がしました。

●6月22日(金)
ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃』(東宝'69)*本多猪四郎監督, 69min, Color; 昭和44年12月20日公開

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○解説(キネマ旬報新作邦画紹介より)「緯度0大作戦」の関沢新一が脚本を執筆し、本多猪四郎が監督した怪獣もの。特技監督円谷英二、撮影は富岡素敬が担当した。
○あらすじ(同上) 三木一郎(矢崎知紀)は鍵っ子小学生、両親(佐原健二、中真千子)の帰るまでの退屈を大好きな玩具づくりで紛らわせていた。一郎は遊び相手になってくれる玩具アイディアマンの南信平(天本英世)が好きだった。彼は今"ちびっ子コンピューター"を作成していたが、一郎の興味をひくのはただ一つ、怪獣島のコンピューターだった。今日も両親は夜勤。一郎はガラクタを集めて作った手製のコンピューターを眺めているうちに、夢の怪獣島に誘われた。怪獣島、そこでは一郎の好きなミニラが悪怪獣ガバラにいじめられていた。一郎はゴジラを呼ぼうとしたが、信平に起こされてしまった。一郎はまた空ビルヘガラクタ集めに行った。が、そこに三千万円強奪犯人がひそんでおり、二人組(堺左千夫鈴木和夫)に狙われるようになってしまった。その晩、一郎はふたたび怪獣島の夢をみた。その時、ミニラは強く生きられるようにとゴジラの特訓を受けていた。一郎が二人組に補ったのはそれから間もなく、だが、一郎は怪獣島でガバラをやっつけたミニラを思い起して発憤した。凶悪な犯人にかみつき、消化器をまきちらして大活躍。そこへ信平の通報でパトカーが到着、犯人は逮捕された。一郎はもう弱い子ではなかったのだ。

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 タイトル・クレジットのバックには過去作品からのゴジラの戦闘シーンに主題歌「怪獣マーチ」(歌・佐々木梨里、東京ちびっこ合唱団)が重なります。小学生の下校風景から主人公の一郎(矢崎知紀)は通りかかった鉄道員の父(佐原健二)に今夜は夜勤だ、と告げられ、友達のサチコ(伊東ひでみ)が母(毛利幸子)の迎えで別れた後ガバラとあだ名をつけているいじめっ子たち(伊藤潤一、森徹)にからかわれて拾った真空管を奪われ、帰宅して親しい隣人で玩具コンサルタントで発明家のおじさん(天本英世)から新作玩具のちびっ子コンピューターを見せられた後、やはりパートに出ている母の手紙を読んでパンと牛乳の食事を取り、5,000万円強奪事件のニュースやメロドラマなどのテレビも面白くないので、映画開始10分目に自作のコンピューターに見入っているうちに怪獣島の中に吸い込まれます。そこでカマキラス、クモンガ、アンギラス、ゴロザウルス、大ワシ、マンダが闊歩し飛び交う怪獣島の風景に喜ぶ一郎にゴジラの息子ミニラが話しかけてきます。ミニラとともにガバラの出現に隠れた一郎はぼくの近くにもガバラがいるよ、と相談します。一方一郎の母から夜勤になると電話をもらい一郎の世話を頼まれた玩具発明家のおじさんに起こされた一郎は、5,000万円強奪事件の犯人たちとすれ違って目撃されたと目をつけられ、おじさんの家でスキヤキの夕食をご馳走になっている最中警官の立ち寄りでおじさんは強奪犯の車の略奪に注意を受けて、夕食後眠りこんだ一郎は30分目から再び怪獣島でミニラと会い、ゴジラがエビラ、次にクモンガと戦って倒すのを目撃します。一郎とミニラはガバラに襲われ、ゴジラの普段の言いつけでガバラに立ち向かったミニラは戦いの途中でかなわないやと逃げ出します。ゴジラを航空部隊が襲撃し、航空部隊を全滅させたゴジラに一郎とミニラは喝采し、ミニラはゴジラに「パパ!」と駆け寄り、ゴジラは白熱放射の手本を見せます。再び出現するガバラ。一郎が身をすくめると、強奪犯の二人組が一郎を押さえこんでいる最中でした。映画開始45分目、一郎は強奪犯の監禁中に再び空想に入りこむと(50分目)、ミニラがガバラを追いつめゴジラとともにガバラを倒すまでを見届けます。60分目、強奪犯たちに起こされ、逃亡の人質に拉致されることになった一郎は隙をついて逃げ出し、男たちは一郎を廃ビルの中で探します。一方廃ビル前の路上で自分の車が駐車しているのに帰路に気づいたおじさんはドンゴロスに包まれた大量の現金に驚き警察に通報、一郎が男たちを翻弄しているうちに警官が到着し犯人たちは逮捕されます。翌日登校する一郎は報道陣に「ミニラと一緒だったからさ」と答え、通学路で待ち受けるいじめっ子たちをやっつけ、得意になって走っているとペンキ塗りの男にぶつかってペンキをひっくり返し、通りかかった列車で仕事中の父に「代わりに謝っといてよ、ごめんねー」と学校に走って行く姿がロングショットになり映画は終わります。
 のち東映のテレビシリーズ『仮面ライダー』'71の死神博士が当たり役になる天本英世が子供好きの気のいいおじさん役なのが何だか変な感じで、本作の役柄はコメディ・リリーフなので実は今回キャスティングを念頭に置いて観直すまでまったく気がつきませんでした。佐原健二は言われなくても一発でわかりますが、これが「東宝チャンピオンまつり」第1回作品で『コント55号 宇宙大冒険』『巨人の星 ゆけゆけ飛雄馬』と3本立てだったというのも昔日の感を深くします。前書きで書いた通り第6作『怪獣大戦争』の後、ゴジラ映画は福田淳監督により『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』'66、『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』'67、本多猪四郎監督に戻っても『怪獣総進撃』'68と、円谷プロのテレビシリーズ『ウルトラマン』'66の第8話「怪獣無法地帯」(昭和41年9月4日放映)と変わらない怪獣島ものになり、要するにサイレント映画時代の秘境映画『ロストワールド』'25に先祖がえりしてしまったような塩梅でした。しかもこの内容ならテレビ番組と変わらずスペシャル版程度でしかない。観客が家族で映画でも観ようかという時にゴジラコント55号と『巨人の星』というのはレジャー施設の暇つぶし上映を観るようなもので、限りなく低い期待値しか持たない観客に一応映画を観た満足感を与えるとは、かなり割り切った心得で臨むプログラム・ピクチャーの監督でも取りつくしまがないような条件で、本多猪四郎監督による前作『怪獣総進撃』もゴジラ以外に10怪獣登場と隙あらば怪獣の作りでしたが、本作では本気で映画を観てくれる観客に、つまり子供の観客だけに観られることだけに純粋に絞りこんだ内容の作品になっていると言えます。そうした意味では本作を子供向けというのは製作意図通りですし、ミニラが主人公の一郎少年と日本語で会話するのも少年の願望の生んだ夢想の中ですから不自然なことは何もないと言えます。子供向け映画になったゴジラ映画は今では地球の危機を幼稚園児が救うクレヨンしんちゃん映画やポケモン映画に蘇っているので、子供向け映画を最初から子供映画の意匠で作って大人も楽しめる場合は讃える声も起こるが全年齢向け映画が子供向け映画化すると大人が馬鹿にする気配を子供までが察して離れてしまう、そういう不幸な現象が起こったのが'60年代後半からのゴジラ映画で、そこで本作ははっきりと大人の観客にもこれは子供向けゴジラ映画なのだ、と結果的にメタ映画の枠組みを採用して子供の夢の存在としてのゴジラ映画を作ったので、本作のゴジラの描き方と言えば怪獣島のゴジラはエビラを倒し、ゴジラ退治に現れる爆撃機の一隊を全滅させますが、子供の夢ですからエビラを倒すのも人間の攻撃部隊を全滅させるのも同じ次元で描かれるという夢の論理が一貫しています。ここまで来ればさすがにゴジラ映画企画も一旦は行き詰まったようで翌'70年のゴジラ映画の新作はありませんが、これは'70年に大阪の国際万国博覧会が開催されたため'64年の東京オリンピック開催時の映画界の惨敗が教訓となって大バジェットの新作映画の企画を回避したのと、田中友幸プロデューサーが万国博覧会のための映像企画でゴジラ映画の新作まで手が回らなかった、その両方が理由と考えられます。そして'71年の次作『ゴジラ対ヘドラ』は同作きりを手がけた坂野義光監督の意欲作でしたが、坂野監督自身が後に「子供の純粋な心を無碍にするような作品にすべきではなかった」と語るような、グロテスクな映像や残虐描写に特色があるような映画になりました。ただし興行的には同作でゴジラ映画は持ち直しを見せたので、続く3作は福田淳監督が手堅いゴジラ対侵略者路線を維持し、第14作『ゴジラ対メカゴジラ』'74まで健闘します。そして本多猪四郎監督のオリジナル・ゴジラ作品最終作『メカゴジラの逆襲』にいたる、となるのです。

●6月23日(土)
メカゴジラの逆襲』(東宝'75)*本多猪四郎監督, 83min, Color; 昭和50年3月15日公開

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○解説(キネマ旬報新作邦画紹介より) "メカゴジラ"シリーズ二作目。第一作で破壊されたメカゴジラが地球征服を企む宇宙人に復元修理され、ゴジラと対決する。脚本は高山由紀子、監督は「決戦!南海の大怪獣」の本多猪四郎、特撮監督は「エスパイ」の中野昭慶、撮影は富岡素敬がそれぞれ担当。
○あらすじ(同上) 海に沈んだメカゴジラの残骸を捜索中の潜水艇・あかつき号が行方不明になった。調査に乗り出した海洋研究所の一之瀬(佐々木勝彦)は、10年前に「恐竜は実在する」と発表して世間を追われた真船博士(平田昭彦)が事件に関係があるとにらんだ。一方、その真船博士は、人知れぬ地下の実験室で一人娘・桂(藍とも子)を助手にして、世間へ復讐するために研究に没頭していた。真船博士の復讐心は地球征服を企む宇宙人に利用された。怪獣チタノザウルスを使ってあかつき号を破壊したのは、大宇宙ブラックホール第三惑星の隊長ムガール(睦五郎)で、彼は博士の手を借り、メカゴジラを復元修理しようとする計画だった。一之瀬は海底調査をするに当って桂に協力を求めたが、断わられた。桂はムガールの手下・津田(伊吹徹)によってサイボーグに改造されていたのだ。あかつき2号に突然、チタノザウルスが襲いかかった。だが、あかつき2号の発信する超音波によって苦しみ悶えだした。チタノザウルスは超音波に弱いのだ。逃げたチタノザウルスは二日後、横須賀港に出現した。その時、突如、海中からゴジラが現われた。壮絶な戦いは勝負がつかないまま、引き分けに終った。ムガールは桂の頭にメカゴジラの作動装置を結びつけ、東京大破壊が開始された。その頃、真船家を探っていた一之瀬がムガールに掴まった。ムガールは、一之瀬を救出しようと飛び込んで来た国際警察の村越(内田勝正)をしりめに、最後のスイッチを押した。メカゴジラとチタノザウルスは狂ったように街を破壊していった。だが、再び出現したゴジラによって、宇宙人の野望もくずれさるのだった。

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 本作は東宝のTMは出ず、赤地に白ヌキで「制作・東宝映像株式会社」に続いて「メカゴジラの逆襲」、クレジット・タイトルのバックは2頭のゴジラが戦い1頭がメカゴジラの正体を現し死闘がくり広げられる、と前作『ゴジラ対メカゴジラ』'74の戦闘シーンのハイライト抜粋です。映画本編はメカゴジラの残骸を探す海洋調査船あかつきが、開始10分目で突然出現した恐竜に襲われ沈められます。交信記録には「恐竜だ!」と叫ぶ調査員の絶叫が残されていました。続いて地球人に化けたブラックホール第三惑星人のムガール隊長(睦五郎)がやはり地球人に化けた津田(伊吹徹)と真船博士(平田昭彦)について言及し、次いでインターポールの村越(内田勝正)が海洋研究所の一之瀬(佐々木勝彦)に恐竜の存在の主張から真船博士が学会を追放されたいきさつが語られ、村越と一ノ瀬が真船家を訪ねると真船博士の娘・桂(藍とも子)は真船博士の死を告げます。続けてチタノザウルス操縦装置の完成を祝う真船博士と津田の姿に移るのが15分目で、津田はメカゴジラを真船博士と娘・桂に見せ、ムガール隊長を紹介し自分たちがブラックホール第三惑星人であることを明かしてメカゴジラの復原の協力を要請し、自分を追放した学会への復讐心を抱く真船博士は嬉々として応じます。続く10分で調査船あかつきの生き残りの調査員がチタノザウルス出現のメモをインターポール捜査官に渡した後ブラックホール第三惑星人に殺害され、村越からその報を知った一ノ瀬は桂にチタノザウルスの存在確認調査に出向くと告げますが、側は一ノ瀬を止めようとします。桂はブラックホール第三惑星人津田に、かつて真船博士の実験中に桂が感電死した際にサイボーグとして蘇らされた過去を思い出させ忠誠を誓わせます。30分目で一ノ瀬の調査船は深海でチタノザウルスに襲われますが、救難信号の発信でチタノザウルスは苦しんで、その隙に調査船は帰還し、チタノザウルスの弱点は一定の周波数帯の超音波であり超音波発信装置でチタノザウルスを撃退する計画が進められます。桂は一ノ瀬への思慕とともに宇宙人の侵略に手を貸すのをためらいますが父と津田の命令に逆らえず、チタノザウルスを横須賀に出現させた際に超音波発信装置を破壊し、現場で桂の姿が目撃され死亡が推定されますが、一ノ瀬はチタノザウルス出現と超音波発信装置破壊への桂の関与と、桂の死を信じられません。45分目に真船博士邸をアジトにしたブラックホール第三惑星人が桂を再びサイボーグ修理し、真船博士に桂の頭脳をメカゴジラの起動装置にする提案を承諾させます。55分目で一ノ瀬は真船博士邸に乗りこみ、真船博士と対面しますが、真船博士は一ノ瀬を監禁し、桂に命じてメカゴジラ、続いてチタノザウルスを出現させます。ゴジラは60分目に現れてメカゴジラ、チタノザウルスと戦いますが、メカゴジラのフィンガー・ミサイルに倒れます。真船博士のチタノザウルス操縦装置の報を一ノ瀬が失踪前に残した伝言から知った村越は防衛隊の航空部隊に超音波発信装置でチタノザウルスを弱らせる作戦をうながし、一ノ瀬は拘束を解いて津田を倒しますが桂は一ノ瀬に銃を向けます。一ノ瀬を助けに駆けつけた村越との銃撃戦で宇宙人の流れ弾に当たって真船博士は絶命し、銃弾に当たって桂が倒れるとともにメカゴジラは硬直しゴジラメカゴジラの首をもぎ取りますが、首なしメカゴジラはなおも頭部ジョイント部からの破壊光線でゴジラに応戦します。一ノ瀬に抱き起こされた桂は自分がサイボーグでメカゴジラの起動装置だから破壊してと一ノ瀬に懇願しますが、一ノ瀬は君がサイボーグでも好きだからできない、とためらい、桂はひとすじの涙を流して光線銃で自殺し、メカゴジラの活動は停止します。逃げるムガール隊長を村越たちは岸壁に追いつめ、ムガールは海中に身を投じて円盤が海から飛び去りますが、ゴジラの白熱放射で円盤は追撃されます。ゴジラはチタノザウルスを押さえこみ防衛隊の超音波攻撃にさらし続け、チタノザウルスはついに絶命します。一ノ瀬は村越たちとともに真船博士邸から桂の遺体を運んで野原に横たえ、ゴジラが海洋に去って行く姿で映画は終わります。
 前書きで書き落としましたが、円谷英二特技監督は第7作『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』'66を最後にゴジラ映画を降りて円谷プロの活動に専念、第8作『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』'67と第9作『怪獣総進撃』'68は特技監督有川貞昌が勤めました。第10作『ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃』'69では本多監督自身が特技監督も勤めています。第11作『ゴジラ対ヘドラ』'71以降はこの『メカゴジラの逆襲』まで中野昭慶特技監督を勤めています。本作のクレジット・タイトルは前作『ゴジラ対メカゴジラ』の戦闘シーンのダイジェスト映像ですが、同作が福田淳監督作品であっても特撮シーンについては中野昭慶監督によるものなので流用に問題はないとも言えますし、また「東宝チャンピオンまつり」内の目玉作品であっても80分強の尺で冒頭から観客をつかむには、ホームヴィデオなどない頃ですから前作のダイジェスト映像はサービス精神の表れと見るべきでしょう。本作は「メカゴジラ・シリーズ第2弾」というのがキャッチコピーなので、やられてもやられても作り直せばいいロボット怪獣メカゴジラの特性を生かしたシリーズ化でもありますし、それを言えば『ゴジラ対メガロ』'73で登場させた対侵略怪獣ロボット・ジェットジャガーはどうなったとも言えますが、残念ながらコスト高だった割にゴジラ登場までの場つなぎ程度の貢献しかせず、正義の心と根性で巨大化するというロボットにあるまじき活躍ぶりがさすがに子供にまで失笑を買ってしまい、早い話が生産中止の憂き目に遭ったのでしょう。またジェットジャガーメカゴジラではロボット対決であまりにゴジラ映画らしくなくなってしまうのも問題があったと思いますが、メカゴジラというインパクトの強い敵役ロボット怪獣を出そうと発案された時点で誰もジェットジャガーなど覚えていなかった、むしろ忘れたかったと身も蓋もない事情が想像されます。本作はコンペティション形式で脚本家・映画監督の高山由紀子(1945-)の脚本家デビュー作となり、田中友幸プロデューサーの意向で本多監督には怪獣による破壊描写のリアリティと人間ドラマに重点を置いた作風が求められました。本編(人間ドラマ部分)と特撮部分が同一カメラマンで撮影されたのも本作が初になったそうです。人間ドラマとしてはマッドサイエンティスト役の平田昭彦の娘役でサイボーグ少女にされ、頭脳をメカゴジラの外部プログラムにされる桂(当時『ウルトラマンレオ』の女性隊員役の藍とも子)の苦悩がそうした面でもあり、ゴジラの登場までにチタノザウルスとメカゴジラによる市街地破壊シーンが長すぎる印象もあります。ゴジラが子供たちが踏みつぶされそうになっているのを助ける場面もあって人間の味方を強調しており、これはリアリティと両立せず苦しいところですが、ゴジラによる市街地破壊シーンを描かないために悪役怪獣があらかじめ戦場を更地にしておく必要があったとも取れます。また海外版では削除されたそうですが、サイボーグ少女・桂の改造シーンで作り物ながら乳房が映り、ゴジラ映画唯一の女性ヌードでもあればメカゴジラの外部プログラム改造後の桂は銀色のボディスーツ姿というリアリティと結びついたサービスもあり、'70年代半ばの日本映画が一般映画でもエロティシズムを匂わせる傾向にあったのを思い起こさせます。本作のヒロインの設定は後のガメラ映画の『ガメラ3 邪神<イリス>覚醒』'99を思わせるものですが、この『メカゴジラの逆襲』は観客動員数97万人とシリーズ中もっとも低い成績に終わり、これは『ゴジラ』'54の観客動員数970万人の1/10という人気凋落で東宝を落胆させ、一旦ゴジラ映画のシリーズを終わらせる結果になりました。60代半ばになっていた本多猪四郎監督は以降晩年まで戦前からの盟友・黒澤明に誘われ黒澤監督の監督補佐として映画人生活をまっとうします。田中友幸プロデューサーは晩年の平成ゴジラ作品にいたるまでゴジラ映画のプロデューサーを勤めました。本作は興行成績では黒星作品に終わりましたが、20年あまり、15作のゴジラ映画に区切りをつけた最終作としては精一杯の意欲作であり、紆余曲折あれいつ終わるかと思われたゴジラ映画が平田昭彦の科学者と本多猪四郎の監督作品に帰って終わったことでも一巡を終えた感じがします。以て瞑すべし、という感慨すら湧いてくるようではありませんか。