人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2018年6月29日・30日/湯浅憲明(1933-2004)監督時代のガメラ映画(3)

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 いやあ観た観た、1週間毎日ガメラ映画を1本ずつ観るなどこれまでなかっただけに、「初期数作をピークに子供向けの怪獣映画化して先細りしていったガメラ映画シリーズ」などという誤った認識不足を反省する良い機会になりました。直前にゴジラ映画シリーズから7作品を選んで観た感想もそうですが、東宝ゴジラ映画にしても大映ガメラ映画にしても日本の大手映画会社が一流のスタッフを起用して真剣に製作した立派な映画です。この「子供向けの怪獣映画」であることと立派な映画であることの両立は現代では素直には成り立たなくなっていて、現在では観客も現代映画の基準から'60~'70年代のゴジラ映画・ガメラ映画を観てしまうため見方がねじれたものになってしまう。嫌な言い方になりますが、現代の映画観客は映画を「上から目線」で観る癖がついてしまっていて、各種の投稿映画サイトなどを見ると、特に年代の古い映画、自国の映画、無名監督の無名映画という具合に見下し方が容易なほど粗を探すような見方をしてしまう傾向があるように感じます。B/W撮影だけで「古臭い」、戦前映画というだけで「雑」、サイレント映画となるとそれだけでもう「幼稚」と、おそらく映画を長く広く多く深く観ていない人ほど映画を見下して観ていて、昔のガメラ映画のシリーズなどはむしろ愛情のある観客しか今では観なくなっているだけましかもしれません。今回大映倒産までのシリーズ全7作を観てやっと気づいたのですが、ゴジラ映画にあってガメラ映画にないのは政治・戦略・軍事・科学的要素で、要するにミリタリー系やメカニック系のマニア向け要素がない、ということです。これは実写映画・アニメーション問わず現代映画ではマニア性の精度が求められているのとはまったく方向が逆で、ミリタリーもなければメカもない高橋二三脚本・湯浅憲明監督のガメラ映画の軽やかで無垢な世界は、現代では再現することも感受することも難しいものになっているとも言えます。往年のゴジラ映画やガメラ映画は一定の位置に収まり、これを再評価する気運は今後も特になくその要請も起こりそうにないと思いますが、昭和のゴジラ映画・ガメラ映画とともに滅びたものは何かを確かめたい時、今でも手頃に映像ソフトが流通しているのは、砂漠に浮かぶオアシスの蜃気楼を見るような気がします。

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●6月29日(金)
ガメラ対大魔獣ジャイガー』(大映京都'70)*湯浅憲明監督, 83min, Color; 昭和45年3月21日公開

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○解説(キネマ旬報新作邦画紹介より)「あなた好みの」の高橋二三と湯浅憲明がそれぞれ脚本と監督を担当した怪獣もの。撮影は「新・与太郎戦記」の喜多崎晃が担当。
○あらすじ(同上) 南太平洋ウェスター島の石像「悪魔の笛」が日本万国博に陳列されるため南海丸が大阪に入港した。丁度その頃、ウェスター島と南海丸に異変が起きた。島の石像跡には異常な光と震動をともなって、全長二〇〇米に及ぶ大魔獣ジャイガーが出現。南海丸の中では石像にふれた人々が、次々と倒れた。この異常事態を知ったガメラウェスター島に向い、ジャイガーと対決。だが、ジャイガーはガメラを唾液ミサイルで釘づけにすると、海上を滑走して、大阪に上陸、そして大暴れ。必死の思いで立ち上ったガメラはジャイガーを追って、大阪で再び死闘を展開した。ジャイガーはガメラの体内に卵を産みつけ、その幼虫(ジャイガー二世)がガメラの血を吸ったからたまらない、ガメラはまたもや、海中にうずくまった。ガメラの様子を心配した少年弘(高桑勉)とその友達トミー(ケリー・バリス)は弘の父(大村崑)が作った小型潜水挺に乗り込み、ガメラの体内に潜入した。二人の前にジャイガー二世が出現したが、弘のなげつけたトランシーバーのために、雑音をのこして死んだ。このことから、ジャイガーは低周波雑音に弱いことが判明、そして低周波作戦によって悶絶。一方、強力な電気エネルギーを注入されたガメラも生き返った。だがあまりに大量の電力注入のため低周波作戦への送電が停止、ジャイガーは息を吹き返した。そして三たび、ガメラ対ジャイガーの格闘が万国博会場を背景にくりひろげられ、ガメラはジャイガーの息の根をとめた。

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 朝日の雲海に重なる大映TMタイトルの次にしょっぱなから背後に火山の噴火する岩山にいるガメラに続いて対バルゴン戦、ギャオス戦、バイラス星人戦、ギロン戦の各々とどめを刺すクライマックス・シーンの連続をバックにクレジット・タイトル。映画本編は大阪万国博を舞台にした映画なのが趣向で、主人公の弘少年(高桑勉)が姉(八代順子)の恋人の古代文化研究家で万国博広報部員、圭介(炎三四郎)にアメリカの古代文化研究家で古代ムー大陸の文化が残ると推定されるウェスター島から遺跡の石像「悪魔の笛」を持ってくる予定のウィリアム博士(フランツ・グルーベル)からの手紙を届けに船舶修理工場長の父(大村崑)に頼まれ遺跡の輸送状況を伝えに会いに行く所から始まります。弘少年が圭介に万国博の説明を聞きながら案内されるのが冒頭10分ですが、弘が先に来日していたウィリアム博士と博士の子供のトミー(ケリー・バリス)とスーザン(キャサリン・マーフィ)の兄妹と遺跡の展示予定の館を観覧しているとウェスター島の遺跡は呪いで怪獣ジャイガーに守られている、とウエスター島文化使節(チコ・ローランド)が遺跡の展示に反対し、折しもガメラが現れて人々を威嚇して去っていきます(15分目)。「ガメラは言葉を話せないから、その代わりにウェスター島のことで何かを伝えに来たんだ。今石像はどこまで運ばれているの?」石像はまだ海洋上の南海丸で輸送途中だとわかります。その頃、ウェスター島らしき島で古代怪獣ジャイガーが地底から出現し(20分目)、ガメラがすぐに現れて対決しますが、ジャイガーの鼻翼の角から放たれた唾液が串状にガメラの四肢を貫き、ガメラは転覆して動けなくなってしまいます(刺さった串のために四肢を引っ込めて回転飛行できないため)。やがて港に南海丸が入港しますが、船は海中から現れたジャイガーに襲撃されます(25分目)。ジャイガーは大阪に上陸して町を破壊し、超音波による分子破壊光線で人間からの攻撃を撃退します。やがて何とか四肢を岩山にこすってジャイガーの串を引き抜いたガメラはジャイガーと戦いに大阪に現れますが、ジャイガーの器官に腹部を射されて動けなくなってしまいます(35分目)。ジャイガーは先に南海丸から大阪府内に運ばれていた石像を探して行く先々を破壊しますが、ついに石像を探し当てると海中に沈めてしまいます(45分目)。一方動けなくなったガメラは身体の各部が半透明化しています。石像にジャイガーを封じ込めていた弱点があると推定していた弘たちはガメラを回復させようと提案し、海中に運んで沈めたガメラのレントゲン検査の結果、肺にジャイガーが器官を刺した時に産みつけた卵が孵化して血液を吸っており、そのためガメラは貧血状態になり各部が半透明化していると判明し、弘とトミーはジャイガーの幼虫退治のために弘の父の会社の潜水艇ガメラの体内に潜り込みます(55分目)。幼虫ジャイガーは弘たちを襲いますが、弘たちが地上の博士たちと連絡を取り合うトランシーバーの雑音に苦しみ、さらに雑音を響かせるトランシーバーを投げつけると死んでしまいます。高周波を発射すりジャイガーの弱点は低周波であることが判明し、ジャイガーが石像「悪魔の笛」に封印され石像を嫌うのは「悪魔の笛」に取りつけられた魔除けの風笛の音の低周波のためとわかります(65分目)。博士たちはジャイガーを睡眠中に低周波発生装置で弱らせる一方、ガメラの体力を回復させるべく大阪中の電力を供給し、電力供給の限界がきてジャイガーが活動を始めるのにぎりぎりガメラの回復が間に合います(75分目)。ジャイガーが万国博会場に向かい、設置された石像「悪魔の笛」の音にひるんでいるとガメラが到着(80分目)、ガメラは「悪魔の笛」を引き抜き飛行しながらジャイガーの眉間に突き刺してトドメを刺します。ガメラはジャイガーの死体を持ち上げウェスター島に帰すべく、大映児童合唱団の歌う「ガメラマーチ」の流れる中、青空を去っていきます。
 同時上映は『透明剣士』で例によって春休み映画だった本作は'70年夏に開催された大阪万国博覧会を先取りして観客の興味をそそる映画にした趣向ですが、東宝ではゴジラ映画のプロデューサー、田中友幸が映像エギゼビジョンを委託されてオフィシャルな協賛が行われた(よって田中プロデューサーの多忙により'64年の『モスラ対ゴジラ』以来、昭和シリーズ最後の『メカゴジラの逆襲』'75までの間、唯一ゴジラ映画の新作のない年になりました)のに対し、大映の本作は大阪万博の承認は受けているもののタイアップでの製作ではなく、ガメラ映画に華を添えるために準備中の万博を舞台にした企画になりました。早い話が世間の話題は大阪万博でもちきりだから万博ガメラ映画を作ろうというプログラム・ピクチャー精神丸出しの製作です。この辺が経営不振でお色気映画(当時の呼び方では「大映ハレンチ路線」)、妖怪時代劇となりふり構わなくなっていた大映中日ドラゴンズ的潔いんだか往生際が悪いのかどちらとも言える方向性ですが、やはりなりふり構わない東映任侠映画からヤクザ映画へと過激化して映画不況を乗り切ったのと較べると時代劇本流の大映は本流自体が弱体化していたため有能な監督・スタッフ・俳優はいたのに分が悪かった、という不運はあります。本作は万博会場の精巧なミニチュアを製作し、それなりにセットにも凝り、次作では遂に割愛されることになる怪獣による市街地破壊も大々的に描いたため、前2作『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』'68、『ガメラ対大悪獣ギロン』'69が大映内のランクではAクラス予算の製作費で作られた『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』'67からBクラスに予算を削減(『ギャオス』の約1/3)されて製作されたのに較べると、万博が舞台だからと『ギャオス』の2/3程度の製作費をかけて作られたそうです。また主人公の少年2人が宇宙人に拉致される、という作品が『バイラス』『ギロン』と2作続いたため、本作では映画後半1/3でリチャード・フライシャーの名高い『ミクロの決死圏』'66風にガメラ体内の怪獣の幼虫退治に少年たちが活躍しますが、秘境から運んできた遺物が怪獣を日本に呼び寄せるプロットはガメラ映画第2作『大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン』'66を踏襲していて、『バルゴン』では宝物そのものが怪獣の卵だったのと、本作の場合は怪獣を封印していた呪物が万博会場の展示用に大阪に運ばれて、封印されていた怪獣ジャイガーが蘇るのはいいのですが、よく考えると自分を封印していた呪物を怪獣が追ってくるのが理屈に合っていません。再び封印されまいと呪物を破壊しに来たと一応はこじつけられますがそんな知恵などある怪獣とは思えませんし、近づいただけで悶絶してしまう効果のある呪物ですから普通は封印が解ければ呪物の圏外へ逃げて暴れるのが筋でしょう。しかしこれを不自然と思うのは大人の心が汚れているので、秘境から遺物を持ち出すと悪いものがついてくる、というのが映画では絶対的な条理なのでジャイガーが大阪にやってくるのもそういう人間を懲らしめにやってきたのだ、と子供の心には素直に受けとめられるのです。それを思うと第1作『大怪獣ガメラ』'65からガメラ映画の全作品の脚本を書いてきた高橋二三氏と、第2作では特技(特撮)監督のみですがやはり全作品を手がけてきた湯浅憲明監督は実に狙いが首尾一貫していて、本作はガメラ映画シリーズの魅力である素っ頓狂な怪獣の造型の点ではジャイガーは今ひとつ地味な四つ足怪獣ですが、これも古代ムー大陸時代からの怪獣という重厚さを意識したものなのでしょう。また宇宙人侵略ものの怪獣の異形さとは違う恐竜っぽさではやはりバルゴンが念頭にあったとも思えます。大映の経営不振はもう映画界の内外では周知になっていて、また良くも悪くも万国博をダシにした映画であることからも、前2作よりオーソドックスな怪獣映画の作りに仕上げた要因かもしれません。

●6月30日(土)
ガメラ対深海怪獣ジグラ』(大映=ダイニチ'71)*湯浅憲明監督, 88min, Color; 昭和46年7月17日公開

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○解説(キネマ旬報新作邦画紹介より) 地球征服を目指すサメに以た怪獣ジグラと、これを守ろうとするガメラの対決を描く。脚本は「樹氷悲歌」の高橋二三。監督、撮影も同作の湯浅憲明と上原明がそれぞれ担当。
○あらすじ(同上) 人類は科学の進歩によって、自然を破壊する公害という大間題にぶつかった。広大な大字宙にも地球同様の公害に悩む星があった。それは天体ナンバー一〇五系宇宙のジグラ星である。高度に発達した文明は公害を生み、住みにくくなった海中に生活する高等生物ジグラは、海のある惑星-地球を征服するべくやってきた。その頃、地球ではペルーと中近東でマグニチュード十二という恐るべき大地震が相次いで起こった。この模様をTVニュースで知った国際海洋動物研究所の所員、石川洋介(石川洋介)とトム・ウォーレス(藤山浩二)は調査のため、モーターボートで沖へ向った。その時突然、一条のグリーン光線がボートに命中し、ボート内に密かに忍んでいた彼らの子供健一(健一)とヘレン(グロリア・ゾーナ)四人は、ジグラ星人の四次元光線にやられ、あっという間に宇宙船内に運ばれてしまった。石川とトムは謎の女性X(八並映子)に催眠術をかけられたが、健一とヘレンの活躍で脱出に成功する。が、ジグラ人の執拗な追跡で再び窮地におちいり、そこをガメラに救われた。早速ジグラ星人対策本部が設置されたが石川とトムは催眼状態から覚めず、健一とヘレンの説明では宇宙船内の様子がはっきりと握めないため、対策本部隊員は焦りだした。一方ジグラ星人は、秘密を知った健一とヘレンを殺すためXを上陸させた。健一とヘレンにXの魔手が伸びたとき動物飼育係(三夏伸)が石川とトムの挙動がイルカに似ているのを発見し、それをヒントに石川とトム、Xを催眼状態から覚ますのに成功した。Xは日本月世界基地研究員の菅原ちか子で、地球征服の途中、月を攻撃したジグラに捕えられ、地球攻撃の手先にされていたのだ。地球防衛軍は宇宙船に攻撃するが、ジグラのレッド光線によって全滅し、宇宙船もガメラの猛攻を受けて破壊された。海中に現われたジグラは、ジグラ星と地球の水圧の相違から巨大化して怪獣ジグラとなり、ガメラとジグラの決闘が開始された。優勢だったガメラは、ジグラにオレンジ色の細胞活動停止光線を浴せられ倒れた。石川、トムは深海潜水艇バチスカーフに乗り込み、ガメラの生死を確認するため潜行したが、ジグラによって日本海深く連れ込まれ、オレンジ光線を浴びて動けなくなってしまった。やがて激しい落雷のショックで蘇ったガメラは、石川、トムを救出し、再度ジグラと対決する。苦戦しながらもジグラの武器を知りつくしたガメラは勝った。そしてジグラの地球征服の野望を粉砕したガメラはどこへともなく飛び立っていった。

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 タイトル「DN ダイニチ映画会社提供」が先に来て雲海バックの大映TMタイトルが出ます。アヴァンでガメラに対抗すべく宇宙怪獣が作り出された、と宇宙空間を映した映像にナレーションが流れ、『ガメラ対深海怪獣ジグラ』のタイトルに続いて「ガメラマーチ」の流れる中、クレジット・タイトルが続きます。鴨川シーワールドの職員宿舎でイルカやアシカのショーと職員の子供の隣人同士の健一(健一)とヘレン(グロリア・ゾーナ)の幼稚園登園の支度がカットバックされます。ヘレンは父がアメリカ人のハーフです。健一とヘレンは休みの日、鴨川シーワールドに勤める父で同僚同士の海洋動物研究所の所員、石川洋介(石川洋介)とトム・ウォーレス(藤山浩二)の海洋調査を兼ねた釣りに連れられていき、ガメラの飛翔を目撃して喜びますが、2組の父子はモーターボートごと宇宙船に拉致されてしまいます。ジグラ星人を名乗る女宇宙人(八並映子)はジグラ星の科学力を示そうと地球上では自然には起こり得ない、関東大震災マグニチュード7.5を超えるマグニチュード13の地震発生装置を作動させようとテレビの電波ジャックをして予告します。ジグラ星人はジグラ星人は水の惑星の海中で生きているが海洋汚染が進み、地球を移住場所に決定したと宣言して健一の父にこの放送は自分たちが拉致されている宇宙船からの放送だと証言させた後、大人2人を催眠状態にしてしまいます。目を合わせてスナップされると催眠にかかると気づいた健一とヘレンはジグラ星人のスキをついてモーターボートを拉致したテレポート装置のスイッチを見分けて父たちともどもモーターボートごと海の上に戻ります。一方、宇宙船のジグラ星人は姿を見せないボスから宇宙船の秘密を知った子供2人を抹殺する指令を受け、地球人を皆殺しにした方が早いのではという疑問に、ジグラ星人の移住後は人類は食糧になるから子供2人のみを抹殺すればよろしいと命令されます。一方健一とヘレンは拉致された時の宇宙人の様子を公聴会で質問されますが幼稚園児なので宇宙人対策に役立つようなことはまったく覚えていません。地球人降伏を勧告したジグラ星の宇宙船からの攻撃が始まり、防衛軍の戦闘機、軍艦、ミサイルなどすべてはジグラ星の宇宙船によって破壊されます。その間地球人になりすましたジグラ星人は健一とヘレンを追って不審がる人々を次々眠らせて鴨川シーワールドに到着。45分目、ようやくガメラが炎上する町の焔に惹かれてやってくるとともに健一とヘレンはジグラ星人に見つかって逃げまわることになります。海中でジグラ星宇宙船と戦うガメラが宇宙船を破壊すると、初めて深海怪獣ジグラが現れるのが50分目(それまではジグラ星の宇宙船が「ジグラ」と呼ばれています)。ガメラはジグラを海上に引き揚げますが、ジグラは海上でも強く、光線を発射してガメラを昏倒させ海底に沈めます。ジグラはガメラに宇宙船を壊されもうジグラ星には帰還できないこと、水圧の違いで巨大化したこと、帰還できないからには地球を占拠することを宣言します。その頃健一たちの父たちは夢遊状態で歩いても壁を避けるのがわかり、その様子が音波で位置を知るイルカと同じことからトランシーバーの音波を浴びせると意識を取り戻します。またジグラ星人を名乗っていた女が超音波で昏倒し、目覚めると実はジグラ星人ではなく拉致された地球人女性の月面調査隊員・菅原ちか子であり、ジグラ星人によって脳波を操られていたことが判明します。ガメラの昏倒もジグラ星人による超音波と推定した健一とヘレンの父たちはガメラを覚醒させるため潜水艇バチスカーフで深海1万メートルに潜り、途中で健一とヘレンも密航しているのがバレるものの引き返すわけにはいかずそのまま潜航しますが、ジグラ星人は潜水艇を人質にとって人類降伏を迫ります。にっちもさっちもいかない状況の中、落雷で目覚めたガメラはジグラの活動停止中に潜水艇を地上に引き揚げ、潜水艇の酸素は8時間前に切れていましたがジグラによる細胞活動停止光線による仮死状態が幸いして全員が息を吹き返し、ガメラは再び深海に潜ると深海生物なので光に弱いジグラを地上の戦いを引き延ばして弱らせ、弱りきったところを火焔放射で焼き払います。「ガメラー、ありがとうー、さようならー!」青空を飛翔して去って行くガメラ、そして鴨川シーワールドの空撮による全景画面に「終」がかぶさって映画は終わります。
 ついに大映は倒産の危機が迫り製作部門のみが大映として、配給部門はダイニチ映画として独立し(大映、ダイニチとも'71年中に倒産、大映の商標のみが残りましたが)、かろうじて'71年の夏休み映画として公開された本作はどうにか前作『ガメラ対大魔獣ジャイガー』と匹敵する製作予算で作られたものの、同時上映は『赤胴鈴之助 三つ目の鳥人』(1958年公開作品のリバイバル上映)という厳しい条件で封切られ、大手映画会社五社として松竹、東宝東映、日活と並ぶ大会社だった大映の倒産危機は社会的なニュースになり、子供たちの間でも「ガメラの会社がつぶれちゃうの?」と広まっていましたが公開されてみればまずまずの興行成績を達成し、大映ガメラ映画の次作も計画しましたがその前の'71年内に倒産してしまいました。有終の美とまではいきませんが、本作は大映製作・ダイニチ配給によってぎりぎりの状況で作られたガメラ映画の生前葬のような哀愁が漂うかと言えば、もともと力みもなければスターも出ないガメラ映画の柔軟さと軽やかさが今回も保たれた好作です。筆者は今回ガメラ映画7作をすべてシークエンスごとのタイムテーブルをメモに採りながら観直してきたことになりますが、最終作らしい悪条件を唯一感じるとすればシークエンス単位の区切りが中盤以降まで明瞭でなく、これは第1作『大怪獣ガメラ』以来のことですが、『大怪獣ガメラ』は頻繁なカットバックが視点と時制の混乱と不統一を招いていました。本作は子供の主人公が幼稚園児の男児と女児(この女の子が普通に不細工なのがなかなか良く、お母さん役の女優と実の親子出演のようなので本当の素人なのでしょう)なので、前半1/3は子供2人と友人で同僚同士のその父たちを交互に描き、中盤は侵略者の視点からの展開になり、後半1/3は再び2組の父子が主役になります。カットバックが頻繁なのでシークエンスの区切りは明瞭でなくずらずら続いていくのですが、視点と時制の統一があるのでストーリーは着実に進み、湯浅監督の腕前も不発に終わった歌謡青春映画の監督デビュー作から監督第2作でいきなり特撮怪獣映画に起用された『大怪獣ガメラ』の不器用な仕上がりからは別人のように頼もしく、緩急のめりはりも効いた楽しくスムーズで快適な展開です。「秘密を知った子供2人を抹殺せよ」とジグラ星人(実は洗脳された地球人女性・菅原ちか子)が姿を見せないボスから指令を受けると、公聴会で質問された幼稚園児の健一とヘレンは幼すぎて宇宙人対策に役に立つことは何も覚えていない、というギャグもスマートですし、末期大映「ハレンチ青春路線」のヒロイン八並映子が演じる洗脳された地球人女性のジグラ星人は健一とヘレン抹殺のため海から黒のビキニ姿で現れると鴨川シーワールドへの道順を通行人に訊きながら返事を聞くと睡眠させ、黒ビキニ姿のまま商店街を歩き(通行人は不審からないのでロケであってもエキストラでしょうが、まったく不審がる通行人がいないのもかえって可笑しみを誘います)、黒ビキニ姿のままタクシーに乗ります。さすがに鴨川シーワールドに着いてからは赤いカーディガンに白いスカートとまともな服装になり、職員宿舎の健一の部屋に忍びこみジグラ宇宙船との攻防のテレビニュースを観ている健一とヘレンを見つけますが、子供たちは「あっ、あの時の!」とクッションをぶつけ、八並映子はひるんで「待ちなさい!」と追おうとするも簡単に逃げられてしまいます。この軽やかさと柔軟さと無垢なユーモアがガメラ映画の良さなので、『バルゴン』ではかなり、『ギャオス』では設定上でそれなりに人間ドラマが描かれていたものの、東宝ゴジラ映画の人間ドラマの比重の高さ、悲劇性と較べるとゴジラ映画的に重厚な人間ドラマと悲劇性が高いのはシリーズ中唯一、東宝ゴジラ映画の本多猪四郎監督よりも年長でサイレント時代からのヴェテラン田中重雄監督による『大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン』だったので、同作は秀作ですがガメラ映画というよりもバルゴンという1作きりの秘境怪獣の神戸~大阪大破壊を強欲な人間ドラマと絡ませて、バルゴンの息の根を止めるのはガメラですが出番も少なく他にバルゴン退治の結末をつければガメラ映画でなくても良い作品でした。ラスト・カットが青空を去って行くガメラで終わると見せかけて空撮による鴨川シーワールドの全景なのも、鴨川シーワールド側の実質的タイアップによるロケーション協力への感謝と、大映にこのラスト・カットだけのための空撮予算があったとは思えませんから鴨川シーワールド側がプロモーション用に撮っていたフィルムの流用なのでしょう。この後単発で、徳間グループ資本下の商標になっていた大映から高橋二三脚本・湯浅憲明監督による『宇宙怪獣ガメラ』'80が製作されましたが、特撮シーンのほとんどは過去のガメラ映画からの流用・再編集で、宇宙海賊船ザノン号の地球侵略から地球を守るためやってきた正義の宇宙人スーパーガールの3人が出会った少年からガメラの存在を知りガメラの助力を得て海賊船ザノン号を撃退する、というマッハ文朱主演のスーパー・ヒロイン映画でした。ゴジラ映画シリーズ最終作『メカゴジラの逆襲』'75で悲痛な人間ドラマ中心の作風に戻り同作を最後の監督作とした本多猪四郎監督のゴジラ映画キャリアも起伏に富んだものでしたが、台所事情は火の車ながらレギュラー脚本家の高橋二三氏とともに傑作『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』以降楽しい作品を毎年送り出してきた高橋氏と湯浅監督もまた、確かな作品世界を作った脚本家と映画監督なのがシリーズ作品からは伝わってくるのです。