人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2019年4月7日~9日/一気観!『映画クレヨンしんちゃん』シリーズ!(3)

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 前回ご紹介した『映画クレヨンしんちゃん』第4作~第6作は甲乙つけ難い傑作・快作・秀作が並びましたが、今回の第7作~第9作は二代目監督・原恵一監督作品が続きながらも興行成績・世評ともにくっきり明暗(というとおおげさですが)を分けた諸作です。1999年の第7作『爆発!温泉わくわく大決戦』はチーフ助監督(本編演出)の水島努の劇場映画初作品になる短編「クレしんパラダイス!メイド・イン・埼玉」を併映する2本立てにして観客動員数の低下を挽回しようとするも振るわず、興行収入9億4,000万円と長編アニメーション映画としてはまずまずながらもシリーズ中では初の、昨年の第26作まででも数少ない、10億円を割る最下位の興行成績となってしまい、レギュラー・シリーズの存続が危ぶまれる結果になりました。併映短編は10分の中で5エピソードの映画パロディを詰めこんだ水島監督らしい好作であり、本編は東宝配給の利を生かした怪獣映画のパロディ(実際は巨大ロボットですが)で、ゴジラ作品の音楽を使う、自衛隊協力のもと本格的ミリタリー考証も行われた面白い作品ですが本郷みつる監督時代の作品に趣向は近く、悪ノリが過ぎた仕上がりの観もあるものです。これでシリーズは終わりかと原恵一監督始めシンエイ動画側も堪忍したそうですが、まだ様子を見ようと次作製作も決定し、第8作『嵐を呼ぶジャングル』2000は興行収入10億7,000万円と第6作『電撃!ブタのヒヅメ大作戦』を上回る観客動員数を取り戻しました。『ブタのヒヅメ~』同様かすかべ防衛隊とひまわりの活躍する趣向が功を奏したと思われます。2001年の第9作『嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』はついに原恵一監督がしんちゃんでやってしまった大野心作で、スタッフとキャストは特別な作品と自信をもって製作し、内部試写では上映後に関係者やスポンサーから「何て不愉快な映画だ」と不興を買いましたが作品の出来に自信を持ったテレビ朝日は好評の前作『嵐を呼ぶジャングル』のテレビ放映特番とともにプロモーションを展開し、批評家・一般試写会では驚愕と絶讃で迎えられ、興行収入14億5,000万円と第3作を上回る、シリーズ第1、2作に次ぐヒット作となりました。同作は「映画秘宝」誌で洋画・邦画総合年間ベスト1に選出され、2009年の「キネマ旬報創刊90周年オールタイムベスト・テン」でも日本映画アニメーション部門4位に選出され、しんちゃん映画では最後の原恵一監督作品になった2002年の第10作『嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦』では興行収入は13億円とやや落ちつきますが、文化庁メディア芸術祭・アニメーション部門大賞、毎日映画コンクールアニメーション映画賞受賞を始めアニメーション映画を対象とする賞を7賞あまり総なめにし、前作『オトナ帝国の逆襲』のDVD化のヒットとともに飛躍的にしんちゃん映画への評価を高めることになります。同作は2009年に『ALLAD 名もなき恋のうた』として実写映画化されましたが監督の山崎貴氏が特大ヒット作『ALWAYS 三丁目の夕日』2005の監督なのも皮肉で、『オトナ帝国~』が21世紀には出現すると予想された昭和ノスタルジアへの先手を打った批判だったのに世間は『ALWAYS 三丁目の夕日』を歓迎したので、21世紀にもしんちゃん映画が主流映画と対立して作られ続ける意義はそこにもある、と言えそうです。なお今回も各作品内容の紹介文はDVDボックスの作品紹介を引用させていただきました。

●4月7日(日)
『映画クレヨンしんちゃん 爆発!温泉わくわく大決戦(併映短編「クレしんパラダイス!メイド・イン・埼玉」監督=水島努)』(監督=原恵一シンエイ動画=ASATSU=テレビ朝日/東宝'1999.4.17)*110min, Color Animation
◎謎の科学者"ドクターアカマミレ"率いる"YUZAME"により、地球を温泉で沈めてしまう"地球温泉化計画"が進められていた。彼らに対抗する"金の魂の湯"が野原家の地下にあったことから、一家は"温泉Gメン"とともに温泉戦士としてYUZAMEの野望に立ち向かうことになる。短編「クレしんパラダイス!メイド・イン・埼玉」と2本立て!

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 前々作『暗黒タマタマ~』、前作『ブタのヒヅメ~』と初代監督の本郷みつる監督作品とは違った方向性で快調に秀作を放ってきた原恵一監督ですが、今回は怪獣映画のパロディでというのが(原監督のオリジナル脚本ですが)原恵一監督時代の6作の中で本作だけがやや落ちる、資質に合わない出来になってしまったようです。本作だけを観れば十分に楽しめる面白さがあるのですが、この題材なら本郷みつる監督や、原恵一のあとを継ぐ(本作では前座の併映短編を監督している)水島努監督のようにハリウッド産アドヴェンチャー・ファンタジー映画の雰囲気が得意な監督が当たった方が良かったように思える。本作は「日本人の心」である温泉を守る政府直営機関「温泉Gメン」が怪獣型巨大ロボットを操り日本を温泉に沈め「世界温泉化計画」(「地球温暖化」という言葉が定着したのはこの頃でした)を企む悪の秘密結社「YUZAME」の陰謀を阻止しようとする、その巨大ロボットが埼玉県奥秩父で建造され進路に春日部市があるので野原一家が立ち上がる話で、実は散歩中にしんのすけが道で銭湯に行く姿で倒れているおじさんを家の風呂でもてなしたことから正体は「温泉の精・丹波」(丹波哲郎)のおじさんがお礼に野原家の地下に秘湯「金の魂の湯」を出現させ、それを温泉Gメンが探知したのも事件に巻きこまれるきっかけになっています。温泉という題材、ミリタリー考証も細密な自衛隊と怪獣型巨大ロボットの戦闘描写などはドメスティックかつリアリティをもって描かれているのにクライマックスの野原一家と巨大ロボットの戦闘は「金の魂の湯」の力を借りたファンタジーになり、また風呂と温泉を憎むのが秘密結社YUZAMEの世界征服の野望の動機なのに日本を手始めに世界を温泉化しようというのは逆ではないか(世界中の温泉を枯渇または汚染しようというならわかりますが)とロジックに矛盾もあり、本作の取り柄は自衛隊もYUZAMEの怪獣型巨大ロボットも『ゴジラ』のオリジナル音楽を流しながら戦闘する、最大の見どころは丹波哲郎本人が「温泉の精・丹波」役(外見も浴衣姿の丹波哲郎そのまま)で声優出演し、上機嫌でしんのすけと入浴して洗い場で一緒に「ぞうさん」を踊る、という驚愕のカメオ出演で、「俺はジェームズ・ボンドと風呂に入ったことがあるんだぞ」(『007は二度死ぬ』'67)と豪語する丹波哲郎(1922-2006)は本作公開時77歳ですが、日本の温泉を極めた温泉愛の権化の温泉Gメン隊長・コードネーム草津(小川真司)も壮年期の丹波哲郎にそっくりの容貌とはいえ、プロデューサーが肖像権使用許可を求めたら丹波哲郎本人が声優出演しようと決まって原恵一監督も絶句したそうで、丹波氏は'80年代から心霊研究家としての著書を多数執筆・発表し、'87年の『大霊界 死んだらどうなる』(学習研究社)は大ベストセラーになり映画化作品『丹波哲郎大霊界 死んだらどうなる』'89は観客動員数300万人のヒット作になって第2作、第3作まで作られ、戦後日本の大映画俳優にして霊界の存在を説く(しかもいじられてもまったく動じない)面白いおじさんとして昔の日本映画を観ない人にも大有名人だったので、しんちゃん映画への実名出演、しかも「温泉の精・丹波」で全裸でしんちゃんとぞうさんを踊ってしまう場面は丹波氏のビッグ・ハートが映画全体でもひときわ光る名場面になっています。また本作公開時にはミスタージャイアンツ長嶋茂雄がついに球界引退かと平成以降すっかりサッカーにプロスポーツの華を奪われてしまった昭和のプロ野球黄金時代ごと長嶋の業績を名残惜しむブームが訪れていたので、YUZAMEの51歳の首領ドクター・アカマミレ(家弓家正)の風呂・温泉への私怨は実は30年前の長嶋ファンとしての挫折感に起因しており、その原因を作ったのは他でもない30年前の温泉Gメン隊長になる前の草津だった、というあまりにも馬鹿馬鹿しい因縁があり、こうした泥臭い人情喜劇的発想や展開は原恵一監督の趣味がよく表れていていいんじゃないかとした場合、怪獣型巨大ロボットやミリタリー考証、金の魂の湯に力を授かった野原一家のスーパーマンと化した活躍によるクライマックスの戦闘はミスマッチが目立ってくることになります。部分部分は良いのですが全体のまとまりとなると一本筋の通ったところがない。1作の長編アニメーション映画としてリアリティの水準をどこに置いて保つかは長編アニメに限らずフィクション作品として重要な問題で、本郷みつる監督時代にはしんちゃん世界の次元のリアリティに別次元のファンタジー世界のリアリティが侵蝕してくる、という二重構造が基本でした。
 原恵一監督の前2作では別次元はファンタジーではありませんが、しんちゃん世界に交わる世界征服を企む秘密結社と正義の組織の攻防は一定のリアリティの水準で統一されていました。本作の場合、しんちゃん世界の日常次元のリアリティがかき乱される別次元のドラマにあまりにリアリティの統一感がなく、場当たり的にファンタジーにもなれば野原一家のスーパーヒーロー化も起こるといった具合で、脚本としてはすべてを解決する「金の魂の湯」が伏線になっているのだから何でもありが許される仕組みになっている。しかしそれが観客の納得のいく、満足できる組み立てで展開しているかとなると先に指摘した通り悪の秘密結社の動機と行動自体にロジックの矛盾があるのも作中では意識されていないので、盛りだくさんにサービスの多い作品ですしエンドクレジットでは野原一家が歌う「いい湯だな」で全登場人物が踊る、あげお先生(三石琴乃)初登場で温泉Gメンの女性隊員指宿にブレイク前の田村ゆかりさん、ドクター・アカマミレの愛人フロイラン・カオルに折笠愛さんとキャスティングも楽しめ、また春日部市にYUZAMEの怪獣型巨大ロボットが向かってくることから放映中の「ぶりぶりざえもん(塩沢兼人)のぼうけん」を遮ってテレビ朝日やじうまワイドキャスター(吉澤一彦、田中滋実)の実況があり、「クレヨンしんちゃん」のレギュラーキャストがふたば幼稚園関係のみならず風間ママ(玉川紗己子)、ネネママ(萩森侚子)、マサオママ(大塚智子)、さいたま紅さそり隊の女子高生3人組のふかづめ竜子(伊倉一恵)、魚の目お銀(星野千寿子)とふきでものマリー(むたあきこ)、かすかべ書店店長(京田尚子)と店員中村(稀代桜子)、しんちゃん憧れの女子大生ななこおねいさん(紗ゆり)とその友だち神田鳥忍(大塚海月)、バカップルのヨシリンとミッチー(阪口大助草地章江)、そして春日部在住のマンガ家の臼井儀人(本人出演)とテレビ版の日常コメディのクレヨンしんちゃん世界からの住人たちが逃げまどう姿が実質的にはテレビ版の視聴者が観ると大量カメオ出演の大サービスで、無茶な喩えで言うなら松竹が『宇宙大怪獣ギララ』'67の続編を『男はつらいよ』とクロスオーヴァーさせて浅草の町でギララが暴れまわり寅さん世界のキャストたちが逃げまどうようなものです。それはそれで面白いかという気がしてくるのもたまには変な映画があってもいいからですが、『映画クレヨンしんちゃん』ではとっくにそれが普通になじむと思われたものが実はしんちゃん世界のリアリティに拮抗する映画1作ごとのフィクションにも一定の一貫性のあるリアリティが必要で、本作は水島努監督の併映短編が才気煥発なヴァラエティ豊かなミニ・オムニバス作品だったために(「ぶりぶりざえもんのぼうけん」が一瞬で遮られるのも短編のオチになっています)、原恵一監督の本編の方も過剰にまとまりのない、前2作で見せてくれた手腕が空振りしたような仕上がりになっている。しかしシリーズの他作品と比較しなければ、また比較した場合でも微妙に外した、狙いの外れた作品ならではの抜けた愛嬌が漂っているのは本シリーズの徳というものでしょう。

●4月8日(月)
『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶジャングル』(監督=原恵一シンエイ動画=ASATSU=テレビ朝日/東宝'2000.4.22)*88min, Color Animation
◎野原一家は「アクション仮面」最新作完成記念の豪華客船ツアーに参加していた。そこに突然謎のサル軍団が現れ、島に大人たちを連れ去ってしまう。船に残されたしんのすけたちかすかべ防衛隊とひまわりは、勇気を振り絞って島へ救出に向かうが……。子どもたちだけのジャングル大冒険が始まる!

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 恥ずかしながらそれまでのテレビ放映では何となく流し観していただけのしんちゃん映画が、ちょうど新作『オトナ帝国の逆襲』の前評判の高さもあってテレビ版とは違う作りなんだぞと襟を正して観始めて、これは大したものだとようやく気づいたのが本作の初テレビ放映時でした。シリーズ作品の中では本作は水準作の上程度ともいえる小品規模の構想の作品ですが、観直すと製作スタッフ(脚本・監督の原恵一監督)が前作『温泉わくわく~』で外してしまった部分を丁寧に見直してもっとも無理のない、原恵一作品の資質に見合ってかつ観客の集中力を逸らさないしんちゃんとひまわり、友だちの幼稚園児を主役にしたシンプルな作劇でテレビ版の日常コメディのクレヨンしんちゃんの視聴者にも納得かつ劇場版ならではの満足ができる好作品に仕上がっているのがわかる。原恵一監督時代の6作は失敗作『温泉わくわく~』も含めて初代監督の本郷みつる作品の初期4作と並ぶ、どれを観ても満足のいくものですが、ノスタルジアとは違う戦後昭和文化(特に'70年代初頭)趣味、日本映画的な情感とアメリカ映画的な脚色・演出のミスマッチ感の生むおかしみ感は一貫しており、また本体はテレビ版の「クレヨンしんちゃん」から地続きの特別編なのをもっとも強く感じさせる作品で、アクション仮面はあくまでテレビ・映画作品のアクション仮面であり俳優・郷剛太郎(玄田哲章)が演じている作中フィクションのヒーローという設定になっており、アクション仮面の新作映画のプレミア上映会でフィリピン近海への洋上豪華客船ツアーに招かれた野原一家(しんのすけ矢島晶子、みさえ=ならはしみき、ひろし=藤原啓治、ひまわり=こおろぎさとみ、シロ=真柴摩利)、かすかべ防衛隊の幼稚園児友だち(トオルくん=真柴摩利、ネネちゃん=林玉緒、マサオくん=一龍斎貞友、ボーちゃん=佐藤智恵)たちが保護者の大人たち(トオルくんママ=玉川紗己子、ネネちゃんママ=萩森侚子、マサオくんママ=大塚智子)は上映会の前夜、他の乗客ともども南洋の孤島に野生サルを従え君臨する島の独裁者、パラダイスキング(大塚明夫)の策略によって大人たちはサルたちに拉致・強制労働させられ、アクション仮面は「子どもたちを屈服させるため」パラダイスキングと公開対決で叩きのめされそうになる、という事件に巻きこまれます。楽しい南洋のクルーズから、大人たちが深夜のあいだに全員客船に襲撃してきたサルたちに拉致されてからしんちゃんを始めとするかすかべ防衛隊、シロに乗って着いてきたひまわりによって客船近くの無人島にサルたちが拉致した大人たちを救出する冒険が始まりますが、パラダイスキングアクション仮面しんのすけやひまわりが超人的な活躍をする場面はあってもSFやファンタジー(超自然的)要素は一切排してドラマを展開しきっているのは見事で、原恵一監督時代の6作は極力ファンタジー要素を使わない工夫がしてある中でも完全に現実の次元で一編を通しているのは本作だけです。スケール感では小品の感じがする中の上の作品という印象もその辺りの手際良いまとまりから来るのですが、『映画クレヨンしんちゃん』のシリーズ作品を最初に観る方にも本作は強引なSF・ファンタジー設定がない分アクション・アドヴェンチャー作品としてすんなり入れる明快さがあり、またファミリー向け長編アニメとして全年齢の観客をわくわくさせ、話は勧善懲悪の悪党退治ですが決して残酷な描写をしない、悪事を戒めるけれど倒さないで許す(降参・反省させる)と丁寧に子どもの心に寄り添った作り方をしてあります。一例を上げれば野生サルの弱点をしんのすけの行動への反応から気づいた大人たちの蜂起で大人たちはサルの集団を追いつめ復讐気分で殺気立ちますが、その時赤ん坊のひまわりが突然大声で泣き出す。大人たちははっと冷静になり、サルたちは親玉のパラダイスキングに命令されていただけだもんな、と報復を止める。しんのすけがシロに「わたあめ」を命じ、アフロヘアーのパラダイスキングの真似をして「わたあめ」のシロを頭にかぶったしんのすけがサルたちに森に戻って仲良く暮らしなさい、と説き、サルたちは森に戻っていきます。児童アニメの名門老舗シンエイ動画生粋の原恵一らしい、ファミリー向けアニメならではの立派な脚本・演出で、当然サルはただでは済まさないぞと観ている大人の観客は恥じいることになります。しかもちゃんとひまわりが泣いて抗議するのは伏線があり、島に上陸してワニの沼を渡るなどさんざん苦労て探索していたしんのすけたちはサルに襲撃されてしまい、他の4人は拉致されてしまうのですがサルたちは鳴き出したひまわりをあやしていたしんのすけとひまわりには手を出さずに去って行ったという描写がある。これがしんのすけとひまわりだけが大人たちを救出する主役になる段取りでもあればサルたち自身には悪意がないというひまわりの泣き声の抗議に結びつくので、大人の観客もハッとする場面になっている妙技には感嘆させられます。
 また本作の悪役パラダイスキングはしんちゃん映画史上でももっとも強烈なキャラクターで、「20年前にある事情で」スカイスクーターでこの無人島で暮らすためやってきたパラダイスキングはサルたちとの生存競争に明け暮れ遂に武道の達人となってサルたちに君臨する王様になり、テーマ曲に「カンフー・ファイティング」を流し巨大なアフロヘアーとPファンク風のコスチュームで身を包んだ怪人で、島の裏に漂着した廃船の中に宮殿を作っています。アクション仮面クルーズの豪華客船から大人たちを拉致したのも「サルのできることには限界があるからな」と拉致した大人たちの男たちはパラダイスキングをプロモーションするアニメ製作工房で、女たちは人間の大人たちの監理係についたサルたちのための大食堂で強制労働させており、船に残した子どもたちは目の前でアクション仮面を叩きのめすことで服従させるつもりです。本作のアクション仮面は武道の心得はあるものの超能力者のスーパーヒーローではなく生身のアクション俳優であり、大人たちがサルから解放されてもアクション仮面と対決し強大な力を示して島の奴隷とする、というパラダイスキングの計画は続きます。映画はアクション仮面パラダイスキングに勝って全員が豪華客船に戻ってもなおパラダイスキングがスカイスクーターで船を沈めにダイナマイトを満載して追ってくる(この時パラダイスキングは「ワルキューレの騎行」を口笛で吹き、『地獄の黙示録』が本作の発想の下敷きにあることを暗示します)としつこく続き、撮影・アトラクション用の飛行装置で飛び立ったアクション仮面と「お助けするゾ」とアクション仮面にしがみついてきたしんのすけによるパラダイスキングとの空中戦が大クライマックスとなります。映画の結びは無事試写会が行われ、作中作のアクション仮面映画最新作が上映され、アクション仮面が北春日部博士(増岡弘)開発の新兵器「♪ペガサスビ~ム!」(ペガサスビーム発射装置=小林幸子、本作エンドクレジット主題歌も担当)で敵を倒す場面で映画のアクション仮面とともにアクション仮面俳優としんのすけたちがわはははは、と笑う場面で締められます。しんのすけたちが豪華客船で周遊中の冒頭では、「その頃春日部では……」とふたば幼稚園のしんちゃんにぞっこんのお嬢さま酢乙女あいちゃん(川澄綾子)、あいちゃんの執事黒磯(立木文彦)、よしなが先生(高田由美)、まつざか先生(富沢美智恵)、あげお先生(三石琴乃)、園長先生(納谷六朗)の様子、また春日部市のレギュラー登場人物のかすかべ書店店長(京田尚子)、ベテラン店員中村(稀代桜子)、さいたま紅さそり隊の女子高生ふかづめ竜子(伊倉一恵)、魚の目お銀(星野千寿子)、ふきでものマリー(むたあきこ)やバカップルのヨシリンとミッチー(阪口大助草地章江)、しんちゃん憧れの女子大生ななこおねいさん(紗ゆり)と野原家の隣のおばさん(鈴木れい子)の会話に通りかかってななこおねいさんとお茶しに出かけるしんちゃんの祖父・野原銀の介(松尾銀三)、編集者が訪ねてくると「旅に出ます」と書き置きだけ出演のマンガ家・臼井儀人(映画での臼井氏の登場や劇場版への関わりはこれが最後になりました)と、前作でも春日部市に巨大ロボットが攻めてくるためテレビ版の登場人物の総出演がありましたが本作でさらっと描かれるのはあくまでしんのすけたち旅行中の春日部市民の日常風景であり、今回は冒険ドラマも誇張されているとはいえ現実的に展開し現実的な解決をみるので春日部市民の日常が不自然なカメオ出演サービスにはなっていません。また前作で打ち切りの可能性すらあった『映画クレヨンしんちゃん』が、本作ではこぢんまりとした作品でシリーズ中傑出した作品ではないとしてもテレビシリーズ「クレヨンしんちゃん」の劇場版としては理想的な仕上がりといえる興行的にも成功した作品になったため、次作で原恵一監督は思い切った試みに乗り出すことが可能になったとも言えるので、本作がシリーズで占める位置は決して小さくありません。しんちゃん映画に初めて触れる方にも本作はもっともお薦めできる作品の一つです。

●4月9日(火)
『映画クレヨンしんちゃん モーレツ!オトナ帝国の逆襲』(監督=原恵一シンエイ動画=ASATSU=テレビ朝日/東宝'2001.4.21)*90min, Color Animation
◎春日部で突然開催された"20世紀博"というテーマパーク。童心にかえって没頭する大人たちは、やがてそこへ行ったきり帰ってこなくなってしまう。これは"ケンちゃんチャコちゃん"が企む、恐るべき"オトナ帝国"化計画だった!21世紀と未来を守るために、かすかべ防衛隊が立ち上がる!

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 クレヨンしんちゃん映画は全作が日本語版ウィキペディアに独立した解説項目がありますが、あらすじ・キャストと簡単な背景・成立だけでなく沿革や評価まで含めて本格的な映画作品、しかも重要な主流映画並みの解説がされているのは本作と次作『嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦』の2作だけです。レギュラー・キャストにとってもこの2作は特別という意識があったと証言しており、原恵一監督は『戦国大合戦』のあとテレビ版メイン監督・劇場版監督も原監督時代演出(チーフ助監督)の水島努に譲ってフリーのアニメーター、映画監督になりますが、ずっと単独オリジナル脚本・絵コンテで劇場版を作ってきた原監督は本作は脚本未完成・結末未定のまま実写映画でいう「順撮り」の要領で冒頭のシークエンスから製作に取りかかり、実務のアニメーター・スタッフはどういう内容なのかわけがわからず、シンエイ動画の社員監督だった原監督も意図的に会社のチェックをすり抜けて作り上げたそうで、原監督はテレビ朝日のプロデューサー側からも理解があったのでついにやりたいことをやった自負があり、声優によるアフレコ時点ではほぼ完成していたでしょうからキャスト陣もとんでもないしんちゃん映画になってしまった、という驚きがあったでしょう。初号試写や内部試写では経営陣やスポンサーから不興の声が上がりましたが(前作では興行収入11億と本郷みつる監督後期に次ぐヒットに盛り返しましたから本作の内容は理解を絶したのでしょう)、本作は大評判を呼んで原恵一監督作品では最高の15億円の興行収入を記録するヒット作となります。しんちゃん映画でもテレビ再放映頻度がもっとも高い作品になり、レンタルやDVD売り上げのロングセラーでは次作とともに随一の1作でしょう。本作と次作が惜しまれるのはしんちゃん映画はいつもその時々のテレビ版主題歌がオープニング主題歌に使われることで、本作と次作の時期は「ダメダメの歌」でテレビ版はともかく映画には全然合っていないのが唯一惜しまれ、石田卓也氏のねんどアニメは作品と切り離すには惜しいものなので本作・次作はオリジナル主題歌だったら良かったのにと観直すたびに残念です。さてのちになって多数の賞を受賞した本作は2007年の文化庁の「日本のメディア芸術100選」ではアニメ作品25作中に入選し、キネマ旬報85周年(2004年)記念オールタイムベスト・テンではアニメーション部門7位でしたが同90周年(2009年)記念オールタイムベスト・テンではアニメーション部門4位(1位『ルパン三世 カリオストロの城』、2位『風の谷のナウシカ』3位『となりのトトロ』、5位『AKIRA』、6位『長靴をはいた猫』、7位『太陽の王子 ホルスの大冒険』、7位『白蛇伝』、10位『河童のクゥと夏休み(原恵一監督作品)』、10位『サマーウォーズ』、10位『天空の城ラピュタ』、10位『火垂るの墓』)ですから、宮崎駿作品の人気作上位3作をまとめて1位とすれば2位、宮崎作品以外では1位です。7位だったという85周年(2004年)のランキングの時のラインナップの調べがつかないのですが、90周年(2009年)には上位には人口に膾炙した宮崎駿作品しかない結果になっている。もっともこれは10年前の映画人投票ですし近年10年間も長編劇場アニメーションの話題作は数々あったのでまたこの種の投票があればベストテン入選作品や順位の変動はあるでしょうが、一応そういう評価も得たとなれば本作も一般の主流映画と同様に、初公開時のキネマ旬報の紹介も引いておきましょう。
[ 解説 ] お馴染み嵐を呼ぶ幼稚園児・しんちゃんと、20世紀へ時間を逆戻りさせようとする組織との戦いを描いた長篇ギャグ・アニメーションのシリーズ第9弾。監督は「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶジャングル」の原恵一臼井儀人の原作を下敷きに、原監督自身が脚本を執筆。撮影監督に「ドラえもん のび太と翼の勇者たち」の梅田俊之があたっている。声の出演に、「ああっ女神さまっ AH! MY GODDESS」の矢島晶子、「どら平太」の津嘉山正種ら。
[ あらすじ ] "20世紀博"というテーマパークにハマっていたひろし(藤原啓治)とみさえ(ならはしみき)が、大人であることを放棄ししんのすけ(矢島晶子)とひまわり(こおろぎさとみ)の前から姿を消した。いや、ひろしとみさえばかりではない、春日部中の大人たちがいなくなってしまったのだ。そしてその夜、ラジオから"イエスタディワンスモア"と名乗る組織のリーダーであるケン(津嘉山正種)とチャコ(小林愛)が、見捨てられた子供たちに投降するよう呼びかけてきた。実はケンたちは、21世紀=未来に希望を持てなくなった大人たちを洗脳し、大人だけの楽園"オトナ帝国"建設を企んでいたのだ。このままでは、未来がなくなってしまう! しんちゃんを初めとするカスカベ防衛隊は、ケンたちの計画から大人たちと自分たちの未来を取り戻すべく20世紀博へ乗り込むと、"20世紀の匂い"にどっぷり浸かり童心に帰っていたひろしとみさえを"ひろしの強烈な靴下の匂い"で洗脳から目覚めさせ、家族一同力を合わせてケンの計画を阻止してみせる。こうして、未来はしんちゃんたち子供の手に託されることとなり、春日部の町にも平和が戻るのであった。
 ――本作の頃には原作者の臼井氏はアニメ版にはテレビ版のキャラクター設定程度にしか関わっておらず、劇場版は原作者了承という程度だったそうですから、本作のような内容は原恵一監督が自由にオリジナル脚本を構想できるようになって初めて実現したと言え、本郷みつる監督時代の最後の作品『ヘンダーランドの大冒険』に相当するものでしょう。キネマ旬報のあらすじはおおざっぱに概要をまとめてもいれば細かいニュアンスをぶっ飛ばしてもいるので、本作はアヴァンから野原一家が1970年の大阪万博そのままの万国博会場を見学中に怪獣が現れ(まずソ連館が壊され、ひろしが「ソ連が崩壊した!」と叫ぶ時事ネタがあります)ひろしは巨大ヒーローに、家族は万博防衛隊隊員に変身して戦う……のがすべて春日部市で突然開催された「20世紀万国博」会場の特撮映画撮影サービスの作中作であり、続いて子どもたちの間で大人たちがみんな20世紀万国博に夢中になって通いつめている、街中で大人たちに昔の日本みたいなファッションが流行っている、どうも日本各地の市町村で同じような20世紀万国博が同時開催しているらしい、という不安が広がります。ある晩テレビで明朝皆さんを20世紀万国博に迎えに行きます、と電波ジャックらしいアナウンスが流れ、ひろしとみさえは人が変わったようにしんのすけにもひまわりにも見向きもしなくなり、翌朝大人たちは子どものような様子に退行現象を起こして子どもたちを突き放し、しんのすけは幼稚園の送迎バスが来ないのでひまわりを背負って幼稚園に登園しますが園長先生や先生たちもしんのすけを相手にせず、やがて憧れのななこおねいさんやさいたま紅さそり隊の女子高生をも含む大人たちは迎えに来た数十台のオート三輪の荷台に次々と乗り込んで運ばれていってしまいます。大人たちが町から消えたあと、かすかべ防衛隊の風間くん(真柴摩利)、ネネちゃん(林玉緒)、マサオくん(一龍斎貞友)、ボーちゃん(佐藤智恵)はしんのすけの家に集まります。「もしかしたら大人だけの帝国を作るのでは?」「オトナ帝国?」などと疑っていると、テレビ番組が突然白黒になりました。コンビニはガキ大将たちが占領し、無人のバーで麦茶をすするかすかべ防衛隊でしたが、大人がいなくなったために町中からは街灯が消え、置き去りにされた子どもたちはパニックに陥ります。明かりの消えたしんのすけの家でかすかべ防衛隊がラジオを聴いていると、「20世紀博」の創立者で「イエスタディ・ワンスモア」のリーダーである「ケン」から「町を訪れる20世紀博の隊員に従えば親と再会できる」というメッセージが流れます。大半の子たちはラジオに従ったものの、不審に思ったかすかべ防衛隊はサトーココノカドーへ足を運び、そこで一夜を過ごすして迎えをやり過ごし隠れようと決めます。翌朝、迎えに従わなかった子供たちを捕まえる「子供狩り」が始まります。ひろしとみさえ、園長先生もオトナ帝国の手先になっていました。隠れたデパートではしんのすけのミスで「子供狩り」が始まる時間に起きてしまい、居場所をひろしとみさえに見つかったかすかべ防衛隊は店内や町中で追いかけっこになります。運良く幼稚園バス(猫バスもどきのペインティングでお馴染み)を乗っ取り交代で運転をして逃げるも、イエスタディ・ワンスモアの部下たちによって20世紀博へ誘導され、しんのすけを除くかすかべ防衛隊の4人は捕えられてしまいます。しんのすけ・ひまわり・シロは辛くも逃げ切り、イエスタディ・ワンスモアの作った「20世紀の匂い」によって大人達が「懐かしさの匂い」に夢中になり、幼児退行していたことを知ります。その時ケンの言葉を思い出したしんのすけはひろしの足の臭さを思い出し、ひろしに「ひろしの靴」をかがせます。ひろしは夢の中で少年の頃の思い出、失恋、上京、就職、仕事の失敗、みさえの出会い、しんのすけ、ひまわりの誕生までが走馬灯のようにめぐり、すすり泣きながら記憶と正気を取り戻します。その後、みさえも同じ手で治したあと、20世紀博から脱出しようとする野原一家の前にケンが現れます。そしてケンはチャコと住む20世紀万国博内の下町の木造アパートの一室で人類20世紀化計画を語ります。野原一家はそれを阻止するため走り出します。20世紀万国博内の東京タワーに登る野原家を次々とイエスタディ・ワンスモアの隊員達が襲いますが、野原家は機転とチームワークで撃退していきます。ケンとチャコの二人がエレベーターで頂上に登り始めます。そして家族が次々と脱落していく中、しんのすけ一人が頂上を目指し、何度も転び、遮二無二走り続けてしんのすけはようやく二人にたどり着きます。ケンとチャコは計画を発動させようとしますが、大人たちの懐古心を原動力とした計画は、野原家の行動を見て未来に生きたいと考えを変えた街の住民達により頓挫してしまっていました。チャコはしんのすけに何故!と問いかけると「オラは大人になりたいから。大人になってお姉さんみたいな人とお付き合いしたから!」と叫びます。ケンは敗北を認めてアナウンスで住民たちとしんのすけに「未来を返す」と告げ、チャコと共に去る。二人は追いついたひろし・みさえの制止も聞かず塔の縁まで歩いていきますが、飛び降りようとした二人を鳩が遮り巣に戻ります。「死にたくない!」とチャコは座りこみ、「また家族に邪魔されたか」とケンはつぶやき、ひろしに別れを告げてチャコとともに去って行きます。こうして野原家やかすかべ防衛隊、そして日本中の人々はそれぞれの家へと帰っていき、小林幸子の歌うエンドクレジット主題歌で映画は終わります。原恵一監督は1959年生まれですが、本作が2001年に公開されて大反響を呼んだのはちょうどテレビ版しんちゃんの視聴者である子どもの父母の世代が幼少期を'70年代に過ごした世代なのが大きく、また『ALWAYS 三丁目の夕陽』などの出現に先立って21世紀に出現するだろう20世紀ノスタルジアを5歳の子どもたちにとっては未来こそが大事なのだ、とぴしゃりと叩いた先見性が高く評価されたのでしょう。また挿入歌に忘れられがちながら誰もが知っている'60~'70年代の日本のポップス(BUZZ「ケンとメリー~愛と風のように~」、ベッツィ&クリス「白い色は恋人の色」、ザ・ピーナッツ「聖なる泉」、よしだたくろう「今日までそして明日から」)を使うセンスも冴えています。ただしテレビ放映開始から28年目となると、しんちゃんの世界の春日部は1992年にも2019年にもしんちゃんは5歳で時代は新しくなっているのですが、若い世代ほど本作の反ノスタルジアが『ALWAYS 三丁目の夕陽』のノスタルジア肯定と見分けがつかなくなる可能性がある。『君の名は。』などはタイトルだけでも嫌厭すべきものですが何の抵抗もなくなっている。知らなければノスタルジアにはならないとなれば、本作が何を語っている作品か今後誤解されながら観られていく危うさもあります。本作の場合は親が子どもを見捨てて子どもに返りたいという設定があるので大丈夫とは思いますが、本作が対象にしているのは'70年代までに子どもだった生年層というのはある。本作は原恵一監督の傑作ですが、今後の評価の推移が微妙と思われるのはその辺りです。